もしも俺が異世界で帝国と戦うことになったら!?(1)
その空間は、「赤」で彩られていた。
万事に質素で実用的なエウレニアの天守閣とは、何もかもが違う。
玉座に向かって敷かれた緋色の絨毯。
その左右にずらりと並ぶ、三メートル大の巨大な甲冑。
その右手には天井を突くほどに長い槍が、左手には大きなたいまつが握られている。
甲冑の手にしたたいまつには、自然の炎より明らかに赤い、血が燃え立っているような炎が灯されている。この炎は貴重な火属性のエレメントを消費して維持されるアイドルエフェクトの炎であり、これだけでもエレメント不足にあえぐエウレニアには真似のできない贅沢である。
ちょっとしたコンサートホールほどに広いその空間に、照明は甲冑の捧げ持つ血色の炎だけであり、そのことがこの広間に魔女の宴にも似た重苦しさを与えていた。
――キシロニア帝国、第三都市イカロス。その、〈皇帝の間〉である。
……先に断っておくが、僕は今、この場にはいない。
露天風呂での一件同様、居合わせた者から、あとで聞いた話である。
さて、アイドランドにおいて有数の勢力を誇るキシロニアの、沈鬱だが金のかかった玉座に座っているのは、まだ幼い皇帝ディオフである。
ディオフは、齢にして十。六歳の時に即位してからほとんどの時間を、こうして玉座にただ座ることによってすごしている。ルービックキューブに似たおもちゃを落ち着きなくいじり回しながら、しかし、その目は茫洋として焦点を結んでいない。
その隣に、腕を組んで立ち、ディオフの玉顔を、何かの実験動物を見るかのような無感動な目で見ている女がいる。
宰相サラ・マグナブ。
先日、エウレニアに対しライブビジョンによる降伏勧告を行った、あの女である。
紫の混じった銀髪と浅黒い肌。ベルさんと同様の尖った耳と切れ長の目の持ち主だが、ベルさんとは異なり、その顔は能面のように無表情でそこに人間らしい感情を読み取ることは難しい。
おもちゃで遊ぶディオフを冷ややかに観察しながら、サラの脳裏に浮かんでいたのは、別の男の顔だった。
歳は、四〇を越えたばかりだろうか。精悍さとだらしなさとがわかちがたく入り交じった、日焼けした男の顔だ。ふだんはアロハシャツと白いチノパン、ブランドもののサンダルとサングラス。腕時計はしていない。時間に縛られたくないからだ。
――立花見極。
サラ自身が配下のアイドルに命じて召喚させた、異世界の芸能プロデューサーである。
サラは、あの男がはじめてアイドランドの土を踏んだ時のことを思い出す。
あの男は、突然の召喚にも、戸惑うどころか面白がっている様子だった。
「――オレのクソガキが、そういうゲームが好きで、そればっかやってんだけどな。まさかオレ様がゲームの世界に入り込んじまうとは、思いもしなかったぜ」
この世界は遊戯ではない、とつっこむサラの声など聞かず、見極は「息子にいい土産話ができたぜ」などと嘯いていた。
ただ人ではない。数多の人間と接し、そのほとんどすべてを出し抜いてきたサラをしてそう思わせるだけの「何か」が、その男にはあった。
サラがキシロニアのアイドルをプロデュースせよと命じると、男は笑って言った。
「うまくいったら、おまえの乳を揉ませろ」
……ちなみに、キシロニアの女宰相サラは、男なら見ずにはいられない見事な巨乳の持ち主である。
殺気だった側仕えの騎士たちを制しながら、サラは久方ぶりに笑っていた。
「……いいだろう。貴様の思うとおりにやってみろ」
サラの言葉に、見極は歯を剥いて笑った。
見極は、キシロニアの現状を三日のうちには正確に把握していた。
そして、召喚から一週間と経たないうちに、衝撃的な改革案をいくつも公表した。
なかでも、アイドルに序列を持ち込むというアイデアは革新的だった。
アイドランドは、アイドルが中心の世界であり、アイドルたちは一種の聖職者と見なされ、どの国、どの都市においても特権的な保護の対象となっていた。
