もしも俺がアイドルと営業することになったら!?(5)
「もう一度、アイドル戦争について確認しておくわ」
その夜、僕はベルさんの執務室にいた。
執務室には僕とベルさんの他に、エウレニア軍の首脳――元帥と作戦参謀がいた。
元帥といっても、僕がその言葉から想像するようないかつい武将然とした感じではなく、よれた作業着がよくなじんでいるエンジニア風の中年男性だ。
それもそのはず、この世界における「軍」とはゴーレムユニットのことだから、それを「統率」する元帥の仕事は、器の大きさで部下をまとめあげることではなくて、ゴーレムユニットに的確な指示を伝達することである。戦争用のメガライブフィールドには、ゴーレムユニットを操作するための端末があり、そのオペレーターを束ねるのが元帥の仕事である。状況判断には一定の胆力が必要となるものの、どちらかといえば戦いの最中に頻発する技術的な問題の解決こそが彼の役割なのだという。
そして作戦参謀は、なんと、僕のよく知るあの学者さんだった。
「アイドル戦争とは、つまり、汎アイドランド・アイドルシステムにおける唯一の紛争解決手段なのだよ」
いつも通りの口調で、学者さん――いや、作戦参謀は解説する。
「汎アイドランド・アイドルシステムは、紛争を抑止するためのシステムなのだ。まず、ゴーレムユニットという強力な兵器を導入することで、人間兵士の存在意義をなくした。そして同時に、従来は戦争の担い手となりえなかった若い女性の中から巫女を選び、アイドルという名のシステム管理者とした。このようにして、人間同士の血なまぐさい殺し合いを極力抑制しようとしたのだ」
「……すべての女性が平和主義者ではないと思うけれど、それまでの戦争は体力に優る男性が中心となって行われていたわ。システム管理者を若い女性に限ったことで、旧来の軍がゴーレムユニットを自らの駒として戦争を続行しようとする可能性を潰したのね」
ベルさんがそう付け加える。
「アイドル自身が悪い心の持ち主だったら?」
「アイドルの『力』は、観客を盛り上げることによってはじめて使えるものだから、仮に好戦的なアイドルがいたとしても、観客の支持を得られない限り、自分勝手に力を行使することはできないわ」
「……なるほど」
ある意味では民主的なシステムだってことか。
「アイドルの役目は、アイドル戦争ばかりではない。アイドルエフェクトの中には、ランドメイクと呼ばれる一群の非戦闘用エフェクトが存在する」
「……たしか、〈橋〉を作るために使うんでしたね?」
「それだけには限らんよ。むしろ、土地の地味を向上したり、湖や川の治水に利用したり、雨を降らせて山火事を鎮めたり……つまり、自然の猛威を和らげ、〈陸〉を人間にとって住みよい土地とするために用いられるのがランドメイクなのだ」
「なるほど」
穂継ぎの巫女は豊穣の女神の化身だったのではないか、という説もあるらしい。巫女の備えていたネコミミがその根拠だというのだから、僕にとっても他人事ではない。
「……ランドメイクについては、あまり掘り下げる必要はないわ」
ベルさんが脇道に逸れかけていることを指摘する。
「いや、失敬。とにかく、アイドルこそが、汎アイドランド・アイドルシステムの核となる存在なのだ。アイドルこそが、われわれの世界に充満する『空白』に意味を与えることができるのだよ」
だからこそ、プロデューサーという仕事もまた聖職と見なされているのだ、と作戦参謀は言う。
そこで、元帥が口を開いた。
「アイドル戦争は、アイドルがメガライブフィールドを立ち上げるところから始まる。メガライブフィールドは、アイドルのライブ会場である通常のライブフィールドと、ゴーレムたちの戦場となるバトルフィールドのふたつからなる。アイドルはライブフィールドでライブを行ってエレメントを集め、バトルフィールドにゴーレムユニットを召喚する。われわれ軍は、そのゴーレムユニットを操作して敵方のゴーレムユニットの撃破を狙う」
