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23話 こう見えて私、と~っても✕✕です

よろしくお願いします。



 その夜、ひびきは夕食になかなか手がつかなかった。

 心ここにあらず、そんな様子だ。

 原因は言うまでもなく、九重祈鈴ここのえいのりにあった。


 祈鈴からあんな衝撃的な告白を受けるなんて、響は夢にも思わなかった。もしかして本当に夢でも見てたんじゃないかと、今でも思えてしまうほどに。


 ――響先輩がいいんです!


 清楚可憐なイメージとは異なり、積極的なアプローチ。

 出会ったときに抱いた印象とは、随分かけ離れていた。


 ――これで本当に良かったんだろうか。


 響は思い悩ませながら夕方の出来事を振り返っていた。





 ***





「すみませんでした。私のせいで響先輩がバイトを辞めることになってしまって」


 放課後。校舎裏の大樹の下で。

 響が姿を現すと、待っていた祈鈴が開口一番に謝ってきた。


「あれは祈鈴さんのせいなんかじゃないよ。僕が好きでやったことだから」

「ですが、私が響先輩にあんなお願いさえしなければこんなことには……」


 祈鈴の表情は暗く沈んでいる。

 今朝の様子から気にしてないものとばかり思っていたが……。

 こうなっては響がどれだけ否定したところで、かえって責任を感じさせてしまうだろう。九重祈鈴とはきっとそういう少女だ。


「確かに祈鈴さんの言うとおりかもしれない」

「……え?」


 祈鈴が一瞬ぽかんとする。


「うん、みんな祈鈴さんのせいだよ」

「あ、あう。……すみません」


 響からの思ってもいない辛辣な言葉に、祈鈴が両肩を落とす。


「祈鈴さんが口添えしてくれたからバイト先に迷惑をかけずに済んだし、バイトを辞めたから条件の良い次のバイトを見つけることもできた。これってみんな祈鈴さんせいだよね?」

「……は、はい。……え?」

「あれ? でも結果的に良かったんだから、これは祈鈴さんの()()じゃなくて、祈鈴さんの()()()って言うべきかな?」


 響はうんうんと頷きながら自分に言い聞かせるようにして話す。


「なら、祈鈴さんが言うべき言葉は“すみません”じゃないと思うんだ」

「えっ? その……」

「祈鈴さん」

「は、はい」

「助けてくれて、ありがとう」


 響はにこりと微笑みながら、礼を言った。

 祈鈴の暗く沈んだ表情が綻んでいく。


「どういたしまして……です……響先輩」


 祈鈴は笑みを浮かべながら言った。

 響も祈鈴に笑みが戻り、再びにこっと笑った。


「……響先輩って本当ズルいです」

「僕が? う~ん、そうかなぁ」


 祈鈴は(かぶり)を振る。


「ずるいくらい、とっても優しいです」

「……」


 祈鈴はくるりと回り、響に背中を向けた。

 艶やかな長い黒髪がふわりと舞う。

 空を見上げながら、心の内に語りかける。



 ――やっぱり私の思い違いじゃなかった。


 ――いいよね、お姉ちゃん。






 ――これで最後だから……。



「ねえ、響先輩っ」


 祈鈴が振り返る。眩しいくらいの笑顔だ。


「私、来月誕生日なんです。一六歳になるんですよ」

「そうなんだ。それはおめでとう」

「えへへ。ありがとうございます」


 無邪気に笑う祈鈴。


「女の子にとって一六歳にどんな意味があるか知ってますか?」

「意味?」


 響は首を傾げた。訊かれてぱっと思いつく答えが出てこない。

 祈鈴は響と向き合うと、何かを差し出してきた。


「響先輩、これを受け取ってくれませんか?」


 白い封筒だった。


「私の気持ちです。受け取ってください」


 響は手を伸ばし、封筒を受け取った。

 封はされていない。


「中を見てもいいのかな?」

「もちろんです」


 封筒の中には一枚の折り畳まれた紙が入っていた。

 取り出して広げると、響はその内容に目を疑った。


「え?」


 思わず見返すが見間違いじゃない。

 実物を見るのは初めてだが、おそらく本物だろう。



 ――婚姻届。



 響は動揺する。さすがに突然婚姻届を渡されて、落ち着いていられるはずがない。

 祈鈴を一瞥すると、祈鈴はにこにこと笑っている。


 ……とてもからかっている様子ではない。


 そもそも祈鈴がこんな冗談を言うようなタイプには思えない。

 どうして婚姻届を僕に?


