28話 今夜、✕✕してもいいですか?
よろしくお願いします。
「え? 祈鈴さんのお姉さんってこの学園の卒業生だったの?」
「はいっ」
にっこり笑顔で祈鈴が返事する。
「お姉ちゃん、勉強はいつもトップで、しかも生徒会長を務めてたんです」
「それはすごいなぁ」
響は素直に驚いてみせた。
昼休憩。いつもの空き部屋で、響は祈鈴と二人きりの昼食を過ごしていた。
三年前まで生徒会室として使われていたこの部屋は、今は過去の資料置き場となっており、滅多に生徒が立ち入ることはない。
もともと部室や会議室が並ぶ特別棟の校舎だけあって、昼の時間は生徒が訪れることが少なく、こうして今週に入って毎日のように祈鈴と昼食を過ごしていても、誰かが訪れることはなかった。
二人きりの若い男女。
相手の少女は学園でも有名な美少女で、しかも好意を示してくれている。
恋愛経験の乏しい響にとって、この状況で緊張しないほうに無理がある。響だって健全な思春期の男子高校生だ。こんな美少女と同じ空間でずっと一緒にいたら理性を保つのに一苦労である。
もともと一度だけと思っていた二人きりの昼食も、祈鈴に押し切られて気が付けば今日で四日目となっていた。
長方形のテーブルを挟んで向かいに祈鈴が座っている。
二人の間には祈鈴が用意した昼食が並べられている。
今日はサンドイッチだった。
白いバスケットにおかずと一緒に可愛らしく添えられている。
どれも手がこんでいて、舌を巻くほど美味しかった。
「サンドイッチ、どうですか?」
「うん、とても美味しいよ」
「よかったぁ」
祈鈴が顔をほころばせ、安心した表情を浮かべる。
「……」
祈鈴はどんなときでも響に対して笑顔で返してくれる。
優しく、温かく、朗らかで、しかも気遣いができて、それでどこかそそっかしいところも見せて、そんな理想の彼女が響に変わらず好意を寄せてくれている。
――好きです。
響は祈鈴から告白された。
真剣な眼差しで、愛おしい表情で、彼女はそうはっきりと自身の感情を告げた。
けれど、響はその想いに何も答えることができなかった。
応えられなかった。
――卑怯ですよね。こんなこと言っても、響先輩を困らせるだけなのに。
――ううん、卑怯なのは僕の方だよ。
――響先輩?
はっきりと拒絶することはできた。なのに、響は祈鈴の想いを知ったうえで、祈鈴と過ごす時間を受け入れてしまっていた。
罪悪感と幸福感は表裏一体にあり、響は祈鈴と一緒に過ごすことに安らぎさえ感じ始めていたのだ。
きっと祈鈴と付き合ったら楽しいだろう。幸せだろう。
おそらくこんな機会は二度と訪れないだろう。
もし自分が普通の男子高校生なら間違いなく喜んで首を縦に振っていただろう。
普通に過ごせるなら……
「響先輩っ」
「――ん?」
「私の話聞いてますか?」
「ああ、うん。聞いてるよ」
響は内心を悟られないよう、にこりと微笑んだ。
「……っ!」
祈鈴の頬がみるみる赤くなった。
「……もお。響先輩はズルいです」
「はは」
――そう。僕はズルくて卑怯なんだ。
響は決して祈鈴の想いを受け入れることはない。
それは約束であり、契約でもあり、そして呪いでもあった。
それから逃れられないと分かっていながらも、響はずるずると未練たらしく、彼女の好意に甘えてしまっている。
そんな自分が、響はたまらなく嫌いだった。
「それでお姉ちゃん、高校の時すっごいモテたんですよ」
「祈鈴さんのお姉さんだから、さぞかし美人なんだろうね」
「え? えへ、えへへっ」
美人と褒められ、祈鈴が照れくさそうに笑う。
――やめてくれ。
響は心の内で呟いた。
――そんな顔で僕を見ないでくれ。
響は心の内で呟く。
――僕は君が思うような人間じゃない。
響は笑顔を作った。
――ドス黒くて醜い塊でできた生き物なんだよ。
「祈鈴さんは本当にお姉さんのことが好きなんだね」
「はいっ!」
祈鈴が満面の笑みを浮かべて返事する。
「お姉さんは大学生なの?」
「今年で大学二年です」
「ってことは四つ離れてるんだね」
「……えっと、お姉ちゃん、実は一年浪人してるんです。ですから、私とは五つ違いになります」
「そうなんだ」
響はそれ以上その話題に触れず、ただ相槌を打つだけにした。
それでも祈鈴の明るかった表情が少しずつ曇り出した。
「祈鈴さん?」
「お姉ちゃんが浪人したのは私が原因なんです」
「え?」
神妙な面持ちで祈鈴が語り始める。
「本当は推薦で大学が決まっていたんですけど、卒業式の日に交通事故に遭って半年以上入院してたんです」
「……」
祈鈴は顔を俯かせ、ゆっくりと続ける。
「私をかばって事故に遭ったんです。それで大学の推薦を辞退して……」
「ごめん。余計なこと聞いちゃったね」
祈鈴は頭を振る。
「響先輩は何も悪くありません。幸い大きな怪我はなかったですし、入院と言ってもリハビリや念のための検査がほとんどでしたから。それに今は元気に大学に通ってますよ」
祈鈴は“らしく”微笑んだ。
「そうだ。しかもお姉ちゃん、好きな人がいるみたいなんです」
「じゃあ、今はその人と付き合ってるんだ」
祈鈴が唇に指をあてて首を傾げる。
「どうでしょう。聞いてもそこは上手くはぐらかされてしまったので。でもお姉ちゃん、ずっとその人に片思いしてたらしいです。私、まったく知らなかったんですよっ」
祈鈴が不服そうに、ぷんぷんと怒って見せる。
そんな可愛らしい祈鈴の顔を見て、響は思わず笑みがこぼれた。
「うまくいくといいね」
「はい。私もそう思います!」
昼食を済ませ、休憩の時間が終わりに近づく頃、二人は部屋を出た。
部屋の前で祈鈴がぺこりと頭を下げる。
「今日もありがとうございました。明日もお昼作ってきますね」
「あ、うん」
響は気まずそうに答える。
「じゃあ、また明日」
「明日も楽しみにしてます」
「お昼ありがとう。ごちそうさま」
「今夜、LINEしてもいいですか?」
「……うん。いいよ」
響はにこりと微笑み、立ち去ろうとする。
手を振り、見送る祈鈴。
その手が、止まる。
「響先輩っ」
振り返ると、祈鈴が祈るように胸の前で両手を握りしめていた。
「私も諦めませんから」
「……」
「諦めたくないです!」
「……」
そう言い残して、祈鈴は足早に立ち去って行った。
足音だけが廊下に響き渡る。
響は何も言わずに少しの間、彼女の後ろ姿を見届けると、また自分の教室へと戻っていった。
***
「――ねえ、今のもしかして九重さんだよね」
「どうしてこんなところにいるんだろう」
「一緒にいたのって九重さんにコクってフラれた人じゃなかった?」
「でも、あれってどう見ても九重さんがコクってぽくない?」
「え? つまり二人はそういう関係ってこと?」
「「……」」
同時にきゃ~と黄色い声があがる。
こうして二人の知らないところで、噂は広がっていく。
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