見極は、それを崩した。
アイドルたちに人気による厳密な序列を導入し、アイドルたちを激しく競わせ、成績のふるわないものは容赦なくアイドルの座から排除した。
見極が推し進めたアイドルの序列化によって、実力のないアイドルがその地位を失い、キシロニアはその分の資源を有望なアイドルへと集中的に投下できるようになった。
キシロニアのエレメント回収効率は、見極がプロデューサーの地位に就く前の倍以上にもなり、戦続きでエレメントが底を突きかけていたキシロニアが、今では他国に余ったエレメントを貸し付けるまでになったのだ。
一時は亡国の危機すら囁かれていたキシロニアは、今では十以上の〈陸〉を支配する一大強国にまでのし上がった。
それらのすべてが、プロデューサー・立花見極の功績による。
サラ自身も、貧民から身を上げた立志伝中の人物として知られているが、官吏としての有能さは、かならずしも宰相としての成功を保障するものではなかった。
サラの現在の権力の源泉は、玉座でうつろな目をしておもちゃをいじるこの皇帝の持つ権威であり、サラ自身の実力が認められたからではない。
(……私には不思議だ。私の合理的な提案を一顧すらせず拒む貴族どもが、こんなデクの言うことなら、どんな理不尽な命令であれ従うのだからな)
幼帝ディオフは、サラが腹心のシステムクラッカーに命じて施した特殊なアイドルエフェクトの効果によって、日中の大半を夢うつつの状態ですごしている。
周囲にはもちろん生まれつきの障害であると説明しているが……要するに、ディオフはサラに毒を盛られ、サラの命ずるままに動く操り人形と化しているのである。
そんなディオフのただ呆然としているような顔のどこに、他人を従わせうるものがあるというのか。
(王というものの不思議さ。アイドルというものの不思議さ。その不思議さの本質を、あの男――タチバナ・ミキワメは見抜いているのだろう)
失神するまで踊り続けるダンサー。
喉がかれるまで歌うのをやめなかったシンガー。
見極の指揮の下、快進撃を続ける帝国の後ろにはアイドルたちの屍がある。
ある者は恐怖に駆られ、またある者は見極に心酔し、その持てる力のすべてを振り絞って戦い……そして、捨てられた。
――屍山血河。
そんな言葉がサラの脳裏に浮かぶ。
もちろん、功績のあったアイドルには十分な報償が与えられ、生涯にわたって裕福な暮らしが保障される。
が、身体を壊し、喉を潰し――何より、そんな風に捨て駒も同然に扱われたことにショックを受けて、アイドルとして生きることを断念してしまう者も多かった。
それで諦めるならその程度、と見極は言うが、本当にそれでいいのだろうか。
何も、らしからぬ同情で言うのではない。限られた数のアイドルを使い潰して顧みない見極の破滅的なプロデュースに、はるか昔に捨て去ったはずの恐れが、鉄の心を持つはずのサラの胸にも去来する。
「――宰相閣下!」
広間に響いた声に、サラの物思いは破られた。
「何だ?」
咄嗟に返した自分の言葉は、思った以上に刺々しかったらしく、伝令の兵がびくりと身を震わせた。
「は……はっ。エウレニア側が、イカロスとの中間点に〈橋〉をかけました!」
「……何だと?」
〈橋〉――言うまでもなく〈陸〉と〈陸〉をつなぐ交通路である空間のことだが、戦時においてはまた別の意味を持つ。旧史時代の街道が、覇権国家同士の争奪戦の対象となったように、〈橋〉は、アイドル戦争における主戦場となる。
つまり、エウレニア側は、戦いに先駆けて都市の間に戦場となる空間を創り出した、ということになる。だいたいは攻撃側がかけることになっていて、サラも当然そうするものとしてそのためのエレメントを用意していた。
それを、今回はエウレニア側がかけた。エレメントの潤沢なキシロニアに比べ、貴重なはずのエレメントを使って、だ。
(せめて戦場だけでも自分たちの有利なように創ろう、ということか?)