 祈鈴は何と言った。

 女の子にとって一六歳はどんな意味があるのか、と。

 それは結婚ができる年齢だ。

 祈鈴はこれを響に受け取って欲しいと言った。


 ――結婚。


 ここまでくれば、誰だってそう思ってしまうだろう。

 勘違いするなと言うほうに無理がある。


「これって……」

「はい」

「その……あれだよね」

「はい」

「……これを僕に受け取って欲しいって言ったように聞こえたんだけど」

「はい」

「それってつまり――」


「はい。私は本気ですよ? 響先輩」


 祈鈴はクスクスと笑いながら、響との距離を縮める。

 そして、




「響先輩。私と結婚を前提にお付き合いしてください」




 響はもはや驚きを通り越していた。


「ええっ⁉ 結婚っ⁉」

「はい!」


 今日一番の返事だった。

 響の頭の中はひどく混乱していた。


「い、祈鈴さん。け、結婚って。な、なにを言ってるの?」

「ふふ。響先輩ったら早とちりしてますよ?」

「そ、そうだよね」

「まずはお付き合いしてからです。それで私が学園を卒業したら結婚しましょう」


「……」


 響は茫然としていた。

 言葉が出てこない。どうしたら、結婚まで話が進むのか。

 ただ付き合うならまだしも、祈鈴の言葉からはまるで将来のビジョンがすでに出来上がっているようだった。


「ぼ、僕をからかってるわけじゃないよね?」


 響の問いに、祈鈴がぷくっと頬を膨らませる。


「むう。酷いです。からかってなんかいませんよ。私は真剣なんです」

「でも結婚だよね?」

「はい。そう言ったつもりですが?」

「だって僕たちまだ知り合ったばかりだよ?」

「結婚したい理由に時間は必要ですか?」

「どうなのかな……」


「私は響先輩と結婚したいと思ってます」


「――っ!」


 真正面から堂々と想いと告げられ、響の顔がかあっと赤くなった。


「返事をすぐに欲しいとは言いません。私とのこと考えてくれませんか?」


 積極的にアプローチしてくる祈鈴。

 結婚の意思はすでに固まっているように見える。

 一方、消極的な態度の響は、祈鈴の言動を理解できずにいた。


 ――どうして僕なんか?


 疑問は尽きない。

 祈鈴は誰もが認める美少女だ。そんな相手から突然求婚を迫られる男子高校生が果たしているだろうか。

 他の男子生徒が聞いたら、発狂しそうな申し出だ。

 おそらく響の人生で、こんな幸運に出会うことなど二度とないだろう。

 けれど、響は返事をすることも、その首を縦に振ることもできなかった。


 響にとってすでに答えは決まっていたからだ。


「……祈鈴さんなら僕なんかよりももっと相応しくて、もっと素敵な人がいると思うんだけどなぁ」

「響先輩」


 祈鈴が眉を寄せて、ちょっと怒った表情を見せる。


「それは勇気を出して告白した女の子に失礼ですよ? 私、これでもすごく頑張ってるですからね」

「あ……ごめん。……無神経だったね」


 言われて、響は今の発言が失言だと認めた。

 それでも、響はどうしても聞かずにいられなかった。


「……でも、どうして僕なんだい?」


 祈鈴はまるでその想いを包み込むように両手を胸にあて、そっと目を閉じだ。


「私でも信じられないんです。お姉ちゃん以外の人にこんな気持ちになるなんて。お姉ちゃんは家族だから仕方なかったんですが……」


 目を開け、響を見据えながら、思い出すように微笑む。


「前に言ってくれましたよね。“私は人形なんかじゃない。普通の女の子だ”って」


 響は思い出す。


 そう言った覚えはある。しかし、あれは祈鈴を人形扱いする綿貫わたぬきに対して言い放った台詞(せりふ)だ。

 あのとき恋人のフリをしてたとは言え、綿貫の発言に許せなくて反論しただけで、祈鈴に特別な感情があったからではない。

 響にとって当たり前のことを言ったつもりだった。


「……響先輩だけです。響先輩だけが私を一人の普通の女の子として見てくれたんです。それだけで私は響先輩にきゅんとしちゃったんです」

「さ、さすがにそれはチョロすぎじゃ……」

「はい。実は私、とってもチョロいんです。ちょっと優しい言葉をかけられただけで、コロッといってしまうくらいチョロいんです。ですから、こんなチョロい私を虜にした響先輩には、責任を取る資格があると思いますよ?」

