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悪魔たちの正義  作者: 嘉月青史
5th 裏切りの騎士
84/99

第8話

8、


 木々の狭間を縫って、銃弾が飛来してくるのを首だけ傾け躱す――

 髪を数本焼き切られつつも、すかさず視線を銃撃が放たれた方角に向けるや、サムは眉間に意識を集中させる。弾の軌道と銃声、ならびにその到達速度などの情報から機械のごとき正確さで敵の潜む範囲を特定すると、相手が潜むその一帯ごと破壊する準備に入った。

 時空が歪んだことで景色がずれ、続いて元の形を取り戻した反動で空間が無音の小爆発を引き起こす。

 半径五メートルほどの空間爆発は、木々に隠れていた兵士を幹ごと噛み砕いた。木が撓め折れる音に人間の肉体が弾け飛ぶ音が混ざり合い、鮮血となって宙を弾け飛ぶ。

 殺害された敵兵の服の破片は、迷彩柄の軍服――線路を破壊することで、スカイナビア住民の乗った電車を止めて囲むように陣取っている処方からして、デーン軍の兵士とみて間違いない。狙いはおそらく、乗客たちを捕虜とすることかあるいは虐殺のどちらかだろう。

 敵をまた一人葬ったことを確信しながら、サムは四方から鳴り響く音に素早く反応した。

 次々と飛来する敵の狙撃を、時に肉眼で視認し、時に鼓膜で聞き取り、時に肌から伝わる直感で、その悉くを躱していく。

 同じ場所に留まることなく小疾走や空間転移などを交えて電車の機上を移動しながら、一瞬の隙を見逃すことなく、遠距離の空間歪曲で敵を葬る。

「ははっ、ちょろい」

 こめかみわずか数ミリの距離を銃弾が駆け抜けていく熱気を感じつつ、サムは新たに放った念動力の爆撃で紙風船のごとく割れる敵兵の姿へニヤリと嗤いかけた。

 血が舞うたびに、サムは口元に微笑を浮かべる。

 そして、全身に血が勢いよく駆け巡るのを感じていた。

 生と死が隣り合わせとなった状態――電車の車体の上に乗った己は格好の的となっているにもかかわらず、彼の顔には少年のような無邪気な笑みが広がっている。

 その足元に、微かな熱。

 ようやく、四十近い人間が放つ銃弾の一つが、彼に当たったのだ。しかし微かに掠っただけ、致命傷になるは元より彼の足を止めることすら出来ぬ些細な傷であった。

 それでも、戦いに気分が昂ぶっていたサムの脳裏には一筋の苛立ちが走る。すぐに、銃が飛んできた方角に視線を向けて意識を集中、空間歪曲による敵周囲の空間の爆撃を敢行した。それにより、またも木の幹が数本へし折られ、分断されて宙に投げ出された木の上部が、木片が舞う空中を裂いて地面へと叩きつけられる。

 だがその中に、これまで混ざっていた血や肉の欠片は混ざっていなかった。

 軽く目を見開いたサムは、その後すぐに爆発の範囲から少し離れた木の背後へ走り込む兵の後ろ姿を目撃し、口角を吊り上げる。

「避けるか。いいねぇ」

 すでに十発近く行なわれた空間歪曲による爆撃に、敵も原理を理解し始めたのだろう。時空が歪めてから爆発までのタイムロスはわずか一秒足らずだが、正確に兵の位置を捕捉しているわけではないサムの攻撃は、その始動タイミングさえ掴めば回避は可能だ。

 初めは彼の攻撃に為す術もなく巻き込まれて破砕死を繰り返すだけだった敵も、徐々に順応してきていた。この辺りの学習能力の高さは流石プロの兵士といえる。

 相手が自身の駆使する超常現象にただ圧倒されるだけの雑魚ではないことに、サムは喜色を浮かべ、そのお礼に今の攻撃を回避した敵の隠れた木の幹に意識を集中させた。

 直後、樹木の幹は軋み折れ、爆発。

 今度は敵のすぐ近くを湾曲の作用点にしたために、気が付いた相手は回避が間に合わず、半身が吹き飛んだ。片腕と両足を持っていかれたそいつは、地面に倒れ込みながら声なき苦悶とともにのたうち回る。

 苦痛のあまりすぐに息絶えるだろうそいつからは意識を外し、サムは周囲に視野を戻した。依然として迫り来る弾丸を、サムは冷静に回避する。

 そんな中で、サムは敵兵が一斉に動き出す気配を感じ取った。通信器か何かで指示が出されたのか、兵士たちは木々の影に隠れながら、電車に向かって接近してくる様子が窺がえる。

 この行動に、これまで上機嫌であったサムもたまらず舌を打つ。

 つい先ほどまで、敵兵はサムを厄介な障害と見なし、いち早く排除しようと一斉に攻撃をしかけていた。

 だが、数十倍の人数で彼を狙い打ってもあっさりと回避し、おまけに人外の力ともいえる異能を駆使して味方を次々と葬る彼の力を見るや、狙撃によって仕留めるのは不可能とみたのか、距離を縮め出したのである。

 敵が次に出るであろう行動は、おそらく二つに一つだ。

 今度は遠距離ではなく近距離から彼を一斉に狙うか、それとも彼の撃破を諦めて狙いを乗客に絞るか、そのいずれかだ。

 前者はともかく、後者はサムにとって非常にまずい。

 対集団との戦いであれば敬一に負けるとも劣らぬ実力を発揮するサムだが、誰かを守りながら戦うというのは得手ではなかった。その点だけは、敬一のみでなく幸にさえも劣っており、その弱点を自覚しているのもあって、敵兵が的として狙ってくれるように電車の機体の上へと姿を見せての迎撃を行なっていたのだ。

