もしも俺がゴーレムと戦うことになったら!?(2)
このままあてもなくうろついていてもしょうがないので、僕は割り切って街の外側を目指すことにした。
外側にはいちばん高い城壁があるから見晴らしが利くし、そこから天守閣に向かう大きな通りが見つかるかもしれない。
いくつもの石段やはしごを上り下りして、やっとのことで街を囲む大城壁の上へとたどり着いた時には、既に日が暮れようとしていた。
僕は大城壁の上から天守閣を探そうとして――息を呑んだ。
「……すごい景色」
空は既に、半ば夜の色に染まっている。
ちょっとしたビル並の高さがある大城壁の上からは、エウレニアとその周辺の光景が一望できる。
街の中央やや北寄りに、都庁舎くらいの大きさの天守閣がある。
「天守閣」とエッテもベルさんも言うのでそう呼んでいるが、それは城の本丸という程度の意味で、日本の戦国時代の城ではなく、西洋の城によく似ている。
天守閣周辺の建物はみな根っこの部分で天守閣とつながっていて、それがだらだらと背を低くしながら街の外縁――僕の立つ大城壁の足下にまで続いている。
その背後に見えるのは、広大な湖だ。
街よりたぶん倍以上大きいその湖は、暮れていく夕日に照らされて赤く染まっている。
湖のない側の城壁の外は、半ばが森、残りが畑になっている。
でも、この畑というのが、想像を絶している。
ゆるやかな段丘の斜面に広がる畑になっているのは、紫色の穂を持つ麦のようだ。
だから、大城壁の外に広がる田園光景は、紫色の絨毯といったもので、否応なしに、ここが地球とは別の世界だということを突きつけてくる。
僕はその幻想的な光景を前に、道に迷った不安も忘れ、ただ呆然と立ち尽くしていた。
「――綺麗だよね」
唐突にかけられた声に、僕はゆっくりと振り向いた。
「……リノ」
「はぁい。お兄ちゃん、ご飯時になっても戻ってこないんだもん。探してこいって、ベルさんが」
「ごめん、道に迷っちゃって」
「そんなことだと思った」
リノがおかしそうに笑った。
リノはTシャツ、短いフレアスカート、スパッツというカジュアルな格好だったが、そのお尻の下にあるものが常軌を逸していた。
「何それ?」
僕はリノの跨がっているペンギン? のような生き物? を指さして聞く。
そう。リノはペンギンをデフォルメしたような、バナナボート大の乗り物らしきものに乗っているのだ。
リノは「それ」から飛び降りると、その背中をぺしぺし叩きながら言った。
「これ? りののペンギンゴーレムで、ペンちゃんだよ☆」
「ゴーレム、ね」
よくその単語を耳にする。『廃人』――ハイディーン・クロニクルに出てくる「ゴーレム」とはだいぶ違うもののようなのだが、この世界の人にとっては当たり前のことらしく、これまで説明らしい説明を聞いていない。
「そ・れ・よ・り……綺麗だよね、この眺め」
「え、ああ……そうだね」
紫色の絨毯が見渡す限り続く光景は幻想的だ。
といっても、絨毯は地平線まで続くことはなく、かなり遠くで霧とも雲ともつかない白いかたまりに呑まれてそれより先は見えなくなっている。
この白いかたまりは、暗くなった中で見渡せる限りでは、エウレニア周辺の土地の四方を包み込むように広がっている。
「……りのは、いろんな国や都市を渡ってきたんだ」
ピンク髪の幼い少女は、夕日の赤と麦の紫が混じり合う幻想的な光景をその目に宿しながらつぶやいた。
歳に見合わない、びっくりするほど遠い目をしている。
「りのは、旅芸人の一座に拾われた孤児なんだ。暗いところ、怖いところ、戦争ばかりしてるところも見てきた。時には明るいところもあったけど、エウレニアくらい綺麗なところはなかったよ。
――それが、りのがこの街のアイドルとして頑張る理由」
リノは、僕を振り向いて、淡く微笑んだ。
元気で、感情がめまぐるしく変わって、そのくせびっくりするほど大人を操るすべを知っているリノ。そのリノが、大人に対する演技のぶ厚い扉を少しだけ開いてのぞかせた素顔が、そこにあった。
「お兄ちゃんは、りのの演技を、すぐに見破っちゃった。さすがプロデューサーだって思ったんだけどな」
言って、リノは寂しげに笑った。
その笑みのまわりに、エメラルドグリーンの光がやわらかに瞬いて消えた。
僕は、リノの言葉に応えようと口を開いて、でも、何も言えなくて、リノの視線から逃げるように紫色の畑へと目を向けた。
そこで、見た。
「リノ、あれ……!」
一面に広がる畑の一角、農民たちの作業用の納屋らしいものが固まっているあたりに、巨大な影があった。
遠くて正確な大きさはわからないけど、納屋とかと比べると、たぶん三、四メートルはある。ごつごつと硬そうな岩の肌と、全身を覆う赤い炎。それこそ、僕が「ゴーレム」と聞いて思い浮かべるような、『廃人』のファイアゴーレムを思わせる巨大な生き物がいて――そいつが、拳を振り上げて納屋を壊し、巨大な足で紫の稲穂を踏みつけている。
