第二十四話 『呪』
【少尉】
下部に対する執拗な拷問が始まった。
何を聞くわけでもない。時をかけたいたぶりだ。
口に出すのもおぞましい手段を用いたそれは、いつ終わるとも知れなかった。
悲鳴と血の匂い――やがて、悲鳴はうめき声に変わり、そして途絶えた。
腸や汚物の匂いに我慢できず、胃の腑の中の物をひとつ残らず吐き出した。
気がつくと、後ろ手に縛られたまま小屋の隅に座らされていた。
法師の手には血まみれの錫杖が握られていた。
それがおもむろに振り上げられた。
悲鳴を上げた。
待ってくれ、待ってくれ、と懇願した。
「わしはその戦には、参加しておらぬ。嘘ではない。まことの事だ。わしは案主であった。兵ではない。調べればわかるはずだ。頼む、信じてくれ」
おのれの声とは思えぬ甲高い声が悲鳴のように響いた。
「刑部省の大輔と親しいようだな」
壱支国を襲い、長の首を上げただけでなく、無抵抗の民まで虐殺した男だ。
返り血を拭おうともせず、幟に十の首を括りつけた男だ。
まさか、あそこまでやるとは思わなかった。
奴は、その、手柄で昇殿を許される身分となった。
心底後悔した。
二度と会いたくないと思いながらも、奴の屋敷が火事になったと聞き、仮宅に見舞いを持っていたことを。
こやつらは、ずっと見張っていたに違いない。
足元に奈落が現れた。
悪寒が襲ってきた。
知っていたのだ。
知っていて最後にわしを残したのだ。
*
当時、わしは伯耆国に住む、うだつの上がらぬ小役人だった。
壱支国からあがって来た報告を丸写しにする――それが、わしの仕事だった。
壱支国には、いくつかの特例が認められていた。
最たるものが国司の赴任である。
任命はされても、壱支国に赴くことはなかった。
伯耆国に国衙が置かれていたからだ。
壱支国が小さな島国で不便だから、というのが表向きの理由だった。
都人はいざ知らず、伯耆国に、それを信じる者はいなかった。
朝廷は、呪の国を恐れ、譲歩している――誰もがそう思っていた。
あの頃、わしには足が立たなくなるという病を抱えた母がいた。
小役人の年収を稲に変えれば四千束。
とても薬師に見せる余裕はなかった。
おのれの非力に、じくじたる思いを抱えていたその時、壱支国で耳にはさんだ話があった。
これを伝えるだけで、報奨がもらえるのではないか、あわよくば出世が見込めるのではないか、と。
壱支守として赴任してきたあの男に伝えたのだ。
きっかけは、壱支国の長の嫡男の死がきっかけだった。
葬儀前、湊につくと芋粥で、もてなしを受けた。
腹具合が悪くなり、用を足した帰りのことだ。
塀の向こうの邸から、切羽詰まった声が聞こえてきたのだ。
三、四人はいたであろう。
話しぶりから、長の一族に近しいものであろうと見当がついた。
それはあらまし、このような話だった。
◇
今や壱支国には神宝を発動できるような強大な法力を持った法師はいない。図抜けた力を持っていた弱法師に続き、救国の英雄になるであろうと期待された道尊様もこの世を去った。残るは並みの法師ばかりだ。あの程度の法力であれば、幾人もで取り囲み、弓や太刀で倒すことが可能である――呪力ばかりに頼らず、武力の充実に力を入れるべきではないか、と。
◇
それを、奴に報告したのだ。
結果的に餌をぶら下げたのだ。
万が一、戦になれば多くの命が奪われる。
わかっていながら、情報を漏らした。
奴は奴で出世に目がくらみ、地元の土豪どもを唆し、朝廷からの許可が来るより前に軍勢を動かしたのだ。
母は、わしの出世を耳にする前に黄泉の国に旅立った。
――簾が上げられる音に思考が遮られた。
目をやると、わずかな隙間から丸い形状の物が転がり出た。
灯りの下に浮かび上がったそれをみて息をのんだ。
――それは、かつての壱支守。
今や殿上人にまで上り詰めた、あの男の首だった。
気を失いたかったが、できなかった。
「生きていたいか?」
かろうじて言葉を聞き取ることが出来た。
返事をしなければならなかった。
しかし、言葉は喉の奥につまり、出てこなかった。
吐き気をこらえ、ようようのことで頷いた。
「ならば、慈悲を持って、生かしておいてやろう」
「だが、われらは菩薩ではない」
錫杖を打ち鳴らす、もう一方の手に、それぞれが玉と鏡を握りしめていた。
まさか、あれは……驚愕に目を見開いたとたんに声を揃え、祓詞を唱え始めた。
頭が割れるような痛みが、そして、正気を保てぬほどの苦痛が胸を、そして全身を襲った。
声ひとつあげることができなかった。
涙を、よだれを垂れ流していた。
祓詞がやみ、地獄の責め苦のような痛みがわずかに治まったのを見計らったように、真っ赤な血と共に、口から何かがこぼれ落ちた。
生肉の塊のように見えた。
そのようなものを食べた覚えはない。
そもそも胃の腑のなかのものは、すべて吐き出したはずだ。
喉の奥が熱い。
無意識のうちに舌でまさぐろうとした――ができなかった。
目の前の塊が、それだと気がついた。
それは、まるで生きてでもいるかのようにぴくりと動いた。
わしが、それに気づいたことを承知したかのように祓詞が再開された。
焼けるような熱さが目の奥を襲う。
右の眼窩から何かが、ずるりと抜け落ちた。
目玉だった。
左目も、それを追うように抜け落ちた。
悲鳴を上げることもできず、のたうち回った。
「おお、仕事熱心な事よ」と、言う声が耳に届いた。
懐から筆が転がり落ちたのだ、と、のちに思いあたった。
山伏姿の鬼どもは、それを見て、さらなる仕打ちを思いついたのだ。
だが、地獄の責め苦の中、その声が耳に届いたのは、別の理由からだった。
葬儀の前、弱体化した国の将来を憂う、あの男たちの声に酷似していることに思い当たったからだ。
――ようやく気づいた。
わしは、あの時すでに、この鬼たちの呪にからめとられていたのだと。
*