 仕方ない、とサムは口の中で呟くと、腰に下げてあるホルスターから銃を抜きつつ、周囲の敵の位置を確認する。

 そして、一番電車に近い敵兵の位置を確認すると、そちらの方向へと転移した。

 木と木の間――比較的大きいその隙間へと移動したサムは、突如目の前に現れた自分の姿に瞠目する敵兵と目が合うと、ニッと嗤って爪先を跳ね上げる。振り上げられた足は体勢を低くしていた相手の身体をえび反りに撥ね、そいつの顎ごと頭蓋を粉砕した。常人であれば顎の骨が砕ける程度で済んだかもしれないが、常人の十倍近い身体能力を潜めるサムの蹴りは砲丸の如しで、そいつの頭部を一蹴で破裂させる。

 首なし死体を創り上げるや、サムは再び空間を渡り、電車の上に降り立つ。

 敵が自分を狙わずに接近してくるのであればそれを一人一人撃退していくという、ヒット&アウェイの戦術だ。

 しかし、この戦法も明らかな限界を抱えたものであった。

 敵が十数人、電車までの距離が百メートル強などであっても困難なこの対応は、その数は三倍、間合いは半分以下では、全員退けるのはまず不可能だ。

 現にサムが一人また一人と虱潰しに敵を瞬殺して行くものの、徐々に敵兵は乗客の乗る列車への距離を縮めていく。

 そして、サムが七人目を仕留めた時点で、先方の兵士が群生の木々の茂みを抜け、電車のレールが敷かれた砂利の辺りに到達した。

 そいつは、カーテンで内部がみえないようになった電車に向けて手にする銃の照準を合わせ、引き金に指をかける。これを目視したサムは、急ぎそちらへ拳銃の銃口を向けようとした。

 が、彼が銃撃を行なうよりも早く、銃声は響く。

 電車の中から。

 音のした方向に目を向けると、列車の連結部にある隙間から、銃を片手に持った警官が飛び出していた。サム以外の、この電車に同乗していた数少ない戦力の一人だ。どうやら外での迎撃がサム一人では不足していたのを目敏く察し、加勢にきたのだろう。

 彼だけではない。

 同じ場所、あるいは異なる場所からも、次々と人影が飛び出してきた。先の男と同じ警官、もしくはそもそも列車に同乗している警備の人間などで、それぞれの手元には銃や剣槍などの得物が握られている。

 中でも警備員にはプロの傭兵が混じっているらしく、サムの目から見て数人ほど、なかなかの技量を持っていることが推し量れる身のこなしをする者も確認できた。

 彼らは、思わぬ反撃に迷いを見せた敵兵の中へと自ら武器を片手に斬り込んでいく。

「――これは、少しだけありがたいかな」

 思いもよらぬ援軍に、サムは少しばかり安堵の表情を浮かべた。

 たとえ数人でも、電車の近くに自分以外の人間がいるといないとで、敵の迎撃に対するプレッシャーは大きく変わってしまう。敵に抗う術をもたない乗客を守るに際しては、一人では敵を近づけることすら危険なのだ。

 しかし味方が数人でもいれば、敵の接近は許しても攻撃を防ぐかと難度は低くなる。また、意識を客に対する意識も、そういう人間がいることですべて敵へと注ぐことも可能だ。

 常は敬一や幸にその役を任せているサムにすれば、少しばかり心もとなくはあるが、本来の実力が十分に発揮できる布陣だった。

「おかげで、俺は迎撃に集中できる――ふふっ」

 サムは思わず笑みをこぼしながら、そのまま空間を渡って一気に敵の真っ只中へと移動する。

 数人に自ら囲まれる位置に出現した彼を見て、敵は皆虚をつかれたのかぎょっと表情を強張らせた。

 サムは、彼らへ凄惨な笑みを返す。

 慌てて銃口を向けようとする敵兵を嘲笑うように、サムは彼らを挽肉にする作業に入るのだった。



 外から響いてくる銃声や怒号と悲鳴に、電車内にいる子供の一人が怯えて泣き始める。

 嗚咽の声を上げるその子供の頭に、近くにいた男がそっと手を被せた。手袋で覆われた男の固い掌の感触に、子供は涙を浮かべた瞳を丸めて顔を上げる。

「泣くな。泣いたところで状況は変わらん」

 安堵を与える笑みの一つも、希望の言葉も口にすることなく、男はただ冷徹に事実だけを口にした。

「泣くぐらいなら黙って席の影に隠れていろ。そうした方が安全だ」

 ギロリと鋭い視線を向けると、それに子供は慌てて頭を上下に二度三度頷き、男の指示に従って席と席の間に身を寄せた。外から聞こえる銃弾や人々の喧騒よりも男の言葉と眼光の方が恐ろしい、とでも感じのだろう。

 脅迫めいた泣き止ませ方に、周囲にいた大人の乗客の数名から非難の視線が飛んでくるが、アッシュは当然それらを無視し、子供が直視できなかった外へと視線を向けた。

 カーテンによってほぼ遮蔽した窓からの景色を、そのわずかな隙間を介して覗き見る。

 するとそこでは、電車で警備を務めている傭兵と、電車を止めた襲撃者であるデーン軍の敵兵が戦いを繰り広げていた。

 兵士が銃口を構えて傭兵を狙い撃とうと試みると、すかさず傭兵は両手を交差させて頭部を覆い、そのまま敵兵士の方へと肉迫する。接近する傭兵に、敵兵はすぐさま銃を連射、銃弾は傭兵の肉体に激突するが、食い込むことなく弾きれた。防弾ジョッキかあるいはそれと同等の装甲を身についていたと思われる傭兵は、着弾の衝撃で微かによろめきながらも敵のすぐ前まで到達し、手にしていた剣を振り下ろす。兵士は反射的に銃を両手で掲げ、銃身で刃を防ごうと試みたものの、斬撃は鋭く銃を両断し兵士の肉体も引き裂いた。

