22話 私と✕✕してください
よろしくお願いします。
再びお待たせしてすみません。
気づいたら前話の投稿から半年以上も過ぎておりました……
「おはようございます、響先輩」
長い黒髪の少女が丁寧にお辞儀し、鈴の音のような声で挨拶をした。
「お、おはよう」
教室を出て、少女の姿を見た響は驚きを隠せず、ぎこちない挨拶で返した。
朝のホームルーム前。
一際目立つ突然の訪問者に、生徒たちが野次馬のように廊下に集まり始めている。
「え? あれって九重さんだよね?」
「うわっ、めっちゃ顔小さい。アイドルより可愛くない?」
「音倉くんに会いに来たの? なんで?」
「やば、まじ可愛いんだけど。声かけちゃおっかな」
「やめとけやめとけ。お前じゃ相手にされねぇって」
「ちくしょ。音倉うらやましすぎ」
あちこちで話す声が飛び交い、注目を集める二人は話題の的になった。
やって来たのはあの九重祈鈴だ。
入学して早々、私立星ヶ丘学園のアイドルと呼ばれるようになった、正真正銘の美少女。
容姿端麗、眉目秀麗、才色兼備。
学園の名声を望まずとも手に入れ、数多くの男子生徒の告白を断ってきた難攻不落の超有名人がわざわざ別校舎の教室まで足を運んできたのだ。一つの事件である。
しかも、祈鈴の目的が響に会うためとなれば、彼らの関心が高まるのも当然だった。
「音倉くんって九重さんに告白したんだよね?」
「あいつ、フラれたって聞いたぞ」
「じゃあ、なんで九重さん、音倉くんに会いに来たんだろう?」
――二年の首席が一年の首席で学園のアイドルの九重祈鈴に告白してフラれた。
実のところ、その噂はまだとけていない。
あれから教室で話題になることもなかったので、響は誤解をとこうともせず、放ったままにしていたのだ。
したがって噂はいまだくすぶった状態。それがいま再燃しようとしていた。
「突然、訪れてすみません」
祈鈴が周りの視線を気にすることなく口を開いた。
美しく整った顔立ちにはどこか陰りがある。
申し訳なさそうな、まるで後ろめたさを感じさせる面持ちだ。
「別に構わないよ。……場所変える?」
一方、響は周りの視線を気にしながら、言葉を慎重に選んで言った。
祈鈴とLINEでやりとりする間柄になったことは誰にも知られていない。希海にだけはいろいろと知られてしまったが、ここでは関係のないことだ。
おそらく祈鈴が会いに来たのはファミレスの件でのことだろう。うっかりそのことを周りに聞かれでもしたら、またありもしない噂が立つどころか、祈鈴に迷惑をかけてしまうかもしれない。
そう思って、響は提案したつもりだったのだが……。
祈鈴は口をつぐんだまま、首を横に振った。思いつめた表情に、響はそこまで祈鈴に責任を感じさせてしまったと心を痛めた。
生活費をバイト代だけで工面していた響にとって、バイトをクビになったのは大きな痛手だ。死活問題と言ってもいい。
けれど、その問題もすでに解決している。むしろ好待遇好条件のバイトが見つかって、結果だけ見れば逆に良くなったくらいだ。
ならば、祈鈴の心を少しでも軽くさせるためにも、そのことだけは伝えておくべきだと響は考えた。
「実は新しいバイトが見つかったんだ」
――だから、祈鈴さんは責任を感じる必要はないよ。
響は気にしてないと言わんばかりに、あっけらかんと笑って見せた。
周りは急に世間話を始めた響に、しらけ気味だ。期待していた色恋沙汰はまったく感じられず、面白がっていた連中も残念がっている。
しかし、
「そうだったんですね。それは良かったです」
――あれ?
響が思っているより、祈鈴の反応は普通だった。
どちらかと言えば、バイトの件はあまり気にしていない、そんな感じだ。
「どうかしましたか?」
「いや、なんでもないよ」
響は恥ずかしくなった。祈鈴が責任を感じて来たものばかりと思った自意識の過剰さに、身が悶える思いだった。
――なら、どうして思いつめた表情を?
