天使の証明1
渡会曰く
「CONNECTを使用してフィールドワークをしてる最中に"Angel"なるIDを見たんです!」
との事であった。
さすがミステリー愛好会会長、その場にいる全員を一瞬で胡散臭いと思わせる実力の持ち主であった。
そんなことにも気づかずに彼女は、エンジェルですよ!日本語では天使です!これはミステリーの匂いがプンプンします!とはしゃいでいた。
そもそもCONNECTを使用する為には条件がある。その一つがIDの登録だ。
IDは英数字で八文字以上という条件の下なら原則的に自由に設定できる。
ただ世の中の全てには例外というものが付いて回る。
この例外の場合、淫猥な単語、相手を罵倒する単語が入力できなくなっている。
さらにもう一つ、入力できないものがある。
それは「宗教」に関するものだ。
「Buddha」「Muhammad」「Christ」「God」「Gott」「Dieu」「бог」等、挙げればキリがないが、こういったものは使用できない。
これは各宗教が大切にしている固有名詞であると同時に宗教戦争を招く恐れがあるためだ。
だがこの制限にも例外があるもので、「kami」のような、人の姓名に使用されているものは小文字のみという条件で使用することができる。
そういうことで「Angel」という八文字未満で、しかも宗教関連の単語のみのIDは正攻法ではあり得ない。
おそらくオカルトあるあるの一つである単なる見間違いだ。
だからといって壁に挟まってまでこの事務所を訪ねてきてくれた先輩とやらを簡単に切り捨てることができないのか、志賀は何やら苦い顔を浮かべ天井を仰ぐ。
渡会はその姿を斜め右上の解釈したのか憧れの眼差しを彼に向ける。おおかたこの案件について思考を巡らせているとでも思っているのだろう。
やはり見間違いだろうな、と片耳で話を聞いていた所長は大きなため息をつく。
やがて相手を傷つけない最適解を導いたのか志賀は再び座り直す。彼は基本的に落ち着きがないのだ。
「あのですね、世の中にはハッカーという人材が存在していましてですね」
「知っているわよその位、志賀君みたいにコンピューターに詳しい人のことを言うんでしょ」
「ああ全然知ってませんね、今現在のハッカーの定義は意味もなくセキュリティを突破してその証拠を残していく害にもならない人達のことを指すんです」
「やっぱりコンピューターに詳しい人のことじゃないの」
「それだとクラッカーも含まれるからダメです。ハッカーはあくまでも中立的立場に存在する人々です」
「ふーん、で、それが今回の件とどう関係するの?」
「だからハッカーはセキュリティの穴を見つけては突破し、その証拠を残してくって言ったじゃないですか」
「だからそれがどうしたのよ」
「だからその証拠が今回の件なんじゃないですかってことですよ」
「あーそういうこと、でも流石にそれはないでしょ。日本が誇る巨大企業、扶帝が誇る最高峰のセキュリティを突破できる人なんているわけないじゃない」
そんな人なんてオカルトよ、という彼女のそれを聞いて所長が笑い声を漏らす。
今の今までオカルトを熱く語っていた人とは思えないとかそういう意味ではない。
今、渡会の目の前に座る人物、志賀直人はそのオカルトの一人であるからだ。
彼はCONNECTのサーバーに、相手の土俵であるCONNECTを用いて侵入できる卓越した才能と技術を持っている。
彼のような人物であればIDをいじるくらい造作でもない。
そんなオカルトがオカルトマニアに助言をしてあげる。
「セキュリティはたしか扶帝の下請けが作ったはずですよ。それにCONNECTは扶帝だけが作ったわけじゃないですから」
「あれ?何処が作ったんだっけ?」
「CONNECTは日米独露の四カ国の企業と国の合同開発ですよ。てかこれは戦後初めての米露の共同作業として現代社会の一年の最初の授業で習うやつですよ」
「そうだっけ?私は地理選択者だからもう忘れちゃった」
「逃げましたね先輩……そういうわけですから、今回のところは事件解決、一件落着ということでいいですかね?」
「嫌よ。隙間にハマってまでここに来た意味がまるでないじゃない」
「それは自己責任ですね。とにかく今回の件はそのまま見守っていればいいじゃないですか。知っていますか?オカルトは何もわからないからオカルトなんです」
「オカルトじゃない、これはミステリーよ!」
