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『あさきゆめみし』  作者: 八神 真哉
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第九十三話  『怨霊』

【道摩】


檜の枝の上に、月の光を浴びた豪奢な衣が見える。

瑠子を抱いた中宮が、蒼白い顔で目を閉じていた。

気を失ったようだ。


水の流れにも似た、中宮の長く美しい黒髪は前に回されている。

枝に巻きつかないようにと酒呑童子が気を配ったのだろう。


その胸に抱かれた瑠子は、ただぼんやりと空を見ていた。

瑠子は、とうに屍どもに襲われていると思っていた。

酒呑童子が、あらたな護符でも持たせたのだろう。


あの愚かな鬼は、つまらぬところに気を使う。

おのれの命と引き換えに、瑠子を生かしたところで何が変ろう。


二年前も、その愚かさで、荒覇吐様以来、最強と言われた呪力を手放したのだ。

何の役にも立たぬ……それどころか、足手まといにしかならぬ、たった一人の女童のために。


「愚かな鬼よ。己が死ねば、わしが力を失うと思い込んでいたのだろう」

わしはそれほど愚かではない。

お前が自死することを思いつかないような阿呆ではない。

とうに、織り込み済みだ。


酒呑童子という目的を失った屍たちの興味は、檜の枝に抱きかかえられるようにして気を失っている中宮に移っている。


その中宮の五尺ほど上の枝に双頭の鴉の姿があった。

まるで、瑠子を見守るかのように。


酒呑童子は屍たちが二人に近づけぬように結界を張ったようだ。

あえて、放置しておくのも一興だ。

一刻もせぬうちに、洛中は阿鼻叫喚に包まれるだろう。

生きながらえたゆえに、見ずともすんだ地獄図を目の当たりにすることになる。


――と、中宮の胸元から白色の紐がのぞき、空に向かい、するすると伸びた。


思わず眉をしかめた。

ただの紐ではない。

波打つ光の紐だ。

わずかに翡翠色を帯びている。


途切れる様子もなく伸びていく。

胸元にある勾玉も、同調するように光を放っている。

中宮は、少なくとも二つの呪具を身に着けているようだ。


その紐が何をなそうとしているのか見届けたくはあったが、大事の前である。

面倒になる前に呪で止めることにした。

玉ごと葬るのが最善の策であろう。


が、跳ね返された。


わしの呪が効かぬというのは初めてのことだった。

驚きはしたが、あれが草薙剣同様、大和の神器であれば不思議ではない。

あの中宮は、神器を手に入れるべく、あちこちに声をかけていた。


ならば、酒呑童子と同じ目にあわせてやるまでだ。

神器と言えど、巨大な岩の重量には耐えられまい。


二人を酒呑童子を押しつぶした大岩の上に移動させ、再度、頭上の崖を落としてやろうと印を切り呪を唱えた――その時。


紅い光が弧を描いて襲って来た。


――うかつだった。

中宮に気を取られ過ぎていた。

左手を前にかざし、受け止める。


雷に打たれたかのような衝撃に一瞬意識が飛んだ。

背筋が泡立った。

危うく結界ごと飛ばされるところだった。


義守は、もう一度、剣を振りぬいた。

気を入れて、防御の態勢をとる。

が、紅蓮の刃は足元を通り過ぎて行った。


はずしたわけではなかった。

崖の上から焼け焦げた匂いが漂ってきた。

四鬼の首や顔から上が錫杖ごと吹き飛ばされていた。

奴らの持っていた神宝、死返玉も眼下へと落ちていった。


なんとも役に立たぬやつらだ。

あまりにもあっけない、その最後には怒りも湧いてこなかった。

気がついたら鼻で笑っていた。


奴らが唱えていたのは屍たちを動かす術だ。

大勢に影響はない。

引き裂かれた黄泉の国との隙間から悪霊どもが次々とあふれ出ている。


落ちた神宝を宙に浮かせ、揺り動かすと蒼く光を放った。

布留の言とともに屍たちは動き始めた。


新たに呪を唱え、上質な白玉のごとき形状の結界を張りなおす。

万一の時は、身にまとっている品物之比礼の霊力が、わが身を守り、背にした八握剣が奴にとどめを刺すだろう。


大和の草薙剣が荒覇吐様の鍛えし八握剣にかなうとは思えぬが、よしんば同等の力を持っていたところで勝敗は明らかだ。


十種神宝は同時に起動させれば、単独で起動するよりもはるかに力を増幅できる。

酒呑童子の法力と十種神宝、さらには怨霊の力をも手にしたわしにかなう者がこの世に存在するはずがない。


それを理解できない愚かな男は無駄な抵抗を試みた。

振り回した草薙剣からほとばしる紅い刃が闇を切り裂き、わしに向かってきた。

左手を突きだし、あえて受け止めてやった。


多少の衝撃はあったものの、結界が弾力を持って跳ね返した。

跳ね返った紅い刃は、地上の屍どもを切り裂き、燃え上がらせた。

蝦夷の抵抗に、てこずってはいるものの、今や、この地は大和のものである。

面と向かって対抗できる勢力はいない。


その頂点に立つ帝の神器を、荒覇吐様の鍛えし神宝が撥ね返したのである。


もはや、わが法力に敵う者はない。

痛快極まりなかった。

すでにわしの力は、神として祀られている荒覇吐様と比べても遜色あるまい。

いや、荒覇吐様は、攻め寄せた大和の大王――今でいう帝――の軍勢を殲滅したに過ぎない。


一方の、わしは今、その帝の支配する国、日本を手中に収めようとしている。

貴船山上空の裂け目からは悪霊や物の怪どもが次々とあふれ出る。

都人の阿鼻叫喚が聞こえてくるようである。


笑いが止まらなかった。

その強大な呪力にあやかりたいと、今や日本各地で崇め奉られている神――荒覇吐様を超えようとしているのだ。


が、悪霊や物の怪どもがこの世に蔓延しても、あとの始末に困る。

裂け目を閉じようと、八握剣と生玉を手に呪を唱え、揺り動かした。

魔を払う八握剣。活力を与える生玉。

二つの神宝が持つ役割を考えれば、それで裂け目を閉じることができるはずだ。

一度起動させた神宝は中断後もしばらくは機能を失わない。


気を集中し、力のすべてを注ごうとした、が、

できなかった。

新たな力が湧いてこないのだ。


こんなことは初めてだった。

――力を使いすぎたのか。


そんなはずはない。

事実、今、わしは宙に浮いているではないか。

呪は生きている。


もう一度、試みる。

が、力は湧きあがらなかった。

これまでの呪は生きているが、新たな呪はふるえぬということか。


全身が泡立った。

無尽蔵とも思えるほどの、あの力はどこへ行ったのだ。


あわてて阿岐の国で憤死した怨霊を呼び出そうとした。

だが、呼び出すまでもなかった。


「愚かな童よ」

頭に中に、やつの声が響いた。

「おのれの呪力の源泉を絶ち、呪力を振るい続けることができると思うたか? ……おお、ほれほれ、ほれ、結界に綻びが生じてきたぞ」


そして、闇の中、哄笑が響き渡った。

喜びに満ちた声だった。


わしの声ではなかった。

にもかかわらず、その声は、わが口から発せられていた。

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