もしも俺がアイドルユニットを作ることになったら!?(1)
翌朝。
僕はベルさんに頼んでみんなをレッスン室に集めてもらった。
「……ふわぁ……。どうしたの、お兄ちゃん……?」
リノがタンクトップにサスペンダー付きホットパンツという動きやすそうな格好で大きく伸びをする。
まだ日が昇って間もない時間だった。
早朝、僕はベルさんとともに朝一番でクゥの働く下町のパン屋パティスリー・アリシアナを訪れた。
クゥから聞いていたとおり、店はちょうど朝の仕込みを終えた時間だった。
といっても、働いていたのはクゥひとりだ。クゥはもともとこの家の子ではなく、半ば奉公人のような形でこの家に引き取られたのだという。早朝の仕込みのような大変な仕事はたいていクゥに任せられているのだそうだ。
「……かわいそうに」
ベルさんは眉を寄せてつぶやくと、早速クゥの身元引き取りについて家の者と交渉をはじめた。
最初に現れたのは、一昨日僕にパンを勧めてきた店員の女性だった。クゥによれば四姉妹の次女でルーシィというらしい。確かに昨日のオーディションでも見た顔だ。
ルーシィさんは、オーディションの審査員だった僕とベルさんを見て顔を輝かせた。
が、話が進むにつれて顔を強ばらせ、クゥがアイドル候補となったことを告げると、ものすごい形相でクゥを睨んだ。
「ど、どうして……どうしてあんたなのよ! あ、あたしはずっとアイドルになりたくて、忙しい店の仕事の合間にレッスンに通って、オーディションにもできる限り参加して……それは、あんただって知ってるでしょ!? そうか、あてつけなのね! あたしにあてつけるつもりでプロデューサーに取り入って……!」
感情を剥き出しにするルーシィさんに、僕もベルさんも対処に困った。
結局、騒ぎを聞きつけて起き出してきた四姉妹の長女・ラシィさんがベルさんとの交渉に当たり、残りの二人がルーシィさんを連れて家へと戻っていった。
「……とりあえずはおめでとう、クゥ」
勝ち気なルーシィさんとは違ってラシィさんはおっとりとした人だ。
「……あり、がとう。でも……」
「気にしないで。ルーちゃんはアイドルになりたくてがんばってたから、うまく受け止められなかったのよ」
そんな会話がかわされるのだが、クゥもラシィさんもどこかよそよそしい感じがした。
その後、ベルさんとラシィさんの間でクゥの引き取りについて細かな条件の確認が行われ、小一時間ほどかかって終了した。
その間に荷物をまとめていたクゥが、僕たちの隣に並んだ。
「……世の中、うまくいかないものね」
去り際にラシィさんがそうつぶやいたのが聞こえて、僕は複雑な気持ちになった。
最後にクゥを見送ったのは、結局ラシィさん一人だったのだが、そのラシィさんもやはりルーシィさんの夢の方が叶ってほしかったのだろう。
誰が悪いわけでもないのだけど、僕の選択で悔しい思いをする人がいる。
僕にはルーシィさんを取ることはできないけれど、だからこそ、自分の選んだ相手には責任を持とう。
遅ればせながらそのことを実感して、僕は傍らにいるクゥの頭に手を置いた。
「……ふ、ふぇっ?」
目を白黒させて驚くクゥを連れて、僕とベルさんは城の天守閣へと戻った。
そして、今、である。
僕はその場をどいて、僕の後ろに隠れていたクゥを前に出す。
クゥは朝パンの仕込みをしていたままの店の制服のワンピースの上から、例の市松柄のフードをかぶっている。聞けば、私服の類いはほとんど持っていないという。
ふと、僕の胸に怒りが湧いてきた。
ルーシィさんは「忙しい」仕事の合間を縫ってレッスンに通いオーディションに応募していたというけれど、その間クゥはろくに服も買ってもらえず、朝早くからおそらくは夜遅くまで働きづめだったんじゃないか。
思わず怖い顔になった僕を、クゥが不安げに見上げてきた。
僕はむりやり微笑んでクゥの緊張をほぐそうとする。
「なんですの、その絵に描いたような村娘は?」
エッテが、こちらも少し眠そうな顔でそう聞いてきた。
「センターさ」
「……は?」
「センターだよ。君たちの」
僕がそう言い放つと、リノとエッテが息を呑んだ。
「え……、せんたあ? って、その下町から適当に拾ってきたような子が、りのとエッテのセンターぁ……っ!?」