そのまわりには、こどもくらいの背の人影がいくつもあって、ゴーレム? のまわりで、やはり畑を荒らそうとしている。
「キシロニアのゴーレム……!」
リノが悔しげに言ってペンギンゴーレムとやらに飛び乗った。
「お兄ちゃんも! 早く!」
「え、僕も?」
「早くっ!」
急かされて、僕はリノの後ろ、ペンギンゴーレム・ペンちゃんの背に乗った。
「しっかりつかまってて!」
「あ、ああ……うあああっ!」
僕が返事し終える前に、ペンちゃんが急加速した。
ロケットのように大城壁を飛び出したペンちゃんは、ゆっくりと高度を落とし、畑のあぜ道を砂埃を巻き上げながら飛んでいく。
ペンちゃんはみるみるうちにファイアゴーレムに迫ると、その脇を恐ろしい速度で駆け抜けてからUターン、激しくドリフトしながら納屋のある一角に止まった。
ファイアゴーレムとその取り巻きの小人――ゴブリン、と呼んでさしつかえなさそうなやつら――がぎょっとした様子で僕たちを見る。
「やいやい! けちくさい嫌がらせばっかりしやがって! エウレニアのアイドル、リノ・リンレイが相手になってやる!」
ペンちゃんから飛び降りたリノが、威勢のいいタンカを切った。
そして、
「穂継ぎの巫女よ! エウレニア城市所属アイドル、リノ・リンレイが要請する! 今ここに、小規模戦闘クラスのライブフィールドをあらしめよ!」
リノが何かを宣言した次の瞬間、ヴン、と耳障りな音がした。
僕は激しいめまいを感じて、ふらつきながら強くまばたきした。
その間に、すべての変化が終わっていた。
見覚えのある繭が、僕、リノ、ファイアゴーレムやその取り巻きのいる空間を包み込んでいる。
繭はあの時とちがって半透明で、色も白ではなく黒、質感はむしろ硬質で、繭というより内側をつや消し黒でスプレーしたドームのような感じだ。
ドームは半球状ではなく卵のように真ん中が高くなっている。直径は五〇メートルほど、高さは三〇メートル以上あるかもしれない。
地面も同様に真っ黒で継ぎ目のない、やわらかいんだか硬いんだかわからないつるつるした感触のものに変わっていた。
リノは、そのドームの中央に悠然と進み出た。
リノはそこで目をつむり、何かを味わうように頭を揺らしてリズムを取っている。
ゴーレムたちはまるでリノに気圧されたように、ドームの端へと後ずさりした。
一体何が始まるのか。僕は固唾を呑んで見守る。
緊張感に満ちた、長くて短い間を置いてから、リノはゆっくりと目を開いた。
「――ライブ、スタート! みんな、りのに力を貸して! 一曲目は――"Cheer☆U☆Up"!」
ドームの内側が、ライブ会場になった。
「……………………………………え?」
僕はたっぷり数十秒は唖然とした後で、そんな間の抜けた声を漏らしていた。
「みんなーっ! 見てるっ!? 今日もりののライブ、楽しんでいってね!」
リノは愛嬌たっぷりの笑顔でそう言って、歌い続ける。
そのリノの姿が一変している。
Tシャツ、フレアスカート、スパッツというカジュアルな格好だったリノが、いかにもアイドルらしい、フリルがたくさんついたキャミソールとミニスカート、ニーソックスにブーツという格好に変身していた。カラーリングも、ピンクとライトグリーンとオフホワイトを組み合わせたポップなものだ。
ドームの中の様子も、一変していた。
真っ黒だったドームの内面にいくつもの照明装置が現れて、色とりどりの強力なライトで歌って踊るリノをまばゆく照らし出すかと思えば、地面からは音響装置が生えて、リノの歌とその楽曲を大音量で吐きだしている。
……いや、この時点で十分に意味不明だけど、それ以上に驚くべきなのは――観客、である。
ドームの壁面の奥に、天井の上に、あるいは地面の下に、超満員の観客席が出現していた。
その数たるや、武道館もかくやというもので、劇場の二階席のような張り出しが、上下左右がねじれた空間の中に数え切れないほど浮かんでいて、そのすべてが観客で埋まっている。
それらはまるで3D映画のようにドームの中を自由自在に飛びまわり、いい場所を求めて天井から壁へ、壁から床下へとせわしなく動く。
「う、うわ……っ!」
そのひとつが僕の方へまっすぐ突っ込んできた。
僕は思わず身をすくめたが、空飛ぶ観客席はなにごともなく僕の身体を突き抜けていった。
――つまり、このドームの中に映し出された観客たちは……幻?
「……………………はぁ?」
つぶやく僕。
また突き抜けていく観客席。
歌って踊るリノ。
ペンちゃんは……リノの歌に合わせて、その場でブレイクダンスまがいの挙動をみせている。
そして、ファイアゴーレムとゴブリン? 的な取り巻きたちは――なぜか、苦しそうに身をよじり、頭を抱えて地面をのたうちまわっている。
「…………はああああっ?」
続くライブ、高まる会場、リノの身体からはじける汗、そしていつのまにか観客たちの手に握られているサイリウム。
「……はあああああああぁぁぁ……っ!?」
そんな中で、僕ひとりだけが、首をもげそうなほどかしげて、困惑の声を上げていた――。