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『あさきゆめみし』  作者: 八神 真哉
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第八十五話  『来襲』

【道摩】


都では、わしの名など知られていなかった。

知られていたのは十二大師を従えるわが父と、呪力にすぐれた兄の名だけであった。


いや、その二人の名でさえ朝廷の一部の者にしか知られていなかった。

民に至っては、壱支国の名前さえ知らなかった。


もはや……いや、とうの昔から壱支国は、日本六十余州の一つに過ぎなかったのだ。

蝦夷とは違い、朝廷に従属する国の一つとしか見られていなかったのだ。

あの、人の所業とは思えない一方的な虐殺さえも、内乱の鎮圧としか報じられなかったように。


怒りに震えた。


わが民、五千の殲滅をもくろみ、わずかに生き残った民さえも奴婢として売り飛ばす。

それほどの非道を行いながら、何事もなかったかのように贅沢三昧の暮らしを続けている者ども――やつらに鉄槌をくだしてやらねばならなかった。

自分たちがいかに愚かなことをしでかしたか、思い知らせてやらねば気がすまなかった。


そもそも、この国の者どもは愚か者ばかりである。

中宮からしてそうだ。

身元も定かでない、わしを、信用できる者からの紹介であったかのように策を弄し、内裏に入れた。


ならばと、中宮が、いかに親王を大事にしているかを周りに吹き込んでやった。

嘘ではない。

あのおなごは本気で先の皇后が生んだ親王をかわいがっている。


愚かなおなごだ。

親王の伯父は、おのれの父の政敵である。おのれの父の謀略によって失脚させられたのだ。

将来、親王が帝に立とうものなら、おのれの一門がことごとく罪人として処分されようものを。


愚かなのは、あのおなごだけではない。

内裏に勤める者どもも同様だ。

童の言葉は簡単に受け入れる。

中宮が親王をかわいがっているという、その話は帝の耳に届いていた。


わしが触れ回ったのだ。

中宮の女房どもは喜び、競うように菓子などをくれた。


無論、わしは中宮のためにしたのではない。

皇子は、今のところ、たった一人。

使い道があると踏んだからだ。


まず、中宮を取り込むことにした。

親王が口にするものに毒が入っていたと、欺いた。

ばれぬように、ほんのわずかではあるが自ら毒を口にして。

わしを信用させたうえ、中宮が酒呑童子を頼って外出するように画策したのだ。


内裏は宮廷陰陽師どもの縄張りである。

わが法力に敵う者がいるとは思えなかったが、事を荒立てず呪をかけるのであれば邪魔の入らぬ洛外の方がよい。


望み通り、親王を帝に立ててやるつもりだった。

その帝を呪で縛り、関白や側近をわが術で従わせ、物狂い帝と呼ばれるほどの暗愚な帝を作り、操り、じわじわとこの国を死に追いやろうと思っていた。


だが、わしには信用できる者がいなかった。

「四天王」と煽てて使ってはいるが、四鬼など最たるものだ。

わしさえいなくなれば奴婢の身から解放されるのだ。

わしの目を盗み、わしの命を奪うための策を練っていることぐらい承知している。


そんな折、義守と呼ばれる男が現われ、わしの画策に横やりを入れた。

腹の立つ男ではあったが、時をかけていたぶるなど砂上の楼閣だと気づかせてくれた。


まどろっこしい復讐は性にも合わない。

考えを変えた。

まずはこの国の都を地獄に変え、その後、虫一匹も生き残れぬほどの業火で焼き尽くしてやろう、と。


のちに、わしのことを非道だ。無慈悲だ、残忍だ。

暴虐の限りを尽くした仏敵だ、と罵る者も出てこよう。


ならば聞かせてやろうではないか。

わしを変えたあの日のことを。

毎夜毎夜夢に見る、あの時のことを。


    *


【道摩】


父が一思いに殺されたのなら救いもある。

黄金や宝のありかを口にさせ、それでもなおいたぶるのだ。

……わが、一族のすべてを奪おうと。


死にたくとも死ねぬように。

舌をかむこともできぬように。

その力が残らぬほどに痛めつけるのじゃ。


あの誇り高き父が、数百年の長きにわたって大和の侵攻を許さなかった壱支国の長が、呂律のまわらぬ舌で口にするのじゃ。

たのむ……と。


むろん、最後まで口をわらなんだ。

十種神宝のありかだけはな。

父を捕らえた兵が功を焦り、陰陽師も呼ばず責め急いだのが幸いしただけかもしれぬが。


