14話 ✕✕したかったんだもん
よろしくお願いします。
希海とのデート編その①です。
ガタンと揺れた。
「希海さん。上着、探さなくていいんですか?」
「知りませ~ん」
「希海さん。その格好のままでデートするつもりですか?」
「知りませ~ん」
「希海さん。……いったい、どこに向かってるんですか?」
「知っりませぇ~ん」
「……希海さん。もしかして……すっげぇ楽しんでます?」
「うん。すっごく楽しんでるっ!」
「ひらきなおられたぁぁっ⁉」
ガタンと揺れた。
市街地を離れて今は高速道路のどこか。かれこれ30分以上タクシーは走っている。
響はタクシーの料金メーターをちらりと見た。けっこうな金額になっている。
「希海さん、お金は大丈夫なんですか? 僕、そんなに持ち合わせないですよ?」
「へーき、へーき。今日の支払いは全部この頼れるお姉さんに任せなさい!」
豊かな胸を張って、えっへんする希海。シャツのボタンがぷち飛びそうだ。
「じゃなくて、希海さんの財布って、携帯や部屋の鍵と同じで上着の中ですよね?」
「そうだよ」
「ってことは、今、お金持ってませんよね?」
「そうだね」
響の顔が引きつる。無銭乗車で捕まるのだけは勘弁してもらいたい。
「あはは。そんな顔しなくても大丈夫だって。せっかくの初デートなんだし、もっと楽しもうよ。ほらもうすぐ、しゃちほこタワーが見えてくるよ~」
能天気に笑う希海。響の不安は募るばかりだ。
行き先を告げられず、響はバイトの時間まで希海と半ば強制的にデートすることとなった。果たしてこれがデートと呼ぶのかさえ疑わしい。
ガタンとタクシーが揺れる。
「さっき、僕の携帯を使って電話してましたけど、どこにかけてたんですか?」
「どこだろうねぇ」
「けっこう遠くまで来てますけど、まだ着かないんですか?」
「どうだろうねぇ」
この調子だ。響がいくら訊ねてもはぐらかされてしまう。
「ほら見て見て、響くん。しゃちほこタワー! てっぺんがしゃちほこの頭だよ、へんてこでしょ~」
希海のはしゃぐ姿を見て、響は無駄な詮索を諦めた。
しばらくして、タクシーは高速を降り、県の中心市街地に入った。響が訪れるのは初めてだ。立ち並ぶビル。賑わう繁華の通り。車の量が増え、歩く人の数も多い。何もかも新鮮で、見てるだけでその忙しない騒々しさに酔いそうな気分だった。
脇道に逸れ、人通りの少ない方へと進む。表通りと違って閑散としていた。見たところ並ぶのは夜の店ばかりだ。飲み屋だったり、18禁っぽい看板が目につく。
タクシーはその一画で止まった。
「すぐ戻るので、ちょっと待ってもらっていいですか?」
希海が運転手に告げる。どうやらここが目的地らしい。二人はタクシーから降りた。
「……ここですか?」
空きビルのように見える。壁がやや廃れていた。
「こっちこっち」
希海が響の手首をつかんで引っ張る。
「ちょ、どこに連れて行く気ですかっ」
「んふ。響くんにはちょっぴり早い、大人の世界かな」
「……え?」
「あはは。変なとこに連れ込んだりしないって」
向かった先はビルの中にある、細長い地下階段だった。コンクリートに囲まれている。響は不安でしかなかった。
階段を下りると、アンティーク調の扉が見えてきた。扉の上には喫茶店で見かけるドアベルが付いている。扉に準備中の札がかけられていた。
希海が扉を開けた。ベルがチリリンと鳴る。
「希海さん、準備中ですよ。勝手に入っていいんですか」
「いいのいいの」
響の制止を聞かず、希海は遠慮なしに中へ入っていく。響はどうすることもできず、仕方なしに希海の後についていった。
