第六十六話 『祝宴』
【酒呑童子】
師が、めったに見せぬ笑顔で迎えてくれた。
この荒行を終えて、これほど体力を温存した者はいないという。
三角の話題は出なかった。捕まっていないことを祈った。
その夜、師が二人だけの宴を催してくれた。
湯気を立てる椀と、大鍋を焚く薪の火が、わしのかじかんだ手と冷え切った体をほぐしていく。
なにより、師に認められたという喜びが、わしの心を温めてくれた。
ぶつ切りにした肉と餅、そして菜と温かな汁に舌つづみを打った。
肉と山椒の匂いが食欲をそそる。
海の幸、山の幸。
普段口にできぬ鮑や栄螺をはじめ、好物の干し菓子も山盛り積まれていた。
これほど豪勢な夕餉は初めてだった。
自らの手で獣の命を奪うことはできなかったが、肉は好物であった。
師は、普段口にせぬ酒をちびりちびりと飲んでいた。
わが師の面目をほどこすことが出来たのだと誇らしくなった。
わが師は言った。
「法師として呪を極め、唯一無二の存在になるのだ。お前が、荒覇吐様に劣らぬ力の持ち主であることを世に示せば、この国に攻め入ろうとする者はいなくなるだろう」
聞き違えたのだと思った。
師は、わしに荒覇吐様に匹敵するほどの高みに登れといっているのか。
確かに、わしには天分があるのだろう。
力技の呪に限れば、齢十にして、この国一の力を持つ、わが師、弱法師をも凌いでいたのだから。
しかし、荒覇吐様が残した伝説は、まさに神と呼ぶにふさわしい桁外れのものだ。
畏れ多い、と言うより滑稽でさえあった。
だが、師は本気で口にしているのだ。
口数は少なくとも、その期待と喜びがひしひしと伝わってきた。
荒行の中、わしは想った。
一つは三角のこと。
そしてもう一つ。
見たこともないほど美しい宝玉を与えてくれたわが師のことを。
できるものなら、期待に応えたい――その気持ちに偽りはなかった。
足掛け八日の多くを熊の穴で過ごしたとは言え、さすがに疲れは隠せない。
師に礼を言い、ねぐらである小屋に戻ろうとして、立ち上がる。
ねぐらの近くで待たせている赤が腹を減らし、わしの帰りを待っていよう。
その幸せをかみしめた。
わしは、もう孤独ではない。
飼うことは許されずとも、赤が近場に棲み処を構えれば会うことはできる。
湯気の立つ鍋を見ながら、赤を、わしのねぐらに入れてやればよかったと思った。
師なら許してくれたのではないかと。
鍋の具も随分と残っていた。
師に、鍋の具を少々持ち帰ってよいかと尋ねた。
「持ち帰ってどうする」
と問われた。
犬にやるには惜しいほどの御馳走である。
それでも正直に答えた。
「鉄囲山から連れ帰った山犬に与えたいのです」
師はわずかに眉をひそめ、そして憐れんだように答えた。
「それは無理だ」
犬には骨でも与えておけ、と言うことだろう。
師の言葉に逆らうわけにはいかない。
詫びと礼を口にして背を向ける。
背後から声がかかった。
「犬は、お前の腹の中よ」
――意味が咀嚼できなかった。
確かに先ほど、口にしたものは獣の肉であった。
四つ足の肉であった。
まさか、とは思ったが、否定できる材料もなかった。
それどころか、師はそのような戯言を嫌う質であった。
――血の気が引いた。
膝から下が消えうせ、悪寒が押し寄せた。
胃の腑の中の物がせり上がり、口から滝のように流れ出た。
震える両手で、ようよう体を支え、胃の腑が空になるまで吐き続けた。
嗚咽しながら、鼻につく黄色い液体を絞り出した。
追い打ちをかけるように師の非情な言葉が続いた。
「お前は、この国の盾となり矛となるため生かされてきたのだ。敵対する者があれば呪い殺し、蹂躙しようという者がいれば躊躇なく討たねばならない――獣さえ狩れぬ者にそれができようか。出来ぬというなら、お前が狩られる側に回ることになる」
――わしは十二大師の一人、弱法師に拾われた。
だが、それは稀有なことであるという。
十二大師は国の守護を第一とし、鬼の赤子を拾ってくるのは、三十六法師の仕事であったからだ。
大師は皆、奴婢である鬼の弟子と人間の弟子を抱えている。
ほぼ毎年のように一人ずつ増えていくが、わが師は、わしを拾ってきて以降、新たな弟子をとらなかった。
せめて人間の弟子を持て、と長から言われていたことは後に知った。
それほどまでに、わしの天分を買っていたのだ。
今となればわかる。
もっとも、それゆえに、わしは長やほかの大師、さらには兄弟子からも疎まれた。
わしにとって期待とは、重荷以外のなにものでもなかった。
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