天使の証明3
志賀は灰色の絨毯に額を擦り付けていた、いや、擦り付けることを強いられていた。
社長椅子に座る所長の脚が、現在進行形で彼の後頭部に乗っている為だ。
所長が怒る意味も分かる。もし事務所に直帰していれば空き巣は入っていなかったかもしれないためだ。だが逆に考えてほしい、直帰したらその空き巣犯と鉢合わせしていたかもしれないのだ。
彼がそんな内容のことを所長に進言したらこのザマである。
空き巣犯はそもそも中に人がいたらやってこないということを失念していたようだ。
彼はかれこれ三十分近くこの姿勢のままどやされ、長きに渡った説教もようやく佳境を迎えた。
「全く…せっかくマサが作ってくれた部屋のカラクリが全てパーだ。マサのあのブチ切れた顔を見てみろ」
そう言われた志賀は応接用の机を弄っている那須野の表情を伺うために横を向いた。
だが彼女はそれを許さなかった。
所長は履いているウエスタンブーツの鋼より硬い踵を首に叩きつける。自分で見てみろと言いながらそれを許さない、あまりにも理不尽である。しかも少しだけ見えた那須野は「ここはそろそろ新しいのにしようと思ってたんだよな」と言いながらすごく楽しそうに作業をしていた。
この理不尽地獄からさっさと脱出するため志賀は果敢に進言をする。
「あの、反省はさておきそろそろ僕も手伝った方がいいのではないかと思うのですが」
「ああもう少ししたらお前にやらせるつもりだ。だが今はまだお前が動く時ではない」
「は?それは一体どういう…」
「資料室をユイに掃除させてるんだよ。それが終わるまでお前はこのまま待機だ」
その言葉に志賀は絶句する。
自室となった資料室を佐々木が掃除している。要は部屋の抜き打ちチェックではないか。
エロ本同人誌その他諸々は厳重にロックされたガラス板に入っているため心配はないのだが物理的に刺激を与える方はそうもいかない。
そういう類のものは中身をくり抜いた鈍器みたいな本の外側を瞬間接着剤で止め、そこに鍵を通せるようにしたものの中に隠してある。
そこにハードカバーをかければ外側からは本に見え、万が一ばれても鍵があるため絶対に開かない二重の仕組みになっているのだ。
しかも重さも加工する前と全く変わらず、振っても内容物はずれないようになっている。
だから膨大な資料の中、佐々木が持っても絶対にバレない自信が志賀にはあった。
しかし、もしも、もしもバレてしまったら、その時はどうなるのだろうか?
佐々木にはドン引きされ、芹沢にはバカにされ、那須野には少しだけ同情され、そして所長にはこのままブーツで頭蓋骨を砕かれる、考えただけで彼の背中に何千匹もの虫が蠢いた。
このままではマズいと考えた志賀は先手を打つ。
「あの、僕の犯したミスなんだし、せめて資料室くらいは自分で片付けさせて下さい」
「ん?お前に片付けてもらうところはこの部屋だぞ?」
「いやしかしですね!探偵事務所に空き巣が入るってことは何かの資料を狙ったものだと推測されます!ということは資料室が一番荒らされていると考えるのが普通です!その一番荒れた部屋を片付けるべき人間は僕以外いません!」
「なんだいきなり…お前もしかして資料室に何か隠してるのか?」
悪手だったか、と志賀は床に向かって苦渋の表情を浮かべる。
相手は腐っても探偵である。勘がいいのはもちろん隠し事を見抜く実力も備えているわけだ。
彼に残された選択肢はもう一つしかない、そういうわけで彼は黙秘を始めた。
だがこれも同様に悪手であった。これは先ほどの質問にYESと答えたことと同義だ。
しばらくの間、所長の踵が志賀の頭に降ろされ続けるというある種の拷問が続けられた。
それに耐え続けること数分、文字通り志賀の運命を握っている佐々木が下から上がってきた。
所長はそれを確認すると足に込める力をより一層強くした。