 敵兵を仕留めた傭兵の腕に、アッシュは目を細める。防具である程度は敵の攻撃を凌げるとはいえ、銃を撃つ相手に突撃していくなどなかなか出来ることではない。また今しがたの斬撃も素晴らしく、停滞なく鉄の銃身を裂いた点から見ても、勇猛さと技量を兼ね備えたなかなかの傭兵のようだった。

 だが、それでも彼と比べればいくらか霞んで見える。

 アッシュは、視界の隅に映っていたその青年へと目を移した。

 そちらでは、一人の傭兵が五人の敵を一度に相手するという無謀な光景が繰り広げられている。その傭兵とは、勿論サムだ。

 木の影に潜んだ敵兵たちは、茂みから少し外れた線路付近の砂利に立つ彼に対して照準を合わせて発砲し、彼の肉体を蜂の巣の如く穿たんとする。迫り来る弾丸に、サムは薄ら微笑む。直後、両者の間の空間が歪み、疾駆していた銃弾が一斉にその狭間の中で暴発した。自らにひた走ってくる弾丸を、その進路の空間ごとを歪めることで圧殺したのである。

 予想外の防弾方法に、敵兵は一瞬怯み、その隙にサムは空間転移で敵の中へと領域で侵入した。比較的開けた敵中まで移動した彼に、兵士たちは「しまった」と表情に焦燥を浮かべながらもなんとか動こうとする。

 だが、もう遅い。

 密集気味であった敵の間を、サムは拳銃を片手に一気に攻めたてる。手近な人間の頭を鷲掴みすると、それを別の一人へと力の限り投擲、同時に逆手の銃を乱射させ、銃口を向けようとする者、あるいは木の裏へ隠れようとする者へ鉛弾をぶち込んだ。ぞんざいに放たれたとしか思えない撃ち方にも構わず、銃弾はことごとく敵の額や胸部などの急所に吸い込まれ、着弾の衝撃で彼らを仰け反らす。一方で彼が投射した兵士は、その先に兵士と額同士で激突、質量六十キロ強の人間砲弾がぶつかったことで、両者共に額をかち割りながら頭蓋骨を陥没させ合った。

 瞬く間に五人の敵を退けた彼を、電車の中で見ていたアッシュは苦い顔で見つめていた。普通であれば、その強さに驚きや感嘆、あるいは恐怖や忌憚を抱くであろうが、彼は違う。

 ただ単に、呆れていた。

 明らかに人間離れした身体能力に戦闘技量――それらは、これまで渡り医師として各地の戦場を見てきたアッシュですら見たことがない、彼の知る人間と言う生物から一線を画するものだ。

 人間は、本来秘めている筋力の三割程度しか発揮できないという有名な話がある。わざわざそのような制御をかけているのは、常時それだけの筋力を発揮してしまうと身体の他の器官が負荷に耐え切れず壊れてしまうからだ。

 しかし、稀にその制御の割合を下げられる――つまり、本来の筋力の七割八割ほど、あるいは十割近くまで発揮できる人間も存在する。S級やSS級といった凄腕の傭兵、あるいは各国および国際社会での『精鋭』として扱われる者たちだ。

 彼らはそれぞれの手法で脳の制御を緩め、本来自らが秘めている身体能力をいかんなく発揮している。ゆえに、彼らが走れば目にも止まぬ高速と化し、彼らが拳を放てば岩さえ砕くことが可能になるというわけだ。

 医師であるアッシュともあれば、その事実は当然、どのようなメカニズムで彼らがそれを可能にするのかさえも理解して出来ている。

 そんな彼をしても、サムの動きは人間離れしていると思わざるをえなかった。

 彼の移動速度と膂力は、人間の潜在能力を優に超えている。スピードや膂力だけ取ればSS級の敬一をも上回るレベルで、アッシュの推測では、常人の筋力の十割飛んで二分はあると見えた。

 しかも――これはアッシュでなければ見抜けないことだろうが――サムの筋力は、まだどこか余力を残しているような傾向さえ感じられる。現状でも常人の四倍の運動力を誇っているにもかかわらず、どうも彼の肉体はまだ全開ではない、制御でもかかっているかのような様子が見え、本来の力をまだ発揮できてないようにさえあった。

 人の姿を借りた怪物とは彼のことを言うのだろうと、アッシュは茫洋と思いを抱く。

 同時に、殺戮の中で昂揚から笑みを浮かべた彼の顔を見て、苛立ちが胸にこみ上げてきた。

 アッシュは、サムが電車外に出て単身デーン兵士への攻撃を開始したことに、密かに不満を感じていたのだ。

 サムからすれば、線路が壊されて動けなくなった電車が包囲され、乗客が敵兵の人質になるよりも早く攻撃を仕掛けることで、結果的に乗客を守れるようにしたのだろうが、いかに彼でもそれには無理がある。

 というのも、電車を一つ包囲する以上、敵となる数は膨大だ。間違いなく、三桁は下るまい。そんな敵をたった一人、同乗している警官や警備を集めても十数人しかいない中で迎撃するのは物量的にも困難で、乗客の安全は保証されるはずもなかった。

