天使の証明 序章
CONNECT、戦後最大の発明ともいわれるそれは端的に言えばVRだ。
これを使えばネットを漂う情報を、視覚、聴覚、触覚、などなど、人間の五感を使って受け取ることができる。
しかも使用するために必要な機材も手軽に買え、使用する時もデバイスに付属しているコードの先端に付いているパッチをこめかみにつけるだけだ
このコードも最近はワイヤレスタイプへと進化してきており、眼鏡型、ヘッドホン型、更にはコンタクト型など多種多様になってきている。
このような余りあるメリットのお陰で今やCONNECTは人々の日常の一部とまで化した。
しかし、CONNECTによる弊害もある。電波帯や、児童のいじめ問題、悪質なウイルスなどがそうだ。
だが私はCONNECTによる弊害と聞くと別のことを思い浮かべる。
それはCONNECTによる娯楽の多様化の影響で、昔懐かしい怪談が廃れていってしまったことだ。
昼夜問わず空を飛び交う電波の下、今日び、トイレの花子さんや人造人間など定番のものは勿論、UFOや八尺様など、都市伝説の話を耳にすることは少なくなった。
幼少時代の思い出が一つ、また一つと消えていくことに哀愁を感じずにはいられない…………
「なんでこんな記事を書かなきゃいけないんだか」
「けやき探偵事務所」の所長、圓聖恋奈はため息をつく。
何時ものように黒いコートを着ている彼女が持つ美しい黒髪は彼女の妖艶な顔を更に引き立たせていた。
だが不幸なことに、その姿を披露する相手はここ数週間だれも訪ねてきてない。
別に不景気であったりとかそういうことではない、問題は立地だ。
駅前の活気の象徴である繁華街、そこから結構外れたところにひっそりと建つ雑居ビルの最上階に「けやき探偵事務所」は入っている。
ただでさえ探偵事務所が飽和状態なのに、分かりづらい路地裏で、しかもオカマバーやファッションヘルスなど際どい看板が出ているビルであるため当然依頼人は滅多に来ない。
普段の仕事はもっぱらこうした絶滅危惧種となった紙媒体の雑誌の原稿代筆や、ネット掲示板の経営である。
特に掲示板の経営は軌道に乗って思いのほか順調に事が進んでいったためメンバー四人を余裕で雇えるほどの収益を叩き出していた。
例えるならばカレーで生計を立てる蕎麦屋みたいな状態だ。
それなら別に他のバイトをしなくていいじゃないかと思う者もいるかもしれない。
彼女ら別に金目当てでやっているわけではなく、探偵業に生かすためにやっているのだ。
例えば掲示板は何か事件があった時に情報源として使えるし、削除要請などがあればそれが重要な情報かもしれないということが把握できる。
彼らの本業は探偵、カレーで有名な蕎麦屋が蕎麦にプライドを持っているように彼らは探偵という職業にプライドを持っている。はずなのだが、彼女はすぐに集中を切らし、背もたれに体を預ける。
無理もない、やりたくもないことをやっていることに加え、事務所の中は犬の鳴き声で埋め尽くされていた。
「手が空いたならこっちの犬のお世話をして下さいよ聖恋奈さん。流石に十匹の犬の面倒をいっぺんに見るのは不可能です」
そう言うのは事務所のメンバーである志賀直人であった。彼は家出していたところを所長に拾われ、今はここで住み込みで働いている。
その他メンバーは三人存在するのだが、今日は休日のため誰も出勤していない。
「それはお前が見つけてきた仕事だろうに…後、次に私を下の名前で呼んだら問答無用で家に送り返すからな」
「分かりましたよ…それじゃあ僕散歩に行ってきますね」
志賀はそう告げるとワンちゃんを連れて事務所から出ていく。
このビルにはエレベーターがない。この事も客を遠ざけている原因の一つなのだが、所長曰く、この階段を登るのも面倒くさいと思う奴は本当に困っていないとのことだ。
この他にも来ない原因はまだまだ沢山ある。この事務所は広告はおろか自社のホームページをも持たない。
これもまた、所長曰く云々、なのだが、本当に困っているのは事務所の方だ。
志賀は十本のリードを巧みに操り犬を操作して自分が限りなく楽をできるように歩く。彼には残念だが、その慣れた手捌きからはドックブリーダーとしての素質を感じる。
しばらく路地裏を闊歩していると犬軍団の一匹であるポメラニアンが何かに反応し、キャンキャンと鳴き声を上げる。
それが連鎖を生み、全ての犬が思い思いに吠え始めた。
犬達が吠えている先は路地裏の更に奥であった。
目を向けると普段は誰も寄り付かないようなところで、その人物はしゃがみこんでいた。
建物の隙間から僅かに漏れる陽の光に照らされたその人のそのミディアムカットは白銀のように美しく輝いていた。プラチナブロンドとはこの人のためにあると言っても過言ではない。
「佐々木さん、そんなところで何してんの?」