あからさまに不満そうに叫ぶリノに対し、
「……ミホシ様? あなたの才覚を疑うわけではありませんけれど……よもや、元の世界に帰りたいがために、適当な子を見繕ってきたのではありませんよね?」
口調だけは冷静ながら、エッテは僕に対する不審に満ちたセリフを言ってくる。
「……ま、たしかに昨日の今日だからな。疑うのもわかる」
「疑うとか、そういうレベルじゃないんですけどぉ? お兄ちゃん、頭大丈夫?」
「リノではありませんが、率直に申し上げてわたくしにもミホシ様のご意向が理解できませんわ」
エッテは言ってベルさんへと視線を向ける。
ベルさんは肩をすくめてみせた。
「私もまだ、ミホシ君の考えは聞いてないわ。そろそろ、いいんじゃないかしら?」
ベルさんの言葉に、一同の視線が僕に集まる。
その緊張感に、僕より先にクゥの方が耐えられなくなった。
「ご、ごめんなさい! やっぱりわたしなんかじゃ場違いですよねっ」
クゥがその場を逃げだそうとして足をもつれさせる。
僕がとっさに上体を受け止めるが、その拍子にクゥのフードがとれた。
昨夜見た、猫のような銀色の耳が飛び出した。
明るいところで見て改めて驚く。ほつれの多い亜麻色の髪の中から銀色の毛に覆われた猫耳が生えているさまは、よくできた特殊メイクのようだけど、紛れもなく本物の耳だ。
「そ、その耳は……!」
エッテが驚きの声を上げた。
「ひっ……ひゃうっ! あ、はわわ……っ」
クゥは僕の腕から逃れようと暴れるが、ちょっとそのままで、エッテに聞いてみる。
「知ってるの?」
「知ってるも何も……それは、穂継ぎの巫女の有名な”ネコミミ“ではありませんか!」
「ネコ……ミミ?」
「穂継ぎの巫女にはネコミミと呼ばれる猫のような耳としっぽがあったという伝説があるのです」
「……そのままな名前だな」
例によって通訳妖精のせいなんだろうけど。
「わ……っ! しっぽだ! しっぽもある!」
いつの間にか後ろに回ったリノが、クゥのワンピースをまくり上げてしっぽをつつく。
「うにゃっ! あふっ……ひゃぅ~っ!?」
「これ、ホンモノだよ! ぴくぴくしてる!」
「ぁや……っ、やめてくださ……っ、ぁふぅっ!」
「ち、ちょっとリノ、クゥの顔が真っ赤だ! しっぽを放せ!」
僕がリノを制止する間に、
「……この耳も、本物なのかしら?」
エッテまでクゥの耳をつつきはじめた。
「あひゃぁっ! んんっ……ぁっ、や、何か……わ、わたし……、あぁ……っ」
「ちょっと、クゥ、大丈夫!? こ、こら、リノ、エッテ、耳もしっぽもダメだ!」
「み、見星、さん……も、は、放し……、あぅっ!」
「わ、ご、ごめん……い、今放すから! ええっと……」
僕はクゥの胴をつかまえたままだった腕を慌てて放そうとする。
……のだが、クゥが暴れるせいで腕がからんでうまく外せない。
「やっ……、見星、さん……くすぐったい……、ダメ、わたし、もう……もう、おかしくなっちゃう~~~~っ!」
クゥが絶叫とともにびくびく震えて、ぐったりした。
……レッスンは、しばらくの休憩を挟んでから、ということになった。
「――まずは、ユニット名を決めよう」
気まずさの残るレッスン室で、僕はそう切り出した。
ちなみに、僕たち――僕、クゥ、エッテ、リノはレッスン室の床に車座になっている。
座り方にも性格が出るもので、僕とリノがあぐら、クゥが体育座り、エッテは横に崩した正座で、ベルさんは少し離れた壁に背をもたせかけて立っている。
「そうね。ユニット名がないことには、呼びづらくて困るもの」
ベルさんが真っ先に賛成し、他の三人もうなずいた。
ベルさんがレッスン室の隅にあったホワイトボードを曳いてきて、めいめいに思いついた候補を出していく。
「はいは~い! 『りのと愉快な仲間たち』がいいと思いますっ!」
と言ったのはもちろんリノ。
「……なんでおまえが中心なんだ。却下」
僕はリノの意見? を冷たく却下する。
「『ネメシス』ではどうでしょう?」
エッテが手を上げて言う。
「どういう意味?」
「……わたくしの国はキシロニアに滅ぼされました。その復讐者たるわたくしは、復讐の女神の名を冠したユニットで――」
