もしも俺がアイドルと営業することになったら!?(2)
本日2話更新、この話は2話目です。
キシロニアとは、いつ戦端が開かれてもおかしくない。
ベルさんはさまざまな形で外交攻勢をしかけてキシロニアから時間を稼いでいるけれど、一ヶ月持ちこたえられるかは疑問だという。
そんな中で、とらいでんとはレッスンと営業活動にいそしみ、僕はプロデュース業とこの世界についての勉強を並行してこなす。
そんな日々が一週間続き、僕がこの世界にも多少はなじんできたところで、とらいでんとのお披露目を兼ねたスポンサー向けのパーティが開かれることになった。
「えへへ……っ♪ どう、お兄ちゃん? りの、似合ってる?」
赤い絨毯の敷き詰められた立食会場で、ドレス姿のリノが裾を持ち上げてくるりと回った。エメラルドのような透明感のある緑のドレスは、リノによく似合っている。
「あ、ああ……よく似合ってるよ」
僕はそう答えて、リノの後ろに立つエッテを見る。
エッテのドレスは肩を大胆に出した深紅の豪奢なものだ。ブロンドと深紅のコントラストが強烈で、容姿に自信のない者なら怖じ気づいてしまいそうな組み合わせだけど、さすがというべきか、エッテは見事に着こなしていた。
「エッテも。ドレスにまったく負けてない」
「それは……ありがとう、ございます」
硬い表情で会釈してくるエッテに、僕は首をかしげた。
今日のエッテは、どこか気がそぞろだ。
そんな様子でも派手なドレスに負けていないのは、着こなしているという以上に、エッテがドレスを半ば普段着のように着慣れているからだろう。
(……こういう社交関係の集まりはお手の物だって言ってたけど)
ロキサンドリアの姫君として育ったエッテは、小さい頃から社交界に出入りしていたという。基本的な行儀作法から如才のない会話術までを、幼少時から骨の髄まで仕込まれたと、エッテは言っていた。
だから、今回のようなパーティは、エッテにとって、アイドルとしてステージに立つ以上に慣れ親しんだもののはずだ。
それなのに、今日のエッテは緊張しているように見えた。
「……見星、さん」
後ろから声をかけられて振り返り――僕は息を呑んだ。
「……見星さん?」
「あ、ああ……」
そこにいたのは、淡い水色のドレスに身を包んだクゥだった。
ドレスといっても、クゥはエッテほどドレスを着慣れていないので、ワンピースに近いデザインの比較的動きやすいものを選んでいる。
それでも、ドレスはドレスだ。
専属のスタイリストがセットした、髪をアップにするヘアスタイルと、むきだしになった白い肩のせいで、今日のクゥはいつもより格段に大人びて見える。
……ちなみに、例のネコミミは、海神のエラを象ったティアラで巧みに隠されている。
「け、化粧もしたんだ」
「は、はい……お化粧って、はじめてです。……変、ですか?」
「い、いや……すごく、似合ってるよ。綺麗だ」
「そ、そうですか……よかった」
クゥが頬を赤くしてうつむく。
「ちょっとぉ~、りのたちの時と反応が違うんじゃないの、お兄ちゃん?」
「いや、そんなつもりは……」
「ま、たしかにクゥの化けっぷりはすごいけどね~。ていうか、これまでろくにオシャレもしてなかったみたい。スタイリストさんたちがもったいないって嘆いてたよ」
「ああ、俺も驚いたよ。こんなに見違えるなんてな」
僕が言うと、クゥはなおさら照れたらしく顔を赤くして僕に背を向けてしまった。
と、リノが僕に顔を寄せ、声を潜めて言ってくる。
「……エッテ、変じゃない?」
「そうだな。社交は得意だと言ってたはずだけど」
エッテは僕たちのひそひそ話にも気づかない様子でぼんやりと立っている。
「クゥはこういう場には不慣れだからな。今日はリノが頼りだよ」
「任せてっ! ……と言ってあげたいとこだけど、りのもこういうのはそんなに慣れてないよ?」
「今日は男性客が多いらしいし、リノならうまくやれるだろ?」
「……なぁんか言い方がやらしー」
リノは僕にジト目をくれながらも、二人のフォローは引き受けてくれた。
が、案に相違して、これといったトラブルもないままパーティは進行した。
僕はとらいでんとのプロデューサーとしての挨拶を済ませると、スポンサーたち――富裕な商人や貴族、ライブビジョンの放送局や出版社のお歴々――から逃れるように、城のバルコニーに出てノンアルコールのカクテル片手に空にかかる月を眺めていた。
「……あら」
突然の声に振り返ると、そこには会場側からバルコニーに出てきたエッテの姿があった。
僕に見つかって、どこかばつが悪そうな様子だ。
「お邪魔でしたかしら?」
「いや、いいよ。一緒に話そう」
バルコニーの手すりにもたれている僕の隣に、エッテがおずおずと並ぶ。
夜風はけっこう冷たい。ドレスで肩がむきだしのエッテが、小さく身を震わせた。
僕はベルさんに着せられたタキシードの上着を脱いで、エッテの肩にかける。
「ありがとうございます、プロデューサー」
「……ん、ああ」
僕はあいまいに返事をする。
「それとも、今はプロデューサーではありませんの?」
「そう、だね。まだパーティの途中だから、プロデューサーのままでいるべきなんだろうけど、こういう場じゃうまく集中できなくて。だから今の僕はプロデューサーじゃない、素の立花見星だよ」
パーティとかよくわからないから逃げてきた、と白状するとエッテはくすりと笑った。
「わたくしも、ですわ。会場から、逃げて参りました」