が、それはこの世界における戦の定石から外れている。
(その程度で有利になるなら誰もがそうしている)
ランドメイクはあくまでも人間の居住環境を整えるためのものだ。
ゴーレムを足止めできるほどの起伏や濠を造ろうとすると、エレメントの消費量が多くなりすぎ、それならば素直にゴーレムの数を増やした方が戦力的にはプラスなのである。
サラは、兵に案内させてエウレニアとの中間点――エウレニアがかけたという〈橋〉を見渡すことができる物見塔へと向かった。
敬礼する物見の兵を脇に押しやりながら、サラは観測用に設置された双眼鏡を覗きこむ。
その視界は、白いものでぼやけて見えた。
「これは……『空白』……では、ないな」
「はっ。『空白』とはスペクトルが異なると、研究者も申しておりました。これはただの霧でございます」
「……霧、だと?」
「〈橋〉は『空白』しかない空間に創られたばかりですから、天然の霧は存在しえません。ですので、霧はエウレニア側がランドメイクによって創りだしたものだと考えられます」
……そんなことは言われなくてもわかっている。したり顔で報告する兵を怒鳴りつけたい衝動を抑えながら、サラは静かに考える。
問題は、なぜエウレニアはそんなことをしたのか、だ。
しかし、とりあえず「わからない」としか言いようがない。こちらを惑わすための欺瞞策の類いか、と思いながら、双眼鏡をすばやく巡らせる。
霧の奥に、何かがあった。その正体に気づき、サラはいっそう首をかしげる。
「……土塁、だと?」
その言葉を記憶の奥底から探してくるのに、数秒の時間を要した。
古代、人間同士が直接殺し合う、陰惨で野蛮きわまりない、戦争の名にすら値しない殺戮戦が行われていた時代のことだ。人間相手なら、あの程度のちゃちな障壁でも役に立ったと聞いたことがある。
(そういえば、エウレニアが我々に対抗すべくプロデューサーを召喚したという噂があったな)
その異世界人の指示だとすれば、納得がいく。
見極もまた、元の世界における戦争の道具をこの世界で利用しようと画策していた。
見極は、何が役に立ち、何が役に立たないかを見極め、この世界の戦争の形にあった兵器とその運用法とをいくつも案出し、その多くはこれまでの戦争で無視できない戦果を上げてきた。
が、
(とんだハズレを引いたようだな)
向こうのプロデューサーには、そのような細やかな吟味をする能力がないのだろう。
こちらには天才・立花見極が。
そして向こうには無能なプロデューサーが現れた。
(まさしく、天運我にあり……だ)
サラは双眼鏡から顔を離してほくそ笑む。
「――オイ、なんだ、悪ぃ顔してやがんなぁ。せっかくの美人が台無しだぜ?」
「……貴様か」
突然の濁声。その声の主は、振り返らずともわかる。キシロニアの実権を握るサラに向かってこんなたわけたことを言えるのはあの男しかいない。
「面白いことになってるらしいな? 独り占めはよくねぇぜ、サラちゃん」
「誰がサラちゃんだ! 人前では口の利き方に気をつけろと言ったはずだろう!」
たまらず振り返ったサラの前にいたのは、日焼けした野卑な男だった。アロハ……と呼ぶらしい南洋風のシャツと白のチノパン、靴はブランドもののサンダル。
キシロニア帝国主任プロデューサー・立花見極がそこにいた。
見極は、やはりブランドものだというサングラスを外すと、サラが覗きこんでいた双眼鏡に目を当てる。そして、ヒュゥッと下手な口笛を吹いた。
「悲壮な決意で最後の戦いに挑む気かと思ってたんだが、なんのなんの。向こうさん、何かをやらかす気でいるねぇ」
「……わかるのか?」
「わからいでか。オレ様のけったくそ気味の悪ぃ例の『能力』なんぞなくても、わかるだろうが? こう、ビビッとよ」
「……私の目には、前途行き詰まったエウレニアが妄動を始めたようにしか見えぬ」
当然のように言ってくる見極に、サラは不機嫌にそう返した。
「サラちゃんは確かに人のことをよく観察してるよ。だがな、あんたの観察は、ヒトという生きもんが、どういうインプットに対してどういうアウトプットを返すかっつー、ひたすら即物的な観察なんだな。ま、その即物的な観察をバカみてぇに徹底してやがるから、玉座のまわりにわんさといやがる、自己保身のことしか頭にねぇ俗物どもの妄動なんぞは、お釈迦様が人を見るみてぇに、まるっとお見通しになるんだろうがな」