中は薄暗かった。奥行きのある空間だが、天井が低くて重苦しく感じる。人の姿はなく、しんと静まり返っていた。
どうやらバーのようだ。ビンテージライトに照らされたカウンターの後ろの棚には、たくさんの酒やワインの瓶が並んでいる。
「不法侵入で捕まったりしませんか?」
「響くんは真面目だねぇ」
「希海さんがお気楽すぎるんです」
「それほどでも」
「……褒めてませんから」
「やっほ~、レイカさ~ん。来たよ~?」
希海が大きな声で呼んだ。
すると、奥の部屋からどすどすと鈍い音を響かせて、誰かが姿を現した。
「あらやだ。のぞみちゃんじゃないのぉぉっ!」
野太い声が店内を突き抜ける。響は声の主の姿を見てぎょっとした。
くねくねのウェーブヘアに厚化粧、赤いドレスの格好は女性の姿だが、響の目には恰幅のいい体格をした厳つい男性にしか見えなかった。
「ひさしぶり、ユウタさん」
「希海ちゃん、私はアンナよ。アンナって呼んでちょうだい」
「そうだったわね、アンナさん」
「ああん、希海ちゃんったら、どうしていつ見ても可愛いのかしら。天使すぎて抱きしめたくなっちゃうわ!」
デレた顔で希海を抱きしめる。感極まっているからか、抱擁に力が入り、希海がアンナの胸の中で苦しそうにしている。
「アンナさん、苦しい」
「あら、ごめんなさいね。うふふふふっ」
アンナが希海を放す。こほこほ咳をする希海。
「だって希海ちゃんがいけないのよ。最近お店に来てくれないと思ったら、昨日私が出勤する直前までお店にいたって聞くじゃない。どうして私が来るまで待っててくれなかったの~」
「昨日は呑むペースが速すぎたっていうか、ちょっとばかり呑みすぎちゃってね」
「いけずぅ。いけずだわ、希海ちゃん。だったら私が送ってあげたのにぃ~」
「ごめんごめん。それは次の機会のときでね」
「約束よぉ。女同士の、や・く・そ・くよ!」
「そのときはお願いするわ」
「……ところで希海ちゃん。気になってたんだけど、希海ちゃんの後ろに隠れて立ってる男の子は誰かしら?」
響は振られてぎくっとする。アンナを見て防衛本能が働いたのか、響は希海の背後で身を潜めていた。
アンナが獲物を物色するような目で響をロックオンする。
響の背中に、なぜか悪寒がぞぞっと走った。
「彼はねぇ、将来、私の主夫になってくれる人なの」
「しゅふ? しゅふってあの主夫ってことかしら?」
「そうよ」
希海がにこっとして答える。
「主夫ですってぇぇっ!」
アンナの顔がたちまち少女漫画に出てきそうな乙女顔に変わる。
「も、もしかして二人は将来を誓い合ってる仲ってことかしら?」
「ふふ。どうだろうね~」
希海は意味ありげに答える。
そこはさすがに響も口を挟まずにいられなかった。
「いやいや、僕は希海さんの主夫になるつもりはありませんから」
「照れなくてもいいよぉ。昨日だって一晩一緒に過ごしたじゃない。私なんて響くんのベッドの上で気持ち良くなりすぎて、その時の記憶とんじゃったんだから」
「誤解を生じる言い方はやめてください」
「え? なに? 一晩一緒? ベッドの上で気持ち良すぎて記憶とんじゃった?」
アンナがぷるぷると震え出す。
「うん。響くんのあれ(朝食)は最高に良かったわ!」
希海がドヤ顔で言った。
「いやああああああああああああああああああああああああああああああああっ!」
アンナが顔を真っ赤にして奇声をあげた。
耳を塞ぎたくなるほどの咆哮が店内中に轟く。
