16話 ✕✕になりました……
長らくお待たせしました。よろしくお願いします。
デート編その③です。後半部分を大幅に加筆修正した16話の再投稿になります。
「……ねえねえ、あの二人、見て」
「うわっ、すっごい美男美女のカップル。初めて見た」
「なにあれ、モデルとか? やばくない?」
ここは繁華通りのど真ん中。通りに面したカフェのオープンテラス。
通りを歩く人たちの視線を一身に浴び、響はグラスの水をごくんと飲んだ。
――気まずい。
ちらりと対面に座る希海に目を向ける。
木製のテーブルに置かれたチーズリゾットを美味しそうに頬張っていた。
響にはオマール海老のパスタが置かれている。とても美味しそうだが、響の食はあまり進んでいない。
「響くん、もしかして口に合わなかった?」
料理の減らない皿を見て、希海が訊ねる。
「あ。いえ。美味しいです」
こんな状況でなければ、と出そうになった言葉を口でチャックする。
つい20分前。高級ブティックで買い物を済ませ、希海に連れられてこのイタリアンのオーガニックカフェにやってきた。少し遅めのランチをとるためだ。
店内は木と緑に囲まれたナチュラルな温もりを感じる雰囲気に包まれている。女性受けしそうな店で、実際に客のほとんどが女性だ。
その女性客、さらには女性店員までもがこちらに視線を向けている。
モデルや女優で通用する美貌とスタイルをもつ希海がブランドもののオシャレな服を着ていれば、羨望と憧憬の眼差しを集めるのは当然のこと。
響の誤算は、自分が希海のおまけ扱いにされなかったことだ。
希海に買ってもらった服を着て、咲子に髪をセットしてもらった響の容姿は自分でも驚くほどに変貌を遂げた。
今の響は、希海に釣り合うくらいのイケメンに成り果ててしまったのだ。
姿見で見たとき、“おまえ誰だ?”と思わずツッコミたくなったくらいである。
それでも中身まで変わった響ではない。店内や通行人の視線を浴びて平然といられるほど鋼の神経を持っているわけでもなく、響はせっかくの料理を味わうことができなかった。
――気まずすぎる。
響はグラスの水を一気に飲み干した。
「希海さん、テーブル変えませんか?」
「ん~、どうして?」
きょとん顔で訊き返されてしまった。
響はこの居心地の悪さをどう伝えようかと考える。
結局、そのまま伝えることにした。
「さっきから色んな人に見られてる気がするんですけど」
「見られてる気がするんじゃなくて見られてるんだよ、響くん」
希海はあっけらかんと答えた。
あまりに平然としているから、見られている自覚がないのかと思ったが、そうでもなかったようだ。
「希海さんは平気なんですか?」
「私? 全然平気だよ。だってカッコよくなった響くんを見せびらかしたくて、この店を選んだんだもん」
希海がえへへと嬉しそうに微笑んで、響を見つめる。
響の顔がかあっと熱くなった。
――ず、ずるいなぁ。そんなこと言われたら、もう何も言えないじゃないか。
響はふーっと息をつく。
「まったく。今日は、希海さんに振り回されっぱなしです」
正しくは昨晩からだが、あの事故は秘めておくと決めたので除外する。
「ふふん、そうでしょ」
「……褒めてませんから」
「たまには響くんに褒めてほしいなぁ」
「なら褒められる大人になってください」
「もう。相変わらず響くんは真面目なんだから」
ふて腐れながら、希海はリゾットを口に運ぶ。
響もフォークにからめたパスタを口でちゅるんと吸い込んだ。
海老のミソを使ったトマトクリームのソースにコクがあって絶品だった。
――うまい。
「響くんと出会ってもう一年か……」
希海が感慨深そうにふと言葉を漏らす。
「早いですね」
響も同調するように頷く。
希海と出会って早一年。益体もない会話を繰り返してそれなりに親しくなり、今ではこうして二人で出かける仲にまでなった。
希海の印象はきれいなお姉さんから世話の焼けるお姉さん、今日に至っては謎多きお姉さんにまで変わっていった。それでも響が希海を慕う気持ちは変わらなかった。