「響先輩に聞いて欲しいことがあります」
祈鈴が真剣な眼差しで響を見据えた。
淀みのない双眸が、響をドキリとさせる。
「ねえ、いま音倉くんのこと響先輩って言ったよね?」
「そう言えば、さっきもそう呼んでなかった?」
「え~なになに? 二人はすでにそういう仲なの~?」
「まじ音倉うらやましすぎ……」
祈鈴の一言で周囲がざわつきを取り戻す。
まるで今から公開告白でも始まるような雰囲気で、緊張感が漂い出し、誰もが固唾を呑んで見ていた。
「えっと、なにかな……」
響が訊ねる。
と、祈鈴が胸に手をあて、小さく深呼吸し、そしてゆっくりと口を開いた。
「私、響先輩のこと――」
「なんだよ、響。ちゃっかり学園のアイドルとうまくやってんじゃねえか」
響の背後から健がひょっこり顔を出した。
ニヤニヤと軽薄な笑みを浮かべている。
誰もが期待する瞬間に一人の男が空気を読まずに入り込んだのだ。
「ちょ、な、なにしてんのよ健」
健と一緒についてきた茜が慌てて止めに入る。
「え~、別にいいじゃん。なんか面白そうじゃね? だって響、学園のアイドルに告白してフラれたんだろ? その相手が会いに来てんだから興味あるじゃん。で、二人はどういう関係?」
「少しは空気読みなさいったら!」
茜がぷんすか怒りながら、響から健を放そうとする。
健はまったく気にする素振りも見せず、へらへらしたままだ。
「そーいう茜のほうが本当は知りたいんじゃないのか?」
「な⁉ そ、そ、そんなわけないじゃない。っていうか、いくら空気読めないからって、あんたらしくないでしょ! それに――」
茜が健の腕をぐいっと引っ張りながら声を大きくしてカミングアウトした。
「音倉くんが九重さんに告白してフラれたのだってデマじゃない!」
周囲が再びざわつきだす。
「え? あの噂ってデマだったの?」
「音倉くん、九重さんに告白してなかったってこと?」
「でもあの委員長が言うんだから本当だよね」
茜は嘘のつけない真面目な性格でクラスの誰からも信頼されている。
その茜の言葉は響の誤解をとくには効果覿面だった。
「あ~そうだったかな」
わざとらしい態度で健は茜の頭をぽんぽん叩いた。自然としめしめ顔になる。
茜は自分が健の思惑にのせられているとは知らず、ぷんぷんしていた。
「なんだ、やっぱりね」
「だと思ったぁ」
健の機転が響の誤解をとき、周囲のお祭りムードを静めてしまった。
そんな中ただ一人だけ、反応を別に示す生徒がいた。
「――デマ?」
祈鈴が茜の言葉を聞いて、首を傾げて見せた。
すると「ああ」と思い出したかのように手をぱちんと叩いて、にこりと笑みを浮かべて言い出した。
「確かに告白の件は、そちらの先輩方がおっしゃる通り間違いです。私が勝手に勘違いしてしまったことです。むしろ私の方が響先輩にお誘いをして断られたくらいですから……」
「「「――へ?」」」
一瞬、周りが凍りついた。
誰もがぽかんとしている。
健の動きが止まり、茜は目を丸くしている。
響は背中に嫌な汗が浮き出るのを感じた。
「きゃーーーーっ‼」
と、黄色い歓声が沸き起こる。
男子生徒から野次やら罵声まで降ってくる始末だ。
その騒ぎを聞いて、他の教室からも生徒たちが何事かと顔をのぞかせていた。
もはやお祭り騒ぎどころではなかった。
「おまっ、学園のアイドルに告白されたのかよ! それ聞いてねぇぞ!」
助け舟を出していたはずの健が一番に響に食いかかる。
「だからどうしたらそうなるんだい⁉」
「ちくしょ、羨ましすぎだろ! おまえだけは違うって信じてたのに~!」
「だからそうじゃないって!」
「お、お、音倉くんっ! 九重さんに、こ、こ、告白されたのっ⁉ どうなのっ⁉」
茜が必死の形相で響に問い詰めた。
「藤森さんまで⁇」
「響!」「音倉くん!」
「誤解だって~!」
響は健やら茜やらクラス中から質問攻めを受ける羽目となり、祈鈴の用件を聞ける状況でもなく、結局ホームルームを始めにやって来た担任教師が現れるまで解放されることはなかった。
――ぺこん。
携帯電話が鳴った。
画面を見ると、LINEに一文だけメッセージが届いていた。
『今日の放課後、校舎裏の木の下で待ってます』
***
――放課後。校舎裏。
夕焼けに染まる大樹の下。
定番の告白スポットで、二人の若い男女が向き合っている。
一人は、顔立ちは整っているが、あまり印象に残りそうにない、真面目そうな男。
一人は、顔立ちは絵に描いたように美しく、誰もが完璧と認めるだろう美貌を持つ、お嬢様育ちな女。
傍から見れば、男が女に告白しそうな光景。
けれど、どこか様子が違う。
男の手には女から受け取った封筒があった。
中から、折り畳まれた一枚の紙を取り出す。
広げて、その内容を確認する――と。
「え?」
男の口から思わず驚きの声が出た。
目を見開き、見返す。見間違いじゃない。
女を見る。
女は男の反応を見て、幸せそうに笑みを浮かべている。
その表情にはどこか余裕さえ感じられる。
動揺を隠せないのは男のほうだった。
「これって……」
「はい」
訊ねる前に、女が返事で答えた。
「その……あれだよね」
「はい」
女は笑みを浮かべたまま答える。
「……これを僕に受け取って欲しいって言ったように聞こえたんだけど」
「はい」
女はこくんと頷く。
「それってつまり――」
「はい」
と、男がすべてを言い切る前に、女が返事で遮る。
「私は本気ですよ? 響先輩」
女はクスクスと笑う。
からかわれているわけでもない。
もっとも、彼女がそんな冗談を言うようなタイプだと思っていない。
男の視線が手元に戻る。
実物をこの目で見るのは初めて。知識で知っている程度で、自分にはまだ縁の遠いものだと思っていたものだ。
やはり見間違いじゃない。
おそらく本物。
――婚姻届。
女はにこりと微笑む。ほんのり頬を朱く染めて、まるで天使のような面持ちで。
けれど、その黒い瞳には輝きはなかった。
女は言った。とても落ち着いた口調で、嘘偽りなく本当の気持ちを言葉で紡いだ。
「響先輩。私と結婚を前提にお付き合いしてください」
それは音倉響にとって本当の災難の始まりでもあった。
読んでいただきありがとうございます。