4話 ✕✕したいです
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放課後――。
響はクラスの友人二人と別れ、一人教室を出た。
今日はバイトのシフトに入ってる日だ。
健はバスケ部、茜は吹奏楽部の所属だが、響は帰宅部だ。その空いた時間を活用して勤労に励んでいた。
一人暮らしを望んだ手前、生活費くらいは自分でどうにか工面したいと思い立って、去年から始めたファミレスのバイト。響にとって唯一の収入源で、週4日4時間ペースで働けば一ヶ月分の食費は賄えた。
時刻は夕方4時をすぎたばかり。
下駄箱から靴を取り出し、履き替える。今から自転車に乗って直接向かえば、出勤には余裕で間に合う時間だ。
――は?
響の動きが止まった。
目を何度も瞬きさせる。
昇降口の外で女子生徒が一人物静かに佇んでいた。壁に背中を預け、カバンの持ち手を両手で持ち、誰かを持っている様子だ。
緑色のネクタイからして一年生。もちろん、響は彼女の顔に見覚えがある。一昨日会ったのだから。
名前も知っている。今朝、健から聞かされたばかりの学園のアイドルにして超有名人。
九重祈鈴だった。
――なんで、ここに?
一年と二年の校舎は別だ。一年の生徒が二年の校舎に足を運ぶ機会は少ない。それが祈鈴なら周囲の注目を集めるのは必然だった。
通り行く二年の生徒の誰もが祈鈴に視線を傾ける。
中には声をかけて撃沈する男子の姿もあった。
そんな注目の集まる中、
「音倉先輩」
耳を透くような声で祈鈴が呼んだ。
響は名前を呼ばれてドキッとする。
同時に視線の矢が一斉に声の先に向けられた。
祈鈴はまるで響を待っていたかのような素振りで彼のそばまで駆け寄った。
「よかったです、会えて。もう帰ってたらどうしようって思ってました」
祈鈴がふうっと安堵の息を吹いて、胸をなでおろす。
「九重さん、だよね」
「はい。……あの、突然ですみません。実は音倉先輩にお話があって待ってました。少しだけお時間をいただいてもよろしいですか?」
「……え? 僕に?」
「はい」
祈鈴が答える。
その様子をうかがっていた生徒たちから騒めきが起きた。
響はまた変な噂が広まらなければいいのにと胸の内で人知れずため息をこぼすのだった。
***
響は他の生徒の目を避けるため、祈鈴の同意を得て校舎裏に場所を移した。
また脚色された噂が広まり、健の耳にでも入って、今朝みたいにからかわれるのはご免だからだ。友人でも、さすがにあの態度は少々ウザい。
「それで話って何かな?」
響が用件を切り出す。すると、
「ごめんなさいっ」
と、祈鈴は頭を深く下げて謝ってきた。
その行動に響は面食らってしまう。
「え? ど、どうしたの?」
「私のせいで音倉先輩にご迷惑をかけてしまって、本当にごめんなさい」
「迷惑?」
「一昨日、私の早とちりで音倉先輩に失礼なことを言ってしまっただけでなく、そのことで音倉先輩が私にフラれたなんて噂まで広まってしまって……」
案の定、噂は祈鈴の耳にも届いてたようだ。
祈鈴が響の名前を知ってた時点で予想はしていたことだ。
「とりえず顔を上げてもらえるかな?」
言われて、祈鈴は姿勢を元に戻した。
話があると言われたときの顔があまりに深刻だったため、響は祈鈴の話を聞くことにした。しかし、響は祈鈴に深々と謝られるほど迷惑をかけられたと思っていない。
誰にだって間違いはあるし、噂だって祈鈴が言いふらしたわけでもない。噂の感染なんて誰にも止められないものだ。
「う~ん、僕は君に迷惑をかけられたなんて思ってないんだけどなぁ」
「で、でも……」
祈鈴は納得していない様子だ。
逆に響は祈鈴のことが気になった。この場合、被害者は響だが、祈鈴だって響をこっぴどくフッたという無実の罪を着せられているのだ。
「君こそ大丈夫なの?」
「え? 私、ですか?」
「事実とは違うことを広めらてるんだよ? 君だって噂の被害を被ってるんじゃない?」
「私は大丈夫です、いつものことですから……。それにそういうことには慣れてます」
と、祈鈴はにこりと笑みを浮かべて答える。
響にはそれがなぜか強がりにしか見えなかった。
九重祈鈴は絵に描いたような美しさを持つ、清楚可憐な少女だ。
切れ長の瞳、形の良い鼻と唇、およそシンメトリーのような顔の造形。良くも悪くも完成された顔立ちは人形のようにも見える。
細身の背中に映える長い黒髪は絹のごとく艶やかで、対照的に制服から覗く白い素肌は綿のごとく滑らかで薄いピンクを帯びている。
適度に膨らんだ胸部と臀部はその形と大きさが思春期の少女特有の色香を匂わせ、腰の窪みとのバランスが見事に調和されている。
容姿は誰もが完璧だと認めるだろう。けれど、中身は違う。その完璧な美貌の下に隠れているのは、ただの年相応の女の子なのだ。
「うん、まあ君がそう言うならそれでもいいんだけど。でも、それこそ我慢は身体に良くないと思うけどなぁ。だって、君は外見すごく大人びて見えるけど、中身は普通の女の子なんだよ」
響はそう言った。
「――え?」
祈鈴が目をぱちくりさせる。
「どうかしたの?」
「いえ。……普通の女の子なんて言われたの、初めてでしたから」
――だって九重さんだもん、仕方ないよぉ。
――いいなぁ。私も九重さんみたいになりたい。
――ホント、羨ましいよね。憧れちゃうなぁ。
――すっごくきれいなのにねぇ。
――なんで、九重さんがそんなこというの?
