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『あさきゆめみし』  作者: 八神 真哉
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第五十四話  『山賊働き』

【媼】


――五年後にまた、飢饉が訪れた。


陽で焼かれた岩と照り返しの眩しい川を横目に、深い陰影を刻む斜面に逃げ込み、ようやくそれに気づいた。


山に行けば、何か口にできる物があると思ったのだろう。

隠れ家に近い、滝つぼの下の池のほとりで、骨と皮になった一人のおなごが倒れていた。

蟻が顔中をはい回っている。


傍らで痩せこけた童が、そのおなごの口に何かを入れようとしていた。


からからに乾いた小さな餅の切れ端だった。

それを口にすれば、母がまた、目を開けるのではないかとでも言うように。


おなごが、わが子のために残していたのだろう。

だが、その童は最後のその一切れを母に与えようとしていたのだ。

餓えた童にそのようなことができるとは思えなかった。

正気を失ってるのだろう。


近づくと強烈なにおいが襲ってきた。

垢にまみれた子と、腐り始めたであろう母の匂いだった。


生きし生ける者すべてを恨むような、その子の暗い瞳から目が離せなかった。

わしの子が生きていれば同じ年頃だった。

連れて帰ろうとしたが動こうとしなかった。


やむ終えず、隠れ家に戻り、椀に入れた香ばしい匂いをたてる芋粥を手渡し――総毛だった。


童は、自らが口にするより先に、母の口に(さじ)を持って行ったのだ。


     *


三日ほどして、ようやくぽつぽつと問いに答えた。

おなごひとり分の田畑は貸し与えられていたらしい。

だが、働き手を失い、昨年の悪天候も重なり、ろくに収穫できなかったようだ。

今年になって親族に身を寄せたものの、下人以下の扱いを受けていたという。


わし一人なら、どうにか暮らせるようになっていた。

山伏が置いていった砂金を少々使って雑穀の種や菜の苗を手に入れ、離れた山間や渓流沿いに目立たぬように畑を作った。

野生の赤米の種籾をあちこちに撒き、生育に適した場所を探した。

芋や百合根も住処の近くに移した。

網や籠を買い足し、雀やつぐみを捕獲した。魚を獲った。


しかし、この子を食わしていくのなら、それだけでは暮らしが成り立たない。

衣もいれば塩もいる。

砂金にも限りがある。


若い頃、下人に教わり、手慰みに作って知り合いに配っていた笠に工夫を加え、時折、都の市に持ち込んだ。


手が込んでいる割に安い、と良く売れるようになっていた。

ためしに経文の書写も置いてみたが、名も知れぬばばの手によるものを買おうという者はいなかった。


貧しいが張りのある幸福な十年が過ぎた。


十五にもなれば一人で畑も耕せる。

里に出て、耕作地を貸してもらえと諭したが、ここを出ていこうとはしなかった。

母を見殺しにした村人が許せないのだろう、と強くは言わなかった。


今になってみれば、自分のわがままだとわかる。

ただ、ただ、出ていってほしくなかったのだ。

先の事を考えれば、無理にでも出て行かせるべきだった。

ならば、あの子が山賊働きをすることはなかった。


――それは、再び訪れた飢饉の年のことだった。


わが子同然に育ててきたつもりであった。

いや、隠れ家のようなこの場所で、明日をも知れぬ日々を支え合って生きてきたのだ。血は繋がっていなくとも、実の親子以上の絆でつながっているのだと信じていた。


他の事なら許せただろう。

だが、山賊働きだけは許せなかった。

村人の山賊働きが、良人の命を奪ったのだ。


それがもとで、わしは、実のわが子を、どこの誰とも知れぬ山伏に売ったのだ。

あの子は生きてはおらぬだろう。


かっとなって責めたてた。

この子も、その村人の子であると、いまさらのように思い当たったのだ――この子と実の母が、その村人からひどい仕打ちを受け、追い出されたということも忘れ。


追い出すつもりはなかった。

しかし、あの子は出て行き、二度とここに戻ることはなかった。

その後、素行の悪い者たちと組んで、山賊働きを生業にするようになったと聞いた。


山賊働きのきっかけが、困窮した村人を助けるためだったと知ったのは、のちのことだ。

十年ほど前の自分と同じ境遇の母子がいたという。


納屋の奥に何かを隠していたのであれば、その時の物だろう。

言い訳ひとつせず、このばばが食うに困った時のために残して行ったのだ。


「わしの育てた者が山賊になったからな……いや、それを生業にしていたわけではない。痩せた畑を耕すほかない貧しい村じゃ。食うに困ったときのみではあったがな」

嘘をついた。


「おばばの子がいたのか」

自分が殺めた中にいたかと思い当たったのだろう。

首を振った。

「二年ほど前に仲間割れをして殺された、と聞いた……自業自得というものだ」


あの子が悪いのではない。

すべてはわしの業が引き起こしたのだ。


「あの小さな岩か」

「あれは実の子よ……生きてはおるまい。育ての子の墓も作っては、やりたいが……

五尺二寸もの岩を運べるはずもない」


「それは?」と、男が尋ねてきた。

視線の先に、色のさめた守袋があった。

あの子のことを考えるたび握りしめていた。

「産着の端切れよ」

嘘いつわりなく答えた。


小さな岩は、わしが転がしてきた。

だが、二つの大きな岩は、生前に良人が運んできた。

あの世に逝っても一緒にいたいと。


わしには過ぎた良人だった。


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