13話 ✕✕、とれちゃった
よろしくお願いします。
翌朝。
「響くん。どうして私、響くんの部屋のベッドで寝てたのかな?」
「知りません」
「響くん。私の部屋の鍵が見当たらないんだけど……、知らないよね?」
「知りません」
「響くん。……私って昨日の夜、何してたのかな?」
「知りませんったら」
「……響くん。もしかして……怒ってる?」
「怒ってません!」
「やっぱり怒ってるぅぅっ!」
時刻は午前8時。外は快晴。世間は楽しい日曜日。
……のはずが、響の部屋は気まずい空気に包まれていた。
「……ねえ、響くん」
希海が申し訳ない顔で訊ねる。
「なんですかっ!」
「やっぱり怒ってるぅぅっ!」
「だから、怒ってません!」
しゅんとする希海。さすがにそんな落ち込んだ顔を見せられて、響は態度に出し過ぎたと後悔する。
はあ~と大きくため息をつく。
「なんですか?」
柔らかい口調で響は訊ねた。
「……シャワー貸してもらえる?」
「…………」
「汗かいちゃって。……いいかな?」
「……どうぞ」
「ありがとね、響くんっ!」
ぱあっと満面の笑みで希海が喜ぶ。
――う。ず、ずるいなぁ。そんな顔見せられたら何も言えないじゃないか。
希海はすたすたと洗面所に歩いていった。
昨晩の出来事は、響にとって二度と思い出したくない悪夢となった。トラウマになりかけたほどである。
玄関口で希海がマーライオン化し、辺りは黄金の海となった。
響が酒の臭いと格闘しながら、黄金の海を片付けている間に、当の本人はそのまま眠りについてしまった。
また抱きつかれたり、キスされたり、吐かれでもしたら厄介なので、響は希海をそのまま自分のベッドに寝かせることにした。おかげで響は床に布団を敷いて寝る羽目となった。
そんな状況だ。響がなかなか寝つけれなかったのは言うまでもない。
そして今朝――。
寝不足のまま朝食を用意してると、だらしない姿で起きてきた希海が他人事のように質問を繰り返してきたのだ。さすがの響もお冠になる。
「はあ……」
響は重いため息を吐いた。
自分でも子供じみた態度だったと猛省している。寝不足とストレスが重なり、思わず希海に八つ当たりしてしまった感は拭えない。
ただ響の悩みのタネはそれだけでなかった。
ふとカウンターテーブルに置かれた携帯電話を見る。あれから着信もLINEも届いていない。一件もだ。
――そりゃ、そうだよな。あんな断り方されたらLINEなんてしないよな。
「ふんふん、ふふ~ん♪」
洗面所のほうからシャワーの音とともに希海の歌声が聞こえてきた。
「…………」
意識しないようにしていても、意識してしまうのがお年頃。響は頭を強く振って、邪念を振り払った。
――駄目だ。余計なこと考えないで、今は料理に集中しよう。集中、集中だ。
響は無心になって朝食の用意を続けた。
ぺこん、と携帯電話が鳴る。
「え?」
手に取ると、LINEにメッセージが届いていた。
差出人は、……祈鈴だった。
「なんで?」
思わず口に出てしまう。
画面を開くと、一文だけ。
『おはようございます、響先輩』
昨日のことが何もなかったような挨拶だ。
響は返信を送ろうか考え込む。すると、
『もしかして、もうLINEしてこないと思ってましたか』
ぺこん。
『残念でした。私は響先輩の可愛い後輩のままですよ』
ぺこん。
『昨日、お願いしたことは気にしないでくださいね』
ぺこん。
『ですから、考え込まずに返信してください』
ぺこん。
『ずっと待ってます』
と、続けざまにメッセージが届いた。
ははっ、と笑ってしまう。自然と響の顔がほころんだ。
――まったく。本当にかなわないなぁ。
響は画面をぷにぷに押し、一文だけ送った。
『おはよう』
既読。そしてぺこん、と鳴った。
『よかったです』
「?」
ぺこん。
『嫌われてなくて』
「――ねえ、響くん」
「おわっ!」
希海に声をかけられ、響は声をあげた。
「あ、ごめんね。驚かせちゃった?」
響は慌てて携帯電話をテーブルに置いた。
「今度はなんですか……って、ええっ⁉」
振り向くと、希海が身体にタオル一枚だけ巻いて立っていた。響はぎょっとする。
栗色の髪は半渇き状態。あらわになった両肩から胸元にかけて、湯気が上っている。白い肌のあちこちには弾かれた水の滴が残っていた。
刺激の強すぎる光景に、響は頭がくらくらしそうになる。
「な、なんて格好してるんですかっ」
「お願いがあるんだけど、着替え貸してくれる?」
ごめんちゃい、と言う顔して、希海は頼んだ。
頭痛を覚える響。
「用意しますから、とりあえず洗面所に戻ってください」
「ホントは見てたいくせに~」
「いい加減にしてください」
「あ、見たくないって否定はしないんだぁ」
「希海さんが見せたがってるの間違いじゃないんですか?」
「おお。キミも言うねぇ。じゃあ、迷惑かけっちゃったお詫びにもっと大事なとこまで見せてあげよっか?」