「おう、終わったかユイ。何か出てきたか?」
「はあ、出てきたかというか…その、なんて言ったらいいのか…」
佐々木の声に志賀の肩がピクピクと震える。
だが彼のその仕草は、自分は隠し事をしています!と高らかに宣言しているに等しい。
その姿を見た芹沢が佐々木に尋問を始めた。
「もしかして今時珍しいエロ本とか出てきちゃったりでもしたの?」
「い、いえ、そういうものではなくてですね…」
「んー…じゃあオナホとか?」
芹沢の女として最悪な発言に佐々木は顔を真っ赤に染める。そういった知識もあるんだなと緊張のゲージが振り切った志賀は逆に感心する。
「そ、そっち系の話ではなくて…あの、その…」
「もしかして死体でも出てきたりとかしたのか?」
遂には那須野まで会話に参加した。
この時既に志賀の脳裏には15年とちょっとで築き上げたしょぼい走馬灯がよぎっていた。
「そ、それが近いかもしれません」
「今ので近いのかよ…で、結局何が出たんだ?」
佐々木は返答を詰まらせる。先程からチラチラと志賀の顔を伺っているのだが、残念ながら彼の目に映っているのは佐々木ではなく走馬灯だ。
彼の表情から諦めを感じ取った佐々木は覚悟を決め、口を開く。
「資料室に、裸の女性が寝ていました」
その言葉を合図に志賀の頭にブーツがめり込んだ。
「で、誰なんだこいつは」
「僕にも分かりませんよそんなこと…本当になんでこんなところで寝てるんだろう」
「えー、ナオ君が部屋に連れ込んだんじゃないのー?」
「話をややこしくするホノカさんは黙ってて下さい。それにしても起きませんねこの人」
志賀は自身の身に起きた意味不明な現象に思わず頭を掻く。だがそこは先ほど痛恨の一撃を受けた場所、思わぬ痛さに呻き声を上げた。
裸の女性は志賀が芹沢からもらった執事服を着せられて、資料室で唯一無事だった志賀のベッドに寝かされていた。
人に着せられたからか、衣装が若干乱れているのが何処となくエロい。今夜はここで寝るのかと志賀の頭をもやもやとした煩悩が覆い尽くす。
その女性は裸であったため身元の分かるような物は一切持っていなかった。
身体的な特徴を上げるとすれば天然物と思われる栗毛の髪であった。それ以外は至って普通である。
ひたすら待つのに飽きたのかついに芹沢が不満を漏らし始めた。
「あーめんどくさいなー。なんかこう、一発で起きる方法とかないのかなー」
「ありますよ」
そう言ったのは佐々木であった。
その一言に皆が驚くとともにだったら最初からやれよという雰囲気が周囲を漂った。
そんな感じを無視して佐々木は長々とした説明を始めた。
曰く、古武術の一種で気の通り道を一気に広げてその反動で目覚めさせるらしい。
一体どうやって気の通り道を広げるのか、そもそも気の通り道とはなんだろうかとその場の全員が疑問に思った。
その間にも彼女は謎の呼吸音と謎のポーズを始めていた。
室内の緊張が頂点に達したと同時に彼女の準備が終わる。
「それじゃあ……参ります」
佐々木の言葉に皆が息を飲む。一体どんな技が出るのだろうかと期待が高まる。
次の瞬間、彼女の目がパッと開かれ
「やあああああああああああ!!!!!!!!!」
その掛け声とともに女性の脇腹に本気の手刀が叩き込まれた。流石武術の達人、あれほど爆睡していた女性も一瞬で飛び起きベッドの上で四苦八苦している。
「っていやいやいやいや!それ気の通り道云々以前にただ本気で殴っただけだろ!」
「殴っただけじゃないですよ志賀君。気の通り道を広げたんです」
そんなやりとりをしてる間にも女性は突然の一撃から立ち直った。女性はベッドの隣にいた志賀を一瞥するなり掴みかかった。
「お前かあたしを殴ったのはああああああああ!!!!」
「違います!この子が!この子が脇腹に手刀をぶち込んだんです!」