お互いに一歩も譲らない、膠着状態に陥っていると所長が子供のように回転椅子でくるりと一回転した。
なんだヤな予感がする、と志賀は身構える。
「ナオ、犬十匹も預かる暇があるんだから受けてやったらどうだ?」
やっぱりかー、と志賀は露骨に嫌な顔を所長へ向ける。
所長はそんな顔を一瞥すると、所長の机の足を蹴った。
すると何がどう反応したのか、渡会と志賀の前にある応接用の細長いテーブルの中心がくるりと回転し、裏から画面が出現した。
そのモニターには依頼の申請画面が映されている。
氏名、依頼内容、報告の方法などを埋めていく渡会だが、最後の項目でピタリと手が止まる。
「あ、あの、これって学割とかないんですかね ……」
そこにはこの事務所にリピーターがいない原因の一つ、微妙に高めな値段が書かれていた。
そんだけ大金積むんだから絶対に正体付き止めろよ!と渡会は息巻いて帰って行った。
そんなことは事務所の全員が承知している。
人間の盲腸にも意味があるように、この値段設定にはそれにはそれで意味があるのだ。
だが志賀には思うところが一つある
「なんで急にあんなバカみたいな依頼を受けようと思ったんですか?」
「まあ色々あってな、とりあえずこれを見ろ」
所長がそう言うとテーブルのモニターに警視庁のホームページが映し出される。
そのページにはいわゆる有力情報をくれたら報奨金だすよ!というやつが載せられているのだが、そのページの下の方ににそれはあった。
「CONNECTID"Angel"騒動について、報酬は……マジすかこれ?五人で分けても相当な金額ですよ!」
「ナオ、お前はあれだな、探偵としての素質もそうだが金持ちとしての素質もゼロだ。なぜ報酬を独り占めしようとしないんだ」
「そこはほっといて下さい。それで、一体何が言いたいんですか」
「下の方に載っているのにも関わらずこんな大金がかけられているのはおかしいだろ。お前、さっきの会長とやらのこと全く言えんぞ」
「ぐっ、分かりましたよ!さっさと天使を捕まえてこの事務所を本業で潤沢にしてみせますよ!」
「そうか、ならお前のその共産的思想に免じてホノカと掲示板を貸してやろう」
所長の言ったホノカ、というのは今日はお休みのメンバー、芹沢 穂乃華のことである。
彼女は今日のような暇な時にコスプレ喫茶で働いている。
これも本業である探偵に必須の情報収集のためにやっているらしいのだが、アイドルのホクロの位置から国家機密まで、様々な情報を知っている客層とは一体どんなものなのだろうか、と志賀は思う。
彼女の都合は大丈夫なのだろうか、と考えていると佐々木が何か言いたそうな顔をしていた。
それに気づいた所長が話すよう促す。
「えっと、ホノカさんは今日は接待があるから絶対に無理だって言ってましたが…」
「コスプレ喫茶で接待って明らかにヤバいやつだろ」
「ナオ、お前の頭は思春期真っ盛りだな。あいつは接待を受ける側だぞ」
「それはそれでヤバいことには変わりないじゃないですか。大体何でコスプレ喫茶の従業員が接待を受けるんですか」
「あの、ホノカさんは従業員ではなくオーナーの方だった気が…」
じゃあ何故あの人はここに来る時にコスプレをしているんだ、と志賀は頭を抱える。
そんな彼を尻目に所長は机に置いてあるサボテンのサボ太郎に霧吹きで水を与える。彼女の弛まぬ努力の成果か、サボ太郎には小さい蕾が付いている。
暫くサボテンに愛情を注ぐと、彼女は立ち上がった。
「仕方ない、どうせやることもないし私が帯同しよう。ついでにユイもどうだ?」
「い、いえ、私はこの後薙刀の稽古が控えてまして…」
佐々木はまた武術の達人であった。
これは探偵のため、とかではなく、幼少期からの訓練の賜物である。
彼女の天性の才もあり、若干16歳で師範を務めているらしいのだが、彼女のその容姿に釣られ、ボッコボコにされて悦んでいる生徒の数は多い。
「それじゃあ仕方ないな。もう一人いるけどあいつには別件を押し付けてるし、たまにはツーマンセルでいくか」
「そうですね、たしかに仕方がないですが一緒に調べましょう」
「……………お前、いつか家に送り返してやるから覚悟しとけよ」
そういうことになった。
所長と志賀は佐々木を見送った後、彼女らはけやき探偵事務所の資料室に入っていった。
資料室は探偵事務所の一つ下の階に入っている。
立地的に悪いとはいえ、駅近くのビルの一室を二階も借りられるのは、やはり副業の収入のおかげである。