アイドルをプロデュースするという話から急にものものしくなってきた。
いや、この世界ではこれが普通なんだ。アイドランドにおけるアイドルは人々の娯楽源であると同時に戦争のための道具でもある。そのふたつはコインの表と裏で、切り離すことなんてできない。
「ゴーレムユニットの召喚には、当日のライブで得たエレメントの他に、あらかじめ貯蔵したエレメントも使用するわ」
「貯蔵できるなら、なにも当日に集めなくてもいいんじゃ?」
僕の疑問に、作戦参謀が答える。
「ライブで得たエレメントを使う方が、効率がいいのだよ。エレメントは、貯蔵する際にその半分程度のロスが発生する上、貯蔵したエレメントを解凍する際にも、やはり半分ほどのロスが発生してしまう。つまり、生のまま使う方が四倍効率がいいということになる」
「それだけじゃないわ。エレメントの回収のために展開するライブフィールドやライブサークルもエレメントを必要とするから、ライブが盛り上がらなければ赤字ということもありうるの。だから、貯蔵・解凍時のロスに加えて、回収時のコストのことも考える必要があるわ。結局、貯蔵と生とで十倍近い差が出るかしらね」
うなずく僕を見ながら、今度は元帥が言う。
「問題は、貯蔵に向くエレメントと向かないエレメントがあることだ。地属性、水属性のエレメントは貯蔵が楽で、火属性、風属性は貯蔵が難しい。軍としては、戦争で有用なわりに貯蔵のきかない火属性エレメントの確保が生命線となる」
そこで、元帥は難しい顔をした。
「ただ、火属性はもちろん、他の属性についても、プロデューサー召喚のアイドルエフェクトで大きく消費してしまっている。エウレニアのエレメント貯蔵量は、プロデューサー召喚前の、実に半分以下というありさまだ」
「そ、そうですか……」
僕を呼ぶためにベルさんがどれほどのコストを払ったのかが、よくわかる。
苦々しさの混じる元帥の言葉に、ベルさんが唇をとがらせて反論する。
「そうは言うけれど、もともとキシロニアには火属性のアイドルが多く所属していて、エレメントの貯蔵量でもライブにおける回収量でも勝ち目はまったくなかったわ」
「……それはわかっている。いや、すまない。城代の判断は適切だったと思っている」
元帥も言い争う気はないらしく、あっさりと引き下がった。
「城代の描いておられた大戦略は、つまり、プロデューサー召喚による盤面返しだろう。慎重な城代にはめずらしい賭けだったが、その賭けは当たったと言ってよさそうだ。タチバナ君の助力によって、われわれはとらいでんとという希有なアイドルユニットを手に入れることができたのだから」
作戦参謀の言葉に僕は思わず頭をかく。
「賭けが当たったかどうかは、この戦いに勝ってから考えるべきことだわ。ミホシ君もとらいでんともよくやってくれている。ただ、センターのクゥが戦闘向きでない水属性なのは、少し痛いわね」
「ウンディーネは強力なゴーレムユニットだが、それだけで勝てるほどキシロニアは甘い相手ではないからな」
ベルさんの言葉に元帥がうなずく。
今日の昼、とらいでんとがウンディーネの召喚に成功したことで、街は今お祭り騒ぎになっているらしい。
とらいでんとのみんなも、限定ライブの大成功に自信を深めていた。
とくにアイドルをやることに不安を感じていたクゥの喜びようは大きかった。レッスン中落ち込んだり、時には泣いたりしているクゥを見てきた僕としても、これでようやくとらいでんとが本当の意味でエウレニアのトップアイドルになれたと肩の荷が下りる気持ちだった。
でも、エウレニアの置かれている状況は、この程度の成功では逆転できないほど厳しいものなのだ。
元帥と作戦参謀は、執務室の中央に置かれた大きな盆のようなものを前に、当日の作戦を議論している。