「それで結婚は飛躍しすぎなんじゃないかなぁ」


「私は響先輩がいいと思ったんです。響先輩がいいんです!」


 祈鈴がぐいっと身体を寄せてくる。

 一歩後ろに下がる響。


「買いかぶりすぎだよ……」

「では“お試し”からではどうですか? 試しに付き合ってみて、響先輩が嫌になったらいつでも断ってくれて構いませんから」


 さらに祈鈴が寄せてくる。

 さらに一歩下がる響。


「それこそ祈鈴さんに失礼じゃないかな?」

「響先輩といられるなら、私はそれだけで十分なんです。響先輩は私に遠慮しないでください」

「遠慮してるわけじゃないんだけど……」

「じゃあ、私と付き合ってくれますか?」


 祈鈴がここぞとばかりに畳みかけてくる。

 後ろに下がって距離をとろうとする響。が、下がれない。その後ろで大樹が逃げるなと言わんばかりに立ち塞がっていた。


「お願いします。私と、付き合ってください……」


 祈鈴は顔を真っ赤にして、らしくないほど必死に交際を申し出た。

 握り締める両手がぷるぷると震えている。


「あ……」


 響は言葉を詰まらせる。

 さすがにここまで言われて、返事をしないわけにはいかない。

 祈鈴にこれほど想われてたなんて驚きだし、本音を言えばとても光栄なことだ。


 けれど、響の返事はすでに決まっていた。

 最初から決まっていた。

 好きな相手がいるわけでもない。

 付き合いたくないわけでもない。

 ただ自分に誰かと幸せになる資格なんてないと思っていたからだ。


 それが結果的に誰かを悲しませることになったとしても。


 ――兄様にいさまが誰かと幸せになるなんて、私は絶対に認めないから。


 忌まわしい過去が甦る。


 ――わかってるよ、かなで






 ――僕は決してお前だけは裏切らないから。



 響は唇をきゅっと噛み締める。



「ごめん」



 響は頭を下げた。


「え……」


 祈鈴の表情から感情が抜け落ちていく。


「僕は祈鈴さんの気持ちに応えられない」


 どれほど想われようとも、響の返事は変わらない。

 例え祈鈴を傷つけたとしても、その選択肢を選ぶしかなかった。

 もともと選ぶ権利などなかったのだ。

 嫌われても構わない。憎まれても構わない。

 響は、ただ感情を押し殺すしかなかった。


「…………」

「…………」


 沈黙が続く。

 響は何も言えない。

 祈鈴は何も言わない。

 頭を下げたままの響を黙って見ていた。

 目は焦点が定まってないかのように朧気だ。

 両腕は力なく、たれ下がっている。


「……顔を……上げてくれませんか?」


 ようやく祈鈴が口を開く。

 響はゆっくりと顔を上げた。

 祈鈴の表情はまるで世界の終わりかのように暗く沈んでいた。


「……理由を訊ねてもいいですか?」

「ごめん……。すごく勝手かもしれないけど、理由は言えない」

「他に誰か好きな人がいるわけでもないんですよね?」


 響は首を横に振った。


「これは僕自身の問題であって、今は誰とも付き合う気はないんだ」

「誰とも、ですか?」


 祈鈴がピクリと反応する。


「うん」

「……そうですか」


 祈鈴は静かにため息をついた。


「はあ。響先輩に断られるなんて思ってもいませんでした。……とても残念です」

「ごめん」

「もう。謝らないでください。私がみじめになっちゃいますよ」


 祈鈴は悲しそうに笑みを浮かべている。

 ……ようには見えなかった。


 祈鈴はふふっと笑う。


「まあいっか」




(誰かのモノになるわけじゃないんだし……)




「え?」


 祈鈴が何かひとり呟いた気がした。

 けれど、響はその声が小さくて聞き取れなかった。


「なんでもありません。ねえ、響先輩。一つ私のお願いを聞いてもらえませんか?」

「お願い?」

「はい」


 と、祈鈴が頷く。


「今度、私とデートしてください」


「えっ⁉ デート⁇」


「そうです。デートって言っても、友だちとお出かけみたいなものですから構いませんよね?」

「でも……」


 返答に渋る響を見て、祈鈴が落胆した表情を浮かべる。


「……友だちでもダメですかぁ?」

「う……そういうわけじゃないけど……」

「じゃあ、オッケーってことでいいですね?」


 そう言って、祈鈴の顔がぱあっと明るくなった。


「今週の土曜日は予定を空けておいてくださいね」

「え? 今週の土曜?」

「はい。待ち合わせ時間と場所は今夜LINEで連絡しますね」

「ちょ、ちょっと待って」

「……もしかして予定ありました?」


 きらきらと潤んだ瞳で見つめてくる祈鈴。

 むぐっと喉を鳴らし、何も言えなくなる響。


「……わかった。いいよ」


 半ば押し切られるかたちで響は了承した。


「やったぁ。言質取りましたよ。約束は守ってくださいね!」

「う……うん」

「えへへへ。響先輩との初デートだぁ」


 両手をあわせ、喜びをあらわにする祈鈴。

 まるで恋する乙女のように、浮かれている。


 ――あれ? なんか祈鈴さん、キャラ変わってない?


 フラれた直後なのに幸せそうに喜ぶ祈鈴を見て、響は少なからずの違和感を覚えずにはいられなかった。


「響せ~んぱいっ」

「ん?」

「もしデート中に響先輩の気が変わったら、いつでも言ってくださいね。私はいつでも響先輩を待っていますから」


 その瞬間、祈鈴が今まで見せたことのない、子供のような笑顔を浮かべた。



「こう見えて私、と~っても諦めが悪いんです。覚悟してくださいねっ」



 その黒い瞳には輝きがなかった。


 ――ぞくり。


 錯覚か。響は急になぜか背中に悪寒が走った。


「うふふふ。デートになに着て行こうかなぁ。楽しみですね、響先輩」


 浮かれる祈鈴。響はそれを黙って見ている。


 ――気のせいだよな。


 しかし、やがてそれが錯覚でなかったと、響は知ることになる。

 後にこの判断が間違いだったとひどく後悔することを、響はまだ知らなかった。




読んでいただきありがとうございます。


次回、希海さんの登場です。

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