17話 これから……
長らくお待たせしました。よろしくお願いします。
デート編その④です。2話分を1話にまとめたため、長めになっています。
*16話再投稿版を未読の方は、先にそちらをご覧になっていただけると助かります。
*本話は演出上、改行を多用している部分があります。ご了承ください。
「ねえ、響くんって高校生だよね?」
響がバイトをクビになった経緯を話し終えると、希海がなんとも複雑な表情を浮かべて訊いてきた。
「……一応、高校生してますが」
「そういうトコだよ、響くんっ」
希海が響に向けてビシッと指を差す。
「響くんは高校生なのに達観しちゃってるよ。別に響くんが悪いわけじゃないんだし、もっとガツンと言っちゃってもいいくらいなのに。それを大人しく身を引いちゃうなんて、響くんは物分かりが良すぎだよ」
「僕がこれ以上言っても事を荒立てるだけじゃないですか。バイト先のみんなに迷惑はかけられませんし」
「……響くんって本当に高校生なんだよね? ……なんだか私のほうが感情的になってる気がするぅ」
「まあ、そこは希海さんですから」
「それ、ぜったいに褒めてないよね? 私だからって理由が分かんないんだけどぉ??」
「希海さんらしくて羨ましいって意味です」
「むむ。やっぱり褒められてる気がしな~い」
面白くなさそうに、希海はコーヒーの入ったカップをすする。
……すすりながら、チラッ、チラッと響に眼差しを送ってくる。
「なんですか。なんかものすっごく何か言いたそうな顔してますけど?」
「わかってるくせに~」
「わかりたくもないです」
すると、希海がカップを置き、響ににこにこ顔を向けてきた。
「ところで響くん。無職になっちゃったね」
「むぐっ」
「確か、響くんってご両親から最低限の仕送りしかもらってないんだよね?」
「むぐぐっ」
「これからどうするのかなぁ?」
今日一番のにこにこ笑顔を向けてきた。
「……なんとか考えます」
響がアルバイトを始めたのは自分で生活費を工面するためだ。
一人暮らしを望み、自分から学費以外はなんとかすると言い切ってしまった以上、今さら親に生活費をせびるわけにもいかない。
切り詰めれば少しの間くらい生活していける貯えは残っているが、それでも今度の給料を当てにしていたのも事実だ。
つまり、本音を言えば、今すぐにでも次のバイトを見つけたいくらいピンチな状況に追い込まれていた。
ぎこちない響の返事が、希海を小悪魔めいた表情に変える。
「ね~、響くん。私、すっごく条件のいいバイト知ってるんだけど、知りたくない?」
「……」
「知りたくな~い?」
希海の魂胆は見通すまでもなかった。
追い詰められた響は背に腹は変えられないと観念する。
「……知りたいです」
「どうしよっかな~」
目線を逸らし、希海が意地悪く勿体ぶって言う。
「教えてください、希海さん。お願いしますっ」
響は頭をぺこりと下げた。
その行動に戸惑う希海。
「えっ⁉ や、やめてよ響くん。冗談なんだから。響くんがなかなか“うん”って言ってくれないから、ついからかいたくなっただけなんだから」
「生活がかかってる僕に出し惜しみしてる余裕はないってことです。それに」
響は顔を上げ、にこりと微笑む。
「僕も希海さんをついからかいたくなっただけですから」
「……」
希海の頬がほんのりと赤くなった、気がした。
それを隠すように、希海が再びカップを口に運び、もごもご呟く。
「……もう。響くんのそういう大人になれちゃうところ、お姉さん的に面白くな~い。……でも、その潔さはお姉さん的にポイント高いんだよなぁ」
希海はカップを置いた。
「響くんの頼みだもんね。ここはお姉さんが一肌脱ぐとしますか」
そう言って、喜色満面の笑みを浮かべた。
「じゃあ、今から面接を始めま~す」
「面接?」
「当然だよ。響くんが私の主夫に相応しいかどうか見定めなくちゃいけないもんね」
「はあ……」
「始めるよ? 心の準備はいい?」
「……はい。よろしくお願いします」
のりのり気分の希海に合わせる響だった。
こほんと希海が咳払いする。
「では音倉響さん」
「はい」
「私からの質問は一つです」
「はい」
「その後輩の女の子とはどういう仲ですか?」
「……えっ、はい?」
響は予想外の質問に面食らった。
「ストーカーを追い払うために付き合ってるフリまでしたその子のこと、響くんはどう思ってるんですかぁ?」