その資料室だが現在は居候の身分である志賀に貸し出されていた。
「うわ…なんか凄いことになってるな…」
そう言うのは所長であった。
確かに所長にとっては凄惨な光景が広がっていた。
こういった発言を聞くと居候が部屋を荒らし尽くしたとか、部屋中に妙な匂いを漂わせているとか、そういったベクトルに考えが働くかもしれない。
だが部屋の借主である志賀には焦りは見えず、むしろ呆れ返った様子であった。
「なんで部屋の整理をして怒られなきゃならないんですかね」
「うるさい、あれは資料を効率的に探し出す最適な置き方だったんだぞ」
「もっと効率的になるように僕が自費で、メタルラックを購入して資料をカテゴリ毎に分類して収納したんじゃないですか。僕としては今までよくこんな資料室を使えてましたねって感じです」
「だが掃除はできても料理ができなきゃ主夫としては話にはならんのだよ」
「料理の前に掃除すらできないから嫁に行き遅れるんですよ所長」
「……よーし貴様に選択肢を与えよう。今から家に送り返されるか、それとも私からの愛を受け取るかだ」
「ぐあぁ…選ぶ前に頭を殴るのはやめて下さいよ…」
そんなこんなな一悶着を終えると、彼らは綺麗に整頓された部屋の中央にある円形のテーブルへと腰を下ろした。
彼女は騒動の発生源であるインターネットにCONNECTを通して接続する為に胸元のポケットから眼鏡を取り出した。
一見普通の眼鏡であるが、これは所長が書いていた原稿に記載されていた最新型のデバイスである。
対面に座る志賀はからちょうど手のひらに収まる程度の大きさのガラス板を取り出した。
そのガラス板のふちを人差し指で撫でると、表面が発光し、幾つものウインドウを映し出すモニターとなった。
志賀はその透明のモニターに黒いコードの先端を近付けると磁石のように引き合い、接続される。
志賀はそのコードのもう片方に付いているパッチをこめかみあたりに装着する。
これは所謂旧式デバイスであった。
CONNECTが世に出回り始めた頃に販売されたものだが、数十年経った今でも最新式とほぼ同等のスペックを誇っている。プレミア価格が付いているのも納得の物である。
お互いに準備を終えたことを確認すると、所長はフレームの右端を撫で、志賀は画面中央部の赤いボタンに触れた。
それはCONNECT起動のスイッチ、彼女らが情報世界に飛び込む合図であった。
気がつくと二人は六畳位の部屋に立っていた。
辺りを見回すと壁に幾つもモニターがかけられ、その一つ一つには円形のテーブルで会議をする人々の姿が映っている。
ここは事務所が経営する掲示板サイト「Kchan」の管理人用ページであった。
CONNECTを使うとネット上の情報をあらゆる感覚で受け取ることができる。
故にサイトのデザインが、そのままその空間として脳が認識されるのだ。
この管理人室は最低限のデザインで済まされているが、凝ったものになると原生林や氷河など現実顔負けの世界を生み出すことができる。
二人の姿もまた先程とは変わっていた。
所長の美しく長い黒髪は腰ほどまで長くなり、まるで月夜の下で輝く川のようであった。
黒いライダースーツのような服装もおそらく夜を連想させる原因の一つであろう。
一方の志賀は灰色のクラシカルスーツへと変わっていた。その無難な、だが何処か新しい感じのするスーツはスキンによって白く染まった志賀の髪色とピタリと合っていた。
CONNECTはIDを登録して初めて扱える。そのIDはCONNECTを通してネットに繋いだ時、同じサイト、ないしページを見ている他人を認知する時に使用される。
その時のちょっとした遊び心としてスキン機能がある。
これによりCONNECT使用時、相手からどう見えるかを決めることができるのだが、二人のように服装や髪型を変える者から、中には犬や猫など、姿そのものを変える猛者もいる。
二人はCONNECTの状態が良好であることを確認すると相談を始める。
『さて、ナオならまずは何処から当たろうと思うんだ?』
『そうですね…こういうのは人が多い雑談系から、と言いたいところですが、人が多い分ノイズが混ざります。オカルト系だとデマが混ざってきますが、まあ情報の純度の高さから言えばそちらが妥当かと』
『だがあそこは普段は過疎状態だった気がするぞ』
『もし今回の騒ぎが本当なら、あそこは大騒ぎだと思います』
『ふむ、大方正解だな。それじゃあ行くとするか』