響は再びパスタをちゅるんと吸い込む。
ふと前を見ると、希海が幸せそうにリゾットを食べている。
自然と響の頬が緩んだ。
もし姉がいたら、こんな感じなのかなと響は胸の内が痒くなった。
春の暖かな日差しが気持ちいい。なんだかんだで響は希海とのデートを楽しんでいた。思えば誰かと外食するのは久しぶりのことだった。
「――ねえ、響くん」
希海が甘い声で切り出す。なにか企みのあるにこにこ顔だ。
「……なんですか?」
響は警戒する様子で訊き返す。
「主夫の話、考えてくれた?」
響は目を瞬きさせる。
「えっと、その件は丁重にお断りしたはずですが」
「こう見えて私は諦めが悪いんだよね」
「いや、それは希海さんを見てれば十分に分かりますけど」
「なにが不満なの~? お給料だってちゃんと払うのに~」
「だからです。お金をもらうほど僕は家事なんてできませんし、料理だってそこまで得意じゃありません。希海さんは僕を過大評価しすぎですよ」
「そんなことないって。響くんの淹れてくれるコーヒーはどんなコーヒーより美味しいよ。とりあえず一週間、ううん一日だけでもお試しでやってみない?」
「どうしてそこまで僕に固執するんですか? 希海さんの収入ならもっとちゃんとした人を雇えるじゃないですか」
「私としては響くんが安心なんだよ」
「それに僕にはファミレスのバイトがあります」
「じゃあ、その倍を払うって言ったら引き受けてくれる?」
「――は?」
響は絶句する。もうフリーズに近い。
「料理は三食じゃなくていいし、掃除洗濯だって毎日じゃなく週末だけでいいわ。もちろん、響くんの予定を優先にしてくれて構わないから」
「いやいや、どんなホワイト企業ですか。そんな好条件で高収入のバイト、聞いたことありませんって」
「しかも私が彼女になっちゃうんだよ。すっごくオトクじゃない?」
「それは前にも聞きました」
「響く~ん、私の専業主夫になってよ~」
「うぐっ……」
ごり押しに近い勢いで畳みかけられ、響はたじろいだ。
正直、条件はかなり魅力的だ。一人暮らしの学生の身分としては願ったり叶ったりである。
けれど、ファミレスのバイトに不満はないし、来月から時給が上がるのも決まって、辞める気は毛頭ない。何よりあの綾瀬が簡単に辞めさせてくれるとは思えない。
ならば、一層のこと掛け持ちする手もある。
響は頭を悩ませた。
期待の眼差しを向ける希海。
響が返事をどうしようか迷っていると、携帯電話が鳴った。
携帯をポケットから出して画面を見ると、相手は綾瀬からだった。
なんとも絶妙なタイミングに苦笑いを隠せないまま、響は希海に断りを入れて、電話に出た。
『突然、電話してすまない、響くん。いま、ちょっとだけ話せるかな?』
響は希海を一瞥する。希海は響の電話に気にすることなく、リゾットを咀嚼していた。
「構いませんが……。けど珍しいですね、綾瀬さんが僕に電話してくるなんて」
『ああ、そうだな。……実はその、なんだ。君にどうしても伝えなくてはならない用件ができてだな……』
言葉を濁す綾瀬。響は眉根をひそめた。
「……どうかしたんですか?」
その問いに、電話越しから綾瀬の息音だけが返ってくる。
しばしの沈黙が続く。
「綾瀬さん?」
『す、すまない。私もどう伝えればいいのか困惑してしまってだな。……そうだな、こういうことはあれこれ悩まず、単刀直入に伝えるべきだよな、うん……』
「――?」
なんとも歯切れが悪く、綾瀬らしくない反応だった。
『……響くん。落ち着いて聞いて欲しい』
重い口調で綾瀬が告げ始める。
『今日、本社にクレームがあったんだ』
「クレーム、ですか?」
響はその言葉を耳にして、一抹の不安を覚えた。
『内容は昨晩の騒動と言えば察しがつくだろう』
「昨晩の……」
察するまでもなく、心当たりは一件しか思い浮かばない。