そう志賀は隣の佐々木を指差す。その彼女は頑なに古武術と言い張っている。
「そんなわけないだろアホ!どうやったらあんなか弱い少女が鉛の一撃を撃てるんだよ!」
「そんなの僕にだって分かりませんよ!てかなんで僕だけ疑うんですか!あそこのヤクザなんか鉛の一撃どころか鉛玉ぶち込めますよ!」
志賀の見苦しい言い訳はまだ続く。誰がヤクザだという那須野の声も今はこの二人には届いていない。
「あそこの位置にいるヤクザがあたしを殴れるわけないだろ!」
「分かりました僕が殴ったことにしていいですから!そんなことよりあなたは何で僕のベッドで寝てたんですか!」
「探偵事務所に助けを求めに行ったら誰もいなかったからここで寝てたのよ!あんたこそ一体何者なの!」
「僕はここの事務所のアルバイターですよ!あなたがぐちゃぐちゃになった部屋に裸で寝てたからこうして事情を聞いてるんです!」
一悶着終えて彼女が落ち着いた後、改めて事情を聞いた。
彼女の名前は表 玲奈。今朝から謎の集団数人に追われてこの路地を逃げていたところこの道に迷い、ぐるぐるしていたら入り口に探偵事務所の看板が見えたので駆け込んだ。その後に8階の資料室を開くとぐちゃぐちゃだったがベッドがあった。朝から走り続けクタクタだったので人が来るまでそこで寝ることにした、らしい。胡散臭すぎる。
話を一通り聞き終わった後、所長が尋問を始める。
「で、なんで裸だったんだ?」
「寝るときは裸って常識じゃないの?」
「…………そうか。何故追われていたんだ?」
「それがあたしにも分からないんだよね。あ、ここって探偵事務所なんだよね?じゃあそいつらが何者か調べてくれないかな」
「あいにくと今は空き巣に荒らされたこの部屋を掃除するという仕事が残っているのでな。お前の依頼など受けている暇がないんだ」
「多分荒らしたのはあたしを追いかけてた集団なんだけど、それでもだめ?」
「それでも……ん?何故それがわかるんだ?」
「このベッドの下にあるテレビに入口の監視カメラの映像が録画されてたから」
そう言うと表はベッドに敷かれたマットレスの上方を引き剥がす。そこには一体型モニターが横にされて置かれていた。
所長は志賀の肩をポンと叩く。どうやら褒められているらしい。
彼は色々な隠し事を隠すために所長やその他大勢がこの事務所に出勤してくるのをこのモニターで確認してただけなのだが素直に褒められていた。
映像を見てみると確かに全身黒ずくめの集団の一部がこのビルに入り、そして十分後に出て行っている。
所長はそれを確認すると平積みされた資料室に腰をかけた。
「でも何でこいつらはうちの事務所を荒らしたんだ?」
「それはあたしがここの前を通ってすぐのところを曲がったからじゃないかな?見失ったあいつらは手分けをしてあたしを見つけ出そうとした、とか」
「うーん……………お前は金をいくら持っているんだ?」
「ストレートな質問だな。家に帰ればいくらでもあるが今はない」
「潔い答えだな。だが金がないなら警察にでも頼むんだ」
「警察に行く間に集団に拉致されたらどう責任とってくれる?」
「そんなもん知らんがな…その服やるからさっさと帰れ。お前がここに居候することになったら志賀はどこに寝るんだ」
「僕はここに寝るに決まってるじゃないですか。その服も僕のですし勝手にあげないで下さいよ」
「ナオ君はその服をあげた時『胸のところ凄いガバガバじゃないですか』とか言ってすごい嫌そうな顔してたじゃん」
「だから!話をややこしくするホノカさんは黙ってて下さい!僕は貰えるものは何でも貰う主義なんです!」
だからって女装はないでしょと服をあげた本人はドン引く。
この人が口を開くと禍しか生まないのかと志賀が呆れて物も言えなかった。
それを見ていた表は彼のバランスを崩しベッドに座らせると耳元に口を寄せる。
