第二十話 『贖罪』
【輝夜】
吉平が……いや、父が帝の耳に入らぬようにと動いたのだろう。
先日のことが取りざたされることも、再び父が訪れることもなく、わたしの心情とは対照的に平穏な七日が過ぎていった。
山賊に囚われていた童たちを引き取ると口にしたことで、ここから出ていくきっかけを逸し、臍を噛む。
一方で、それが決断を生んだ。
*
女房たちが、好いた男と会える前兆として、まじないのようなことをやっていたことを思い出した。
眉毛がかゆくなる。
くしゃみが出る。
紐がほどける。
むろん、都合よくそのようなことは起こらないから、自ら、くしゃみをしたり紐をほどいたりするのだ。
ばかばかしいと笑ってきたが、他に何があったか懸命に思い出そうとしている自分がいた。
それだけではない。
わたしのいないところで、女房たちが、手枕を交わした後の「語らい」の自慢話をしていたことを思い出し、先人の歌を思わず口ずさんでいた。
『若草の 新手枕を 巻き初めて 夜をや隔てむ 憎くあらなくに』
――手枕など、なかったにもかかわらず。
開け放った蔀戸の向こうに松の木に絡む寂しげな藤の蔦が見える。
花は、とうに終わっている。
周りの者たちの目には、わたしの姿も同じように映っているに違いない、と気鬱になった。
そこに華やいだ声が聞こえてきた。
「まあ、なんと風情のある渡廊でしょう」
庭が寂しげなので、渡廊横、南簀子に壺を置き、人の背ほどもある空木の枝を山盛り活けさせた。
女房達が、それを言っているのだ。
媼の住む山の沢沿いを白く埋め尽くした、あの涼やかな景観を再現しようと、中宮亮に命じたのだ。
しかし、近場の空木の花は、ほとんど終わっているとのことで、簀子を埋め尽くすことはできなかった。
自分の飾らせた花を誉められているにもかかわらず、愉しげな声に腹が立ってきた。
女房達は、あれ以降、なにごともなかったかのように淡々と仕事をこなしている。
一方で、わたしへの腫れ物に触るかのような態度には一層拍車がかかっている。
ことさらにぎやかに身舎に入って来た女房達が揃うのを待って、
「皆に大事な話があります」
と、告げた。
「大事」とは、また穏やかでないと、女房たちの表情が見る間に曇る。
理由ひとつ語るでもなく、女房や従者を置き去りにし、翌朝になって陰陽寮の吉平から藤壺の宮様は宮中にお帰りになった、と告げられた、あの日のことを想い出したのだろう。
借り集めてきた従者が帰ってこなかった遠戚の男は、陰陽師相手に騒ぎたてたに違いない。
女房たちの反応にはかまわず宣言した。
「親王様を、わたしがお預かりしようと思います」
皆が互いの顔をうかがった。
聞いているか、とでもいうように。
「主上から、そのようなお話が?」
女房の一人が恐る恐る口にした。
「いいえ。……ですが反対はなさらないでしょう。親王様を立太子とするための力添えは惜しまぬと、お伝えすれば」
女房たちの顔色が一斉に変わった。
呆けたように口を開けている者もいる。
敦康親王様は、梅壺様に似て美しく上品なお顔立ちであり、加えて利発であった。
だが、有力な後見がいなかった。
わたしや他の女御が皇子をなせば、帝になれぬだろう。
親王様は、幼くして母、梅壺様――皇后を失われている。
かつて関白であった祖父も今はなく、若くして跡を継ごうとした親王様の叔父は失脚した。
むろん、その失脚を仕組んだのは、わたしの父である。
さらには、自分の娘を中宮としてねじ込んだ。
結果、取り返しのつかぬ問題を起こした。
――出家するつもりだった。
だが、わたしが出家したところで何が変わろう。
父はわたしの代わりに妹を入内させ、やがては中宮とするだろう。
皇子が生まれれば帝に立てるだろう。
敦康親王様を必ず次の帝に立ててみせる――それがわたしの贖罪なのだ。
恥を忍んで、それを生きがいとする。
昨夜、ようやく決断した。