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2014年/短編まとめ

彼女が欲しい言葉とは

作者: 文崎 美生

部屋を開けた瞬間に思う。


「スルメくせェ」


薄暗い部屋で布団に潜りながら携帯を握る女。


もぐもぐ、とスルメを齧っている。


中途半端に伸びた黒髪は相変わらずの癖っ毛で、目が悪い癖に眼鏡をかけずに薄暗い部屋で携帯を弄っている姿は、最早駄目人間と言うに相応しい。


俺は迷うことなく部屋に踏み込む。


本棚とクローゼットと机とパソコンとベッドという、必要最低限のものに囲まれて女は生きていた。


厚手のカーテンを勢い良く開ければ「眩しい……」とか細い抗議の声。


振り向けば女の目は携帯から俺へ移っている。


長い睫毛と光の少ない瞳がしっかりと俺を映して、生きているという証拠のように一定間隔で瞬きをした。


ギシッ、とベッドのスプリングの軋む音がする。


眩しさから逃げるように女は俺に背を向けた。


後ろの髪が見事に跳ね上がり、これは寝癖ですと主張している。


コイツは本当にどうしようもない人間だ。


血色の悪い肌は日焼けもしないせいで健康的に見えたことは一度もなく、瞳の色は真っ黒で僅かな光が見え隠れするだけ、身長も平均よりは低めで黒髪に癖っ毛。


見た目が暗い。


それに比例するかのように中身も暗い。


長い前髪は現在寝癖で上に跳ねているが、普段はその瞳を隠すように斜めに流されている。


「起きろ、もう昼になるぞ」


そう言うも、返ってくる言葉はない。


起きてるよ、とでも思っているんだろうが俺が言っているのはベッドから出る方の起きるだ。


女はひたすらに白く細い指を動かして携帯を弄っている。


指の動きからするにキーボードを出して、何かを書いているんだろう。


俺は前髪を掻き上げるようにして乱す。


女は相変わらず背を向けて自分の世界に入り込んでしまっている。


こうなると長いし、こちらが何を言っても聞きはしない。


カーテンをしっかり開けて部屋に光を取り込みながら、スルメ臭い部屋の空気を変えるように窓を開ける。


本棚から適当な本を取り出して床に座り込んでから、どれくらいの時間が経ったのだろうか。


またベッドのスプリングが軋む音。


ばさり、と大きな音を立てて掛け布団がめくられる。


女がベッドの上で体を起こして脇によけられていた充電器に手を伸ばす。


そして携帯を充電して溜息。


一つ一つの動作があまりにも遅くて見ているこっちが疲れてしまう。


ベッドの上に座り二度目の溜息から、ゆっくりと顔を俺の方へ向けた。


開いていた小説を閉じて脇によけると、女の視線も一瞬だけ本に向けられる。


「けほっ……何」


小さな咳。


口元に手を当てて顔を歪める女。


掛け布団を剥いだ時に舞った埃のせいで咳が出たのだろう。


そして何、とはなぜ俺がこの部屋にいるのかという事。


いると言うよりは来ただろうか。


俺と女は恋人でもなんでもなく、単純に幼い頃親同士が知り合いで出会っただけの幼馴染みみたいなものだ。


だから正直どちらの家も行けば直ぐに相手の部屋に上がらせてもらえる。


そう言う事だ。


だが女は分かっていると言うように首を横に振る。


その度に癖のある髪がひょこひょこと跳ねた。


じゃあ、何が聞きたいんだ。


そう思っていると女はまた数回咳を繰り返してから、言葉を紡ぐ。


ぽそぽそとか細い声だが透明感のあるその声は、すんなりと俺の耳に届き言葉としての意味を成す。


「どうやって、来たのか、じゃない。どうして、来たのか」


ポツリポツリ、と区切りながら話すのは女が喋ることを得意としていない証拠。


女という生き物はもっとお喋りなはずだが、コイツだけはどうやら違うのだと毎回思わされる。


そんなことは置いといて、どうしてもこうしても理由は一つしか存在しないのだがと俺は首を振った。


冬休みという学生の中の長期休業期間の一つのこの時期に、この女は熊かと聞きたくなるレベルで部屋に引きこもっているのだ。


部屋から出るのはトイレとシャワー位だと女の母親から聞いた。


しかもそのシャワーに至っては深夜で、親とも合わないような時間にひっそりと入っているらしい。


食べ物と言えば母親が持ってくる三食と、休みが入る前に買い溜めしていたようなツマミや菓子類。