「……では、貴様はどうなのだ? 貴様は人というものをどう見ている?」
「人の本質は心さ。心がわかればどう動くかなんざ自然にわかる。分析なんざ捨てて、虚心坦懐に見てみろよ? エウレニアのランドメイクが、何らかの明確な目的の下に行われてることが、すぐにわかるだろうよ」
サラはもう一度双眼鏡を覗きこんでエウレニアの生み出した〈橋〉を観察する。
が、どこをどう観察してみても、見極の言うような「明確な目的」など見いだせない。
「……わからぬ。やはり、貴様は能力を使っているのではないか? 『機』が見えるとか言っていた例の」
立花見極には、特殊な能力があった。
いや、アイドランドへ召喚された際に、特殊な能力が備わったのだという。
見極には、「機」が見える。
アイドルのプロデュースであれ、戦争の采配であれ、あるいは酒場で女を口説くのであれ、「機」が生じれば見極には文字通りにそれが見える。
当人によると、「機」が熟すると目の前の霞が晴れていくように見えるのだという。
大キシロニアの宰相を務めるサラにして、そんな話は聞いたことがなかった。
が、能力のことを知った見極は、
「昔から機を見るに敏だと言われちゃいたが、こんなのはこっちに来てからのことだぜ」
おどけるようにそう言っただけで、動揺するでも昂揚するでもなかった。
そんな不気味な力が備わって恐ろしくないのかと聞いても、
「もともと『機』なんて見えるもんだろうが。直感でつかんでたのが目で見えるようになって便利っちゃ便利だが、なくったって同じことだろうよ」
そう言って肩をすくめるだけだった。
サラであれば、即座に得た能力を徹底的に分析し、最大の結果を得られる活用方法を洗い出しているところだ。
プロデュース業の見返りとして酒と女を所望した快楽主義者の立花見極は、こと自分の能力に関しては不思議に無欲で、恬淡としている。
(……不思議な男だ)
この奇妙な異世界の男に、サラは比類ない興味を抱いていた。
……そこに男女の機微が存在したのかどうかは、本人にしかわからないことだろうが。
「だから、使ってねぇって。全体の感じだよ。自暴自棄になってる奴も、たしかにおかしなことをしだすがな、その場合は『こんな風』じゃねぇんだよ。……ったく、どう言ったらわかるかなぁ」
見極はそう言いながら、おおざっぱに後ろに撫でつけられた髪をがりがりとかいた。
こんな時、見極は不思議に子どもじみて見える。
サラは、思わず浮かんだ苦笑いを誤魔化すように聞いた。
「『機』は……今も見えるのか?」
「いんや」
見極は短く否定した。
「大丈夫……なのか?」
「もともと不安定な能力だからな。だが、そもそもエウレニア戦に関しちゃこれといった不安要素もねぇだろ。俺の力――『機』を見る能力の出番はねぇかもしれねぇな」
サラは見極の言葉にうなずき、兵たちに開戦の準備を急がせる。
サラと見極は、その監視塔を臨時の司令部とすることに決めた。
所属のアイドルたちにメガライブフィールドの展開を命じると、二人は司令部に用意した小型のライブヴィジョンを使ってライブの模様を確認しながら、バトルフィールドで繰り広げられるゴーレム同士の大規模戦闘を観察する。
戦況は、予想通りキシロニア有利に進んでいた。
「無駄なあがきを……」
キシロニアの軍勢は、数体のアースドラゴン、十を越えるファイアゴーレムとゴブリンの小隊、遊撃戦力としてサラマンダーを数体、といったもので、これらの中核戦力を中心に、フレイムリザードやコボルトのような火・地属性の雑兵もまた無数に抱えている。
対するエウレニアは、上位ユニットはウンディーネ数体のみ、他は下位のミズチが十数体と多数のワームやスライムといった編成だ。
踏みつぶせ。そう命じた通り、キシロニア軍は数と質、両面における優位を前面に出した力押しの戦術をとった。
それに対してエウレニアは、最大戦力であるウンディーネを、意外にもサラマンダーへの対処に当て、ファイアゴーレムにはミズチを、アースドラゴンにはなんと、ワームとスライムの大群をぶつけてきた。
ごく普通の発想であれば、同じ上位ユニットであるウンディーネでアースドラゴンをおさえるか、こちらの編成の核となっているファイアゴーレムを潰すか、いずれかの戦術を取ってくるはずだ。
たしかに遊撃戦力としてのサラマンダーは、単体戦力としても中位に位置づけられるゴーレムユニットだから、好きに動かれ自陣を荒らされては困るという考え方もなくはない。