どすどすと鈍い足音を立て、響に近寄ると、アンナは響の両肩をわしづかみした。
「ひいっ」
響はその迫力に思わず悲鳴を上げる。
「あなた、ヒビキくんって言ったわねっ?」
「は、はいっ」
「希海ちゃんとはいつどこで知り合ったの? 告白したのはどっち? 初デートはどこ? 二人の初めての夜(きゃあああっ!)はいつかしら?」
「へ? え?」
「プロポーズはもうしたの? それともこれから? ……あら」
「ひぃぃっ」
アンナが響に顔を近づける。もう目の前だ。
「よく見たら、すごく若いわね。あなた今いくつ? もしかして高校生?」
「そ、そうです……」
アンナの顔が乙女から女に変わる。
「うふふふ、すっごく可愛い顔してるじゃない。私のもろストライクゾーンだわ。ねえ、頬ずりしていい? もうしちゃてるけど」
アンナが激しく響に頬ずりする。響は心の中で絶叫を上げた。もう涙目だ。
「どうしたの? 目が潤んでるじゃない。――はっ! もしかして私にフォーリンラブしちゃったとか? ああん、やっだぁ! そんな目で見つめないでよ。胸がトキめいちゃうでしょ! ……うふっ。でも、あなただったらいつでもウェルカムよ!」
ばしこんばしこんと響の肩を力強く叩く。目が飛び出そうな振動だ。
「でも希海ちゃんに悪いから、あたしは二番目で許してあ・げ・る・わ♡」
響の背中に激しい悪寒が走った。貞操の危機を覚えるとはこのことだ。
「ち、違います。希海さんとはただのお隣さんなだけです」
「二人は恋人同士なんでしょ? 将来を誓い合ってるんでしょ?」
「だから違いますっ」
響は強く断言する。
「え~、そこは希海さんを幸せにしてみせますって言って欲しいのに~」
希海が不満そうに横やりを入れてきた。
「つ、つまり、この子は希海ちゃんと付き合ってないってことぉ~?」
アンナが再びぷるぷると震え出す。
「いやああああああああああああああああああああああああああああああああっ!」
アンナが発狂紛いの奇声をあげた。
「来たわ、アタックチャンスよっ! アンナ、これは最高のマリッジチャンスだわ!」
なんだか妙なスイッチが入ったアンナ。どうも裏目に出てしまったらしい。
「ねえ、ヒビキくんっ!」
「ひゃ、ひゃい」
アンナが響に顔を近づける。必死な形相だ。鼻息が荒い。
「彼女はいるのかしら?」
「ひっ?」
「いま、フリー?」
「ひぃっ!」
「年上は好み?」
「ひぇっ?」
「何歳までだったら許容範囲?」
「ひぇぇっ!」
「ぶっちゃけ、あたしと付き合ってみる気ない?」
「ひぃぃぃぃっ!」
アンナの怒涛の質問攻めに、響は今すぐこの場から逃げ出したい思いだった。アンナの目が“逃がさないわよ”と訴えてくる。
「――それくらいにしておきなさい、アンナ」
奥の部屋から、黒いドレスを着た長い金髪の女性が現れた。
「彼が困ってるでしょ」
「おっはよ、レイカさんっ」
希海が親し気に挨拶する。
レイカと呼ばれる女性の表情はそうでもない様子だ。
「レイカさんに言われたら仕方ないわね。せっかくの若いツバメをゲットするチャンスだったのに、残念だわぁ……」
アンナが名残惜しそうに響を解放する。響は命拾いして、その女性に心から感謝した。
「あなたも面白がってないで彼を助けてあげたらどうなの? 天邪鬼な性根は相変わらずね」
レイカが希海に近づく。
「そんなことないよ~。レイカさんこそ、いつも私に辛辣だし~」
希海がすねた口調で口を尖らせる。
「なら、日頃の自分を顧みることね。あなたが来るまで待っててあげたのよ。少しくらいは感謝してくれてもいいんじゃないかしら?」