盆は、大太鼓くらいのサイズのもので、中は中空だが、うっすらと靄のようなものがかかっている。元帥や作戦参謀が盆の中を指さすと、そこにミニチュアのゴーレムユニットが現れる。作戦検討用の霧函で、中には「空白」が詰められているのだという。
その霧函を見ていると、どうしても、ハイディーン・クロニクルのことを思い出す。
中毒のようにハマっていたゲームだから、この世界に召喚されてからも、時折無性にやりたくてしかたがなくなることがあった。
「……? どうしたの、ミホシ君」
「あ、いえ。僕の世界には、これに似たゲームがあったんです。もっと複雑なものですけど。これでも、けっこう名の知れたプレイヤーだったんですよ」
「へえ……ひょっとして、ミホシ君は軍略にも詳しいのかしら?」
「軍……とは、違いますね。チェスのようなゲームですよ。ルールはもっと複雑だけど」
「それでも、意見があったら聞かせてちょうだい。私たちでは気づかないことに気づくかもしれないわ」
そううまくいくとも思えなかったが、とりあえずうなずき、元帥と作戦参謀の議論に耳を傾ける。ベルさんも議論に加わり、時々鋭い意見を言って二人をたじろがせている。
僕は、三人の議論をながめながら、妙な既視感に襲われていた。
エウレニア側にはウンディーネがいるが、キシロニア側には多数のファイアゴーレムとサラマンダー、さらに地属性上位ユニットのアースドラゴンまで存在するという。
三人は、いかにして強いユニットで強いユニットを制するかを議論している。
僕は、そんな議論はむだだとすぐに気づいた。
こちらのカードが一枚しかないのに、カードを何枚も持つ相手に正面から挑んだって敵うわけがない。
キシロニア側の陣容は聞けば聞くほど隙がない。
いかにも、父――敏腕プロデューサー・立花見極が好みそうな超重量級の陣容だった。
(……クソオヤジはいつだってそうだった。強いカードを集めて、弱い相手を叩く)
立花見極にプロデュースされたアイドルは必ず当たる。
それは半ば、業界の常識ともなっていた。
が、同時に、影ながらではあるが、その常識の対となるもうひとつの常識もまた、存在していた。
すなわち――立花見極にプロデュースされたアイドルは、最後には立ち枯れる。
父は新人の中に輝く素質を見いだすと、しばらくのあいだそのアイドルに夢中になる。母からは浮気を疑われるほどの熱の入れようだが、不思議なことに、夢中になっている間はそのアイドルと関係を持つことはないらしい。
父は何かに取り憑かれたような勢いでアイドルのプロデュースに夢中になるが――やがて、飽きる。
その飽きは、いつ訪れるものだか本人にもわからないらしい。
とにかく、ある日突然に、立花見極は、アイドルに飽きてしまう。
そうなると、後は早い。
そのアイドルはどういうわけか、他のどんなプロデューサーをつけても凋落を免れられず、急速に芸能の第一線から姿を消していく。
父に捨てられたアイドルは、日に日にその輝きを失い、生きる気力すら失って、中には自殺を図る者すらいるという。
――立花見極は、アイドルを使い潰す。
父が敏腕プロデューサーとしての名声をほしいままにしながら、同時に一部関係者から蛇蝎のごとく嫌われているのは、そのためだ。
(……僕は、違う)
ハイディーン・クロニクルはよくできたゲームで、どんなユニットにも使い道がある。
いや、使い道を見つけるのだ。
僕が「トライデント」という一枚のアイテムカードに執着し、逆転の戦略を編みだした背景には、やはり、アイドルを使い潰す父親への反発があったのだろう。……あまり、認めたくはないけれど。
「特別な力を持つヒーローだけしか悪と戦えない話って、あまり好きじゃないんだ。だって、もしそうだったら、僕なんか出る幕がないじゃないか」
霧函を前に議論していた三人が、僕を見た。
「ミホシ君は十分に特別だと思うけれど」
ベルさんの言葉を無視して、僕は霧函の前へと進み出る。
「僕なら――」
僕は霧函の中を指さした。