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『あさきゆめみし』  作者: 八神 真哉
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第三話  『草の庵』

【輝夜】


「従者が生き返るのならな」

男は、憎らしいほどいきがる様子もなく答えた。

弓の腕からすれば、山の民の可能性も捨てきれない。

だが、人の体を打ち抜きながら、昂る様子一つ見せないところを見れば、武士だろう。

若くはあっても、幾度となく戦を経験すれば度胸もつくに違いない。


恐ろしさもあって山賊たちには目をやらぬようにしていたが、何やら違和感を覚えていた。

ようやく、その正体に気がついた。

目の届く限りではあるが、矢はすべて脚に当たっていたのだ。

まさか、狙って射たというのか。


あらためて男の姿を眺めた。

狩衣に似た掛水干を短く細身に仕立て、裾を脛巾(はばき)に込めている。袂の幅も狭い。

奇をてらったように見えるが動きやすそうではある。

袖も庶民の直垂の袖に近い。

色は涼し気な薄浅黄。

月明かりの下でも質感は見て取れる。生地は麻だろう。


少々くたびれてはいたが質は悪くないように見える。

かつて牛車の物見から見た、農夫たちの匂い立つような衣とは明らかに違っていた。

意匠も変わっている。

縫い合わせた左右の袖と上前下前の色に濃淡がある。


かといって、破れたり穴が開いたりしたものを塞いだわけではないらしい。

色目を換えているようだ。

どこからこのような発想が出てくるのだろうか。

あえて似た物を探せば宮中で流行り始めた継紙だろうか。


何より変わっているのが、頭周りだ。

烏帽子をかぶらぬばかりか、妙な被り物をしている。

髪は結わず、背中に垂らした袋の中にしまいこんでいるように見える。

頭には露草色の麻布を巻いて、髪の毛を見事なまでに隠している。

しかも、この暑い中、手甲(てこう)をつけ、革の沓まではいていた。


手甲や脛巾は、日焼けや、棘や葉のかぶれ、あるいは漆や虫などから身を守るためのものだ、と聞いたことがある。

確かにここは山中である。

とはいえ、この暑い中、少々過剰に見えた。


(かぶ)いた様子からすると武士ではなく、山の民、あるいは曲芸師、軽業師の類だろうか。

力はあるようだ。

なにしろ、背負子の丈が異様に高い。七尺はあろう。

竹を接ぎたして伸ばしているのだ。

そこに薪を山のように積み上げている。


いつぞや自分一人で筝を動かそうとしたことがある。

その時でさえ、指が折れるのではないかと思った。

薪の一本一本はそうでもなかろうが、これほどの量となれば相当の重さだろう。

背負子の横には、麻布に包まれた六尺ほどの棒状のものが結び付けられていた。


男が、どこにいくつもりだったのだ、と尋ねてくる。

牛車の向きを見れば、都から出るつもりだったことは一目瞭然である。

人目につかぬ安心して休めるところを、と話を逸らす。


男は、面倒なことになった、とばかりに眉をひそめた。

そもそも身分のあるものが移動する際には牛車や輿、馬を使う。

往来を歩くのは恥ずかしいとされる。

普段であれば、そのような衣の用意はしていない。


迎えを呼ぶのは朝になる、と男が告げてきた。

――明日のことなど考えられなかった。


見栄を張ったものの、自分の足で歩いたのは二十間もなかっただろう。

峠道を下るものと思い込んでいたが、男は山の斜面に足を踏み入れたのだ。

普段履かない緒太の緒が指の間に食い込み、こすれ、食い込んだ。

さらには、木の根を踏んで足首をひねってしまったのだ。


足を痛めて動けないと言うと、男はため息をついた。

それでも、わたしを背負子に乗せるため薪をおろし、葛籠をわたしの頭上に載せられるよう工夫した。

薪にいたっては腰にさげていた縄で背負子の横に器用にくくり直した。

なんともいびつで巨大で重量感あふれる飾り物が出来上がった。

さらに、わたしの重さが加わる。

しかし、男はいともたやすく担ぎ上げた。


    *


男は山を下り鬱蒼と生い茂る藪の中、およそ人の通るとは思えない場所を進む。

縦に横にと振り回され、虫の垂れ衣は木の枝に引きさかれ、わけのわからぬものが顔に張りついた。

幾度も声を上げたが、男は心配顔ひとつ見せず、そのうち、振り返りもしなくなった。


蚊に刺され、蒸し暑さに辟易する。

時折、何かの気配が感じられた。

蚊の羽音とも違う唸るような音や、聞いたことのない鳴き声が聞こえてくる。

姿は見えぬが、笹や枯葉を踏みしめながらわたしの目の前を横切るモノもいる。


「あれは何です?」と、尋ねるが、

「悪さはすまい」と、一言で片づけられた。

洛外では魑魅魍魎が闊歩し、百鬼夜行に出逢った者もいると聞く。

それではないかと、男に念を押す。


「観たいのか」と、訊いてくる。

「御免です。人を喰らう、というではありませんか」と答えると、

「あれはあれで面白いのだが」と、まるで見世物でもあるかのように返してくる。

先ほど襲ってきた山賊は十人はいただろう。

一人取り逃がしたとは言え、それを瞬く間に退治するなど、人の仕業とも思えなかった。

この男こそ、その類のものではなかろうかと今更ながら不安に襲われた。


と、男の足が止まった。

慌てて身構えたが、そうではなかった。

巨大な岩が立ち塞がっていたのだ。

男の様子から、目的地に着いたのだと見当がついた。


右手に回ると、崖らしき場所にでた。

背負われたまま、崖を伝うように道ともいえぬ足場を進む。

夜で幸いだった。明るい刻限であれば大騒ぎしていたであろう。

二間ほど進み、岩と岩の狭い隙間をくぐり抜け、登っていくと柵らしいものが行く手を遮る。


それを通り過ぎると竹林が現われた。

その先に大きく突き出た大岩が見える。

岩下に屋根と壁を兼ねたような茅葺の粗末な納屋のようなものがおさまっていた。

大岩の上から張り出す松の枝が、その下にあるものを覆っている。

まるで、ここを何者からか隠すかのように。


草の庵、という言葉が浮かんだ。


天を仰ぐ。

月の光が竹林にこぼれ落ちる。

あたりはしんと静まり返っている。

その様子に心が震えた。

時の止まった異世界に迷い込んだのではないかと。


――この時のことは、思い出しても不思議でならない。

自分のしでかした大事にさいなまれるのは、半刻もしてからである。

心が壊れてしまわないように、何かが守ってくれたのだろうか。

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