「ごめんねぇ、レイカさん。いつも恩に着てます」
希海がウィンクして、ごめんちゃいする。
レイカは渋い顔をした。
「もういいわ。あなたの忘れ物よ」
そう言って、レイカがスーツの上着を希海に手渡す。
希海がぱあと顔を輝かせた。
「これこれ。ありがと~、助かったわぁ」
「酔いつぶれるまで呑んだりして。上着に鍵やら財布やら携帯まで入ってたわよ」
「あはは。もしかして帰りのタクシー代肩代わりしてくれたのって、レイカさん?」
「……全部ツケにしておくわ」
「ありがと、さっすがレイカさん!」
希海は能天気に礼を言う。レイカは呆れ顔だ。
「私が届けてもよかったのに」
「いいの。だって今日はそこの響くんとデートしたかったんだもん」
「デート? あなたが?」
レイカが興味深そうに響を見る。その妖艶な眼差しに響はドキッとした。
「……それで電話で話したとき、あなたから取りに行くなんて言い出したのね。面倒くさがりのくせに、変だと思ったわ」
「えへへへ」
響は希海とレイカの会話から状況を理解する。
どうやら、希海は昨晩この店で酔いつぶれ、スーツの上着を忘れていったようだ。それをレイカが届けてくれるつもりだったのに、響とデートしたいがため自分から取りに行くと言い出したのだ。
――だったら、最初からそう言ってくれたらいいのに。まあ、希海さんらしいと言えば希海さんらしいけど。
「……携帯、何回も鳴ってたわよ」
レイカはぽつりと呟くように言った。
「あ、そう」
素っ気ない返事で返す希海。上着のポケットから携帯電話を取り出し、着信の数を見る。二桁を優に超えていた。相手は全部同じだ。
「時間ぎりぎりまでかけてくるなんて、変わってないわね」
希海は携帯をそのままポケットに戻した。
「昨日は例の日だったのね。呑んでたのはそれが原因?」
「仕事だと思っても、ストレスはたまるんだよねぇ」
「仕事と割り切るつもりなら、それはそれで構わないけど、やけで呑まれたらこっちが迷惑だわ。あなたをタクシーに乗せるのにどれだけ苦労したと思ってるの?」
「レイカさんはいつだって私の味方だもんね」
「時と場合によりけりね。あなたの仕事に口出しするつもりなんてないわ」
「そういう淡泊なとこ、やっぱレイカさんらしい」
「関わりたくないだけよ。あんな想いをするのは二度とご免だわ」
「あはは。あんときはごめんねぇ」
「……私こそ、気づいてあげられなくて悪かったわね」
レイカはちらっと響のほうを見る。
「あなたが男の子と一緒にいるなんて久しぶりに見たわ」
「もしかしてヤキモチ?」
「まさか。彼の心配をしてるだけよ。……どうせ何にも話してないんでしょ?」
と、レイカは響に聞こえないように声のトーンを下げて言った。
「そうだね」
「……本当、あなたって天邪鬼もいいとこだわ。まあ、くれぐれも後悔だけはしないようにね」
「肝に銘じておきます」
レイカは重いため息をつき、希海を見つめた。その眼差しはなんとも複雑だ。
「希海ちゃんっ!」
アンナが血相を変えて割り込んできた。
「ヒビキくん、もろ私のタイプなの! 彼が希海ちゃんと付き合う気ないなら、私がもらっちゃってもいいかしら?」
どうやらアンナは響にお熱のようだ。
希海が目をぱちくりさせる。見たら、響は激しく首を横に振っていた。なんだか妙におかしい。希海はクスリと笑って、天邪鬼らしくイタズラな笑みを浮かべて言った。
「だ~めっ。響くんは誰にも譲る気ありませ~ん!」
読んでいただきありがとうございます。
次回、デート編その②(買物編)に続きます。