 また、敵の目的が乗客の虐殺であればともかく、人質として活用するために捕虜とするだけであるならば、一旦は彼らに捕まって様子を見るという手もあったのだ。そうすることで、援軍が来ることや敵が油断するのを待って行動すれば、より確実に乗客共々逃げ出すことも出来るからである。

 過ぎたことは仕方がないとはいえ、勝手に応戦へと判断したサムに、アッシュは少なからず憤懣を抱いていた。この憤りを後で治療やら手術やら支払いやらで返してやろうか、と半ば真剣に考えが頭によぎる。

 そんな思考を中断させる事態が起こった。

 窓から外の様子を窺っていたアッシュの背後で、突如ガラスの破砕音が響いたのである。

 すぐさま振り向いたアッシュの目に映ったのは、カーテン越しに風穴を空けた電車の窓と、その下方で倒れ込む中年男性の姿であった。外部の戦闘で目標に逸れたものが偶然か、それとも意図的かは分からぬが、被弾してしまったらしい。

 周囲が茫然とする中、アッシュは一人冷静に男に近寄る。

 そして、一足遅れて悲鳴が上がりそうになる辺りを制するように、

「大丈夫、死ぬような傷ではない。今すぐ止血するから騒ぎ立てるな」

 外部から男性を捉えた弾は、幸いにも上腕を掠めただけであったことを周囲に告げた。

 それを聞き、恐慌状態になりかけた周りの乗客は安堵で胸を撫で下ろしながら彼の指示に従う。もし今の銃撃が意図的なものであった場合、下手に騒いでここに乗客がいることが露見すれば、おそらく外部から一斉に銃弾が叩きこまれることになるはずだ。

 引き続き、乗客は息を殺して身を隠そうと、席と席の間に潜ろうとする。

 だがその最中、激しい音とともに電車のドアの部分が吹き飛んだ。

 ぎょっと乗客たちが視線を向けると、破壊されたドアの向こうから男が一人侵入してくる。

 服装は迷彩柄の軍服、デーン兵士だ。

「動くなァ! 手を挙げて伏せろオッ!」

 車内に侵入するなり、男はドスの聞いた声を張り上げた。同時にそいつは手にした銃口を周囲に馳せ、乗客たちを威嚇する。

 ついに、そしていきなり侵入してきた敵の姿に、乗客たちは少しの間茫然と身動きが出来なくなった。恐ろしい敵が目の前に現れたことで、彼の思考能力が停止していまったのだ。

 その停滞が、兵士側からは抵抗にでも映ったのだろうか。

 指示に従わない乗客たちを見て、兵士はたまたま足元にいた少年に目を向ける。それは、先ほどアッシュが泣き止ませた子供であった。

 直後、兵士はいきなりその少年の足を撃ち抜いた。

 至近距離から銃弾が当たり、少年の片足は無惨にも吹き飛び、重心を失った身体は転倒する。

 凶行に、アッシュを含めた乗客の一同が瞠目した。

「脅しじゃねぇぞ! さっさと従え!」

 そう言って兵士が銃口を振り回すと、乗客たちは一斉に身を伏せた。顔面を蒼白にしながら、両手を上げて無抵抗をアピールする。子供が足を吹き飛ばされたのを見て、少しでも抵抗すれば命を奪われると理解したのだ。

 周囲の人間が一様にひれ伏す中、唯一アッシュだけが、不動のまま佇んでいた。

 彼の視線は、片足を失って倒れる子供に向いている。

 少年もアッシュの視線に気が付いたのか、彼に一度振り向いてから、その視線の行先を辿って自分の下半身へと目を向ける。

 膝より下の部分が引き裂かれた右足は、その割れ目から血がゆっくりと漏れ、床に紅の溜まりを作り出していた。慣れ親しんだ肉体が欠如しているその光景に、少年は訳もわからず瞬きをした後、まずは足を、次に肩を、そして身体を、最後に喉を震わした。傷口から生まれた灼熱感は神経を一直線に駆け巡り、脳に槍で射抜かれたような激痛を伝達する。幼い少年にそれは拷問以上といってもいい責め苦で、彼は傷口に両手を伸ばしかけ、途中でその指先の動きも封じられたように身体を抱いて転がり出した。

 その様を、アッシュは口を引き結び、目を見開いたまま見つめる。

 無言で佇む彼に、兵士はすぐに勘付いて視線と銃を突きつけた。

「そこの白髪! とっとと指示に――」

「おい、貴様」

 兵士が発した声に被せるように、アッシュが口を開いていた。

 彼の声に、兵士だけでなく周囲の乗客も驚きを露わにした。乗客らは、口こそ開かないがアッシュに早く相手の指示に従うような警告を送ってくる。

 それを無視し、アッシュは相手の兵士に視線を向けた。

「貴様……今無抵抗の子供を狙ったな?」

 平坦となった声とともに、アッシュは兵士に対して冷ややかな眼光を突きつける。

 明確な抵抗とも取れるその態度に、男は銃口を揺らした。

「黙れ! とっとと手を挙げろッ!」

「……上げればいいんだな?」

 相手の指示に、アッシュは一拍間を置いて腕を持ち上げる。

 だが、上がったのは右腕だけだった。いつの間にか服の袖が肘までまくられていた右腕が、男に突き出されるような形で掲げられる。

 その、普段は手袋やら白衣やらで隠されている腕が露わになると、それを見た兵士は、思いがけずに目を点にした。

「お、おい……貴様その手――」

「失せろ」

 困惑の声を洩らしかけた相手に、アッシュは冷たく宣告する。

 刹那轟音が鳴り響き、兵士の顔面が粉砕した。

 鼻柱を中心に顔面を削がれたそいつは、衝撃に宙へ吹き飛ぶと、そのまま電車の外まで投げ出される。背中から勢いよく地面に叩きつけられたそいつは即死で、指先をぴくりと痙攣するほかに微動だにしなかった。

