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『あさきゆめみし』  作者: 八神 真哉
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第六十七話  『三角』

【酒呑童子】


修行に休みはない。

翌朝、朦朧とした状態で集合場所に向かった。


時折、道端で吐いた。

むろん出てくるのは苦い液体だけだった。

白い雪の上に黄色く跡が残った。


ようやく方等滝にたどり着いたものの、そこは異様に静まり返っていた。

崖を背にした場所に、簡易な祠のようなものが建っていた。


息を飲んだ。

そこにいたのは三角だった。


二本の太い丸太と鉄の輪を組み合わせた拘束具で体の自由を奪われている。

首を挟まれ、左右の手首を挟まれ。

さらには両足を固定されていた。

ほおがこけ、髪は乱れ、埃にまみれ、憔悴していた。


にもかかわらずわしは、三角の苦しみや、その先に待ち受ける運命よりも先に、わが身の心配をした。

見逃したことがばれているのではないかと恐れを抱いた。


鬼の修験者たちは無言で立ちすくんでいた。

うつむき目をそらしている者がほとんどだった。

明日は、わが身だった。

わしも正視できなかった。


だが、何かしら違和感があった。

すぐに思い当った。

三角は衣どころか熊の毛皮まで着せられていたのだ。


雪が降り積もり、身の凍る季節である。

逃亡を試みた鬼の衣など剥ぎ取ればよい。

雪や風をよける屋根や壁など作ってなんになろう。


その意図に思い当たり、肌が粟だった。

見せしめのためだ。

できるだけ長引かせようとしているのだ。


その考えを裏付けるように手前には水がたっぷり入った瓶が置かれていた。

食事も死なぬ程度に与えているのだろう。


他の鬼の話の端々から、わしが苦行に向かった、その日に捕えられたことを知った。

体の震えが止まらなかった。

目を合わせることができなかった。


たとえ説得できずとも、わしには止める力があった。

呪縛することができた。

「山」と呼ばれる穴の底に送られ、二、三年後に死んだほうがはるかにましだったのではないか。

少なくとも、これほどの辱めは受けずにすむ。


わしが見逃したがゆえに三角はさらし者になったのだ。

猿轡(さるぐつわ)を噛ませられ、一思いに死ぬこともできずにいる。

その姿を正視することなどできなかった。


    *


その日の夜、朧月の下、方等滝までやってきた。


露見すれば、わが身も危ない。

が、さすがに知らぬふりはできなかった。


三角は、足音が近づいても顔をあげなかった。

謝罪せねばならなかった。

わかってはいても言葉が口をついて出なかった。


変色し膨れあがった手足の指。鼻、耳、頬も変色が始まっていた。

目は落ちくぼみ、頬も顎も別人のように削れていた。

土気色の顔色は、生きている者の色ではなかった。

すでに死んでいるのではないかと思った。


目を凝らし、かすかに白い息を確認することができた。

布にくるみ、懐に入れていた壺を取り出す。

ようやくのことで「芋粥じゃ……まだ、温かい」と声をかけ、震える手で三角の顎を上げた。


口を開ける力も残っていないようだ。

さじを使い、猿轡の隙間から湯気の立つ芋粥をゆっくりと口に流し込む。


胸でも患っているように、「ごふっ」という音とともに粥を吐き出した。

苦し気に、幾度も幾度も力なくせき込んだ。

その白い息さえ弱弱しい。

事実、胸を病んでいたのだろう。


「大丈夫か」と声をかけると、三角は、しばらくして、くぐもった声で口にした。

「……が、入っておらぬではないか」


聞き取れなかった。

三角は、それを承知したとでもいうように、もう一度だけ口にした。


「毒が……」と。


背筋が凍り、胸が押しつぶされそうになった。

三角は、わしが殺しに来たと思ったのだ。

見逃したことを人間どもに喋られる前に、と。


三角は、わしの了見など見透かしているぞとばかりに、

「わしを殺らねば安心できまい」

と、目やにで塞がっていた瞼をあげた。


その瞳には何も映っていなかった。

ただただ、深い闇をたたえていた。


――確かにわしは、恐れていた。

だが、蛙一匹殺せぬわしが、どうして友を――お前を殺せよう。


とは言え、助けにやってきたわけでもない。


親切ごかしに粥など持って、見逃したことを口にしないでくれと頭を下げに来たのではないか。

あるいは、粥さえも口にできぬほど衰弱していてくれたらと、確かめにやって来たのではないか――三角は、そう、思ったのだ。


――あらためて、おのれに問いかけた。

そうではない、と言い切れるか、と。


「……すまぬ……すまぬ」

涙が止まらなかった。

ひざを折り、頭を垂れて、三角の袖を握り、繰りかえすことしかできなかった。


    *


帰り道で、ようやく気がついた。

三角は、皮肉や恨みで、あの言葉を口にしたのではない。


――わしに手をくだしてほしかったのだ。

一刻も早く苦しみから解放してほしかったのだ。


殺してやることが慈悲だと理解していながらも、臆病者のわしは手を下せなかった。


    *


三角は、半月ほど生きた。


呪や、わずかな食料による延命もあったのだろう。

日に日にやせ衰えて行ったが、やすやすと死なせはせぬぞ、とばかりに水を飲まされ、腹だけが膨れていった。

まるで地獄絵の餓鬼のような姿だった。


三角の衰弱に合わせるように、わしも、やせていった。

食べ物がのどを通らなかった。

頻繁に吐いた。

三角が死んだあとも、体が受け付けなかった。


師が、わしに鍛冶師の仕事を手伝えと言ってきたのは、その時だった。

わが師は、法師であると同時に鍛冶師であった。

質の良い砂鉄を求め諸国を歩き、そこで太刀を打つ。


かつての壱支国の長、荒覇吐様も、もとは最良の鉄を探し諸国をめぐる鍛冶師であったと伝えられている。

その荒覇吐様が、自ら鍛えた剣に加え鋳造した鏡や玉に呪を吹き込み、この国を守る十種神宝としたのだと。


わしは呪術より、鍛冶師としての修行に打ち込んだ。

だが、鬼に求められていたのは法力の腕である。

鬼の子に法力以外の修行を許す師などいなかった。

それが許されたのは、師がこの国で最も力のある法師だったからだ。

むろん、相当な反対があったに違いない。


今になってみれば、わかる。

師がそれほどまでに、わしの天分に期待をかけていたと。


だが、その弟子は人前に出ると失敗を繰り返し「モノにならぬ」との烙印を押されようとしていた。

最終検見の「死合(しあい)」を前にした十五の歳だった。


    *



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