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『あさきゆめみし』  作者: 八神 真哉
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第四話  『疫病神』

【義守】


納屋の前で姫をおろし、背負子をおろす。

何度も往復して採ってきた薪は、納屋の横の隙間だけでは収まりきらなかった。

戸口を残して手前にも積み上げた。

その上に背負子に括り付けてきた葛籠を乗せる。


重さから反物であろうと見当をつけた。

訪問先への進物だろう。

盗賊どもの狙いはこれだったのだろうか。


納屋から五間ほど先の家の戸口で、

「薪を採ってきたぞ」と、声をかける。


家は、幅四間、奥行二間。

洛外の一般的な百姓の家と変わりはないが、山奥に住む民の家としては大きいほうだ。

もちろん、こちらも納屋同様の造りである。

だが、このような場所で、どうやって生計を立てているのだろう。

皆目見当がつかなかった。


「そのように大きな声を出すでない。耳は遠くはない」

不機嫌そうな声を響かせ、腰の曲がったおばばが顔をのぞかせた。

何年も櫛を通した様子のない、艶を失ったまとまりのない白髪。

世の不満を一身に背負ったかのような、皺だらけの顔。

色ざめた上に、こすれ、ほつれて所々に穴が開いているつぎはぎだらけの衣は、ずいぶんと涼しげに見えた。


「……ほお、何とも早い仕事ぶりじゃ」

不機嫌な顔で納屋の前に山積みにされた薪の束を見つめる。

「確かに千本はあろう」

いかにも、しぶしぶといった風である。

今宵のうちに長さ三尺の薪、千本を手折(たお)って運んでくることなど出来るはずがないと思っていたのだ。


山賊や盗賊が跋扈する世である。

たとえ納屋とは言え、身元も定かでない男を泊めるつもりなどなかったのだ。

着古した衣一枚のために人を殺める悪党などいくらでもいる。



(おうな)


