第十二話 『手枕を交わす』
【輝夜】
震えが止まらない。
「背中を貸してください」と、口にした。
男は振り返るそぶりを見せたが断りはしなかった。
横になり男の肩に手をやり、背中越しにすがりついた。
一つ二つ年下に見えるが、筋肉の盛り上がりはすでに男のものだった。
わたしは一門の繁栄の道具に過ぎない。
だからこそ、より一層、夫となる人には、一人のおなごとして見てほしかった。
「誰かを抱いたことがありますか」
不意に言葉がついて出た。
とんでもないことを口走った。
体中が熱くなった。
消え入りたいほど後悔した。
だが、男は腹立たしいほど冷静だった。
考える風でもなく答えてきた。
「ミコがじゃれついてきたでな」
遊び女を兼ねた芸人「歩き巫女」がいると聞いたことがある。
男装の遊び女は白拍子と呼ばれているとも。
男とて、じゃれつかれたからと言って好きでもないおなごは抱くまい。
この偏屈な男であればなおさらであろう。
さぞかし魅力があったにちがいない。
そのおなごがうらやましかった。
この男に惚れたからではない。
妬ましかったのだ。
愛されたかったのだ。
それが、わたしの手に入れたい唯一のものだった。
あの人に相手にしてもらえないのはなぜだろうか。
そのおなごにあって自分にないものは何だろうか?
いや、たいていのおなごにあって自分にないもの、だ。
弱みを見せることもなければ、男に頼ったことも無い。
甘えたことなど無論ない。
……いや、そんなことをしなくとも男に好かれるおなごもいる。
であれば、わたしの容貌こそが問題なのか。
この男の手枕が欲しいわけではない。
見え透いたお世辞が欲しいわけでもない――ただ、震える肩を抱きしめて欲しかった。
おまえは、ここにいてよいのだと。
天女のように見えたというのは本当ですか?
誰にでも言っているのではありませんか?
訊くことが恐ろしかった。
誇りも邪魔をした。
だが、訊かずに終わる方が後悔すると思った。
今宵限りで、二度と逢うことのない男なのだ、と自分に言い聞かせた。
胸の鼓動を抑え、口を開く。
――と、暗がりの中、納屋の屋根裏に赤い光と緑色の光が浮かび上がった。
義守が体を動かすと、その光も動いた。
開け放った戸口から差し込んだ月の光を反射するように。
「この明かりは――」
義守に問いかけるが答えは返ってこない。
「一体何が光っているのですか?」
この男も答えてくれぬ。
わたしは、それほどまでに魅力のないおなごなのだろうか。
「どうして、答えてくれぬのです」
責めるように言い募った。
背を向けたまま義守が答えた。
「形見の珠玉じゃ」
寂しげなその口調で誰のものか見当がついた。
ああ――いつもこうだ。
「……つまらぬことを聞きました」
震えながら、ようやく口にした。
――少なくとも生家では、怒りを取り繕うことぐらいはできた。
帝の前でこそ、怒りを爆発させたことはないが、そのいら立ちは伝わっているだろう。
今日とて、癇癪をおこした。
命を、そして、辱めから救ってくれた男を、一度ならず攻めたてた。
この男は、身分におもねるような男ではない。
取り返しのつかないことをしてしまった。
見捨てられるだろう。
口さえきいてくれないのではないか。
事実、義守は黙り込んでしまった。
黙りこまれるぐらいなら説教の方が幾千倍もましだった。
後悔にかられるわたしの耳にかすかな希望が届いた。
「眉は吊り上げぬほうがよい」
さらに、思わぬ言葉が添えられた。
「美しい顔が台無しじゃ」
てらうでもない、そっけない言い回しではあったが、胸のつかえが、すっと取れていくのがわかった。
甘言ではあるまい。
少なくとも、この男にはそう見えるのだ。
【義守】
気を張ってきたものの、あれほどの惨事の後だ。
いつまでも尋常ではいられなかったのだろう。
再び、背中に顔をうずめてきた。
貴族の姫であれば婿をとっても良い年頃である。
だが、そのような落ち着きは皆無である。
見た目は輝いていようとも男を立てることができないこの性根では、なかなか良縁にも恵まれなかったのだろう。
「足を見せてみろ」
今なら、言うことを聞くのではないかと声をかけた。