二話 激震
ザルスガル城塞都市に、朝日が差し込む。
新しい一日の始まり。長い一日の始まり。
そして、長い悪夢の始まり。
始まりは唐突だった。
傷だらけで逃げ帰ってきた魔法使いと軽装の戦士が大討伐に向かった冒険者達が全滅したと伝えてきたのだ。
砦に待機していた騎士団は直ぐ様ギルドに連絡を飛ばし、砦前に防衛線を張った。
もちろん、大討伐に殆どの冒険者を駆り出していたギルドに戦力は残っていない。
それは騎士団も同じだった。ザルスガルに駐留する人間領の各国から集められた精鋭からなる騎士団も大討伐に参加していた。
ザルスガル砦に残っているのは最低限の防衛要員の騎士団員30名のみ。
対して、逃げ帰ってきた冒険者からの情報による魔物の群れの数は少なくとも100を超える。
視界の悪い森の中で確認出来ただけで100を超えていたのだ。本来の数は数倍にもなるだろう。
城塞都市を守り切れないと判断した騎士団は3名を防衛から省き、ザルスガルの人々を避難させる為に動かせた。そして、ザルスガル城塞都市の中央にある大きな時計塔から、避難勧告の鐘が人々に恐怖の音を伝えるのはそう遅くはなかった。
500年もの間、鳴る事がなかった避難勧告の為だけの鐘。いつもの時計塔から聞こえる良い音色の鐘の音はザルスガルに居る人々には聞こえなかった。
聞こえてくるのは重く響き渡る音。そして魔族領側から聞こえてくる、魔物の雄叫び。
2つの要因が重なり、人々に恐怖を与え、恐慌状態に突入する。
本来なら避難を誘導する役目の騎士団員の声すら耳に入れず、昨日まで幸せに暮らしていたザルスガルの人々は散り散りになり逃げ出す。その顔を恐怖に歪めながら。ただ己の本能のままに。
人の濁流。飲まれ、その場に倒れようものなら踏まれて死ぬ。
その濁流の中、翔はアルフレッドを探していた。
「これじゃあ・・・探しようがない」
つい一時間程前に、道具屋に用があると言って別れたきりのアルフレッドと会うのは困難を極めた。
ならば、と懐から一つの小型で長方形の物体を取り出す。
それに付いていたアンテナを伸ばし、声を掛ける。
「アル、今どこに居る?」
これは翔がこちらの世界に来る前に、装備として持っていたものの一つ。
ゲーム内ではパーティ内での連絡手段として使用していた小型無線機だ。
暫くすると、着信に気付いたアルフレッドから連絡が来る。
「翔!俺は今ザルスガル砦に居る!ちょいとばかし魔物の数が多い!あぁくそっ!」
言葉の最期に爆発音が混ざる。どうやら誰かが攻撃魔法を使ったようだった。
「まだ城塞都市の方に居るんだろ!まだ戦闘が無理そうなら先に避難しとけ!!」
普段なら考えられない怒鳴り声で、アルフレッドが無線機越しに怒鳴る。
その声に少し顔をしかめながら、翔も答える。
「すまない、まだちょっと・・・・・・無理そう」
「ならさっさと避難しとけ!騎士団員が何人かそっちで避難誘導してるはずだからそいつらにしたがっとけ、以上!」
その声と共に、通信が終了して無線機が沈黙する。
周りで逃げ惑う人々を尻目に翔は家の壁に背を任せ、空を見上げる。
(あぁ、やっぱり。怖い)
空を見上げる顔を、右手で覆う。
その手は小刻みに震えていていた。いつまで経っても戦う前に手が震えるのは止まらない。
いや、もう戦う事はないだろう。
このザルスガルに来るまでの道中、魔物に出会ったりしたときはいつだってアルフレッドに戦闘の全てを任せていた。
流石に周りの気配に意識を集中して、不意打ちに対処出来るように武器を構えてはいたが、アルフレッドのお陰で全て対処されていた。
最初は良かった。この世界に来て、「殺したい」という感情だけで生きていけた。
だが今はもうそれが出来ない。
良くも悪くも、以前の自分に出来た事は、今の自分には出来ない。
翔は、精神的にボロボロになっていた。
(それなのに、なんでこうも・・・・・・)
この世界に来た当初の自分がそう望んだからだろうか。
それを神様が聞き入れて、叶えてくれたからだろうか。
だとしたらそれは願った翔の責任であり、自業自得だ。
「だからって、もう・・・いいよ。もういいんだよ」
弱い心が涙となって翔の眼から溢れてくる。
その時、翔は違和感を感じた。
この世界に来る前、翔がやっていた『VRゲーム』で良く感じる違和感。
あのゲームは現れるエイリアンを殲滅していくモードがあった。
そのモードの時に背後に突如エイリアンが現れ、不意打ちで殺される事がある。
それを防ぐ為に『気配察知』のパッシヴスキルがあった。
そのスキルに良く似た感覚。
久しく感じていなかった感覚が、翔を背後へと振り向かせた。
「・・・・・・まさか」
『気配察知』のような違和感は強くない。
恐らく低級の魔物がこの城塞都市内部に入り込んでしまったのだろう。
悪い予感というものは、的中してほしくないものだ。
しかしそういう質の悪い勘に限って、良く的中してしまう。
この世界に来てから使えた試しのないスキルの感覚に戸惑いながら、
翔は違和感の方向をじっと見据えていた。
行くべきか、行かざるべきか。
翔は自分とアルフレッドさえ死ななければどうでもいいと思っている。
ましてや他人等目もくれない。
彼にとっては、人間も魔物も魔族も等しく他人であり、意識する必要のない存在だと思っている。
その考え方が、彼をその場から動かさなかった。
しかし、その考え方が甘かったと翔は気づく。
この世界に来てから覚えた『味方察知』というスキル。
こちらに害のない存在を教えてくれる割りと便利なスキルだ。
それが違和感の方向へと近づいている。
しかも『味方察知』が示す反応は「幼い」「少女」
これが「大人」だったり「老人」だったら翔は動かなかっただろう。
しかし「幼い」という反応が、翔の足を無意識に動かしていた。
今から行けば間に合うかもしれない。
そうすれば、後味は悪くなくなる。
(そうだ。僕が行けば助けられる。もう『あの』二の舞いはしない)
ただ自分の自己満足だと分かりながらも、翔は走る。
例え罪滅ぼしにならなくとも。
救えば、少しは自分の気分が良くなるだろうと。
その為に幼い少女には糧になってもらおうと。
人が最低だと罵っても。
自分の気分さえ良ければ、それでいいのだから・・・・・・。