あらためて、獣のような雰囲気を身にまとった若い男に老いた目を向けた。

並みの大人より背丈もあるが、張りのある肌や幼さを残す顔と声から、せいぜい十五、六だろうと見当をつけた。

何を生業としているのかもわからない。

身に着けた衣も一風変わっている。

頭にかぶった布もいささか大仰だ。


中央の官職からは縁遠い地方の武士(もののふ)の中には傾奇者もいる。

もっとも、裕福な武士であれば身の回りの世話をする下男の一人も連れていよう。

ならば、その配下の伴類の類か。


と――人の気配に気がついた。

目を凝らすと、男の後方に鴇色の壺装束、市女笠に虫の垂れ衣姿のおなごが立っている。

虫の垂れ衣は何か所も裂け、蜘蛛の巣と枯葉にまみれていた。

「おなごにも手が早いか」

若いとは言え男である。

遊び()を連れ込もうとしても不思議ではない。

にもかかわらず、むっとした。


男は、こちらの問いには答えず、意外なことを口にした。

「明日の朝まで、このおなごを預かってくれ」

遊び女ではなかったようだ。

壺装束姿になると区別がつかない。


だが、新たな怒りがこみあげてきた。

ひとつは、この隠れ家を知るものが増えたことだ。

さらには、おなごを連れ込もうとしたのではないかと疑ったおのれに、だ。

まるで、若いおなごの嫉妬ではないか。

「勝手なことを言うでない。薪を千本採って来れば、おまえひとり、納屋で寝かせてやるという約定じゃ。それができぬというのであれば出ていけ」


(おうな)……」

鈴の音のような心地良い声が耳に届いた。

「わたしどもの都合ということは重々承知しておりますが、殿方と同じ屋根の下で一夜を過ごすことはできません」

声は柔らかいにもかかわらず、凛とした雰囲気を醸し出していた。

「礼は存分にいたします。どうか母屋をお貸しください」

母屋というほどの屋敷には住んでいない。

わしが出てきた家を納屋だと思っているのではないか。


確かに、礼は喉から手が出るほど欲しい。

奴らとて、いつまでも見て見ぬふりはしてくれまい。

薪の上に葛籠が載っていることに気がついた。

反物であるなら悪い取引ではない。


内所の豊かな武士を相手にする遊び女は、それにふさわしい教養を身に着け、誇りも高いと聞く。

しかし、このおなごは、まごうことなく貴族の姫君であろう。

願い事をしているはずだが、命じているようにしか聞こえない。

そのような家で育ってきたということだ。

恵まれた環境への嫉妬もあったかもしれぬ。が、何とも腹立たしかった。

訊かねば良かったと後悔するに違いない、あの話を聞かせてやろうと口を開いた。


それを察知したかのように若い男が話をかえた。

「山賊を退治すれば、ひと月でも良いという話であったな」

年端もゆかず口数も少ないが、その言動は自信にあふれている。

先に逝った良人(おっと)と身にまとう雰囲気がよく似ていた。


身元ひとつわからぬ、この男と約定をかわす気になったのもそのためだろう。

男は背負子に括り付けた箙をはずしながら続けた。

「明日には、はっきりしよう」


いささか買い被っていたようだ。

自信と過信は違う。

大枝山の山賊は、そのあたりの夜盗や山賊とはわけが違う。

「……できるのであればのう」


「一晩で良い。預かってくれ」

印象と違い、おなごに甘い男だ。

不快に思いながら、鼻を鳴らし、おなごに近づいた。


市女笠と虫の垂れ衣に隠れて定かではないものの、かなりの美形に見える。

声から察するに、男より一つ二つ年上というところだろう。

鉄漿、引眉こそしていないものの、貴族の姫君であれば夫があってもおかしくない歳だ。


近づくにつれ、この世の物とは思えぬほどの極上の匂いが漂ってきた。

極楽に迷い込んだのではないかと思った。

それほどの香料である。

それに比べ鴇色の衣は、下級の貴族――役人階級の物だ。

衣の目利きには自信がある。

何とも怪しげな話である。


どこから見てもまことの姫君。

それが、供も連れずたった一人。

この男が、どこぞの姫君を邸から連れて逃げ出したと言うところか。

その昔、坂東武者と駆け落ちした姫君がいたと聞いた事がある。

その類であろう。


むろん、この男との駆け落ちではあるまい。

姫君の態度は惚れた男に対するものではない。

男が、どこぞの邸から主人のもとへと連れ出したは良いが、馬が足でも折って替え馬でも探しているというところか。


いやいや、それはあるまい。

こやつは、一月ここで過ごしたいと言っていた。

厄介ごとに巻き込まれるぞ。関わるな、さっさと追い出せ、と勘が告げていた。

だが、その言葉が口をついて出なかった。

目の前の、まだ毛も生えそろっていないような若造に魅せられたのか。


一年も前なら迷うことなく追い出していただろう――これが老いるということなのだろうか。

気がつくと首から下げた籠目紋の守袋を握りしめていた。


背負子の横に括り付けている細長い麻袋に包まれた物に目をやった。

大太刀に違いない。しかも六尺はあろう。

すでに並の大人より背丈があるとはいえ、よほどの豪傑でなければ扱えまい。

加えて、相当、値の張るものだ。

十五、六の若造の持ち物とは思えなかった。

やはり、主人の物を預かっているのだろうか。


それにしても、と、繰り言のように考える。

こやつは一体何者なのだ。

盗賊の類ではない、それは確かだ。


――見れば背負子の横に置いた箙の中の矢が減っていた。

ならば、山賊に襲われていた姫君を助けたという話は真のことか。

大口をたたいたわけではないらしい。


だが、大枝山の山賊どもの恐ろしさがわかっていない。

しかも、背負子には薪を背負っていたのだ。

ここの客だと知れただろう。

せっかく目こぼしに預かっていたというのに――全くの疫病神だった。


ため息をつき、皮肉を込めて男を見た。

「今宵のうちに、ここを引き払うぞ。まだまだ命が惜しいでな」

だが、男は言い放った。

「山賊のことなら心配はいらぬ」

さすがに腹が立ってきた。

「悪党をなめるでない。やられたまま、黙っておっては、ほかの山賊どもに取って代わられるのよ」


男は平然と答えた。

「おばばが口にした、十という数に間違いがないなら、残っているのは一人だけだ」

馬鹿を言うな、と怒鳴り返そうとしたが、姫君の笠が頷くように動いた。

「住処はわかっている。明朝には、はっきりしよう」


退治したうえ、住処も突き止めているというのか。

それにも驚いたが、別の意味でも驚いた。

経緯はともかく、この姫君は、目の前の男に命を救われたということだ。

にもかかわらず先ほどからの態度はどうだ。

叩きだしてやりたいところだが、殿上人ではなくとも親が役人であれば、それなりのつてと権力を持っているだろう。


その力を振りかざすかのように姫君が詰め寄ってきた。

「わたしの問いに答えておりませんよ」と。

わしの代わりに男が仏頂面で答えた。

「おれが外で寝る」

「わたしに納屋で寝ろというのですか?」

姫君が、男に向き直り声を上げた。

その拍子に、裂けた虫の垂れ衣が揺れて顔がのぞく。


思わず息を飲んだ――それほどの美形である。

ただし、とんでもない癇癪持ちだ。

おのれの命を助けてくれた男に当たっている。


先立った良人にとって良い女房だったと口にする自信はないが、このおなごに比べれば可愛げもあったろう。

男が哀れに思えた。


いや、この姫君のためにも言ってやらねばなるまい。

「姫君……」

その声に姫君が振り向いた。

「母屋には……時おり鬼が現われますが……」

姫君の顔色が変わった。

「それで良いのであれば、お貸ししましょうぞ」

男が眉根を寄せた。


嘘ではない。

このところ、その回数が多くなった。

そろそろ、こちらに来いと誘っているのだろう。

信じられぬというのであれば聞かせてやろう。

この婆が、鬼よりも恐ろしいおなごであったということを。



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