表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
『あさきゆめみし』  作者: 八神 真哉
6/105

第五話  『山姥』

【義守】


椀と灯明皿を盆に載せ、納屋に向かう。

開け放たれた納屋の前で、足を痛めたはずの姫が、所在なさげに立っていた。


が、おれの姿を見るなり、

「あれほどの薪が必要なのですか」と、尋ねてきた。


返事を後回しにして納屋に入り、木箱の上に盆を下ろした。

「どこでもいい。早く座れ」と、促し、問いに答える。

「毎日使う物だ」


いくらあっても困ることはない。ましてや年老いた身である。

とは言え、大量には使うまい。

煙が出ぬよう気を配っているはずだ。


「都の周りの山々は禿山同然でした。この様子では、冬になる前には国中の木が無くなってしまうのではありませんか?」

「薪を買う銭がない民が、勝手に山に入って伐採するのだ」


都は、それほどに荒れている。

大通りは都としての威厳を保っているものの、一歩路地に入れば物乞いがあふれ、板をはがされた廃屋が続き、その庭には屍が放置されている。


薪を採るにも規則がある。

山が、村の持ち物であれば、村の住人に限り、手折れる枝であることを条件に持ち帰ることが許される。

だが、村の住人であっても道具を使って切り出せば盗みとみなされる。

当然、村人ではないおれには資格がない。


おばばは、薪を調達するにあたって、山の場所や木の種類まで指定してきた。


この家は、明らかに隠れ家である。

近場から調達を繰り返せば存在を知られてしまう。

目立たぬよう気を配っているのだ。


とはいえ、村人に何十年も知られずに来たとは思えない。

先ほどの山賊に対する言い回しからしても、微妙な関係にあるのだろう。


灯明皿の灯が、小屋の中を照らし出す。

この灯は、おばばから借りてきた。

むろん無償ではない。山鳥一羽と引き換えた。

素焼の皿に魚の油を使ったものだ。

貴族の使っている椿や胡麻の油に比べ匂いも強い。


姫は、その匂いに顔をしかめながらも、藁の敷かれた納屋の中を物珍しげに見回している。

その前を横切って、納屋の隅にあった木箱の上に盆を置いた。

姫は、市女笠こそはずしたものの、袿は着たままだ。


椀のひとつを、姫の鼻先に突き出した。

銀器か漆の塗られた椀しか知らぬであろう姫が、かびたような色目の椀に、眉をしかめた。

受け取ろうともせず、扇越しに椀と中身を見ている。


「これは?」

「見ればわかろう」

粥からは湯気が立っている。


「わからないから訊いているのです!」

姫というものは、おっとりしているものだと思っていたが、必ずしもそうではないようだ。

「粥じゃ」と、言うと、

「これが……」と、絶句した。


貴族も正月に七草粥を口にすると聞いていたが、納得がいかないようだ。

貴族や分限者は白米しか食べぬようだが、百姓や貧しい民は、粟や稗などの雑穀しか口にできない。

さらには、腹を満たすために粥にして嵩増しする。


確かに、この粥は見た目が悪い。

様々なものが混じり合い濁ってさえ見える。

穀類、山菜だけではないようだ。


「なにが入っているのです?」

「食ってみればわかる」

「答えになっていません!」

「飯をつけるという約定は、なかったのだ。しかも、おまえの分まである。おばばにしてみれば大盤振舞であろう」


その回答も癇に障ったらしく、柳眉を逆立てたが、何かに気がついたように扇をおろした。

口を開いたものの、言葉にするのをためらうようなそぶりを見せる。


言いたいことがあるなら言え、と促す目つきにようやく、

「かえって怪しいではありませんか」

と、戸口をうかがい、声を潜めた。

「もしかすると、山姥なのでは……」


確かに、風貌だけを見ればその通りである。

「かの者は、人を太らせてから食べるのだと聞いたことがあります。それではありませんか?」

やはり世間を知らない。

そんな手間をかける山姥はいない。


人間の悪党であれば、もっと分かりやすい。

二人を殺し、反物の入った葛籠を奪うだろう。


少なくとも、あのおばばは山賊に恨みを抱いているようだ。

山賊を追い出したことを証明して見せれば、出て行けとは言うまい。


