綴章 『連理の枝』
【義守】
陽の光が、峠道にかかる枝葉の輪郭を地面に焼き付けるかのように陰影を刻む。
蝉の鳴き声の騒がしさに鳥たちもさえずりを忘れている。
朝五つの鐘が聞こえてきたばかりだというのに、道を照り返す陽が、刺すように足を焼く。
今日も暑くなりそうだ。
お婆のくれた笠が役に立つだろう。
老ノ坂の頂点で立ち止まる。
そして息を整え、都に背を向けたまま、『長恨歌』の一節を口ずさんだ。
「天に在りては、願わくは、比翼の鳥となり」
胸に顔を埋めてきた時、
姫の言葉より早く、そう口にすれば、姫は応えてくれただろうか。
「地に在りては、願わくは、連理の枝とならん」と。
いや、応えてはくれなかっただろう。
別れ際の表情が、それを物語っていた。
警戒するしぐささえ見せた。
先日、剣をおれに預けた後、何かがあったのだろう。
あるいは、おれの正体に気がついたか。
懐から色あせた籠目の紋様の入った守袋を取り出し、強く握りしめた。
空を見上げ、思いを振りきるように、足を踏み出す。
真言の詠唱が木霊する。
二人や三人ではない。その百倍はいよう。
そうでなくては、ここまで届くまい。
一番近い寺でも、直線で半里はある。
こたびの犠牲者の供養か、あるいは悪霊の調伏か。
おれの姿を見守るように飛天が澄み渡った空に弧を描いた。
【媼】
真言の詠唱が木霊するなか、墓に見立てた岩の前で黙って手を合わせる。
涙がひとすじこぼれ落ちる。
曼殊沙華が咲き誇り、あたりを赤く染めていた。
一尺の岩の代わりに、高さが八尺ほどもある岩と五尺二寸ほどの岩がどこからか運び込まれていた。
岩の周りには草木が移植されている。
四季折々に美しい花を咲かせ、墓に入った者の魂を癒してくれるだろう。
起きてみると義守と名乗る男の姿は消えていた。
隠れ家の上に獣の落下を防止する網を残して。
かの者の行く末を想い、いま一度手を合わせた。
*
やがて、藤壺は皇子をなした。
後年、皇子二人は帝となり、藤壺は国母となった。
だが、敦康親王に愛情を注ぎ養育していた藤壺は、帝と自らの意向を無視し、わが子の立太子を後押しした父、道長を怨んだという。
また、父亡き後、指導力の乏しい弟たちに代わって一門を支えたという。
*
本性を現し、死人をも甦らせ、都に未曾有の災害をもたらした酒呑童子は、千丈岳山頂の巨大な岩を、畏れ多くも帝のお住まいになる清涼殿に叩きつけようとした。
だが、その企みを知った、稀代の陰陽師、安倍晴明によって、法力を封じられ、自らが宙に浮かべた岩の下敷きとなった。
山頂付近にある柩岩と呼ばれる巨大な岩が、それである。
今でも酒呑童子が死んだ夏の夜になると、その付近から、もの哀しい笛の音が聞こえてくるという。
了