希海がタオルの端をつまむ。
タオルからあふれんばかりの双丘の膨らみと谷間が自己主張していた。
「結構ですっ」
「遠慮しなくていいのに。ほらほらっ」
希海が両腕で胸を挟みながら近づいてくる。今にもタオルからこぼれそうだ。
「ちょ、からかわないでください」
響が顔を逸らし、後ずさりする。
「からかってなんかないよぉ」
目の前まで迫られ、響は目のやり場を困らせる。
希海の身体からシャンプーとボディソープの香りが漂ってきた。
「希海さん、やめてくださいっ」
「ほらほぅら~」
その時、タオルがほどけ、床にはらりと落ちた。
「「……あ」」
硬直する響。
「タオル、とれちゃった」
テヘペロする希海。
平穏な朝に響だけの悲鳴が轟いた。
***
「あはは。ごめんね、朝っぱらから見苦しいもの見せちゃって」
「……いえ、そんなことは……」
むしろご褒美すぎるくらいのものを見せてもらったと、響は有難く思っている。眼福とはこのことだろう。
想像以上にきれいで、予想以上にすごかった。それが響の率直な感想だった。
テーブルに向かい合って座る希海。今は響が貸したボタンダウンシャツとズボンを着ている。シャツの肩幅や袖は少し緩めだが、特定の箇所だけがはちきれんばかりに膨れ上がっている。
響の視線がどうしてもそちらに向いてしまう。仕方がない、なんだかんだ言って彼もやっぱりお年頃なのだ。
「まあ、役得ってことでね」
「それ、希海さんが言うセリフじゃないです」
「あはは。そうだね~」
希海が能天気に笑う。裸を見られても気にする素振りなく、テーブルに並べた朝食をパクパク美味しそうに食べている。
「それにしても響くん、料理できるんだね~。さっすが私の主夫」
「目玉焼きにトーストなら誰だって作れますよ」
「え? 私、目玉焼きなんて作れないよ」
きょとんと首を傾げる希海。本気のようだ。
「希海さん、料理したことあります?」
「ないっ。私、食べる専門だもん」
「……僕は希海さんの食生活が心配です」
「そこは響くん次第だよ」
「いや、僕は希海さんの主夫になるつもりないですから」
「え~、なってくれないの? もちろんお金は払うよ~」
「お断りします。僕にだってちゃんと収入源はあります」
「ファミレスのバイトだよね。まだ続けるつもりなの?」
「やめる前提で訊かないでください。やめたりしません」
「ざ~んねん」
希海が少しも残念がらずにトーストをパクつく。
響はホットミルクを口に含んだ。希海には熱めのコーヒーを用意してある。
「ところで私って昨日、響くんに変なことしたりしなかった?」
「ぶふっ」
響は口に含んだミルクを吹き出しそうになった。
「タクシーに乗ってアパートに帰ってきたことまでは覚えてるんだけど、その後がどうしても思い出せなくて」
もわもわと蘇る昨晩の悪夢。黄金の海はさておき、酔ってたとはいえ、響は希海に抱きつかれ、しかも熱いキスまでされたのだ。本当のことを言えるわけがない。
響の視線が希海の、その元凶に定まる。
ぷるっと潤んだ薄紅色の、大人の唇だ。
――唇ってやわらかいんだなぁ。
「ん? 響くん、どうかしたの?」
「な、なんでもないです」
「でもなんだか顔が赤いよ? やっぱり響くんに何かとんでもないことしちゃったんじゃ……」
「いくら起こそうとしてもすぐに寝ちゃって、希海さんを運ぶのに大変だったくらいです」
「ひどっ。女の人に重いなんて失礼だよ」
「誰もそんなこと言ってないでしょ」
「まさか私が寝てる間にやらしいことしたとか?」
「僕は断じて何もしてません。心配するくらいなら記憶をなくすほど呑むのをやめたらどうですか?」
「あははは。私、一度酔いつぶれちゃうと朝まで寝ちゃうみたいなんだよね」
「……(抱きついてキスするの間違いじゃ)……」
「なにか言った?」
「……独り言です」
響はミルクをすすった。
希海もコーヒーを堪能する。
互いにふうっと安らぎのため息がもれる。
「ねえ、響くん。今日はバイトないの?」
「今日は遅番だけなので、夕方からです」
「それまで予定は空いてるわけだ」
「勝手に予定がないって決めないでください。……部屋の掃除をしようかと思ってたくらいですけど」
すると、希海がにこりと微笑んだ。
「なら、私とデートしよっか」
「はい?」
響はきょとんとする。
「あれ? 私とデートしてみる?」
「どうして疑問形?」
「うん。私とデートすべきだね」
「オススメされても……」
「じゃあ、私とデートで決まりだね、響くん」
「いや、僕はデートするなんて一言も……」
「今日は私と響くんの初デートでぇす♪」
どうやら希海とのデートが決定事項になってしまった響だった。
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