「それ、バイトの面接に関係ありますか?」
「あるよ! ありまくりだよ! 私にはその返答次第で合否を決めかねないくらい重要なことなんだからねっ。で、どうなの?」
希海がぐいっと前にのめり出し、つぶらな瞳で問い詰める。
可愛らしくも端正な顔立ちが眼前まで近づき、響は昨晩の事故を思い出して顔を逸らさずにはいられなかった。
「むむ。あやしい反応。これは見直す必要がありそうだね」
「希海さんにそんな間近で見つめられたら、思わず顔を逸らしちゃいますよ」
「どうして私が見つめたくらいで顔を逸らしたくなるのかなぁ。失礼しちゃうなぁ」
「……自覚ないんですか。希海さん、すごく綺麗じゃないですか」
「――え? 私がキレイ?」
本当に自覚していなかったのか、希海は呆けた顔でイスにぺたんと腰を戻す。
「希海さんは美人だって前から言ってたつもりですけど」
「てっきり近所付き合いを円滑に進めるお世辞なのかなって思ってた」
「僕はそこまで器用じゃないです。加えて言っておきますが、彼女は高校の後輩ってだけで、それ以上でもそれ以下の間柄でもありません」
「なら、器用じゃない響くんはどうしてその子のこと助けてあげたの? 困ってたから?」
「……そうだと思います」
「ホント、に?」
「嘘ついてどうするんですか」
「下心とかなかったの?」
「だから、どうしてそうなるんですか」
いまだ疑いの眼差しを向ける希海。その子供っぽく拗ねた表情が可愛らしく、響は希海の新たな一面を知って得した気分になった。
「下心はありませんでした」
「――そう、なんだ」
響の言い切る言葉に、希海が安堵のような微笑みを見せる。
「じゃあ、最後にもう一つだけ質問です」
「……一つだけじゃなかったんですか?」
「かたいこと言わないの」
希海が髪を指でいじりながら、チラ目で響に訊ねる。
「今日、私に付き合ってくれたのは、私が困ってたから?」
「え?」
「そこに下心はなかったのかな?」
響の喉がうぐぐと鳴る。
さすがに響もその質問の意図が分からないほど鈍感ではない。
――これじゃ、まるで希海さんが僕に気があるみたいじゃないか。希海さんが僕なんかを⁉ いやいや、ありえないでしょ。
「ちなみに私は下心あったけどね」
「……えっと、すごく反応に困るんですが」
「響くんの率直な気持ちを聞かせて欲しいなぁ」
ここではぐらかすほど響は野暮でなく、ふうっと息をついてから、本心を語った。
「今日は終始、希海さんに振り回されっぱなしでそんな下心を抱く余裕なんてありませんでしたよ。怪しげなバーに連れていかれたり、高そうなブティックに連れていかれたりで、それもすべては希海さんが酔っぱらって部屋の鍵や財布を置き忘れたのが原因じゃないですか」
「うう、ここでそれを持ち出すのは卑怯だよ、響くん」
「でも。……それでも僕はなんだかんだ思いながらも希海さんとのデートを楽しんでましたから、下心はなくても浮かれた心はあったかもしれませんね」
「……もう。やっぱり響くんは卑怯だよ。そんなこと言われたら、これ以上追及できないじゃん」
「追及するつもりだったんですか?」
「どうだろうね」
えへへ、と希海がとぼけるように笑った。
――それなら、そんな笑顔を見せる希海さんだって十分すぎるくらい卑怯ですよ。
と、響が心の中でそっと呟いたことを希海は知らない。
「これで面接は終わりで~す。では続いて結果発表で~す。結果は……デケデケデケデケ、じゃじゃ~んっ! おめでとうございま~す! 音倉響さん、あなたは見事、採用で~す。パチパチパチ~!」
一人拍手して盛り上がる希海。
「ありがとうございます……」
それに苦笑で答える響だった。
「というわけで、今日からさっそく働いてもらおっかなぁ」
「って今日からですか?」
「バイトなくなったんだし、このあと予定ないでしょ?」
「まあ、そうですけど」
「する? しない? 休日手当つけるよ?」
「……させてください」
「うん、よろしい。では最初のお仕事は、なんと部屋のお掃除で~す!」
「部屋の掃除って、希海さんのですよね?」
「他に誰の部屋があるの?」
「それはそうですけど、……その、僕が掃除してもいいんですか?」
響が遠慮気味に訊ねると、希海はきょとんとしながら首を傾げた。
「どうして?」