 兵士が視界から消えるのを見て、アッシュは突き出していた右腕を降ろす。いきなり吹き飛んだ敵兵と、それを為したアッシュの右腕のある物体に、周囲の客は皆茫然と膠着していた。

 アッシュの右腕は、人間のソレではない。肌は柔らかな肌ではなく黒鋼で、また元は人の形を模していたそれが変形して、内部から銃身が顔を出していた。拳銃というよりライフルよりの造形で、銃口からは白煙がゆったりと揺らめいている。

 義手の形を模した世にも珍しい兵器、ギミックアームであった。

 使用者の脳内信号に反応して動作するそれは、アッシュがすでに役割を終えたというような指示を出したために、外へ飛び出していた銃をコンパクトに組み立てながら腕の内部に仕舞われる。

 周囲の視線が自分の腕に集まっていることに、アッシュは思わず舌を打ってから視線を上げた。

 なんとなしに向けられたのは、先ほど敵が侵入の際に壊して開けっ広げになったドア越しの外の方角だ。

 そこには、今の男の後続なのか、数名の敵兵が茫然とした様子で立ち尽くしていた。おそらく、今のアッシュの腕を目撃し、度肝を抜かれたのだろう。

 彼らの姿、そしてその足元で転がっている人影を見て、アッシュは再度舌を打った。倒れているのはどれも警官姿――どうやらこの辺りを守っていた戦力は全滅してしまったらしい。

「ったく……俺の戦場はこっちじゃないんだがな」

 罵倒を吐きながら、アッシュは一度収納した腕内の銃口を再発動させる。

 ドア付近で未だ倒れたままの少年を足蹴にして死角へと押しやるや、アッシュは脳内信号を引き金にする銃撃を開始するのだった。



 鷲掴みにした頭部を果実のように圧し潰すと、肉片が飛び散り、血漿が口付近にどっと降り注いだ。

 力なく頽れる兵士から離した腕の袖でその返り血を拭うと、サムは唇から口内へと垂れてきた鉄の風味に笑みを溢した。凄惨なその表情は、戦鬼の権化たる彼にこそふさわしい。

 すでに三十以上の敵を葬ったサムは、全身の至る所を深紅の血で濡らしていた。羽織っている黒いコートは限界近くまで滲み、端々から粘りある赤色の雫を滴り落としている。そのほとんどが返り血で、彼自身の傷によるものはほとんどない。優れた新陳代謝――俗にいうところの再生能力を持つゆえに、傷が深くないかぎり彼が多量の出血することはありえなかった。

 より深みを増した黒衣の戦鬼は、次なる獲物を求めて周囲を見回す。

 戦いで昂揚した彼の意識は、理性を保ちつつも本能に限りなく同化しているために、絶え間ない興奮と戦意に染まっていた。次の敵はどこか、今度は誰を引き裂こうか、そんな思考だけが彼の脳内を駆け巡る。

 ただ、戦いに熱中する彼の心理とは裏腹に、辺りの戦況は芳しくなかった。サムがどれだけ敵兵を殺戮しても、また電車から飛び出した警官や警備の傭兵らも応戦しているはずにもかかわらず、敵の数は一向に減る気配はなく、むしろ増えているような印象さえあった。初めサムが感じた敵の数よりも、今この場にいる敵の数は、死体になった者を除いても明らかに多い。

 実は、サムが初めに感じた人数は、あくまで敵全体の一部であった。その総量は、彼が見立てた数の四倍近くもいたのである。

 彼らは元々、電車の通る線路を爆破した後、先遣の五十名がまずは電車を包囲して乗客の退路を断ち、その後本体と合流して乗客たちの身柄を捕える算段であったのだ。そのため、最初より敵の数が増えるのも当然で、先遣で出た味方が電車にいる護衛戦力からの反撃を受けたのを聞きつけ、援軍として現在合流していた。

 改めて敵の気配を探り、その事実を理解したサムは、驚きや失態に苛立つよりも先に、嗤う。

 敵が増えて劣勢に立たされていることよりも、彼には、殺すことのできる敵の数が増えたことやこの劣勢を覆すことへの闘志の方が先んじて思い浮かんだのである。これは、彼が好戦家・戦闘狂だからといった思考ではなく、敬一も含めた本物の傭兵だけに共通する、一種の哲学であった。強き者は、困難な事態に陥れば陥るほど闘志を燃やす――生死の境の世界に身を置く、生粋の戦士であるサムも、当然こと戦況を歓迎し、血流を奔騰させる。

 その上で、冷静さを失っていなかった。

 視界の隅で、電車内へ敵の兵士が乗り込んだのを見ると、サムはすぐにそちらを確認して空間転移の準備に入る。おそらく車内に侵入し、乗客たちを人質に取ることに意識を集中させているであろうそいつを、背後から脊髄ごと首の根を引き抜くためだ。

 だが、彼が空間を渡るよりも早く、侵入した兵士が中から吹っ飛んできた。

 面を破壊されたそいつは背中から地面に叩きつけられ、指先を微かに痙攣させたまま絶命する。その背後には、彼に続いて車内へと侵入しようと近寄っていた兵士の一団があったが、何か信じられないものを見た様子で唖然と立ち尽くしていたところを、車内から放たれた銃弾の雨に狙い撃ちにされた。

