一話 前触れ
「カケル。そろそろ魔族領だぞ」
とある平原の街道を、一人の男と一人の少年が歩いていた。
彼らは二人共、旅人が好む旅の服と呼ばれる服装を着込み、
背中に食料や衣類、テント等が入ったリュックを背負っている。
「ん・・・あぁ」
気力なく、一人の男が答える。
その目には活力はなく、隣の男から声を掛けられてもずっと下を向いたままだ。
「そろそろ元気出せって。泣いててもミラちゃんは蘇らないぞ」
「・・・・・・そうだ、な」
なんとか搾り出す声も弱々しく呟くばかりで、
彼が一度は世界を救った少年とは考えられない程に生気がなかった。
そんな彼に付き合う男は、彼がこうなった事を良く知っている。
それは少年の罪でもあり、彼の罪でもある。
だからこそせめてもの償いとして、
一人になれば死んでしまいそうなこの少年を連れて魔族領に向かっているのだ。
そんな二人の前には、この大陸を魔族領と人間領に分け隔てている巨大なザルスガル砦。
その砦が囲むようにして守っている町、ザルスガル城塞都市。
ザルスガル砦は、魔族領と人間領を繋ぐ唯一の関門である。
500年前の魔族との大戦の末に停戦をし、
領同士が干渉をしない程度の交流や交易を行える事になっている。
そこから商業が発展し、町が出来た。
そして100年も経たない内に町は大きくなり、
人間領側の土地に、本来はなかった壁を作り円形で町を囲み、
今ではザルスガル城塞都市と呼ばれている。
そんなザルスガルで、二人は立ち往生していた。
「参ったな・・・。通行止めなんて聞いてないぞ」
「すまないアル」
「なんでカケルが謝るんだ?大体なんで魔族が魔物を管理出来てないんだよ」
この世界には大きく分けて人間と魔族の二種類の種族が居る。
そのうちの魔族は下位の存在で、知能を殆ど持たない「魔物」を統括する種族だ。
今回の通行止めはこのザルスガルに近いところに領地を持つ魔族が魔物を管理出来ていない為に、
ザルスガル近くにまで魔物が近づいていて危険な為に行われているらしい。
魔物と言っても大小様々かつ凶暴で、種族によっての危険度ランクがあるぐらいだ。
今回の通行止めは危険度の高いオークやトロールが出没している為、
冒険者が打ち倒すまで行われるらしい。
二人も冒険者なので、冒険者ギルドに行けば討伐依頼を受けて通行止めを解除することも出来るが、
ここに来るまでに厄介事に首を突っ込んでしまった為に冒険者ギルドに行くのは憚られる。
手配書、まではいかないだろうがそれこそ長い足止めを食らう。
それどころか「この世界から帰る事も出来ないだろう」
「ギルドにも行けないしなぁ」
「すまない」
「だから謝るなって。俺も同犯なんだからさ」
かぶっていたフードを脱ぎながら、苦虫を潰したように男が笑う。
鮮やかなブロンド色の髪の毛をしたその男の名は「アルフレッド・フォン・マルセイユ」
先程から謝っている彼とは、1年以上の付き合いになる。
もう一人の少年。まだフードを被っていて、その下から覗く目は生気がない男の名は「網谷 翔」
彼らが魔族領に入ろうとしている理由は翔が元居た世界に帰る為である。
翔は1年前、とあるゲームをしている時に、この世界にやってきた。
いや、飛ばされたか、転移された、と言った方がいいかもしれない。
少なくとも、翔は望んでここに居る訳ではない。
だから魔法技術が進んでいる魔族領に行って、少しでも元の世界に帰る手掛かりを得ようとしていた。
アルフレッドもまた、この世界とは違う異世界の住人である。
翔が居た「地球」とは違う世界。それもこの世界に良く似た世界だったと言う。
彼は迷宮を探索中に暴走した転移魔法陣によってこの世界に来たらしい。
アルフレッドは翔と違い、元居た世界には帰る気はないのだと言った。
この世界と殆ど違いはないし、なにより冒険し尽くしたからだと言う。
良く似た境遇の二人は、出会ってすぐに意気投合した。
それからは翔が元居た世界に帰る為の手掛かり探しの旅だ。
さて、そんな二人の旅だったが、予想外のところで足止めを食らってしまった。
隠れて魔物を討伐してもいいのだが、そもそも魔族領側に続く門が閉じられている為、狩りに行けない。城壁をよじ登る事も考えはしたが城壁の上には常に衛兵が外に向かって睨みを効かせている。
簡単には外には出られないのだ。
「誰だよ特に問題なく魔族領には入れるって言った奴・・・」
「入れるとは言ったが門を通れるとは言ってないって感じ、だな」
二人は揃ってため息をつく。
ため息をつく理由はもうひとつある。
「宿がどこもかしこも満室とはどういう事なんだよおい・・・・・・」
落胆の声でアルフレッドが呟く。
ザルスガルにある宿屋が全て満室で泊まれる場所がない。
理由は単純。魔族領への通行が止められているからである。
魔族領には、多くの冒険者が訪れる。