「……そうなんだ」
僕は言って月を見上げる。
「……くわしく、聞いてはくれませんの?」
「あまり聞かれたくないのかな、と思って」
「プロデューサーの時のミホシ様なら、絶対に聞いてきますわ。わたくしが嫌がっても容赦なく」
「ごめんね。ああなってる時の僕は、遠慮とかそういうのないから。最適解へとまっしぐら。人への配慮なんてふっとんじゃう。そのおかげで得たものもあるけど、失ったものもある」
ハイディーン・クロニクルでトッププレイヤーの一角として認められているのはこの集中力のおかげだけど、同時にこの集中力のせいで損なった人間関係だってある。
「そして、今の僕は、女の子の立ち入った事情に踏み込むことを躊躇するような、情けない男だよ。それでよかったら、聞かせてほしい」
エッテは僕の顔をしばらく見つめてから、ため息を吐いた。
「……クゥさんの気持ちが、すこしわかったかもしれません」
「え? クゥ?」
「……なんでもありませんわ」
エッテは首を振って、話しはじめた。
「今日の招待客の中に、ロキサンドリア時代に顔見知りだった方がいらっしゃったのです」
「……ああ、それで」
「ええ。わたくしは怖かったのですわ。国を亡くし、他国にアイドルとして身を寄せる境遇を笑われはしないかと」
「それは……」
「わかっています。杞憂もいいところですわ。だいいち、そんな心配をするのは、よくしてくださっているエウレニアの皆さんに失礼極まりない話です。でも、姫として育てられたわたくしには、王家の人間としての特権意識が、どうしてもこびりついているのです」
なんとなくだけど、僕にもわかる。
有名プロデューサーと大女優の間に生まれたことで、そうでない人たちに意味のない優越感を持っていたことも、ないとは言えない。
「……ベルは、それこそがわたくしがアイドルとして大成するのを妨げていると言いました。ミホシ様がやってくる前のことですが」
「……ずいぶん切り込んできたものだね」
ベルさんなら確かにエッテの抱える葛藤に気づくと思うが、同時にそれをまずい形で刺激しないだけの思慮もあるように思う。
「わたくしが悪かったのです。エウレニアに来たばかりの頃のわたくしは、傲慢でしたわ。姫としてちやほやされて育ってきたために、それがアイドルとしても通用すると勘違いしていたのですから」
エッテほどの美貌と才気があれば、アイドルとしてもまずやっていけるだろうと思う。
でも、姫としての自意識を露骨に出しては、「鼻持ちならない」「見下している」などと思われてしまう可能性もある。
「……そういえば、二人は名前で呼び合ってるね。ベル、エッテと」
「ええ。ベルは言いました。『あなたにとって姫としての自意識を守ることが必要なら、私といる時に済ませなさい』と」
「ベルさんと……いる時に?」
「ベルは、わたくしの身勝手な自意識を頭ごなしには否定しませんでした。それはその通りそこにあるものなのだから、受け入れて、第三者にバレないようにうまく処理しなさい、と、そう教えて、わたくしに自分のことを呼び捨てにするように、と命じたのです」
「……城代であるベルさんと対等の口を利けるのは、姫であるエッテだけ、か」
「そういうつもりだったのでしょう。わたくしはもちろん断りましたが、ベルは、わたくしがベルを呼び捨てにしないならば、わたくしをアイドルから降ろすと言いました。ベルは、やると言ったら本当にやります」
僕は言葉を失った。
ベルさんは言った。僕にはアイドルを見る目はあっても、アイドルを扱う技術がないと。
どうやら、アイドルを扱うことに関しては、僕はベルさんの足下にも及ばないようだ。
「でも、そうして命令で呼び捨てにさせられているうちに、わたくしの姫としての自意識が、滑稽に思えてきました。尊敬する人を呼び捨てにすることで満たされる自意識なんて、キシロニアと戦う上で、何の役にも立たないものです。……あぁ、まったく。昔の自分を思い出すと、恥ずかしくてここから飛び降りたくなりますわ!」
晴れ晴れと言うエッテに、僕も微笑した。
「それでもまだ、エッテがベルさんのことを呼び捨てにするのは、なんで?」
「ミホシ様なら、わかるかと思いますわ」
僕はちょっと考えてから、
「……戒め、かな」
「ええ。そういうことです」
再び役にも立たない自意識に囚われることのないように。
エッテはベルさんを呼び捨てにするたびに、過去の自分を思い出し、己を戒めるのだ。
まだ、パーティで堂々と振る舞えない程度には、エッテは過去の自分を引きずっているのだから。
だけど、
「僕からすると、もうひとつ、意味があるように見えるよ」
「もうひとつ……ですか?」
首をかしげるエッテに、僕はうなずく。
「ベルさんとエッテは、本当に、対等なパートナーになってるんだよ。城代として、アイドルとして。ともにエウレニアの未来を担うパートナーとして、信頼しあってる」
「…………」
今度は、エッテが絶句した。
長い長い沈黙のあと、エッテは絞るようにして言った。
「……そう、ですか」
「うん。そうだと思う」
力強く――プロデューサーモードの時ほどじゃないけど、今の僕の精一杯の力強さを込めて、僕はうなずいた。
エッテの頬を、涙が伝った。
「……っ、ごめん、なさい」
エッテが僕の胸に飛び込んでくる。
僕は内心ひっくり返りそうなほど驚いたけど、なけなしの勇気を振り絞って、なんとかエッテを受け止めた。
僕たちはしばらく、そのままでいた。