12話 ✕✕しちゃったぁ~
よろしくお願いします。
響が自宅のアパートに戻ったのは夜の9時をすぎたころだった。
自転車を駐輪場に置いて、アパートに入ると、手前のエレベーターに乗った。普段は階段派だが、今日はなんだかそんな気分になれない。
片手にはコンビニで買った弁当の入った袋。バイトの疲れと綿貫の件、それに祈鈴とのことがあって、とても夕飯を作る気力もなかった。
――ごめん。
響は祈鈴の申し出を断った。
そのとき見せた彼女の顔はひどく落胆していた。
――響先輩が望むなら、私はフリでなくても構いませんよ。
「あれって、付き合ってもいいってことだったのかなぁ…………まさかね……」
三階に着いて廊下を進む。響が借りてる部屋は奥から2番目にある。ちなみに希海の部屋はその隣、一番奥だ。
――ん?
響の部屋の前で誰かが座り込んでいた。きれいな体操座りだ。そのスーツ姿の服装に見覚えがあった。
「え? 希海さん?」
響は声をかけたが、返事はなかった。
「希海さん、こんなとこでなにしてるんですか?」
しゃがんで再び声をかけても返事はない。肩を揺さぶると、わずかに反応があった。
「希海さん?」
「むにゃ~」
猫の鳴き声のような返事が返ってきた。
どうやら眠っている様子だ。
「希海さん、こんなとこで寝ないでください。起きてください」
肩を揺さぶる。希海の頭がむくりと上がり、響のほうを向いた。瞼が完全にとろんとしている。しかも酒臭い。
「だぁ~れぇ~?」
「響ですよ。こんな時間に酔いつぶれるまで呑んだんですか? 立てますか?」
「ん~、むりぃ」
頭がパタンと垂れ落ちる。
「いやいや、そこをどいてもらわないと僕が部屋に入れないんですけど」
希海から酒の臭いがぷんぷん漂ってくる。禁酒解禁してさっそく酔いつぶれるまで呑むとは、なんとも末恐ろしい。しかも酒に強いと豪語していたくせに、こんな状態になるなんて、いったいどれだけ呑んできたことか。
「希海さん、お願いですから起きてくださいって」
肩を揺さぶり続ける。響は必死で呼び掛けた。一刻も早く休みたい気分なのに、部屋の前で居座られては入ることができない。もっとも入れたとしても、希海をこのまま放置することもできない。
響は深いため息をついた。
立ち上がり、希海の部屋のドアノブを試しに下げてみた。……びくともしない。施錠されたままだった。
「希海さん、部屋の鍵を貸してください。僕が希海さんを部屋に運びますから」
希海の肩がぷるぷると震え出す。
「希海……さん?」
希海が顔をがばっと上げた。その表情はなんていうか、……そう泣きそうなくらい困っている顔だった。というか、すでに泣いていた。
「ど、どうじよ~、か、かぎがどごにもないのよぉ~」
「え~~~~っ」
「う、うわぎのぽげっどにいれでだんだよぉ~。でもそのうわぎ、どっがにおいできぢゃっだのぉ~」
「え~~~~っ」
言う通り、希海は今朝出かけたときと違って、スーツの上着を着ていない。白いシャツだけだ。汗をかいているせいか、うっすらと黒い下着が浮き上がっていた。
――無防備すぎるにも程があるでしょ。
今はこんなダメダメお姉さん状態だが、ちゃんとすれば誰もが息を飲むほどの美少女に変わる。響にはただの酔っぱらいにしか見えてなくとも、これほどスタイル抜群な女性が無防備状態でいたら、普通の男なら黙って放っておかないはずだ。……危険すぎる。
――このままってわけにいかないよなぁ。
響は再び深いため息をついた。
「希海さん、立てますか?」
「むりぃ。たったらはぐぅ」
ハグ? 吐くほうかよ! と心の中で一人ツッコミする響。
「ああ、もう」
と、響はしゃがんで希海に背中を向けた。
「じゃあ、僕がおんぶしますから、のってください」
「おんぶぅ?」
「はい」
「やだ」
「は?」
「おんぶじゃなくて、だっこがいい。おひめさまだっこっ!」
「さすがにそれはちょっと……」
「やだ。おひめさまだっこじゃないと、わたじうごかないっ」
希海のわがままに響は困り果てるが、ここで希海と言い争っていても仕方がない。
「……はあ。わかりました。あとで文句言わないでくださいよ」
「もんぐなんでいいませ~ん。おひめさまだっこは、おんなのごのゆめなので~す」
「はいはい」
響は先に部屋のドアの鍵を開けると、希海をお姫様だっこで抱きかかえた。
――軽っ! っていうか酒臭っ!
肘でドアノブを下げて上手にドアを少しだけ開く。空いた隙間に足を突っ込んで、そのままドアを開けた。中に入ると、響は一旦希海を玄関口で下ろし、外に置いたままのコンビニ袋を回収した。
――あれ? よく考えたらこれって女の人を部屋に連れ込んだことになるのか?
「ふにゃ~」
壁に寄りかかって座る希海が眠りにつこうとする。
「希海さん、そんなとこで寝たら風邪ひきますから、中に入ってください」
肩を揺さぶる。希海の頭が左右に揺れる。ようやく酔いが醒めてきたのか、希海が虚ろな目で響のほうを見た。
「あっれ~、ひびきくぅんだぁ~、どぉしているの~」
「しっかりしてください。ここは僕の部屋です」
「ひびきくんのへや~? どぉしてわたしがひびきくんのへやにいるのかな~?」
「それは希海さんが部屋の鍵がないっていうから――」
「あーっ、わかったぁ!」
希海が響にビシッと指を差す。
「わたしにいやらしいことしよ~とおもって、へやにつれこんだんでしょ~」
「なに言ってるんですか。そんなことあるはずないじゃないですか」
「なにお~、そんなことあるはずないって、きみはおんなのこにたいして、すっごくしつれいじゃないかな~」
「どういう理屈で失礼になるんですか」
「うふふふ~、ひっびきくぅん、だぁいすきぃ~」
希海が抱きついてくる。響の胸に体験したことない柔らかな感触が伝わってきた。
「ちょ、ちょっと、希海さん⁉」
そして、唇にも温かくて柔らかな感触が伝わってきた。
――は?
ちゅううううううううううううううううううううううううううっ!
ぷはぁっ!
希海がにんまりと無邪気な顔で笑う。
「えっへへへっ。ひびきくんと、ちゅーしちゃったぁ~」
「の、の、の、希海さんっ⁉」
突然の出来事で響は思考が追いつかず、動揺しまくっていた。
にんまりしていた希海の顔が急に蒼くなった。表情が崩れ、口を両手で抑える。響はお約束のあれだと思った。
「う……ぎ、ぎもぢわるい……」
「ちょ、ちょっと待ってください。ここじゃまずいんで――」
「ご、ごめん、もうむりぃ……」
「え? え? えぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇーっ!」
ケロケロケロケロ~~。
その夜、響の玄関に黄金の海ができた。ただし酒の臭いつき。
読んでいただきありがとうございます。