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『あさきゆめみし』  作者: 八神 真哉
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第二十七話  『勾玉』

輝夜】


「こちらへ」と、塗籠(ぬりごめ)に誘う。

風が通らない場所だけに、さすがに少々蒸し暑い。


右奥に衣筥(ころもはこ)が見えた。

それを見た途端、顔をさらしているのが恥ずかしくなり、扇を目の高さまで上げた。


座るように促すと、しぶしぶと言った様子で胡坐をかいた。

やはり長居をするつもりはないようだ。

それは考えていた以上にわたしを落胆させた。


一方では、ほんのわずかな頬の動きなどで感情が読めるようになってきたことが嬉しくてたまらなかった。


「何があった?」

わたしの気持ちに気づくでもなく、問い詰めるように訊ねてきた。

「文に書いたとおりのことが……」

鎌をかける。


歌をしたためた。

「あなたを待っているうちに夜が更け、月が西の空に傾いてしまいました。さっさと寝てしまえばよかったのに」と。


義守は、愛想なく口にした。

「文字は読めぬ」


この男は歌の意味を承知したかのように夕刻にやってきた。

一緒に月を見ようと足を運んだのだ、と口にしてくれれば身も震えたろうに。


やはり、読み書きができないのだろうか。

もっとも、読めたところで、この朴念仁には、その意図さえ通じぬに違いない。


失望を隠し、話を変えた。

「袖がほつれていますよ」

上着を脱がせ、単衣をうちかけようと思った。

袖に目をやり、「そうだな」と、口にはするが、気にする風もない。


「繕いましょう」

「あとでやる」

「わたしの腕では不安ですか?」

「そうではないが……」


わたしがまた、癇癪を起すのではないかと思ったのだろう。

口をへの字に曲げ、しぶしぶと革と金具で作ったらしい変わった形の帯を解く。

嫌われたのではないかと不安になり、その形状について問いかけることが出来なかった。


後ろに回って、衣を脱ぐのを手伝った。

義守は、意外そうな様子を見せたが何も言わなかった。


殿方の着替えを手伝うなど、初めてのことである。

わたしの顔は、さぞかし火照っているに違いない。

夏と言うこともあろう。義守は狩衣……というには少々変わった意匠ではあったが、その下には何も身に着けていなかったからだ。


男とはかくも逞しいものかと、その背中に、見惚れてしまった。

高鳴る鼓動が聞こえねば良いがと心配になった。


先日、わたしが言ったことは嘘ではありませんよ、と言う言葉をかろうじて飲み込んだ。

このような場所にいる、おなごが、あの日、口にした言葉を誰が信用しよう。

おかれた立場を思い出したとたん、涙が込み上げてきた。


袖で、そっと目頭をぬぐい、横にある衣筥を開ける。

が、どうしたわけか縫い上げたはずの単衣がない。

あるのは裁縫道具の入った小箱だけだ。


そんなはずはないとは思っても、父が持ち込んだ衣筥はこれ一つだけだ。

十日はかかろう仕立てを、女房たちを遠ざけ七日で仕上げた。

月のさわり、物忌みと嘘を並べ立て。


やむなく、裁縫道具を入れた小箱を取り出し、底の隅に指を入れてふたを起こし、錦の袋に包まれた物を取り出した。

義守に目をやると、西国の鳥瞰図と入れ替わりに、ここにしまい込んでいた屏風を眺めていた。


歌や書を屏風に仕立てたものだ。

いずれも、当代一流の者によるものである。

入内の時に父が依頼した一門繁栄を願う贈答歌である。


目にするのも嫌だった。

帝の寵愛を受け、皇子をもうけ、やがては帝に立てろと日々せかされているようなものだ。


目のやり場に困りながら道具箱から針と糸を取り出し、衣を繕うことに集中した。

とは言え、ついつい義守に目が行ってしまう。


息絶えた牛車の従者たちを、岩穴まで運んでくれた時にも同様の姿を見ているはずだが、混乱のさなかの事で、さすがに覚えていない。


繕いものは、思った以上に刻がかかった。

ようやく仕上げたものの、上半身裸の義守に目を合わせることができない。


義守の手元に目がいった。

あいかわらず手甲のようなもので腕を隠している。

山中でもないのになぜ、と思ったのは一瞬だった。


組んだ腕の合間から覗いていたのは勾玉だった。

しかも、ひとつではない。


ひとつは深紅、もうひとつは花緑青を透き通らせたような色だった。

あまりにも見事で、例えるにふさわしい言葉が浮かばなかった。

このようなものは見たことが無い。

一時も目を離せない。


どこで手に入れたと聞いても、この男は答えまい。

内所の豊かな郡司か土豪、あるいは社の子息なのか。

ミコとは巫女のことか。

だが、そのようなことを問えば、つまらぬことを聞くおなごよ、と機嫌を損ねるだろう。

そう、思いながらも声を発していた。

「見せてください」


これが、先日、媼の納屋で見た光の正体だったのだ。

どのような珠玉と言えど自ら輝くことはない。

にもかかわらず、深紅の勾玉は、人の鼓動に合わせたように内側から光り輝いていた。


だが、わたしが手を伸ばしたのは、もう一方の、限りなく透明に近い、清冽な美しさを放つ花緑青色の方だった。


義守が首から外し、しぶしぶと言った風に差し出してきた。

手にして、思わずため息が出た。

言葉にできなかった。


「珍しくはあるまい」

このようなところで暮らしているおなごであれば、すぐに手に入れることが出来ると思っているのだろう。


「このようなものは目にしたことがありません」

物への執着心は薄い性質であったが、どうしても手に入れたくなった。

美しいという理由だけではあるまい。

義守が身に着けていたからだ。


譲ってほしいと頼んだところで、この男は首を縦には振るまい。

わたしにおなごとしての魅力があれば、自信があれば、口にすることもできようが、と気が沈んだ。


「おなごはみな、このようなものが好きなのか?」

珍しいことに義守の方から声をかけてきた。

わたしが、黙り込んでしまったからだろう。


抗弁しようと顔を上げると、

「……ミコも磨かれた石を大事そうに持っていた……のでな」

と、続けた


「――譲ってください」

気がついた時には、そう口にしていた。



【義守】


「だめだ」

きっぱりと答えた。

おなごとは、このような物に執着するようだ。

父が手に入れ、母が身に着けていたという形見の勾玉である。


これがなければ、おれも、あの時に命を落としていただろう。

天命など信じてはいないが、巡り合わせというものはある。


このたいそうな御殿上空で旋回を繰り返す飛天を指差し、あの下には何がある、と大路を歩いていた年老いた男に聞いた。


あの夜のやり取りから、身分を明かせないのだろうと見当をつけていた。

ゆえに、その答えにも、さほど驚きはしなかった。

身に着けていた衣は、自分の知っている姫の物に比べ見劣りしたが、扇や匂い袋の香は、いかにも質が良いように思えたからだ。


驚いたのは、ここに足を運んで――女房たちの話を漏れ聞いた時だ。

姫の置かれた立場にではない。

生まれにだ。

この姫こそが、あの左大臣の姫ではないのか、ということに、だ。


声が、自分の知る姫に似ていることも説明がつく。

あの騒乱の後、左大臣の姫が入内したと噂に聞いた。

ならば、その可能性は限りなく高い。


なんという皮肉だろう。

友や姫の菩提を弔うための祠か墓をつくろう。手本とするために都の祠や墓を見ておこうと足を運んだその夜、おれは、仇である左大臣の姫の命を救ったのだ。


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