しかしそのために貴重なウンディーネを動かし、ミズチやワームやスライムを勝ち目の薄い相手にぶつけるというのは、はっきり言って愚策だ。
「サラマンダーはウンディーネを引きつけながら逃げさせろ。アースドラゴン、ファイアゴーレムは……楽な相手だ。さっさと踏みつぶせ」
サラはそう命じて、後は静観を決め込むことにした。
このような愚策に出たことで、エウレニアの勝ち目は完全になくなった。
見極が「機」を見なかったのも当然だ。負ける余地がないのなら、「機」などそもそもありようがない。
「これではほとんど演習だな」
サラはあくびまじりにそうつぶやくと、同意を求めて、後ろに立つ見極を振り返る。
が、そこに見極はいなかった。
見極はサラが振り返ったちょうどその時にすばやく動き、サラが振り返る反対側から双眼鏡に飛びついて、憑かれたような目でバトルフィールドを観察しはじめていた。
その尋常でない様子に、サラの心に初めて不安が兆した。
「……どうした?」
「いや……どうもしねぇよ。そうだ、どうもしねぇんだ」
見極はつぶやきながらなおも戦場を見ていたが、唐突に顔を上げ、
「――なんとしてもあいつをやれ」
そう言ってバトルフィールドを指さした。
この距離から、肉眼でも見える巨大なそのゴーレムユニットは、敵方のウンディーネだ。
「無視した方がいいのでは?」
ウンディーネは確かに強力な戦力だが、数が限られている。しかも、サラマンダーへとまとわりついて現在戦力として機能していない。無理に倒さず放っておいた方がこちら側の損耗は少なくて済むはずだ。
「やつらの心を折るんだよ」
「心を……?」
「わかんねぇかな? あのウンディーネとかいうデカブツは、やつらの旗印だ。これだけ強ぇゴーレムがいるんだからキシロニアにも負けるわけがねえ。そう思わせておくことで、味方の士気を維持してるんだよ」
「なぜ、そこまでする必要がある?」
ゴーレムユニットさえ倒せば、エウレニアはキシロニアに屈せざるをえない。心が折れていようがいまいが関係ない。振り上げる拳をなくした者の言葉には、もう何の強制力も残ってはいないのだ。
「あっちの狙いがいまだにわからねえ。その癖、嫌な予感がずっとつきまとってやがる。だから、相手のやりたいことをやらせねえで勝つ」
「相手の……やりたいこと?」
「具体的にそれが何なのかは知らねぇよ。ただ、この期に及んで、向こうは心が折れてねえ。……おまえ、向こうのライブは見たか?」
「いや……」
ライブフィールドにおけるライブは、「空白」の無限に情報を伝達できる性質を利用して、アイドランドのすべてに無限定で同時に配信されている。だから、敵方のライブを見ることも基本的には可能である。
そういえば、さっきから見極はライブビジョンの画面を増やして、エウレニア側のライブ放送を熱心に視聴していた。
「負けてるぞ」
「……は?」
「キシロニアの、つまりオレ様の育てたアイドルが、負けてやがるんだ」
「負けて……? だ、だが、アイドルのライブというものは、単純に勝ち負けをつけられるようなものではないだろう?」
「バカ、そういう意味じゃねえよ! 向こうのアイドル――とらいでんととか抜かす新造のユニットだが、こっちのアイドルより……なんつーか、押してきてるんだ!」
「押して……?」
「アイドルと、その背後にあるエウレニアの勢いみてぇなもんが……あぁ、もう、これくらい言わんでもわかれッ!」
「む、無茶を言うな! おまえの特殊な感覚は誰にでもわかるものではないんだ!」
もどかしそうに叫ぶ見極に、サラも思わず叫び返した。
それからハッとして、司令官二人の様子に、司令部に居合わせた兵たちがうろたえていることに気づく。
「おまえにわかるように説明してやる時間はねえ! ウンディーネだ! いいからとっととやりやがれ!」
「…………」
見極の横柄な物言いに閉口しつつも、サラは兵を呼び寄せ指示を出す。
(……これでは、どちらが上か、知れたものではないな)
そんなサラの内心など知りもせず、見極は獰猛に歯を剥きながらつぶやく。
「さあ……これでチェックメイトだぜ、エウレニアさんよォ?」
バトルフィールドでは、サラからの命令を受けたオペレーターの操作で、スライムにたかられていたアースドラゴンたちが一斉に、ウンディーネに向かって突進をはじめていた。