「どうしてって、その、希海さんだって見られたくないものがあるんじゃないんですか? 僕だって一応、男ですよ?」
「もしかして下着とか気にしてるの? あはは、響くんはウブだなぁ」
「そういうことじゃなくてですね」
「大丈夫っ。響くんになら見られても全然平気だよ」
「そこは気にしてください」
すると、希海がふふんと鼻を鳴らし、得意げな顔して響に言った。
「だって響くんには下着なんかよりもっと恥ずかしいトコ見られちゃってるんだもん。今さら隠すものなんてないよ」
「――っ!」
響の顔がかあっと熱くなった。
今朝の出来事が脳内に蘇ったからだ。
あのご褒美とも呼べる出来事は、異性の免疫が薄い響にとって思い出すだけでもかなり刺激的だった。
「それともまだ見足りなかったのかな? なぁんだ、だったらそう言ってくれたらいいのに~。響くんが望むならいくらでも見せてあげるよ~」
「か、からかわないでくださいっ」
「ぷぷ。かわいいな~、響くんは」
響のあたふたする態度を見て、希海が満足そうに笑う。
「なら、僕だって遠慮しませんから。希海さんの部屋を徹底的に掃除させてもらいますので、希海さんこそ後悔しないでくださいね」
「後悔なんてしないよ~だ。じゃあ、響くん、はい!」
希海は右手の小指を響にくいっと差し出した。
「契約しよっ、私と響くんの。契約書にサインってわけにはいかないから、指切り!」
「ああ……」
響は希海の意図を汲み、響も小指を差し出す。
互いの小指が絡まると、二人は指切りで契約を交わした。
「これで契約完了だね。よろしくね、私の主夫さん」
「こちらこそよろしくお願いします。僕の……雇い主さん」
「そこは彼女とか、奥さんとかでもいいんだけどなぁ」
「約束、反故にしますよ」
「うそうそ、冗談だって」
二人はけらけらと笑った。
「これから楽しくなりそうだね、響くん」
「……言っておきますけど、契約期間は次のバイトが決まるまででお願いします」
「ええっ! そんなのないよ~」
「冗談です」
「も~、響くんの意地悪っ!」
二人は再びけらけらと笑った。
「ねえ、響くん。私思ったんだけど、その後輩の女の子、響くんのこと好きなんじゃないかなぁ」
「――え?」
不意打ちに放たれた希海の言葉に、パスタをすくう響の手が止まった。
「じゃなきゃ、響くんにそんなこと頼まないよね?」
「いやいや、ありえないです。その子、学園のアイドルって言われてるんですよ? 僕なんかじゃ釣り合わないですって」
「……つまり、すっごく可愛い子なんだぁ」
「どうして、そんな目で僕を見るんですか」
「もしだよ、その子が響くんのこと好きだって言ってきたら、響くんはどうするつもりなの?」
「どうするもなにも……」
響は祈鈴のことを思い浮かべた。
その可能性をまったく考えなかったわけではない。そもそも、響は祈鈴に対して特別な感情を抱いてるのかどうかさえ、実のところ響自身分からずにいた。
それに、彼女は学園のアイドル、高嶺の花だ。
「祈鈴さんが僕を好きだなんてありえませんよ」
「……いのり?」
希海の表情が固まった、かのように響は見えた。
「その後輩の女の子、“いのり”って名前なの?」
「そうですが……」
「後輩ってことは、響くんの一つ下だよね。名字を訊いてもいいかな?」
「……九重ですけど、希海さん、知ってるんですか?」
「ここのえ……いのり……」
希海が珍しく真剣な顔してその名前を繰り返す。
「希海さん?」
響が訝しんで呼ぶと、希海はまたいつもの笑顔に戻り、手をぷらぷらさせて笑い始めた。
「あはは。なんかどっかのお嬢様みたいな名前だね~」
一気に空気が和んで、響は拍子抜けする。
「実際に大企業の社長の娘らしいですから、お嬢様ってのはあながち間違っていないと思いますよ」
「やっぱり~。いるんだね、そういう人。可愛くて家がお金持ちで、きっと勉強もできちゃうんだろうなぁ」
「首席で入学したそうです」
「ほほう~。なんだかんだ言って、その子のこと詳しいじゃない。ヒ・ビ・キくん?」
「違いますよ、友人の受け売りです。それに彼女と知り合ったのはまだ最近の話です」
ふぅん、と希海は面白くなさそうにカップの縁を指でなぞる。
「でも、すべてを手に入れちゃってる人って、一体何を望むんだろうね?」
「すべてをですか?」
希海らしくない言葉に響は聞き返すと、希海は首を横に振った。