「油断させておいて、今夜ということも……」

姫の言葉に応じるように梟が鳴いた。

息を飲み、身をこわばらせた姫が、恐る恐る外を見た。

「納屋の戸は外から閉めるのでしょう?」


太るまで、ここに閉じ込められるのではないか、あるいは、火でもかけられるのではないかと心配していたのだろう。

一方で、戸を開け放しておけばおいたで、獣に襲われる可能性に思いあたったのだろう。


だが、自然の要害に加え、何者かが造った深い堀や柵の防壁を越えてくる獣はおるまい。

姫の一番の懸念であろう――男と同じ屋根の下で一夜を明かした――を晴らしてやろうと、

「おれが、戸の前で寝る」

そう答えると口を噤んだ。


助けてくれた男を酷使することに気がとがめたのかと見ると、眉をひそめ口を開けた。

まだ文句があったらしい。


だが、急に照れたように目をそらし、慌てて扇をあげた。

灯明皿の弱々しい灯一つでは、納屋の隅まで照らし出せぬと思っていたのだろう。

が、闇の中ではない。

双眸はおろか、口もとまで露わになっていることにようやく気づいたのだ。


だが、それぐらいで恥じ入ってしまう姫ではなかった。

近寄ってきた挙句、叱るように口にした。

「そのようなもの、口にしてはなりません」


かまわず、おばばがつけてくれた匙で湯気の立つ粥を口にする。


姫が、あっ、と小さく声を上げた。

二口目を口にしようとすると、袖でおれの手を押さえてきた。

「なりません」

と、今にも泣きだしそうな表情で心配げに様子をうかがってきた。


なかなか忙しい姫だ。

「毒は入っておらん」

ここに持ってくるまでに少し舐めてみた。


「見も知らぬ者が出す、何が入っているかもわからぬ怪しげなものを口にするなど」

苦しむ様子がないのを見て、安心したのだろう。

あきれたような口調になった。


「粟に稗、なによりわずかとはいえ米も入っておる。赤米であろうがな。ほかにも何やら入っている」

口の中から小さな骨を取り出し教えてやった。

「なかなか美味いぞ。蝦蟇蛙(がまがえる)の肉が入っておった」

皮は取り除いてあるが、足の骨はついたままだ。

蛙や蛇は、そのあたりにはえている山菜よりもよほど滋養がある。


だが、姫の喉は、蛇が鳥の卵を丸呑みしたかのように上下した。

「食わぬのか?」

返事もせず、顔をそむけた。


蝦蟇蛙は美味い。

貴族も食べるという鴨肉のような臭みもない。

「出されたものは、すべて平らげるのが礼儀だと……」

と口にして、昔、訊いたことを思い出した。


貴族の食卓には食べきれぬほどの物が並び、少しずつ手を付け、残すことが礼儀なのだと。

姫は相変わらず顔をそむけている。


考えてみれば自分の供が皆殺しにされた後である。

食事などする気になれまい。

しかも、生き物が入っていたのだ。


貴族のなかには仏教に入れ込んでいる者も多い。

挙句に極楽浄土とやらに行きたいと、殺生を嫌い、獣の肉を口にしない者さえいると。


おれには理解できぬ教えだった。

貧しい者に死ねと言っているに等しい。

残りを掻きこみ、椀を小屋の中にあった箱の上に載せ、自分は藁の上に座った。


姫が、いらついた様子で聞いてきた。

「……私はどこに座ればよいのです」


「好きなところに座れ」

と、口にして姫に目をやると足が震えていた。


「座るところなど無いではありませんか」

痛みのためだけではあるまい。それ以上に恐ろしいのだ。

かと言って何をしてやれるわけでもない。

どこの馬の骨ともわからぬ男が何を言っても無駄だろう。


「そこに(むしろ)がある」

小屋の隅に乾いた藁が積みあがり。その上に筵が置いてある。

「座る場所を聞いているのです」


庶民の暮らしには無関心と見える。

「このあたりで床がある家に住んでいる者は珍しかろう」

と答えると目を見開き、檜扇を下げた。

口も開いたままだ。


「……それでは寝ることができないではありませんか」


「藁にくるまればよいではないか」

土間の上に籾を敷き、藁を積み、筵を敷いて藁にくるまって寝る。

夏は涼しく、冬は暖かい。

それが一般的な百姓家である。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