おお、そこで人を服従させるすべを学んだのよ。


わしは、その床下に潜んでおった。

父がいたぶられ、誇りを失い殺されていくのを、息をひそめて。


決して、自分の命が惜しかったわけではない。

長の血を引くわしが死んでは復讐ができぬではないか。

壱支国、五千の民の怨念を晴らせぬではないか。


壱支国を攻め滅ぼした理由は都についてから耳にした。

「壱支国の長は、税をごまかし、着服し、蝦夷と謀り、反乱を起こそうとしていた」

むろん、根も葉もないでっち上げだ。



【酒呑童子】


壱支国は島国である。

日輪(にちりん)のごとく丸い。


中央に高き須弥山(しゅみせん)がそびえ、周りに平地と七つの丘が広がり、海沿いをぐるりと鉄囲山(てっちせん)が取り囲む。

まさに神獣鏡のような美しい形である。


今、耕作地や池、兎や(うずら)の棲み処になっている原野の大部分は、かつて湖と湿地であった。

米の収穫はほとんど望めず、民の多くは沿岸部に住み漁を生業とした。


鍛冶師でもあり修験者でもあった荒覇吐様が、この国に立ち寄り、取り囲む山のひとつに大穴をうがった。

湖の水が穴から滝のように海に流れ落ちると肥沃な大地が現われた。


壱支国は古より呪を尊ぶ国である。

その圧倒的な力を目の当たりにした民は荒覇吐様に懇願した。

この国の長になってもらいたいと。


師によると、当初、荒覇吐様は、その懇願を断ったという。

その後、何らかの話し合いがもたれ、話を受けたようだ。


そして国を見渡せる須弥山の山頂の岩屋に居を構えた。

壱支国の公事や儀式が行われる屋舎も当時は中腹に置かれていたという。


荒覇吐様を崇拝するわが師は、須弥山の頂上近くの岩屋に居を構えていた。

師亡き後、その岩屋に転がりこみ自堕落な暮らしをしていたわしに、長から命が下った。


――大和へ向かえ、と。

そして、まずは今上帝を呪い殺せ、と。

その後、帝に立てられた者を次々と呪い殺し、朝廷を混乱に陥れるのだ、と。


唐突ともいえるその命が、後継の突然の死によって国の将来を憂えたものだったのか。

大師の力を遥かにしのぐ鬼を厄介払いしたいだけだったのかは、推し量るほかないのだが。


わしには人は殺せぬ、と答えはしたが、

「お前の師は無駄死にしたのか?」

と、責め立てられれば、断ることなど出来ようはずもない。


いや、断ることはできた。

力でわしを従えることができる人間など、この国にはいないのだから。


だが、わしの口をついて出た言葉は、

「わが師の遺骨を譲ってくれるなら」

というものだった。


以降、鬱々と過ごし、明日が出発という朝方、騒ぎに目を覚ました。

気のせいだと思った。

岩屋は人が住む麓から遠く離れている。

何かあったところで騒ぎなど聞こえるはずがないと。

それでも胸騒ぎは収まらない。


岩穴から出て薄暗い眼下に目をやると、信じられない光景が繰り広げられていた。

生まれて初めて、おのれの目の良さを呪った。


あちこちで火が放たれ、人が逃げまどっていた。

麓の街や点在する集落が蹂躙されていた。


湊も押さえられていた。

いや、湊どころではない。

海岸線を覆いつくすほどの船団である。

逃げ出すどころか、小舟一艘、漕ぎ出すこともできまい。


何が起きたのかわからなかった。愕然とした。

湊へと続く唯一の峠道は封鎖され、取り囲む山の峰々にも次々と旗が立っている。


峠と峰の守りは四鬼の役目である。

十二大師をはじめ、三十六法師、二十四守護鬼を抱えながら朝廷の軍勢に抵抗らしい抵抗もできなかったというのか。

そもそも、これほどの軍勢の来襲に気づかなかったのか。


いや、できなかったのだ。

われらは呪術師に過ぎない。神ではない。


力のある法師であれば、十人や二十人の敵が武器を手にしていたところで引けを取ることはあるまい。

しかし、敵の軍勢は瀕死の蝶に群がる蟻のごとく壱支国の民を飲み込んでいった。

戦とは数なのだと思い知らされた。


恐怖に足が震えた。

気がついたときには、岩屋に逃げ込んでいた。


師は警鐘していた。

占いに秀でた者を育てるべきだと。

出来ぬなら招聘すべきだと。

偉大な荒覇吐様の法力の幻影にとらわれ過ぎたつけが、今になって回ってきたのだ。


いや、そうではあるまい。

占い一つで、おのれの立場が脅かされてはたまらぬと、長やほかの十一大師が、あえて招聘や育てることを避けてきたのだ。


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