佐々木さん、そう呼ばれた人物は驚いたのか大きく肩を動かし、ぎこちない動きで振り返る。
「志賀君でしたか、この子が散歩中にここに座り込んじゃって」
そうはにかむ彼女の名前は佐々木結衣と言う。志賀と同じくけやき探偵事務所のメンバーであった。
佐々木は何か黒いモフモフとしたものをお腹に抱えていた。
そのモフモフは居心地が悪いのかしばらく腹の中で暴れると彼女のわずかな胸を蹴飛ばし脱走を試みた。だが彼女が超反応で首輪を掴みそれを阻止する。
「こらコシカ!暴れちゃダメでしょ!」
モフモフの名前はコシカという。珍しい黒のターキッシュアンゴラで性別はオス。彼女が事務所で働くきっかけを作った立役者だ。
コシカがやたら暴れているのは犬のせいかと思ったがどうやら違う。
彼女の胸にようやく収まった黒猫はビルの隙間を見つめていた。
志賀の持つ犬達も何やら隙間の匂いをひたすら嗅いでいる。
なんか面倒くさそうな予感がするな、と二人は感じていた。
無理もない。この街の駅前は戦前の歌舞伎町と言われるほどに治安が悪いのだ。
この例えは二人の様な今の若者には通じないらしいが、道端でサイレンを回しているパトカーを見ない日はない、と説明すればその凄まじさが分かるだろうか。
二人で隙間を覗いてみると案の定、奥に誰かが挟まっていた。隙間は暗く、中の人は反対側を向いているため顔はもちろん性別も不明だ。
「うぅ……そこに…誰かいるんですか?」
物音の主は二人がいることに気付いたのか呻き声を振り絞った。
路地裏の最奥部に響く乾いた声、普通なら恐怖に震えて逃げる場面だが彼らは驚きもせず別のことを考えていた。
具体的に言えば志賀は声からして奥にいるのは大体僕と同学年だなと考え、佐々木はこの声何処かで聞いたことあるなと考えていた。
ここにいる全員、といっても二人だが、誰も声の主を助け出そうとは考えていない。
ここに挟まっているような人はヤクザに追われている可能性があるため関わったら巻き込まれてしまう、とかそういうことではなく、声の主はここを通り抜けようとしていただけだと判断したからだ。
その彼らの読み通り、数分その場で待っていると中から女性が飛び出してきた。
出るところが出たスタイルを持つ女性の服は胸と尻のところがススで若干汚れている。その姿を見て佐々木が悔しそうに目を逸らしたように見えたがおそらく女性特有の勘違いからくるものだ、そっとしておこう。
前に垂れ下がった長い髪を振り払うと彼女は思いきり伸びをした。
「ふう、やっと抜けられた…あれ?志賀君と佐々木ちゃんじゃない」
声の主は彼らの知っている人物であった。
「わあ、ここが噂のけやき探偵事務所かあ……本当にここで働いてるの?」
女性は事務所の入っているビルを見て面白そうな声を出す。無理もない、出ている看板は
ファッションヘルスとオカマバーだ。頼りない監視カメラが設置された入り口に貼ってある標識にはしっかり名前が入っているがこの電子情報が全てを支配する社会でそんなものを一々見る人は殆どいないだろう。
色々なものに興味津々な彼女を先導し、階段を登っていく。途中にヘルスへの侵入を試みたりする彼女を二人がかりで止めたり色々と大変だったのは言うまでもない。
「ただいま戻りました。ついでに…」
「ああ知っている。そこにかけてもらってくれ」
所長は先程の気怠そうな姿勢からゆったりとしたものに変わっていた。テーブルにはまるで僕達が依頼人を連れてくるのを予期していたように淹れたての紅茶が置かれていた。
それを見て彼女はさすが探偵さん!と目を輝かせる。実は所長の机の下のモニターに入口の監視カメラの映像が映し出されている、なんていうことを言うのは不粋だろうか。
「初めまして、佐々木ちゃんと志賀君の先輩で、ミステリー愛好会の会長をやっている渡会奈々と申します」
渡会は先程までビルの隙間にハマって絶望していた人とは同一人物とは思えない、ハキハキとした声で所長に挨拶していた。
対する所長はそうか、と一言発すると、相手が学生と分かって早くも興味を無くし、先程の原稿の仕上げを再開した。
学生だし金にならないと判断したか、どうせ学生のつまらない悩み事だと判断したかどちらかだが、どちらにせよプロ意識の欠片も感じない。
そんな所長のあり得ない姿を何かあり得ない捉え方をしているのか渡会は極めてピュアな目線を所長に送っていた。
所長が相手をしないとなると二人が依頼人、それも先輩の相手をしなければならない。
佐々木は基本的には接客ができない。
先に気づいた彼女は接客を逃れるため所長の横に秘書のようにちょこんと立った。
この場合、一人取り残された志賀が用件を聞かなければならない、ということに数秒かかってやっと気づいた彼はソファに座り直すとお決まりの質問を相手に投げかける。
「本日は、どういったご用件でしょうか」
読んでくれてどうもありがと(・ω<)☆