「だめ。お客さんが楽しみにくいだろ」
エッテとリノのプロフィールも、ベルさんから確認済みだ。
リノことリノ・リンレイは、昨日、本人が語っていた通り、元は旅のサーカス団に拾われた孤児で、アイドルとしての才能を見込まれてエウレニアに引き取られた。
エッテは、フルネームではエテルフラウ・ウィス・ロキサドリアといい、なんと、もともとはロキサンドリア公国という国の第一王女だったという。
ロキサンドリアはキシロニアによって征服され、かつての王族の大部分はキシロニアに幽閉されている。国元を離れていたために難を逃れたエッテは、親交の深かったエウレニア城市へと身を寄せた。
もちろん、国が滅んだとはいえ姫なのだから、身の不幸を嘆きながら暮らしていくこともできたが、エッテは自らアイドルとなってキシロニアと戦う道を選んだ。
その気概は立派だけど……アイドルとして観客を楽しませる上では、復讐心をあまり露骨に出されては困る。
「『シーサーペント』はどうかしら? エウレニア湖にはエッシーと呼ばれる首長竜が棲息するという噂があるの」
これはベルさんの意見。
ちなみにエウレニア湖とは、昨夜クゥが裸で歌っていた入り江の奥にある湖のことだ。城のメイドさんから聞いたところによると、エウレニア城市を呑みこめるほどの大きさがあるらしい。
「うーん、ちょっと硬いな。湖に結びつけたいなら、セイレーンとかマーメイドとか……」
「どちらも、メジャーなユニットがもう使っているのよ」
ベルさんは『汎アイドランド・アイドルランキング』なるパンフレットを書類鞄から取り出して僕に見せた。それによると、
「アイドル総数――10897ぁっ!? これじゃ、被らない名前をつけるだけでもひと苦労だな……」
その後もみんなで意見を出し合うが、これといった案は出なかった。
ちょっとダメ出しばかりしすぎたのだろう、リノが頬を膨らませて、
「じゃあ、お兄ちゃんはどうなの? プロデューサーなんだから、ビシッと決めてよね!」
「そうですわよ。わたくしたちをプロデュースするのはミホシ様なのですから、わたくしたちのカラーに合った名前を決めてくださらなければ無責任ですわよ」
「そうね。硬すぎるの真面目すぎるの言うなら、ミホシ君の意見を聞かせてほしいわ」
リノに加えてエッテやベルさんまで僕を睨んでくる。ちょっといじめすぎたかな。
「一応、案はあるんだ。みんなの意見を聞きながらその『ランキング』を見てた限りでは、たぶんメジャーどころとは被ってないと思う」
僕はそこで言葉を切り、一拍おいてから言う。
「……トライデント。こっちの世界にふさわしい言葉があるかはわからないけど、元の世界では海の神様が持つ三つ叉の槍のことだ」
元の世界では、というか、ハイディーン・クロニクルでは、なんだけど。
『廃人』の初期にトライデントに複数属性を付与できるというバグ技が見つかり、一時期は誰もがトライデントを使っていたのだが、アップデートでバグが修正されてからはすっかりいらない武器扱いになってしまった。
でも、「いらない」と言われれば使いたくなるのが僕だ。僕は独自にアップデート後のトライデントの運用方法を研究した。そしてついに、ほぼ死にステータスとなっている「系譜:海神」を利用して「土地効果:海面上昇」を発生させ、敵陣地に対して「水棲族以外全員溺死」という強力な範囲攻撃を行う戦略を編みだした。
この戦略を紹介した動画が動画サイトで一〇万再生を突破したため、僕は動画サイト上では「トライデントの人」としてちょっとした有名人になってしまった。
「トライデントなら、この世界にもありますわ。偶然かどうかはわかりませんが、海神と関係があるというのも同じですわね。海神、というよりは水を司る龍――ベルの言ったシーサーペントの元締めのような存在ですわ。わたくしの家の家紋にも、トライデントと海神を象った意匠があります」
エッテがそう解説する。
「でも、ちょっと厳つくないかしら? 武器の名前だもの」
ベルさんが言う。
「じゃあ、ひらがなにしよう。とらいでんと、でどうだ?」
僕は言って、みんなの反応をうかがう。
……言ってから気づいたけど、「ひらがな」って通訳妖精ではどう訳されるんだろう?