そう言うと彼女は壁にかけられた数あるモニターの右端中央のものに手を触れ、そして中へと吸い込まれた。
志賀はそれに続いてモニターに触れた。
モニターの硬い感触がすぐにスライムへと変わり、中から引っ張られる感触に顔をしかめながら所長についていく。
モニターの向こう側はまるでホテルのラウンジのようであった。赤いカーペットの上に置かれた巨大な円形テーブルには、大量の人が座っていた。天井は球状の空になっており、時刻や、その日の天気によって変わる仕組みである。
人数によって部屋の広さとテーブルの大きさが変わるのだが、部屋の広さはコンサートホールほどはあることから、人数は少なく見積もっても500人程、その人達全てが仮面を被っていた。
これは匿名性を保つための機能であり、管理人以外その人のIDを確認できないようになっている。
テーブルの中央にはホログラムの画面が円柱状に伸びていた。そこには発言のログが最大1000件まで映し出されている。
部屋内にいる人間の多数が重要だと認知した発言は赤く色付けされ、最大で24時間まで遡って確認することができる仕組みになっている。
その円柱のモニターがめまぐるしく表示を変えていった。
その発言の殆どが管理人が二人も登場したことに関するものである。
その管理人達が新たに増えた椅子に座ると部屋のボルテージが徐々に上がっていく。
『さて、最近話題の天使のお話でも聞かせてもらおうじゃないか』
所長のその発言は一瞬で赤く染まり、それに追随するように多数の発言が中央に表示される。
そうやって所長が現在の状況を確認している間に志賀は今までの赤い色の発言を漁っていく。
こうやって大勢が盛り上がっている場合、同じ話題がループしていたりすることが多いのだ。
『ナオ、そっちの調子はどうだ?』
所長が1対1のチャットを飛ばしてきた。所謂ウィスパーである。
『目撃場所が多数ありますね。個人サイトから某百科事典サイト、動画サイト、オンラインカジノに挙句の果てにはエロサイトでも目撃証言があります。随分と庶民派な天使ですね』
『容姿についてはなにか情報はないか?』
『それが微妙なんですよね。そもそもで輪っかがある、ないで相当揉めたみたいです。絵画に出てくるような鳥の翼を持った天使という人もいればアニメに出てくるヒロインを上げる人、光のモヤモヤを天使と言い張る人、挙げればキリがないです。共通しているのは天使は攻撃も何もせず、宙に浮かんでいたということ。そちらはどうですか?』
『こっちも大体そんな感じだ。出没時間は日本のサイトでは十六時から翌日零時までだな』
『日本では、ということは海外のサイトだとその現地時間で出現するんですかね』
『中々察しがいいな。今は丁度その時間帯だし、もしかしたらここに登場してくれるかもしれんぞ』
その後はしばらくその部屋の住民と天使降臨を待ちながら仲良く雑談をしていた。
そんな時間もすぐに過ぎ、そろそろ帰ろうと
したところ、それは起こった。
きっかけはある住民の発言であった。
『雑談系に天使降臨との情報あり!』
その発言が合図となり中央の円柱が非常事態を告げるように赤一色に染め上げられる。
所長と志賀は椅子にもたれかかったと思いきや、そのまま後ろに倒れる。
あわや床に衝突するというところで彼らは赤いカーペットに沈み込んでいく。
管理人専用であるこの移動方法は一部のマニアに人気を誇っていることを彼女らは知らない。
オカルト系住民の一報を受け、所長と志賀は雑談系部屋にいた。
先程の赤いカーペットが黒と白のチェックに変わった以外は同じ構造の部屋だが、今やその部屋の広さは野球の球場並みの広さとなっていた。
部屋の中はとにかく混沌としていた。
ただ呆然と立ち尽くす者、通信で誰かを呼んでいる者、カメラを構える者、大声で罵声をあげる者、それぞれが思い思いの反応をしていた。
だが皆のやっていることは同じであった。
半球の天井に映し出される晩春の宵闇、その黒にポツリと浮かぶ違和感を仰いでいるのだ。
所長ら二人は住民に倣い、作られた星空を見上げる。
その違和感を見た所長は呟く。
『おい、ナオにはあれが何に見えるんだ?』
その言葉に志賀は答えない、いや、答えられなかった。
その違和感は紛い物の夜空で十六夜の如く輝いていた。どこまでも長い金色の髪は天の川を作り、純白の衣装を纏った肢体は星座を描いた。
その姿は例えるなら天使、志賀はその天使と目が合った。
読んでくれてどうもありがと(・ω<)☆