第十四話 『空木』
【輝夜】
媼には、納屋にある葛籠を置いていく旨を伝えた。
むろん、礼としてである。
岩の墓に手を合わせたのち、足を庇いながら再び竹藪を下り、昨夜、命を絶とうとした滝のある川原に向かった。
義守の姿が見えたからだ。
媼と話しているわずかな刻で、八丈はあろう、あの崖から降りたということになる。
昨夜の弓の腕と言い、わたしと薪を背負って山の斜面を上り下りしたことといい、人並み外れた体力と技量を持っているようだ。
その手に笛はない。懐に仕舞い込んだのだろう。
声をかけようと傍によると、羽を広げた鷹が、上流からこちらに向かって滑空して来た。
足には何かを掴んでいる。
思わず、あとずさりした拍子に体勢を崩した。
転びそうになったわたしの背に義守が手を回した。
そして引き寄せる。
まるで愛しい人を抱きしめるように。
男に――殿方に抱きしめられるなど初めての経験だった。
息をすることさえ忘れ、その状況に身を任せた。
顔を見ることなどできなかった。
白く涼やかな空木で埋め尽くされた対岸だけが鮮やかに焼き付けられた。
その時、上空から何かが降ってきた。
義守が、それを左手一本で、いともたやすく掴んだ。
手にしていたのは子兎だった。
下流上空で鷹が向きを変え、こちらに向かって来る。
義守がわたしを離し、ユガケを巻いた右腕を差し出すと、鷹はゆっくりと、その腕に舞い降りてきた。
鷹は、羽をそろえると「なんだ、お前は」とばかりに、わたしを睨みつけてきた。
鷹の雄雌の区別などわからなかったが、いかにも嫉妬深そうなその眼差しを見て、雌に違いないと決めつけた。
義守が「足は大丈夫か?」と、聞いてきた。
痛みは残っていたが、虚勢を張る。
「すっかり良くなりました」
と答えると、ならば良い、とばかりに兎を突き出してきた。
「おばばに渡せ。お前から渡した方が良かろう」
もちろん受け取らなかった。
貴族は穢れを嫌う。
が、それ以前の問題だった。
死んだ獣を掴むことなどできるはずがないではないか。
なんと野蛮で鈍感な男だろう。
そのようなおなごしか傍にいなかったのだ。
そもそも、あの媼には関わりたくなかった。
わたしが口にした山姥という表現は、あながち見当違いではなかったのだ。
あのあと、媼は続けた。
子をなした時、その子がどのような子であっても……と。
そして口を閉ざした。
わたしと義守を、手枕を交わした仲と見たに違いない。
義守に、義光様の姿を重ねたとは言え、そのような関係に見られたことに腹が立った。
無神経で得体の知れない媼にくわえ、野卑な義守の言動に腹を立てた。
「あなたから渡した方が喜びましょう」
と、言い捨て、後先も考えず再び急な斜面に向かった。
足の痛みがぶり返していた。
近くの木にすがり、一息も二息もついていると、後方から人の気配がした。
義守は、ああ見えて困っている者を放っておけない性質だ。
背中に乗れと言えば乗ってやらぬでもない。
ただ、こたびは、背負子を背負っていなかった。
直接、背負われることになるだろう。
そう考え、頬が火照った。