「悪くないですわね」
エッテがいちばんに賛成した。
「キシロニアを穿つ槍、ですわ。アイドルらしく可愛らしい感じも出ています」
「りのも……いいかな。覚えやすくて、かっこいいし」
リノもうんうんとうなずきながらそう言ってくれた。
「私も異論はないわ。何よ、そんないい案があるなら、最初に言えばいいのに」
「いや、俺はこの世界の人間じゃないから。ひと通り、意見を聞いてみたかったんだ」
それに、プロデューサーである僕が最初に意見を出したら、あまり議論もしないままでそれに決まってしまうだろう。
ユニット名をみんなで決めた。
この事実が大事なんだ。
みんなの意見が出そろい、視線はおのずとまだ意見を述べていないクゥへと集中する。
また慌てるかと思ったけどそんなことはなく、クゥはみんなの視線を受け止めて、力強くうなずいた。
「わたしも、いいと思います。とらいでんと……とらいでんと」
音の響を味わうように、クゥはその言葉をくりかえしつぶやいた。
「そうだ。クゥ、君もとらいでんとなんだ。クゥとエッテとリノ、君たちがとらいでんと――エウレニアのこれからを担うアイドルユニットだ」
「……それは、違いますわよ、ミホシ様」
力強く宣言した僕に、エッテがそう言ってくる。
「わたくしとリノと、そちらのクゥさんと。それから、ベルとミホシ様。五人揃ってのユニットですわ」
そう言って微笑むエッテに、僕はうなずき、みんな――リノ、ベルさん、クゥのひとりひとりと視線を交わす。
「――とらいでんと、結成だ!」
というわけで、レッスンが始まった。
レッスン室には、キシロニアの宰相が降伏勧告を行ったライブビジョンと同様の仕掛けがあり、ドーム状の天井から下がってきたスピーカーがエッテとリノの持ち歌を流す。
リノは小さい頃旅のサーカス団にいたおかげでダンスがうまい。一方エッテは王女時代にピアノと声楽を習っていたそうで歌がうまい。
クゥも歌は好きなのだが、エッテのようにきちんとした師について学んだわけではないのでリズムや音程などに甘いところはあった。もともとアイドル志望だったわけでもないのでダンスに至ってはからきしだ。
いや、それ以前の問題として、
「うぅ……どうしても、出さなくちゃいけませんか?」
「ああ。どうしても、だ」
僕はクゥに、レッスン中はネコミミを隠さないよう指示したのだ。
「嫌なら、本番は隠してもいい。どうせライブフィールドの効果で変身できるんだから、ネコミミくらい簡単に隠せる。いや、隠さなかったとしても、そういう仮装をしてるんだと思われるだけだろうな」
何なら、エッテとリノにもイミテーションの獣耳をつけてもらえばいい。
「……ふつうは、逆ではありませんの?」
僕の言葉にエッテが怪訝そうに聞いてくる。
「確かに、穂継ぎの巫女と同じネコミミの持ち主というのは強力な売りになるだろうけど、本人が嫌なら無理強いはしないさ。嫌々ステージに立つようじゃ、いいパフォーマンスは期待できないからな」
「それは……そうですけど」
「俺が問題にしているのは、クゥが耳のことをコンプレックスにしていることだ」
「コン……プレックス?」
クゥが首をかしげる。
「劣等感、というのかな。クゥは人とは違う耳を持っていることを気にしている」
「そ、それは……」
「エッテが説明してくれたように、本来ならネコミミは君に与えられた天からのギフトだよ。でも、人と違うものを持ってるってことは、必ずしもその人を幸せにしない。それが本質的にはよいものであっても、だ」
それがせめて、努力によって獲得したものならよかった。自分の努力で獲得したものなら、他人に何と言われても胸を張っていられる。
でも、クゥのネコミミはたまたま与えられたものだ。僕が敏腕プロデューサー・立花見極と大女優・千曲清海の間に生まれたのと同じで、本人の意思や努力と関係のないところから得てしまったものだ。
「だが、きっと、俺たちがいくらクゥのネコミミがすごいものだと言ったところで、クゥのコンプレックスはなくならないだろう。何の役に立つわけでもなく、常に隠していなければならないこんな耳なんて、なかった方がよかった――そんな風にすら思ってしまうかもしれない」
「……そう、かも……しれません」
「耳を売りにしたくないなら無理強いはしない。そもそも俺は、君の耳に惚れたんじゃなくて、君に惚れたんだから」
「な、えっ、ほ、惚れ……っ!?」
僕の言葉にクゥが顔を赤くしてうつむく。
「うわぁお。お兄ちゃんたら大胆♪」
リノの揶揄に、僕はようやく自分の口にした言葉の意味に気づいた。
「い、いや、そういうんじゃなくて! 俺は、耳のことなんて知らずにクゥがいいと思ったんだから、俺のイメージするとらいでんとにネコミミは必ずしも必要じゃないって言いたかっただけで……」
「はいはい、ごちそうさまですわ。とにかく、レッスン中は耳を出していただいて、慣れていただくわけですわね?」
「そういうことだ。アイドルはみんなに見られるのが仕事だ。見られたくない部分を抱えていては、ステージの上で堂々と振る舞えないからな」
僕はパンパンと手を叩いて、レッスンの再開を告げた。
しかし……やはり、問題はクゥだった。
とにかく、動きがぎくしゃくしている。
昨日の夜、湖の畔で歌っていた時のクゥが嘘のように、声が伸びず、身体が動かない。
はじめは親切に教えていたエッテとリノも、次第に苛立ってきているのがわかる。
――どうしてこんな素人をセンターに?