 その光景に、サムは一瞬訝しむが、車内に護衛の誰かが残っていたようだと深く考えることなく、一度電車の車上へと転移して戻る。機体よりやや上の位置に移動した彼は、周囲を見回して敵の数や戦況を再確認する。細長の電車の左右には合わせて百人近い敵の姿が確認でき、防戦する警官や傭兵が、徐々に討ち取られつつあった。

 まずくなってきたな、とサムは内心呟きながら、口元には相変わらずの笑みを浮かべる。

 彼が電車の上に着地したと同時であった。

 サムは、ふと背後に目を向けたところで、両目を見開いて硬直する。

 そこには、烏天狗を模した仮面で容貌を覆い、黒の外套を羽織った和装の二人組が立っていた。顔を仮面で隠していることや、外套などで身体を隠しているために、性別はおろか年齢、人間としての様々な特徴すら判別しづらい。

 ただ、その異様な外見以上にサムを驚愕させたのは、彼らがサムのわずか二メートル足らずの位置に、彼の気づかぬ間に出現していたことだ。佇まいからは、今まさに現れたようにも、あるいは最初からそこにいたようにも見える。また、二人はサムよりも遥かに身長が低いにもかかわらず、その存在感、威圧感はサムを遥かに凌駕していた。

 何故こんな人間に自分は気づかなかったのか――サムが昂揚した思考でそう戸惑ってしまうほど、彼らからのプレッシャーは相当のものだった。全身から冷や汗が噴き出すのを感じつつ、サムの脳裏にはふと、半年前に対峙した異形のSS級【幽鬼】の姿が思い浮かぶ。今彼の前に立つ二人は、彼にも負けず劣らずの存在であった。

『苦戦しているか。駆けつけて正解だったようだ』

 硬直するサムの前で、烏面の片方がいきなり嘯く。その声は人間の声帯によるものではなく、人工声帯と呼ばれる機械による音声であった。

 独り言にも、あるいはサムに対して声をかけたようにも見える。

 返事を返さないでいると、声を発した方の烏面がサムの方へ振り向いた。それを見て、彼はどうやら後者であったようだと悟る。

「……誰だ、アンタ達は?」

『貴殿の、味方だ』

 最低限、この場で説明すべき必要のある言葉を口にすると、烏面はサムのすぐ傍らを進み出ていく。

 その際、サムは彼から熱線あるいは電流のような空気が放たれたように感じ、咄嗟に半歩退いて彼から距離をおいた。烏面は、そんな彼の反応に気にする様子はない。代わりにサム本人が、自分の反射的なその行動に驚いたのか、目を丸めて困惑の表情を露わにしていた。

『正確には、スカイナビアの同盟者ですよ』

 横を通り過ぎた方とは違うもう一方の烏面が、混乱している様子のサムに対して朗らかな口調で説明の補足を行なってきた。

 なんとなく女性の物と思われる口調であるが、しかし性別は依然として識別できない。あるいは、女と思わせて真似ているだけとも、あるいは男性ながら女性のような性徴を持つ者かもしれなかった。

『貴方は……そうそう、確か【死神】天野敬一殿の相方のサム・ヘルヴェイグ――本名黒神修殿ですね。私は《カム》。そしてそちらは《ミナカ》。共に大和の者です。お見知りおきを――』

 丁寧な口振りで名乗った烏面――カムの言葉に、サムは唖然とする。敬一との関係はともかく、知る者が少ない自身の本名すら知っている相手だということに、彼は驚き隠せなかった。

 と、彼女(?)に自身の名を明かされたもう一人の烏面・ミナカが足を止めて振り返る。

『カム。あまり部外者に我らのことを言いふらすな』

『ですが、修殿は混乱している様子でしたので、共闘にあたって私たちが味方であることを明示いたしませんと……』

『必要ない』

 カムの言い分を一蹴し、ミナカは周囲に目を配る。

 烏面の二人の姿に、敵も徐々にその存在に気が付いたようで、戸惑いと困惑、聡明な相手はすでに敵愾心を浮かべていた。

 そんな彼らをどう思ったか、ミナカは背後に手を伸ばす。そこには、外套の影に隠れて一振りの大太刀が潜められていた。

『この程度の尖兵、五振りもあらば灰燼に帰す』

 そう宣告するや、ミナカは背後の大太刀を抜刀する。

 彼が太刀を抜いたことで、彼の姿を見ていた敵兵たちは一様に、彼が明確な敵であると理解したように銃口を持ち上げる。

 一方で、そんな彼にサムは眉根を寄せた。

「今、五振りって言ったか?」

 彼の異形と仰々しい振舞に思わず聞き逃しそうになったその言葉に、サムは疑念と驚愕が落ち混ざった視線を浮かべる。

「それはつまり、五回剣を振ればこの数の敵も全員撃退できるってことか?」

『……是、なり』

 肯定の頷きを返し、ミナカの姿はサムの眼前で、忽然と衝突する。

 サムは目を見開きつつ辺りを見回し、彼がどこに行ったかをすぐに見抜いた。

 ミナカは、自分に対して銃口を向けていた敵たちの背後――つまり敵陣の真っ只中に移動している。その移動法は、サムの持つ空間転移と似た、しかしそれとは非なるものだった。移動したのではなく、その地点へと一瞬で跳んだのだ。

