第五十三話 『畜生道』
【媼】
「腕の良い刀鍛冶を知らぬか」
山鳥の肉と干し椎茸を戻した汁。
さらには水煮にした蟒蛇草に塩を散らした豪勢な夕餉に舌鼓を打っていると、その機嫌を察したように、囲炉裏を挟んで座った義守が尋ねてきた。
山鳥は、この男が獲ってきた。
正確に言うと、この家の上にある崖から落ちてきたものを捕まえた。
義守は、その時、山鳥が落ちてきた崖を見上げて、
「どのぐらいの頻度で落ちてくるのだ?」
と訊いてきた。
幸運を問うたわけではない。
家の上の崖から樹木の枝や幹にかけて網が張ってある。
その昔、良人が張ってくれたものだが、あちこちにほころびが生じていた。
網を張る前は山犬が落ちてきたこともある。
あの時と違うのは一人暮らしであることだ。
鼻を鳴らし、「充分生きたわ」と、強がって見せた。
こやつの正体が気になっていた。
良人に似た雰囲気をまとい、人の力を遥かに凌駕する。
ならば鬼か魔物の類だろう。
それは今や確信に変わっていた。
「鄙びた地に住んでおる、ばばが、そのような者を知っておるはずがなかろう」
「売りさばく伝手を持つほどなら顔も広かろう」
ふん、と、否定にならぬ答えをした。
あの納屋の奥に太刀の類でもあったのだろう。
置き土産と言うわけだ。
確かめたことはなかったが、妙に頑丈に作り直していたので、そんなことではないかと思っていたのだ。
たとえ山賊どもに脅されても、あそこにあるものだけは、くれてやるつもりはなかった。
あれから、どれほどの歳月が経ったことだろう。
*
――良人と出会い、この場所に居を構え、隠れるように暮らしていた。
村人が、まずわしの存在に気がついた。
いくら、見つからぬようにと気を配ったところで、二人分の食い扶持や薪を採取していれば誰かが気づく。
住処を、そうそう簡単に変えるわけにはいかない。
意を決し、この山に住まわせて欲しいと願った。
村人どもは、住むことを認める代わりに、わしを介して良人を都合よく使った。
木を切らせ、運ばせた。橋を造らせた。山道を造らせた。溜池を造らせた。
良人は人の百倍、千倍働いた。
干ばつの年、今後の困窮を見越した村人どもが談判に来た。
山賊働きの手伝いをしろと。
この時に住処を捨てて逃げるべきだったのだ。
「なに、命を奪おうというのではない。われらの後ろに立ってくれれば、おまえの姿に怯えて逆らう気力をなくすだろう」と。
むろん断った。
だが、おまえ達が棲むことを見逃してやっているのだと威してきた。
良人は七尺に達する大男で、額には角が生えていた。
人が言うところの、「鬼」であったのだ。
ひとたび姿を見せれば、騒ぎになることは目に見えていた。
退治して名を上げようという武官や武士は引きも切らぬだろう。
良人を人前に出さぬ代わり、村人どもが奪った食料以外の物を、わしが売り捌くことで、その場は収まった。
価値のあるもの、売りやすいものの区別がつくようになった。
袿などの衣の目利きには自信があった。
若いころに受領の姫君の世話をしたことがあったからだ。
不安を抱えながらも日は過ぎていった。
そして、わしは身ごもった。
良人は喜び、わしに名をつけさせてくれと言った。
一代置きに継ぐ名があるのだと。
やがて山賊働きは、役人に知られることとなった。
捕まった村人どもは、大枝山に棲む鬼に強要されたのだと訴えた。
武士どもが、ここに乗り込んできた。
良人は抵抗などしなかった。
釈明しようとしたが、問答無用で討たれたのである。
振るわれた太刀から、わしを守ろうと腕を差出し、切り落とされた。
武士どもの振るう太刀が良人の胸を、腹を突き、背を切り裂いた。
そして首を刎ねられた。
血しぶきが滝のように降りかかって来た。
気を失ったわしは、引っ立てられるでもなく放置されていた。
鬼にさらわれたおなごだとでも思われたのだろう。
あるいは鬼の妻に用はなかったのか。
鬼退治の名声を欲していた武士たちにとって必要だったのは鬼の首だけだったのだ。
どうして一緒に殺してくれなかったのだろう。
後を追おうと思った。
だが、わしの腹には良人の子が宿っていた。
わしは途方に暮れた。
どれほど人のために働こうが、鬼である良人に耕作地が与えられるはずもない。
ゆえに、作物の収穫も見込めなかった。
それでも、働き者の良人が残した雑穀や山の木の実、干し肉などの保存食で、しばらくは食いつなぐことが出来た。
そして、赤子を産んだ。独りで産んだ。
良人によく似た、元気な子だった。
文字通り、まっ赤な顔をした赤子に乳を与えていると、計ったように村人どもが訪れた。
わしの腹が大きくなったのを知ってから、監視していたのだろう。
赤子に角が生えていることを見て取ると、殺せと迫ってきた。
明日までにできぬというのであれば、役人に知らせるぞ、と。
役人や武士に睨まれ、今度こそ、お前も首を刎ねられるぞ、と。
むろん、わしの身を心配したのではない。
成長した鬼の子に仇を討たれることを怖れたのだ。
やつらは人ではない。畜生だ。
だが、やつらの思惑は別にしても、この子を食べさせていく算段などたたなかった。
鬼の嫁と角の生えた赤子に誰が手を差し伸べよう。
田も畑もない、この山奥で男手を失って何ができよう。
折も折、都の近辺では飢饉が始まっていた。
わが子が、やせ衰え、餓死するのを見ていられるはずがない。
畜生どもに首を絞められるのを黙って見ていられるはずがない。
気がついたときには甕の水に浸した布を手にしていた。
続いて自分も逝く気だった。
山伏が現われたのは、その時である。
朝日を後方から浴び、黒い影となった山伏は、
「村人に聞いた」と言い、
「その子を引き取らせてくれ」と、言った。
これは礼だと言って、砂金が入った袋を置いて行こうとした。
「育ててくれるのなら、そのようなものはいらぬ。いや、わしも連れて行ってくれ、身を粉にして働こう」
と、すがったが、それはできぬ、ときっぱりと断られた。
「ならば、これは受け取れぬ」
と、押し返したが、主人を弔ってやれと頑として譲らなかった。
結局幾度か、それに助けられ生きてきた。
「わが子を売った鬼の嫁」
畜生どもは機会があるたびにわしにその言葉を浴びせた。
連れて行かれてしばらくは、呆けたように、ただただ涙を流し続けた。
生きていてくれと願った。
無事を祈り、毎日毎日詫びた。
経など唱えなかった。
もはや、山伏の顔も覚えていない。
ある日、山中の木の幹に、熊の爪痕が残されているのを目にして気を失いそうになった。
熊の胆が、高値で取引されていることに思い当たったのだ。
さらに、その昔、赤子の生き胆を児肝という薬にする、という話を聞いたことにも。
山伏は、生かすとも育てるとも言わなかった。
引き取る、と言っただけだ。
生かすつもりがあるとは思えなかった。