朝寝をして夜に起きる。


昼夜逆転であり駄目人間の生活。


それを辞めさせるために来たに決まっているではないか。


俺の言葉を聞いて女は見事に眉を寄せた。


整えてもいないのに形の良い眉は、不愉快そうに不快そうに中央によりシワを作り上げている。


可愛くねェ。


出て来そうになる言葉を飲み込んで女を真っ直ぐに見た。


こうしてコイツが部屋にこもるのは大体理由がある。


理由なしに部屋にこもっていることはない。


部屋に引きこもりたい欲求はあるんだろうが、親が心配するからと必ず親には顔を見せていたのだから。


俺が核心を突くようなことを言えば、目を一度逸らしてギュッと瞑るのは昔からの癖だ。


未だ治っていないらしい。


「……はぁ、明後日からは出る」


溜息混じりの言葉。


寝癖の酷い髪をくしゃくしゃと手で乱している。


これは諦めた時の癖。


明後日からと言うことは大体やりたかった事は終わったのだろう。


問題は何をしていたのかだが。


俺の視線に気付いた女はゆっくりと手を伸ばし、自分の携帯を拾い上げて俺の方へ傾けた。


黒に紺のカバーというスマフォを見ると女が使っているとは思えない。


「小説、書き終わったから」


スマフォを手渡した後、女の体は傾いて枕に頭を乗せるようにして倒れ込んだ。


髪の毛がパサリ、と音を立てて広がる。


画面を点けてみれば直ぐにロック画面で、慣れた手つきで暗証番号を打ち込んでインターネットを開く。


暗証番号は女と俺の誕生月で四桁。


インターネットを開けば女が愛用している小説サイトで、自分の小説のページが開かれている。


だらだらと綴られた文字を見ながら俺は溜息。


この小説のためにコイツは一週間以上も引きこもっていたのか。


枕に顔を埋めながらうとうと、と船を漕ぎ始める女。


おい、と声をかければ肩が跳ねる。


顔を動かすことはなく視線だけを俺に向けた。


いい加減にしろよ、と言いたくなる。


何かを始めると一人の時間を何より重要視して、他の事を顧みずにそれだけに集中する女。


別にそれが悪いことだとは思わない、むしろいいことなのではないだろうか。


やりたい事があり、それをやってしまう力があるのだから。


だがしかし、周りに迷惑をかけたり心配をかけるのならば話は別だ。


俺に何を言われるのか分かっているのだろう、女の瞳は眠気を飛ばして不安げな色を灯しゆらゆらと揺れていた。


そんな目をするくらいならちゃんとすればいいのに、と毎回思ってしまう。


重たい腰を上げてベッドの上の女に手を伸ばす。


癖のある髪に触れて撫で付けて、としてみるが寝癖は直らない。


「頑張ったな、お疲れ」


俺がそう言えばぱち、ぱち、と瞬き。


何でと言いたそうな顔をしている。


昔から思っていることが顔に出やすいのか、女の感情を読み取るのは容易かった。


直らない頑固な寝癖のついた髪を掻き混ぜるようにして撫でながら、女の顔を見つめれば徐々にその瞳が閉じていく。


安心しきったようなその顔は、正直言って警戒心の欠片もない。


もう少し警戒心を持つとかはした方がいいだろう。


過去に一度もこんな事をしたことはない。


引きこもった女を引っ張り出すのが俺の役目みたいなもので、理由を聞いては呆れて説教が殆どだった。


その中で一度だけ滅多に怒りを見せないコイツが、俺に向かって声を荒らげた事があったのだ。


光の少なかった目には珍しく光が灯り、涙の膜を張りながらゆらゆらと揺れていた。


コイツはやりたい事をやりたいだけであり、心配や迷惑をかけた事はいつもやりたい事が終わったら頭を下げて謝っていたのだ。


だからそんなにも俺に怒られる筋合いはない、と言った。


その時は純粋に面倒くさいと思ったものだ。


ただ声を荒げられ、その目から零れた涙に動揺したのもまた事実。


その時のコイツはもういなくて、今のコイツは目の前ですやすやと寝息を立て始めている。


無防備にもほどがある、と頭を抱えてしまいたくなるくらいに気持ち良さそうに眠る姿。


まぁ、取り敢えずは泣かれなかったので良しとしよう。


女に布団をかけてから携帯と小説を戻し、音を立てないように部屋を出た。


部屋から聞こえる幸せそうな寝息を背に。

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