昨晩、響は偶然かバイト先にやってきた祈鈴と出会い、彼女の家庭教師である綿貫にストーカー行為をされている事実を知った。そこで響は祈鈴を助けるために祈鈴と恋人のフリを演じ、その結果、綿貫と一悶着が起きたのだが……。
「彼が何か言ってきたんですか?」
『いや、クレームは君の後輩と一緒にいた男性の父親からでね、会社を訴えると言い出したんだ』
「訴える⁉」
響は思わず口をしたそれに後悔する。
希海の様子を覗うと、案の定、きょとん顔でこちらを見ていた。
「ど、どうしてそんなことに?」
自然と響の声が小さくなった。
『どうやら君たちが偽物の恋人同士だと相手方にバレてしまったようで、婚約を解消させるために息子を騙したのかって酷く腹を立ててしまったんだ』
「まじですか……」
最悪と言わんばかりに、響は顔を引きつらせる。
『もちろん、本社に君たちの事情を伝えたんだが聞く耳持たずで、そのうえ責任を私たちに押し付けてさえきてな』
「なっ!」
響は言葉を失った。
いくら祈鈴を助けるためだったとは言え、今回の件で綾瀬たちに多大な迷惑をかけてしまったことを知り、響の心は穏やかでなくなった。
『でも、そこは安心してくれ。その後に君の後輩が相手方に事情を説明してくれてな、とりあえず訴えは取り下げてくれたんだよ』
「そ、そうですか」
それを聞いて響はほっと胸を撫で下ろした。
『……ただね、響くん。それでも会社としては今回の騒動の原因となった君をこのまま雇うわけにはいかないって言ってきてね……』
「――え?」
『も、もちろん飛躍しすぎてバカげた話だ。私や店長もその処遇については抗議したさ。……けれど会社のそれは表向きの対応で、本当は相手方にも面子があって黙って引き下がるわけにもいかず、譲歩する条件として会社に君の解雇を要求してきたようなんだ』
「……それってつまり」
『理不尽なのは分かってる。分かってるが、こればかりは受け入れてくれなくて……。くそっ、自分の無力さがまったく嫌になるよ』
綾瀬の悔しさを噛み締める声から、響は自分の置かれている状況を否応なく理解した。
であれば、響の答えは一つだった。
これ以上は綾瀬たちに迷惑や負担をかけられない。
大人しく身を引くことが一番の解決策だと響は判断した。
「話は分かりました。なんか僕のためにそこまでしてくれて、すみません」
『なっ。響くん、諦めちゃダメだ。私たちももう一度本社にかけ合ってみるから――』
「いいんです。別に今のところそこまでお金に困ってるわけでもないですし、それにまた新しいバイトを探せばすむだけのことですから」
『響くん、君ってやつは……』
「これでも綾瀬さんには色々と感謝してるんです。ですから、綾瀬さんは気にしないでください」
ぐっ、と綾瀬の嗚咽とも呼べる詰まり声が聞こえた。
「今までお世話になりました。綾瀬さん」
『――響くん、本当にすまない』
そう言い残して、綾瀬からの電話が静かに切れた。
ふうっとため息を捨て、携帯を持つ手がぶらんと垂れさがった。
響は消沈した面持ちを浮かべそうになったが、すぐに気を取り直し、
「えっと、すいませんでした。ちょっと話し込んでしまって」
と、何事もなかったかのように平然とした面持ちを希海に向けた。
希海は食事を止め、響をまっすぐ見つめていた。
「……響くん」
「はい」
「なにかあったの?」
「たいしたことじゃないですよ」
「ねえ、響くん」
「はい」
「我慢はよくないよ?」
「え?」
「響くんのプライベートのことだから話してとまでは言わないけど、でも、響くんを甘えさせてあげることくらいなら、私がしてもいいよね?」
「――っ!」
響はその言葉に胸を打たれる思いだった。
――ホント、ここでそのセリフは非常識なくらい反則ワザですよ希海さん。
響は降参すると、自虐気味な笑みを浮かべ、他人事のように答えた。
「希海さん。僕、バイトクビになりました……」
読んでいただきありがとうございます。
次回でデート編終了です。