『さて……今回は何をなさるつもりか――』

 自分を凌駕する速度で空間を渡った相手に目を見張るサムの背後で、カムは機械音越しに楽しげな声を洩らす。

 それに応えるように、ミナカは動いた。

 彼は、いきなり背後に現れた自分に驚く敵兵に対してではなく、近くにあった樹木へと、突然太刀の切っ先を突き立てた。

『木霊よ、傲慢なる人の子に摂理を示せ』

 まるで魔術師の如き口訣が辺りに響くや、それに感応するような反応が起こった。

 動いたのは木――いや、森全体だ。

 辺りはまるで地震が起こったような大鳴動に包まれ、戦闘中の警官や警備員、デーン兵士たちはたちまち体勢を崩して周囲を見回す。一体何が起きたのか、敵味方一同が驚愕を露わにする中で、その答えを大地が示した。

 揺れが収まらぬ中で、その地中から唐突飛び出してくるものがあった。木の根だ。樹齢数百年にもなる野太い根が、地面の奥深くから顔を出したのである。空中へと躍り出たそれは、まるで生物の触手のごとく、近くにいた人間たちに襲いかかった。ぐるりと円を描くように回り込んだ根は、現実離れした光景に立ち竦むデーン兵士を次々と拘束していく。そして、彼らの足を力引き剥がして宙に持ち上げるや、彼らを捕らえた根に力込めてその身を圧迫した。その握力は尋常なものでなく、締めつけられた兵士は皆絶叫とともに血の泡を吹きだす。

 そして、鈍く気色悪い破砕音が一斉に上がった。

 木の根による数百キロの圧迫に耐えきれず、兵士たちの身体は楊枝のようにあっさりひしゃげる。生死の確認は必要なかった。身体を二分にへし折られ、あるいは上体と下体とがねじ曲げられた状態で生きている人間など、いるはずもない。

 ミナカが起こしたと思われる怪現象に、デーンの兵士の多くが巻き込まれ即死する。

 その数は、少なくとも五十以上――一気にそれだけの人間が殺害されたことに、流石のサムは愕然と思考を滞らせた。

「何だ……これは」

『んー、おそらくですが……』

 心ここにあらず、といった様子で呟かれたサムの言葉に、カムが小首を捻りながら人工声帯で応じる。

『西洋のある国、ブルテン連合王国あたりに伝わる森の魔術かと。もっとも、現存する魔術ではなく、伝説上の精霊が駆使したという山及び森林全体を操るという架空の魔術でしょうね』

 カムの寄こした返答に、我に返ったサムが振り返った。

「架空って……でも実際に使っているよね?」

『まぁ、それは……これ以上教えてしまうと、私がミナカに怒られますのでノーコメントでお願いします』

 痛いところでも指摘されたからか、カムはサムの疑念に対して機械の不快な笑い声とともにごまかそうとする。当然、サムはそれに納得できるはずがなく、一体どうしようかと問いただそうとした。

 だが彼の声が発されるよりも早く、再びの地震が辺りを覆う。

 思わず電車の機体に手を下ろしてこらえたサムは、背後へと視線を向けてまたも目を見開いた。

 彼がカムと話している間に、いつの間にかミナカが、先ほどとは電車を挟んだ反対側へ移動していたのだ。一体いつそこまで移動したのかは不明だが、ひとつだけはっきりしているのは、先ほどと同じ術を使ったということだった。

 その証拠に、またも中空には、周囲の木々の根と、デーン軍の死体がある。

 ただ、その死骸は先ほどより悲惨であった。

 地中から飛び出している木の根は人の腕回りほどの太いものばかりであるが、それらはすべて、空に向けて一直線に伸びきっている。その半ばの部分に、デーン兵の肉体がぶら下がっていたのだ。彼らは、身体の中心を太い根によって貫通され、大量の血と臓物の一部を地面へと垂らしている。酷い者には、股下から脳天までを串刺しにされた者すらいた。

 まるで昆虫標本かのような人間の死体の数々に、周囲で彼らと戦っていた警官や傭兵たちは呆然となる。不思議と木の根は彼らを狙わず、デーン兵のみを的確に射殺していた。

 あっという間の、あっけない幕切れだった。

 ミナカがこの場に現れてからまだ一分も経っていないにもかかわらず、デーン兵士百名が、彼の妙技によって全滅してしまったのである。この光景には、当人とカム以外は愕然と、敵を撃退した事実も忘れて立ち竦む。

 一方、地中に飛びだした木の根たちは、仕留めるべき標的がいなくなったのを悟ると、出てきた時と同じ速度で地中へと戻っていった。それにより、木々に仕留められたデーン兵の死骸は地面に叩きつけられ、一部が人間の型からただの肉塊へとなり果てる。

『――他に敵はいるか?』

 呆然としていたサムは、背後から声にぎょっと振り向いた。

 そちらには、いつの間にかミナカが立っていた。初めてここに現れた時同様に、彼はサムほどの人間をしてその移動の気配を感知させることなく、サムの背後に平然と出現したのだ。

 気配ではなく彼の発した声でその存在に気付いたサムは、額から冷や汗が現実のものとなって頬を伝うのを感じ取る。

 なお、ミナカはサムに話しかけたのではなく、彼の背後のカムに声をかけたようで、互いに仮面をつけた相貌で視線を交わしていた。

『いえ。襲撃を企てたと思われる敵兵の生命反応はすでに消失しております。まだ息が止まっていない瀕死の魂が十一体いますが、しばらくすれば事切れるかと』

『左様か。では、ここに長居する必要はあるまい』

 カムからの応答に顎を引くと、直後ミナカの姿はなんの前触れもなく消滅した。

 現れるのが唐突ならば消えるのも忽然、そしてその実力は超然――そんな彼に、サムは為すすべもなく硬直するしかない。一体何者なのか、あまりに常軌逸したその存在に、彼は終始圧倒され続けた。

