第七十話 『覚醒』
【酒呑童子】
――突然、記憶が甦った。
十年前、同じようなことがあったことを。
あれは五の歳の検見の前日のことだ。
三日ほど前から人間の童との合同の修行が行われていた。
気の弱いわしは、いじめの格好の対象となっていた。
鬼同志であろうと容赦がない。
だが、真に恐ろしいのは人間だった。
修行の合間、まわりの者と離れて木陰で座り込んでいた時、人間の童が近づいてきた。
問われもせぬのに長の一族であることを吹聴している童だ。
齢は六。鬼に数え齢はないので同じぐらいだろう。
人間の童の法師としての修行は七の齢からと聞いていた。
特例が許されるのであれば、それなりの力があるのだろうと思ったが、口先だけであった。
素行も悪く、大師の補佐をする人間の法師たちにも疎まれていた。
その童は、笑みを浮かべ近づいてきた。
手にした巾着袋が蠢いていた。
身の危険を感じ、逃げ出そうとすると、
「動くな。わしには、お前を呪い殺す力が与えられているのだ」
と、脅してきた。
長と十二大師は鬼を殺す権限と力を持っている。
だが、一族の傍流に過ぎない童に、そのような力が与えられるはずがない。
そう思いながらも足がすくんだ。
「すわれ!」
と、命じられた。
非道な仕打ちに脅え、身を丸めて座り込むと、頭の上に生臭い物が置かれた。
ぬたぬたとした感触に血の気が引いた。
襟元から背中に、ぬめぬめとした物がいくつか放り込まれた。
それは吸いつくように蠢いた。
鳥肌が立った。
悲鳴にもならぬ声を上げ、倒れ、転がった。
肌に貼りつき、山蛭のようにわしの血を吸い取る。
……狂ったように転げまわった。
喉の奥が狭まり、息ができなかった。
背中にもぐりこんだモノがつぶれて、ぬるぬるとしたものが背中を伝った。
それが何を意味するかに気づき恐慌に陥った。
どれほどそうしていただろう。
暴れ疲れ、背中にあったものが、動かなくなったことで、わずかに落ち着きを取り戻した。
その目に跳ねながら遠ざかる二匹の蟾蜍が映った。
山蛭ではなかった。
耳障りな童の笑い声が耳朶に届いた。
蟾蜍は毒を持っている。
そのためだろう。その日、わしは熱を出し、師から日課を免除され床についた。
雨の音に混じり、笑い声が聞こえてきた。
*
体調が悪いからと言って修行を休むことは許されない。
翌朝、腫れた背中の痛みに耐え、ふらつく足で集合場所である川原横の荒地にたどり着いた。
昨夜からの雨で、荒神川は増水していた。
そこに、昨日ちょっかいを出してきた人間の童が、師に付き添われるように顔を腫らして立っていた。
そいつは突然、恐慌に陥った。
怨霊でも目にしたかのように悲鳴をあげ、逃げ出した。
後方は増水した川である。
だが、そいつは躊躇ひとつ見せず川に飛び込んだ。
わが師が、印を結び呪を唱え、助けようとした。
が、川の流れは速く、童は一度も水の上に顔を出すことなく、われらの前から消えた。
わが師が、宙に浮かせた丸太に後を追わせた。
その場にいたほかの師たちは何もできなかった。
三人の法師が後を追った。
師が振り返ってわしを見た。
その眼は「何をした」と言っていた。
わしにも何が起きたのかわからなかった。
*
――嘘ではない。
今の今まで、すっかりと忘れていたのだ。
抜け落ちていたのだ。
人間の童が怯えて逃げ出すほどの呪術を、符だも使わず、呪も唱えず、印も切らず行ったことを。
*
童は、奇声をあげながら、さらに錫杖で殴って来た。
痛みよりも、その笑い声が癇に障った。
何を笑っている。
お前が悪さを仕掛けたゆえに、わしは、したくもない殺生をしたのだ。
蟾蜍は、命を落としたのだ。
怒りが腹の底から湧きあがった。
逃げ出そうと、草むらに向かう二匹の蟾蜍を宙に浮かせた。
見せつけるようにゆっくりと、そいつに近づけた。
気づいた童が驚愕の表情を浮かべた。
それを、そいつの顔に貼りつけた。
もはや怒りの歯止めがきかなかった。
なぜだ。
なぜ、わしがこのような目に遭わねばならぬ。
――頭の中で何かが弾けた。
ぱん、と音をたて蟾蜍が弾けた。
そいつの顔が赤く染まった。
――その時には何が起こったかわからなかった。
だが、今ならわかる。
*




