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『あさきゆめみし』  作者: 八神 真哉
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第二話  『やんごとなき姫君』

【輝夜】


聞こえてくるのは、呻き声や、

「誰ぞ、誰ぞ、この矢を抜いてくれ」という、助けを求める山賊たちの声だ。

供をしてきた牛飼い童や雑色、警護の侍の誰一人として、わたしのもとに駆けつけてこない。


それが、何を意味するのかは、ぼんやりと理解ができた。

だが、頭は働かず、うつつと夢のはざまにいるようだった。

夢であればと願った。

むろん、そうでないことも理解していた。

わたしの嘘と身勝手で夜道を急がせた結果が、この惨事を招いたのだ。


それにしても罪深いおなごである。

これほどの大事を引き起こしながら、わが身元が知れることを心配している。

こめかみの血の管が脈動をうつ。

頭に痛みが走る。

続いて、胸を押さえつけられたかのような重苦しさと吐き気が襲ってきた。

このまま、あの世に召されればと思った。

が、それは長く続かなかった。


わずかに落ち着きを取り戻し、あたりをうかがった。

矢で脚を射られた山賊が、助けてくれと命乞いをしているなかで、弓を手にした若い男が、ただ一人、平然と周りに目をやっている。

他に仲間はいないようだ。


その男は奇妙な顔をしていた。

醜いというわけではない。面白いというべきか。

その吊り上り気味の大きな眼は獣を思わせた。

眉は眉間から、すすきの穂を貼りつけたように広がっていた。

口もとは、この世には何ひとつ面白いものなど無いとでもいうように、への字に結んでいる。

口を開くと犬歯が目立つ。

見映えの良いものではないが、この男には妙に似合っている。


歳は自分より一つ二つ下に見える。背丈の方は五寸(※約15cm)は高いだろう。

顔には幼さを残しているが、体つきは、わたしの弟たちと比べても随分と逞しげである。

滝口の武士ではないという答えに安堵はしたものの不遜な態度に腹が立った。

たとえ礼儀を知らぬ者であっても、この姿を見れば、もう少し気を使った口を利くであろうに。

一体、どのような育ち方をしてきたのだろう。


それでも命を救われたことは確かである。

「苦労を掛けました」

と、礼を口にした。

そして急ぎ続けた。

「手当てをしてやってください。礼は存分にいたします」

間に人を介さず、下賤の者に礼の言葉を口にするなど破格のことである。

だが、ありがたがるどころか吐き捨てるような答えが返ってきた。


「山賊をか?」

その答えでようやく状況を把握した。

血の気が引いていき、気を失いそうになった。

人の命とは、かくもたやすく失われるものだろうか。

気を失えば楽であっただろう。

だが、気を失うことはできなかった。



【義守】


姫の呑気さにいら立ちはしたが、その声は何やら心地よく響いた。

「もはや襲ってくることはあるまい」

すべて脚の筋を打ちぬき、骨をも砕いた。

気を失うか、痛みに耐えかね動けなくなった者ばかりだ。

反撃できる者がいるとは思えなかった。


一方の姫も、震えてこそいるものの、この状況で声が出せるならば問題はあるまい。


この山を根城とする山賊は十人と聞いている。

ならば、逃げた男が最後の一人であろう。

近くの悪党共を引き連れて来るようなことにはなるまいが、おばばとの約定もある。


薪を載せた背負子を下ろし、弓と箙を手に取り、

「一人とり逃した。始末をつけて、すぐに戻る」

と告げた。

「置いていくつもりですか?」

背を向けると、声が追いかけてきた。

足を止め、振り返る。


扇を口もとまで下げ、目元があらわになっていた。

怯えは隠せないものの、凛とした涼しげな瞳である。

十六、七と言うところか。

裳着はとうに済ませている歳であろうが、鉄漿どころか化粧さえしていない。

婿は取っていないのだろう。


「都城まで供を……」

と、すがるように見つめてきた。

おれに牛車が操れると思っているのだろうか。

「待てぬのであれば、おのれの足で山を降りろ」

普段出歩くことのない貴族の姫の足腰が弱いことは重々承知している。

とはいえ、歩けぬわけではあるまい。


「そのなりであれば、礼を期待して助けてくれよう」

細長を羽織ってはいたが、下は歩くことのできる小袖姿である。

「声をかけた者が悪人だったらどうするのです!……なにより、慣れぬ山道など歩けば足を痛め、動けなくなりましょう。盗賊は検非違使か京職に任せればよいではありませんか」

声は怒りに震えていた。

貴族の姫である自分に、そのような口をきく者はいなかったのだろう。

取り残される恐怖もあるのかもしれない。


齢がいっている分、世間を知っているようだ。

だが、人にものを頼むときの礼儀は教わらなかったとみえる。

こちらにも都合というものがある。


「牛車は操れぬ」

と答えると、姫は扇を牛車の前板にぴしゃりと叩きつけた。

相当な癇癪持ちである。

夜叉は、かくもあらんという表情で睨みつけてきた。

「その薪をおろせば、背負えるではありませんか」


背負子に乗せろというのか。

貴族の姫とは思えぬ大胆なことを言う。

だが、薪は持ち帰らねばならない。

なにより─―

「姫は乗せぬことにしておる」


その答えに姫は眉根を寄せた。

そして扇で口もとを隠し、引きつったように哄笑した。

「まるで乗せたことでもあるような」


乗せたことはある。

が、話したところで信じまい。

「すぐに戻る」

と、踵を返した。


「待って……待ってください」

悲鳴のような声が追いかけてきた。

振り返ると、夜目にもわかるほど青白い顔で体を震わせている。

黙って立ち去ればよかったのだ。


いずれにせよ、邸の場所を聞き出し、家人に迎えに来させなければならない。

面倒なことになったと、後悔しながらも、無視することが出来なかった。

その声が誰に似ているかを思い出したからだ。

わずかに考え、

「歩けるか」と問うと、頷いた。

「ならば、ついてこい」


破れた前簾から覗く葛籠を背負子の天辺に括り付け、背負いなおした。

姫は、すぐに立ち上がろうとせず、震えながらもはっきりと口にした。

「なぜ殺さぬのです」

山賊のことを言っているのだ。

確かに、半数以上が生きている。


だが、人間は弱い。

骨を砕き、突き刺さった矢を抜いてくれる者も、手当をしてくれる者もいない。

このまま血を流し続け、大方の者は明日の朝までには骸になっていよう。

ましてや抜いたところで、この季節である。

傷口は化膿し、七転八倒した挙句、おのれの所業を後悔しながら、あの世に旅立つだろう。


仕返しされるのではないかと言う恐怖や殺された従者の仇を討ちたいという思いもあるのだろう。

が、それにしても気の強い姫である。


――ふと、人の気配を感じ、山の斜面に目をやった。

だが、そこに人の姿はなかった。


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