そんな二人の心の声が聞こえてくるようだった。
「……クゥ。君は見られていることを意識しすぎている」
僕が言う。小さい頃、楽屋でよく見たパターンだった。
「で、でも、見られるのがアイドルの仕事だって……」
「そうだな。注目を惹きつけてこそのアイドルだ」
「じ、じゃあ……」
「言い方は悪いけど、もちろん媚びだって売るんだ。でも、それだけじゃ足りない。超然として引きつける力も必要なんだ。つまり、押しと引きだよ。押しばかりでも飽きられるし、引くだけではついてきてくれない。押したり引いたりしながら、ファンとテンポを合わせていくんだ。寄せては返す波のようにね」
喩えていうなら、クゥは観客席まで下りて行って一人一人に意見を伺い、なんとかしてそれに従おうとしてしまっている。限られた数の人と仲良くなるのならそれでもいいが、千、万という単位で人を集めようと思ったら、それだけでは絶対に追いつかない。
もちろん、ファン一人一人のニーズを知ろうとすることは大事だけど、アイドルであるクゥは、ステージの上に立って自分を見せつけ、観客の方から近づきたい、もっと見ていたいと思わせる必要がある。
それに、星の数ほどいる観客の視線や思惑を意識しだしたら、どんなプロだって身体が固まる。ステージの上でアイドルという役柄を演じる自分に酔いしれる――もっと端的に言えば「役になりきる」という感覚が、アイドルには必要だ。
エッテもリノも、そういう見ようによっては傲慢で自己陶酔的な「なりきり方」を心得ているが、今のクゥにはそれができていない。
……が、この辺りのことを、今のクゥにわかるように説明するのは難しい。
僕が言葉に迷っていると、
「……アイドルって、海みたいですね」
クゥがぽつりと言った。
「海って、わたしは小さい頃に一度見たきりですけど、いつまでも見てたくなるじゃないですか。海はわたしに何かをしてくれるわけじゃないですけど、それでもわたしは海を見てるのが好きなんです。いえ、海じゃなくて、今はエウレニア湖なんですけど。湖を見てると、元気が出ます」
はぅ、と小さくため息をつくクゥの頬が、少し赤くなっている。
そのクゥを、その場に居合わせたみんながぽかんと見ている。
「……あ、あれっ? わたし、なにか変なこと、言ってました?」
エッテとリノは、思わず顔を見つめ合い……噴き出した。
「……なんだか、毒気を抜かれてしまいましたわ」
「ちょっとだけ、お兄ちゃんがクゥさんを選んだ理由がわかった気がするよ。……ちょっとだけ、だけど」
少しの休憩を挟んで、レッスンを再開した。
僕も、別にクゥだけを特別扱いしてるわけじゃない。
正直、アイドルとしてそれなりに経験を積んでいるエッテとリノに僕から言えることなんてないのでは、と心配していたのだけど、「輝き」が僕を助けてくれた。
「リノ、君の演技は見え透いてる」
ちょっとしたステージパフォーマンスをやってもらって、リノの「輝き」を観察したのだが、「輝き」が弱い時と強い時、鮮やかな時と曇る時、それぞれの傾向を見ていると、リノの癖のようなものが見えてくる。
「え、えええ演技っ? や、やだなぁ、お兄ちゃん! お兄ちゃんが何言ってるのか、りのわかんないよぉ~」
……リノのあざとかわいい振る舞いは、アイドルとしての上辺だけでもないらしい。僕に対しては最初からそうだし、ベルさんの前では結構大人しかったりもする。
……この子もなかなか複雑そうだな。
「別に悪いとは言ってない。むしろいい。おまえは笑顔を振り撒きながら、毒を吐いてけ。観客をいじってもいい。ファンなら罵ってやれ。その方が嬉しいってやつも多いからな」
「な、なんでりのがキモオタにそんなサービスしなきゃなんないわけ?」