 挨拶もせずに消え去った彼に対し、カムはサムの方へと向き直り、丁寧に頭を下げる。

『では、私も失礼します。あ――』

 慇懃に別れの言葉を口にしたところで、ふと彼女は、何かに気が着いた様子で視線を移す。そちらは、電車が進行していた方向――破壊された線路の方角だった。

『あの通り、線路も直しておきましたのですぐに避難場所へ御向かい下さい。では、今度こそ失礼します』

 その言葉に、サムは勢いよく振り向く。

 視線を馳せると、彼女の言葉通り、破壊されて途切れていた電車のレールが元通りに直っているのが見えた。数メートルに及んで破壊された軌条は、確か地面の砂利ごと抉られていたはずだが、今はそれも元通りになっている。

 信じられない光景にサムが口を半開きにする中、カムはもう一度頭を下げると姿を消した。彼女は、ミナカほど瞬時に消えることはなく、姿を陽炎のように揺らしてからの消失、空間転移による移動でこの場を去っていく。

 姿を消した二人の烏面に、サムはしばし茫然となった後で天を仰いだ。

「……何だよ、あれ」

 竦然と呟かれたその言葉は、二人が常識的に見てどのような存在であったかを的確に表現していた。


   *


 しばらくして、サムが電車の上から地面へと降り立つと、ちょうどそこでは敵兵と応戦して負傷した警官や兵士たちが森の中から運び込まれるところであった。自らの足で歩ける軽い怪我で済んだ者もいれば、担架で車内へと運ばれていく者もいる。哀れ運び込まれず、地面に倒れ込んだまま、布を被せられた者もいた。

 骸と化した人間にしばし見据え、特に感情を面に出すことなく視線を逸らしたサムは、ふと視界に見覚えのある人物の姿を捉える。車外へ出た彼は、すでに医療器具が入った鞄を片手にしていた。

 サムが近づくと、カバンから白衣を取り出すところだったアッシュも彼に気が付いて顔を上げる。

「無茶な戦いしやがって」

 開口一番、アッシュはそんな恨み言を言い放った。

「お前のおかげで死傷者多数だ。もっと考えて動くとかできないのか、戦闘馬鹿がッ!」

「……乗客に死者が出たのか?」

 罵声に対し、ほんの少し目を細めてサムが尋ねる。

「いや。負傷者は数人出たが、死人は出てない」

「なら、いいや」

 死人は応戦に出た人間だけだったことを聞き、サムは興味を失くしたように視線を下げる。

 その物言いに、アッシュは癇癪に障ったのか目つきを変えるが、サムの視線が腕元に注がれているのに気付いて口の端を歪めた。応戦の際に剥き出しにした鋼鉄の腕は、未だ衣服で覆われていない。

「その腕は?」

 訝しげにサムが疑問を口にすると、予想通りの言葉にアッシュは嘆息を洩らす。

「幼少の頃、四肢の末端が腐敗する病気にかかってな。両手両足は、切り落とした後で焼却炉で燃やされた」

 さらりと口にされた衝撃的な内容に、サムは思わず眉を顰める。

「これは最新の義手だ。本物に比べたら多少制御は難しいらしいがな。もっとも、小さい時から使っているこっちとしては、実際のものより不便と聞かされてもピンとは来ないが」

「あぁ、うん。そうなんだ。でも俺が気になったのはそこじゃないんだ」

 サムは、白衣を羽織ることで義手を隠したアッシュに首を傾げながら、

「なんでその腕、中に銃器が内臓されてるんだ?」

「……何故分かった?」

 アッシュが眉根を寄せて苦渋の表情を浮かべると、サムは目を瞬かせる。

「いや、火薬の臭いがその腕から漂っていたから。それ、義手と言うよりギミックアームじゃないの?」

「お前は狂犬か何かか?」

 普通であれば気が付かないほど少量の火薬の臭いを嗅ぎ当てられたことに、サムはげんなりとした様子で吐き捨てる。自分の腕がこうなっていることを他人に知られることもそうだが、それ以上にこの腕が兵器であることを知られる方が不快であった。

 辟易とするアッシュに、しかしサムは急に目を輝かせ始める。

「え? もしかしてアッシュって強かったりするの? その腕、めっちゃくちゃ強力な武器が搭載されていたりするの?」

「………………」

 やや興奮気味に訊き始めたサムに、アッシュは不機嫌さのあまり無言で青筋を立てる。

 正直なところ、腕が武器になっていることをこの男には知られたくなかった。知ったら当然、この戦闘馬鹿はこのような質問を根掘り葉掘り聞いてくると予想がついていたからだ。

「ねぇ、もしかしてビームとか出たりするの? レーザービームとか!」

「俺を巨大ロボか何かと一緒にするな」

 発想は子供じみたその問いに、アッシュはにべもなく切り捨てる。

 つれない態度にサムは不満げに口を窄めるが、それに対する抗議はひとまず棚上げにして、ふとあることを思い出して彼へも教える。

「そうそう。そういえば、線路が元通りになったみたいだよ。どうやったかは知らないけど、共闘した奴がやってくれたみたいだ」

「……ついに頭がおかしくなったか。いや、元々そうだったな、スマン」

 サムの言葉を端から信じていない様子で、アッシュは毒づきながら鞄の中の医療器具を取り出す作業を続ける。


 そんな彼も、後に実際にレールが直っているのを目の当たりにすると、最初にそれを見たサム同様に、茫然と押し黙る羽目になるのだった。

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