その他にも商人や行商人も多く通うのだ。
それらの人々が足止めを食らい、宿をとれば部屋もなくなるだろう。
「取り敢えず酒場にでも行くか。腹も減ったしな」
「そうしようかアル」
二人は重い足取りで近くにあった酒場に入った。
満員の酒場は酒と料理の匂いで充満しており、店員も慌ただしく入ってきた翔達に気づく様子もない。
「アル、あっち空いてる」
翔は店内を見渡し、端の方に二人が座れる席があるのを発見した。
店員が掃除をしていないのか食器や酒瓶が残ったままだが、
このまま突っ立っているままよりかはマシと判断してその席に腰を落とした。
「やーっと座れたか」
右肩を左手でほぐしながらアルが荷物を机の下に下ろして座った。
ザルスガルに来るまで、ずっと野宿だったので椅子の座り心地がなんとも心地よい。
「さてカケル。そろそろお前も気付いてると思うけど・・・」
肩をほぐし終わったアルフレッドが、カケルに真剣な口調で問いかける。
「通行止めの原因である魔物が討伐されない・・・理由?」
「そう、その通り。周りを見てみろ」
アルフレッドはそう言うとカケルと一緒に辺りを見渡す。
この酒場が、なのかは知らないが周りには如何にも冒険者な格好の者だらけだ。
軽装な皮鎧の者から重装備な鉄鎧を着こむ者まで。
本来なら商人の服装をしている者が居てもおかしくないだろうが、
どこを見ても冒険者しかいない。
「さっき通行止めしてた門番の衛兵に聞いてみたらもう一週間も通行止めしてるらしい。
一週間も経って、尚且つこの冒険者の数で討伐されない魔物。
どう考えても、な?」
確かにそうだ。いくら魔族領側の門を出れば深い森が広がっているとしても、
一週間もの膨大な時間があって討伐出来ない魔物はあの森には出ないはずだ。
「理由はいくつか考えられる。1つはここらに居る冒険者じゃ手の出ない相手か」
「ないね。強力な魔物程、魔族が統括してるらしいし」
「2つ目は、冒険者ギルドが依頼を出していないか」
「それもない。これだけの流通拠点のギルドがそんな間抜けな事はしない」
「3つ目は・・・数が多すぎる、だな」
「・・・・・・アル。もう答えが分かってるのにそうやって前置きが長いのは悪い癖だよ」
フードの下からジト目で翔はアルフレッドを睨む。
悪い癖が出ている事に悪びれる事もせず、アルフレッドは言葉を続ける。
「いくら魔族領と人間領の境目だと言っても、割りと強い魔物は出る。
そいつらが人間領に出ないようにするのがこの砦の役目なんだからな。
その割りと強い魔物が数集まって通行の邪魔をしている。
ギルドが対策を立てても特に成果は出ない。
業を煮やしたギルドは『大討伐』の依頼を出すだろうな」
店員に食べ物と飲み物を頼みながら、アルフレッドは言う。
その言葉に嫌な予感を感じた翔はアルフレッドに聞く。
「もしかして、悪い予感がしたの?」
「ご名答。役には立つが嬉しくなんかない俺の特技だよ。
大討伐は数が多い魔物とか強い魔物に対して、
ギルドが複数のパーティーに同じ内容の依頼を出して共闘して倒す依頼だ。
二日前にはそれがもう出てるらしくてな。集合は今晩。出発は明日の朝一番。
この酒場に居る連中は皆参加者だろうな。
だから普段着なんかじゃなくてしっかりした装備着てるんだろう」
可愛い女性店員がアルフレッドが注文した品を机に運んでくる。
机の上に散らかっていた前の客が頼んだであろう皿や酒瓶が下げられ、
湯気が立つ美味しそうなシチューと、
塩を振っただけのステーキと白いパンが乗った皿が二人の前に置かれる。
見ているだけで腹の虫が空腹の音を出すが、先に話を済ませなければならない。
「嫌な魔力が魔族領側から流れてきやがる。
下手すると明日ここは、地獄になる」
アルフレッドが持つ、天性の感。それはいくら外れてくれと願っても必ずと言って良い程当たる。
これを信じてきたからこそ、今生きているぐらいアルフレッドは自分の感を信頼していた。
だがここ最近。特に翔と出会ってからのこの一年は悪い予感ばかりアルフレッドに教えてくる。
「これ程この感を信じたくなくなったのは初めてだ。
少なくともこの酒場に居る連中は皆死ぬ。
それどころか明日の大討伐に出て行く冒険者は全滅すらあり得る。
俺の勘がそう言ってる。くそったれ」
「・・・・・・今は何を考えていても無駄だよ。
どうせ明日にならなきゃ分からないんだ。今は、御飯食べよう」
ここまでにも地獄は見てきた。
その先に幸せなパラダイスがあると信じて。
しかしその先にあったのはまた地獄だった。
そして、今回も。
「また、僕は帰れそうにないや。ミラ」
温かいシチューをスプーンで口に運びながら、翔はアルフレッドに聞こえないように呟く。
その声は酒場の喧騒に飲まれ、暖かな湯気と一緒に天井に向かって消えていった。