もしも俺が異世界で帝国と戦うことになったら!?(3)
キシロニア帝国主任プロデューサー・立花見極は、首をかしげてつぶやいた。
「おかしい……こんなに負けてるのに士気が下がらねえ」
「士気が……?」
もともと内政の専門家だったサラには、戦の機微まではわからない。
もっとも、戦の門外漢であることに関しては、見極も同じはずだ。
元の世界で見極は有名なアイドルプロデューサーだったらしいが、軍を指揮した経験などないと言っていた。
が、この男には確かに戦の才があった。
敵の様子から押し引きを判断し、攻める時は果敢に攻め、守る時は徹底して守り、逃げる時は未練げもなく逃げ出す。
言葉にすれば簡単だが、これができる将軍は、少なくとも今のキシロニアにはいない。
攻めが得意な将軍はいる。守りが得意な将軍もいる。しかし、状況に応じて両者を使い分け、敵わないと見れば自尊心をかなぐり捨てて逃げられる。こんな将軍は見極をおいて他にいない。
(ミキワメの名は、「見極める」――本質を見抜くという意味だと言っていたか)
アイドルの資質を見抜き、聴衆の反応を見抜く見極の眼力は、そのまま戦にも応用が利くということか。
(タチバナ・ミキワメ……恐ろしい男だ)
間違っても敵には回したくない。
いや、
(部下としてあまり重用するのも危険だな。この男なら、それこそ私や皇帝を倒して皇位を簒奪する程度のことはやりかねん)
キシロニアがアイドランドの覇権を握った暁には、適当な罪でもでっちあげて殺すなり元の世界に還すなりしてしまった方がいいだろう。
サラがそんなことを思っている間に、見極は物見塔の双眼鏡に飛びつき、キシロニアの有利が続くバトルフィールドを観察する。
サラも肉眼でバトルフィールドを眺めてみるが、そこにあるのは動かしがたいキシロニア有利の戦況で、サラには見極が何に慌てているのかまるで見当がつかなかった。
(……おかしな男だからな。勘違いもあるだろう)
サラはまだ楽観していたが、次の瞬間見極が発した言葉には注目せざるをえなかった。
「……霧が濃くなってきやがった……!」
「霧……!? 『機』がどうのという奴か!?」
見極の「機」を見る能力は、「機」を霞が晴れるという形で見ることができる能力だ。
その霞が濃くなったとすれば、それは「機」が遠のいたことを意味することになる。
「違ぇよ! 『機』を隠す霞じゃなくて、そのまんまの霧だ! エウレニアがかけた霧が濃くなって……これじゃほとんど雨雲だな」
「雨雲……」
この頃には、その「霧」は、肉眼でもそれとわかるものになっていた。
黒々とした雨雲のような霧が、バトルフィールドを覆っている。
サラは一瞬、これがエウレニアの降伏のサインではないかと考えた。
アイドル戦争の降伏のサインは、特定の周期で打ち上げる煙玉だ。
「……降伏のつもりか?」
異例ではあるが、煙玉に使うエレメントすら枯渇していれば、このような形で代用することもないとは言えない。
「いや、違うな。このような雨雲、まるで雨乞いのランドメイクではないか。これだけの規模の雨雲を作り出せるなら、降伏の煙玉が打てないなどということはありえんな」
サラの態度には、まだどこか暢気なものが残っていた。
雨がなんだというのか。キシロニアのゴーレムが、それで溶けて消えるわけでもない。
「降伏……? 違え! これが奴らの策なんだ! 逃げろッ! 今すぐゴーレムどもを撤退させろッ!」
「さ、策……だと!? それは……一体どのような!?」
「んなこと知るか! どのようなもこのようなもねえ、策は策だ! とにかくオレらは奴らの手のひらの上に乗せられちまってんだ! 今すぐ降りるんだよ!」
「そ、そんな理由で引けるか!」
「理由なんざ、『オレがそう思うから』で十分だ! オレ様がそうだっつったら、その通りになるんだよ! オレの勘が外れたことが、これまで一度だってあったかっ!? とにかく一刻も早くゴーレムどもを――」
焦燥を滲ませ、サラに噛みつく見極の言葉は、すさまじい轟音で途中から聞こえなくなった。バトルフィールドから遠く離れたこの物見塔にまで、大量のしぶきが跳んでくる。サラは顔をかばいながら身をかがめ、〈陸〉を揺るがす衝撃をなんとかこらえる。
最初の衝撃が収まってから、その場に伏せていたサラと見極は跳ねるように立ち上がり、物見塔の縁へと駆け寄って、バトルフィールドを見た。
見て、絶句した。
「な……なん……っ」
「こりゃあ……!」
城壁の外を――青が、埋め尽くしていた。