祈鈴に向けられる言葉はいつだって羨望、憧憬、そして嫉妬ばかりだった。
この容姿のコンプレックスを払拭しようとどれだけ人に好かれる努力をしてきても、誰も中身の私を見てくれなかった。容姿の私が影のようにつき纏い、私の自尊心を蝕んでいくだけ、と諦めていた。
でも、私を見てようやく普通の女の子と言ってくれる人が現れた。
どうしよう、すごく嬉しい。
――シンゾウガ、コワイクライニ、ドキドキスル。
✕✕。
「……音倉先輩はとても不思議な人ですね」
「自覚はあるけど、あまり褒められてる気はしないなぁ」
「それにとても正直です」
「嘘が苦手なだけだよ。……でも、やっぱり褒められてる気がしないなぁ」
「私の中では褒めてるつもりですよ」
と、祈鈴がクスクスと笑う。朗らかに冗談っぽく。
「僕だって君があんなに顔を真っ赤にするなんて思わなかったよ」
「え?」
一昨日の今ごろ――。
間違いに気づき、真っ赤に沸騰した祈鈴の顔。
まるでゆでダコのようだったと響は思い出す。
祈鈴も忘れたかった記憶を思い出し、あわあわと取り乱す。
「あ、あれは違いますっ。って言うか、あれは忘れてくださいっ」
「なら、君も忘れてくれていいんじゃないかな。君は間違えて僕をフッて、僕は間違えて君にフラれて、お互い恥ずかしい思いをしたってことにしてさ」
「う、うう……。あと音倉先輩ってすごくいじわるです」
「僕もそう思うよ」
ここが互いの妥協点、と響は伝えたかったのだろう。
――だから謝らなくていい。
祈鈴もその真意を汲んで、「はい」と首肯した。
出会い、祈鈴の響への印象はとても好感が持てるとは言い難かった。
それがほんの少し、たった一言二言言葉を交わしただけで、響への印象が大きく反転した。
我ながらチョロいと思ってしまうくらいに、祈鈴は“普通の女の子”と言われただけで、響に淡い期待を抱いてしまったのだ。
この人なら九重祈鈴を見てくれるかもしれないと。
だから。
――今度こそ、今度こそは、絶対に、間違えたり、しない、と。
祈鈴は心の内で薄笑いを浮かべた。
「もういいかな。この後バイトがあるんだ」
時刻はすでに4時半を回っていた。そろそろ向かわないと、バイトに遅れてしまう。
「音倉先輩はバイトをしてるんですか?」
「ファミレスだけどね。自宅からそんなに離れてないし、高校生の時給にしては悪くないほうかな」
「ファミレス……」
祈鈴は何やら思いつめた面持ちで独りごちると、カバンからいそいそと携帯電話を取り出し、響に差し出した。
「あ、あのっ。音倉先輩っ」
「ん?」
「も、もしよろしければ、私と携帯電話の番号を交換してくれませんかっ」
「えっ?」
「……で、できればLINEも登録したいです」
響は目を丸くした。
さすがに携帯の番号を聞かれるとは夢に思っていなかった。
健が言うところの、祈鈴は難攻不落の美少女で学園の超有名人だ。
そんな学園のアイドル的存在から携帯番号の交換をお願いされて断る男子はこの学園にいないだろう。
けれど、これまた健の言うところの、女子に乾いた態度をとりがちな響は、この申し出を的外れに考えてしまう。
――どうして僕なんかと?
「せっかく知り合えたわけですし、一昨日みたいに音倉先輩にいろいろとご相談できたらいいなと思いまして……」
「ああ……。そういうことか」
と、合点がいったように響は頷く。
響は携帯番号の交換を、先輩として頼られているからと解釈する。
ならば断るわけにもいかない。番号を教えたところで頻繁にやりとりするわけでもないし、それに相手はこの学園のアイドルなのだから。
「うん。構わないよ」
「ありがとうございます!」
祈鈴の顔が喜びでほころびる。
――ううん、やっぱりどことなく希海さんに似てるなぁ、この子。
響はそう感じた。
互いに携帯の番号を登録し、LINEを繋ぐ。
ぺこんぺこんとLINEで簡単な挨拶を送る。
「あと私のことはどうか祈鈴と呼んでください。友だちはみんなそう呼んでいます」
「え? 下の名前で?」
「はい。是非お願いします」
いきなり下の名前呼びはどうかと思ったが、時間も押しているので、すんなり承諾することにした。
「うん。わかったよ。それじゃあね、祈鈴さん」
「はい、今夜早速LINEしますね。響先輩っ」
――ん?
今夜早速? 響先輩?
きっと社交辞令かなんかだと思い、響は別れを告げると、急いでバイト先に向かった。
だが響はまだ知らない。この出来事が後に彼に次々と降りかかる災難のプロローグであったことを。
――このときの響はまだ知る由もない。
読んでいただきありがとうございます。