第三十話 『朔日』
【輝夜】
実は、ひと月前、陰陽寮の吉昌が星を見て、熱田神宮に凶事が起こると予見したのだ。
事実、それは起こった。
だが、草薙剣は御所に移されていたため無事だった。
神器を移動させるなど、とんでもない、故事の祟りを持ち出して激怒する者もいたというが、吉昌、吉平の父の一言が流れを変えた。
過去の度重なる火災で霊剣二振が灰と化している。
朝廷の命により、父と親しい陰陽師――吉昌、吉平の父が破敵剣の鋳造複製に携わった。
形代は造らなかったと聞いている。
だが、父がひそかに手を回し、朝廷には無断で、鍛冶師に、もう一振りを造らせたに違いない。
それを確信したのは、つい最近のことだ。
先日、一条にある実家で不審火があった。
直後に、父が、「この衣筥を預かってほしい」と、持ち込んだのだ。
父は、中宮にふさわしい姿を、と頻繁に衣を献上する。
放っておくと衣筥も増え続けるので女房たちに譲る。
そうしてはならぬということだ。
眉をひそめるわたしに、
「塗籠に置き、とにかく口外してはならぬ」と、念を押して。
中には、化粧に使う綿が入っていた。
それ自体は不思議ではない。
だが、じっくりと中を観察したところ二重底になっていることに気がついた。
底蓋を開けると、錦にくるまれた古の剣が入っていた。
このような剣が、我が家に伝わっているなど訊いたことが無い。
あったとしても、伯父の家系に伝わっているはずだ。
もとは、漆塗りの箱に入っていたであろう。
神剣を手元に置きたかったわけではあるまい。
確かに荘園をはじめ献上品は引きも切らないが、ああ見えて物に執着しない。
権力をより確かな物にするためであれば散財も惜しまない。
しかも、名を捨て実を取る。
決裁権のない関白は、帝との関係によっては権限が左右される、として左大臣のままでいるような男なのだ。
むろん、関白に近い権限を持つ内覧の宣旨は受けている。
ならば、行きつくところは一つである。
此度の騒ぎに乗じて、政敵を完全に葬り去る策を考えているのだ。
この剣は道具なのだ。
人を使い、政敵である大納言の邸の床下にでも押し込み、宮中にあるものが偽物だと騒ぎ立てればよい。
そもそも、本物は、とうに灰になっている。
万一、今ここで誰かに見つけられたところで、代々わが家に伝わる剣だととぼければよい。
鋳造複製した霊剣を目にしたことがあるのは、とうの昔に崩御された帝。
加えて父のおかげで出世した陰陽師と名をあげた鍛冶師だけである。
この二人が裏切ることはあるまい。
それが草薙剣であれば完璧である。
唯一、皇位の継承の際の『剣璽等承継の儀』でしか目にすることができないのだ。
それとて、本物ではない。形代である。
実物を目にした帝など神代の昔まで遡らねば存在しないだろう。
義守には、破敵剣の形代だと伝えたが、わたしは、この剣こそが草薙剣ではないかと疑っている。
なぜなら、この剣は新しくないからだ。
しぶしぶ、といったていで義守は剣を持ち帰った。
古の剣を義守が振るい、悪党どもを次々と打ち倒す。
その雄姿を思い浮かべ、胸をときめかせた。
月を愛でながら義守を想い、歌を詠もうと坪庭に向かう。
女房たちは庇から追い出し、房に追いやっている。
簀子に立ち愕然とする。
辺りは漆黒の闇に包まれていた。
なにが、「一人寂しく月を見る」だ。
とんでもない醜態だ。
今宵は朔日であった。
知的であってほしいと思いながら、義守が文字が読めないことを、今、この時ばかりは願っていた。