もしも俺がアイドルと営業することになったら!?(3)
「見ぃ~ちゃった♪」
エッテが化粧を直すと言ってバルコニーを後にしてからすぐ。
バルコニーの陰――パーティ会場のぶ厚いカーテンの後ろから、リノが現れた。
「……おまえもサボりか?」
「お兄ちゃんに言われたくないですぅっ! ていうか、エッテの時と態度が違う~っ! りのも優しくハグしてほしいぃ~っ!」
酷くない? 酷くない? と言いながらリノが地団駄を踏む。
せっかくなので、かねてからの疑問をぶつけてみる。
「なあ……なんでお兄ちゃんなんだ?」
リノは「えへ♪」と言ってウインクしながら、
「……りの、きょうだいがいなかったから、そういうのに憧れがあって。ずっと、りののお兄ちゃんでいてね♪」
「嘘吐け」
ちょっと前から気づいてたんだけど、リノはこういう他愛のない嘘を吐く時に「輝き」が増す。
つまり、こいつは生き生きと嘘を吐く。
いや、嘘じゃないのか。じゃあ、天性の小悪魔だろうか?
「……あは。やっぱりわかるかあ。ホントは、その方が萌えるかなぁって」
「萌える……って」
通訳妖精の訳が悪いのか、案外的確な訳なのか。
「でも、本当にお兄ちゃんには通じないね。さっきも、水運会社の社長さんが『わしにも国元に同じくらいの娘がおってな』って泣き出しちゃってさぁ」
リノはその気の毒な社長さんの物まねをしてから、
「きしし……騙されてやんの」
猫のように丸めた手を口元にあてて、毒づいて見せる。
「……本当は性格悪いよな、リノは」
「なによ、お兄ちゃんがやれって言ったんじゃない」
「それはそうだけど」
確かにレッスンの時に、あざとかわいい路線で押していけ、とは言っている。
ひとしきり含み笑いをしたリノは、突然くるりと回って僕に背を向けた。
首だけ僕へと振り返ってくるが……その瞳は、歳に見合わない冷め切ったものになっていた。
「大人ってつまんな~い」
「……どうして?」
「みんな、りのの演技に騙されちゃうの。りのが内心ばっかみたいって思いながら笑ってても、全然気づかないの」
「それは……」
「りのの演技が上手だから、それはしかたがないんだけど……うーん、なんていうかな」
リノは、こつこつとバルコニーの床をヒールのかかとでつつく。
「みんながみんな騙されちゃうと、りのの本心って、何のためにあるのかなって思っちゃうんだ」
「本心が、何のためにあるか?」
聞き返した僕に、リノは小さくうなずいた。
「誰も、りのの気持ちをわかってくれないなら、気持ちなんて、持ってるだけむだじゃない?」
そういえばリノは、小さい頃サーカス団に拾われて育ったんだっけ。まわりが大人だらけで親と呼べる人がいないっていう状況は、小さな子どもにはとても辛いはずだ。
リノが大人の顔色を読むのに長けているのも、そんな生い立ちが関係しているのかもしれない。
でも、
「そんなことないよ」
僕は思いきって否定する。
リノが、意外そうな顔で僕を見る。
「どうして?」
「リノは、今僕がどんな気持ちかわかる?」
質問を返した僕に、リノは首を振った。
「今、僕はうれしいんだ」
「うれしい?」
「リノの本音が聞けたから」
「……っ」
リノがまた、くるりと回って背を向けた。
今度のは、ちょっとだけ慌てたような動きだった。
「……そ、そうきたかぁ」
「リノ?」
「……そうきたかぁ」
リノは「そうきたかぁ」を繰り返しながらバルコニーをふらふらとつまさき歩きし、元来たカーテンの方へ戻っていく。
「ち、ちょっと?」
「えへへ♪ がんばろぉね、お兄ちゃんプロデューサー!」
リノはそう言いながら手を振って、会場へと戻っていってしまう。
最後の瞬間の、弾けるような笑顔が、僕のまぶたに焼き付いた。
「……よくわかんない奴」
いつもの演技より、今の態度の方が、よほどわけがわからなかった。
パーティは、盛況のままに終わりを告げた。
僕の部屋と、城内に住むことになったクゥの部屋は、隣でこそないけど、けっこう近い場所にある。
他のみんなと別れて、僕とクゥは会場から天守閣への道を一緒に辿る。
会場は、天守閣の離れに当たる場所だったので、城の空中回廊を月明かりを頼りに歩いて行くことになる。クゥは僕の腕を遠慮がちにつかんでいた。
「見星さんの世界って……どんな世界なんですか?」
ドレスの上にぶかぶかのダッフルコートを被ったクゥが聞いてくる。
「そうだなぁ。どこから説明したらいいか困るくらい、アイドランドとは違うよ」
「何が、違うんですか?」
「たとえば、『空白』かな。僕の世界には、『空白』なんてなかった。隙間なく、ぎっちりと描き込まれてた」
僕は、小学生だった頃のことを思い出す。
図画工作の授業で絵を描いた時、先生に、余白まできちんと塗りなさいと言われた。
でも僕は、画面の隅にすこしの余白を残しておくのが、なんとなく好きだった。
完成された絵は、たしかに綺麗だし、描いた人の努力のほどがわかるけど、未完成の絵の方が、絵の外への広がりが想像できて楽しい。
そんなことをクゥに話してみると、
「……神様は、人々がそこに夢を描けるように、あえて『空白』を残されたんだって、お母さんが言ってました」
クゥは微笑みながら、そんなことを言ってくれた。
「お母さんって、あの時の歌を教えてくれたって言う?」
「はい。……ふふっ」
「……ど、どうしたの?」
「見星さんって、なんだかお母さんみたいだなって」
「お、お母さん……?」
「厳しいけどあったかいところもそうですけど……何より、いつも夢を見せてくれるんです。世界には、もっとすばらしい可能性があるのよ……って」
年頃の男として、お母さんみたいというのは喜んでいいのかわからないけれど、いい意味で言ってくれているのはわかる。
「今、夢を見せてくれてるのは、クゥの方だよ。僕はクゥや……とらいでんとの描く夢を、特等席で見せてもらってる。これって、すごく贅沢なことだよ」
「……今日、いろんな人とお話しして、わたし、本当にアイドルになったんだなって、実感しました。皆さんのとらいでんとにかける期待のほども、わかりました」
「……怖くなった?」
僕の問いに、クゥは小さく、しかしはっきりと首を振った。
「いいえ。自分でも不思議なんですけど、がんばろうって思いました。わたし、誰かにこんなに必要とされるのって初めてなんです。それがすごく嬉しくて……今、自分でもびっくりするほど、わたし、やる気に溢れてます……っ」
クゥはそう言って、ぐっと拳を握ってみせた。