「その調子だ」
「い、今のはそんなつもりじゃ……って、もう否定しても仕方ないかぁ。うん、わかったよ、お兄ちゃん。りののキャラが崩れない範囲でやってみる」
「それでいい」
次にエッテのステージパフォーマンスも見る。
「エッテはちょっと構えすぎだな。もっとファンに甘えていけ」
「わ、わたくしに、媚びを売れと言うんですの!?」
「媚びろとまでは言わない。いや、露骨に媚びてしまっては台無しだ。エッテの気高さは他のアイドルには真似のできない魅力だからな」
「で、でしたら……」
「だけど、それだけじゃファンが近づきにくい。ときどき、そうだな、気高さ十に対して一でかまわない。儚さを織り混ぜるんだ」
「は、儚さ?」
「ああ。君は亡国のお姫さまだ。その出自を利用しない手はない」
「り、利用ですって! あなた、わたくしの国が受けた苦難をなんだと思って――」
「すべてを失っても気高さだけは失わない高貴なる姫君、それがきみの演ずべき役柄だ。ただし、それだけでは一般人の共感は得にくい。だから……そうだな、『普段は気丈に振る舞っているけれど、ふとした折りに悲しくなってしまうの、だってわたくしも普通の女の子なのだから』と、そんなような隙を作るんだ。……もちろん、見透かされない程度に」
エッテはしばらくぱくぱくと口を動かしていたが、
「仕方がありませんわね。あなたの言うことにも一理はあるようです。下衆で卑劣でわたくしには似つかわしくない理屈ではありますが」
「だからこそさ。エッテに足りないものは俺が補う。汚れ役は俺やベルさんに任せておけばいい。君がステージで輝いてくれるなら、それこそなんだってやる」
「なんだってやる? 本気ですの? じゃあわたくしがあなたにわたくしの奴隷になれと言ったらそうするんですの?」
「それで君が輝けるというのならやるさ」
「……やめておきますわ。そんなことをしても、わたくしの品位を落とすだけですもの」
「それでいい」
僕は小さくうなずいた。
「……お兄ちゃん、『それでいい』が好きなの?」
僕とエッテとの会話を聞いていたリノが、そんなことを聞いてくる。
「好きだよ。俺の仕事は君たちを『それでいい』状態にすることだ。君たちの持つアイドルとしての輝きが曇りなく発揮されている状態にね」
答えながら、僕は自分のここでの役割がようやくわかってきたような気がした。
「では、クゥは?」
今度はエッテがそう切り込んでくる。
エッテのクゥを見る目には、まだ疑いの色が残っている。
「クゥは――」
僕は言葉を切って、クゥに向き直る。
「は、はいっ?」
「――想像するんだ。君の目の前には海が広がっている。満月の夜で、潮が静かに満ちている。月光が波頭を照らしている。そんな幻想的な光景の中、君は白い砂浜をステージに、生まれたままの姿で――」
「う、生まれたままの……!?」
エッテが驚くが、無視。
「生まれたままの姿で、月の光と潮風を浴びながら、思うがままに歌ってるんだ」
「…………」
クゥの目が微睡むように細められ、まだ硬かった肩から力が抜ける。
そして、クゥの薄く開いた淡い桜色の唇から、細い息が漏れはじめた。
ただの息のように思えたそれは、次第に低くやわらかな旋律をともなうようになる。
クゥの歌が、レッスン室へと広がっていく。
歌は静かに昂まり、また鎮まっていく。
潮騒のような、いつまでも聴いていたくなる旋律は、それと気づかないうちに終わっていて、僕たちはたっぷり十秒はかかってから、クゥの歌が終わっていたことに気がついた。
みな、声もない。
「――僕が見つけた原石は、これだよ」
僕の言葉に反対する者は、もういなかった。