「あのさ、今晩だけでいいからここに泊めてくれるようナオ君からも交渉してくれないかな?」
「そんなの下っ端の僕ができると思ってるんですか?あとあなたがナオ君と呼ぶのはやめて下さい」
「なんでよ、あたしとナオ君の仲じゃない」
「拳を交えた仲ですか?僕はそんな熱い友情はいらないんでとっとと帰ってください。なんなら送って行きましょうか?」
表はんもー、と不満げな声をあげると志賀にもっと密着するため肩を寄せる。
「一晩だけでいいの。それに泊めてくれたら…」
「泊めてくれたら、どうなるんです?」
「どうしてほしいのかな?」
彼は生唾を飲む。表はとどめの一撃に彼の腕に胸を当てた。
「ね?お願い」
「……………………分かりましたよ。何とかしてみます」
志賀はついに煩悩に負けた。
彼は立ち上がり所長と一緒に部屋の角で何やらこそこそと相談をし始めた。
しばらくの間続いたが最終的に所長が彼の後頭部をはたいてそれは終わった。
戻ってくる志賀の顔が少しにやけていることからどうやら交渉は上手く行ったようだ。
「じゃあそいつはナオに任せるから、掃除くらいさせとけよ」
そう言っていつも通り最後まで事務所にいた所長は自宅へ帰って行った。
つまり部屋には志賀と表の二人きりである。
その二人は今も資料室の片付けをしていたがおそらく今日中には終わらないだろうなと志賀は確信していた。
表が資料に興味を持って片っ端から漁っているためだ。
資料を盗みに来たスパイかとも思ったがどうせネット上に転がる情報や銃など武器のレプリカが置いてあるだけだ。
表はその資料から何かを見つけたのか志賀を呼びつけた。
「ねえ、この指輪ってもしかして…」
「ええ、最新型のCONNECTデバイスですね」
それはスパイが報告用に使うデバイスのレプリカであった。
こういったデバイスのレプリカと、そのスペックや特徴をまとめてスパイなどの特定用の資料としてたのだが今はそれもぐちゃぐちゃのようだ。
「最近はこういう指輪みたいなのもあるのかあ。そういえばガラス板みたいなやつもあるんだよね。本物は200万くらいするビンテージ物らしいけど、こういうものは最新型の方が性能的にいいと思うんだけどな」
「まああれは生産台数も少ないですし、何より今のやつと性能的には殆ど変わらないんですよ。またデザインの近未来感がマニアの心をくすぐるんでしょうね」
「なるほどね。その本物を一度でもいいから見てみたいよ」
「ありますよここに」
そういうと志賀はポケットからガラス板を取り出した。
それをみて表は目の輝きを変えた。
「おおっ!これが200万のガラス板か!でも何でこんなもの持ってるの?」
「親からのお下がりです。それより僕は上の事務所で寝ますんで、何かあったら呼んで下さい」
そう言うと彼は資料室から立ち去ろうとした。しかし表がそれを許さなかった。
志賀の腕を強引に掴むとベッドへと押し倒した。
「約束したでしょ?今夜は一緒に寝てあげるよ」
「え、遠慮しておきます…ここ監視カメラとかあるし、なによりバレたら所長に殺されます」
「大丈夫、こんなめちゃくちゃになってるんだから監視カメラも壊れてるはず。それじゃああたし先にシャワー浴びてくるから、それまでいい子にしてるんだぞ」
そう囁くと表はバスルームへと歩いていった。
志賀は悶々とした気持ちを抑えられないのかせわしなく掃除を始める。
しばらくすると表は準備が終わり志賀の所有するワイシャツだけを着て戻ってきた。
いよいよ志賀の興奮は振り切ってしまった。
彼はバスルームに行こうとするも表は彼の後ろから抱きつきそして
「ごめんねナオ君」
彼女は志賀の首筋に注射針を差し込んだ。
彼の体から力が抜け、床に倒れこむ。
催眠薬を直接注入された志賀は混濁とした意識の中、ポケットをまさぐられる感触と、額に何か柔らかいものが当たる感覚を感じていた。