「ううん、なんでもない。そんなことより早く食べて帰ろ! 響くんにはこの後、私の部屋の掃除って大事な仕事が待ってるんだよ?」
「そうでしたね」
希海がリゾットを食べ始め、響も気を取り直してパスタを食べ始めた。
パスタをフォークでくるんと巻いて口に運び、もぐもぐと味う。綾瀬の電話から食事が中断していたため、パスタは冷めてしまったがまだ美味しく感じられた。
「……」
「……」
しばらく、二人の間に沈黙が続いた。
――クスッ。
響ははっと顔を上げた。
目の前にはリゾットを頬張る希海がいる。まるでリスみたいだ。
「ほぶっ? ぼうじだぼう?」
「なに言ってるのか分からないんですけど」
ごくんと口の中を呑み込む希海。
「どうかしたの、響くん?」
「いえ、別に……」
一瞬、くすり笑う希海の声を聞いた響だったが、希海の素っ頓狂な顔を見て、気のせいだったと思い直す。
食事を続けていると、希海がガタっと立ち上がった。
「ごっめ~ん、響くん。ちょっと離れるね~」
「どこに行くんですか?」
「んもうっ。女の子にそんなこと聞いちゃダメだよっ」
「……あ、すみません」
希海はふふんと鼻歌しながら店内の奥に入っていった。
希海の姿が見えなくなると、響は気の抜けたかのように大きくため息を吐いた。
そしてバイトをクビになって落ち込む以上に、自分が希海とのこれからに浮かれてしまっていることに気づいた。
――希海さんの雇われ主夫かぁ。なんだか妙なことになっちゃったなぁ。
それでも響は心なしか希海とのこれからに淡い期待を抱いていた。それは長らく忘れていた感情から決して遠いものではなかった。しかし……。
――だめよ、兄様。
響の耳元で忌まわしい記憶が囁きかける。
――兄様が誰かと幸せになるなんて、私は絶対に認めないから。
忌まわしい記憶が芽生えかけた感情を楔で縛りつけていく。
――わかってるよ。
希海のいないテーブルを前にして、響は心の内で自分に言い聞かせる。
――この感情は違う。だから決して間違えるんじゃない。いいな、響。
再び冷めたパスタを口に運ぶ。冷めたパスタがまだ美味しく感じられたことに、響は唯一の救いと、そして悔恨を覚えるのだった。
「これから楽しくなりそう……か」
***
――パタン。
扉が閉じられた。
ガチャリ、と鍵がかけられる。
狭い客用トイレ。オレンジ色に暖かく照らされた室内に人の気配はない。
彼女はコツコツと靴音を立てて歩き出すと、洗面台に向かった。
蛇口のレバーを引いて、手を洗い始める。
ごしごし、ごしごしと。
ハンドソープを何度もつけ、何度も洗い流す。
「あぁ~あ」
彼女は独り呟いた。
「やんなっちゃう。ほんと、やんなっちゃうなぁ」
指の隙間を洗いながら、手の隅々まで綺麗にしていく。
「はあ~……」
彼女は深いため息をついた。
蛇口から水が勢いよく流れ、彼女は目の前の洗面鏡を覗く。
そこにはよく見知った顔が映っていた。
彼女が嫌う、誰もが知っている、彼女の笑顔。
虫唾が走る思いだった。
視線が自然と両手に向く。
その動きは止まっていた。
「……あはっ」
彼女の口から小さな声が漏れ出す。
「……あはっ、……あはっ、……あははっ」
それは徐々に大きくなっていき、やがて、
「あはははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははっ!」
彼女は腹の底から嗤い出した。
「最高! 最高だよ!」
彼女は嘲う。
「なんて最高の気分なの! うっかり吹き出しちゃったじゃない! あはははははっ!」
濡れた手のまま、彼女は高値の服が濡れるのをお構いなしに腹を抱えて嗤う。
「こんな偶然、あるものなのね。因果応答とはよく言ったのものだわ。まさか、あの子のお気に入りが彼だったなんて。最高じゃない! あははははっ!」
彼女は嗤いを止めない。
いや、溢れ出る嗤いを止められなかった。
蛇口から流れ出る水と同じように。
この感情は抑えきれない。
ああ。どうしよう、すごく楽しい。
――シンゾウガ、コワイクライニ、ワクワクスル。
✕✕。
彼女は再び洗面鏡を覗いた。
そこにはよく見知った顔が映っていた。
彼女が好む、誰にも見せない、彼女の素顔。
嗤いが止み、彼女の唇がうっすらと三日月状に、
――歪んだ。
「うふふ。本当に、これから楽しくなりそうだね。
……響くん」
読んでいただきありがとうございます。