第6話
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時刻は、午後二時を回っていた。
ほとんどの人間が食事を終えたのだろう、街路に見える通行人の数は増え、街路には喧騒と活気が溢れていた。
敬一とサムが歩いているのは、昨晩幸をアッシュの家に運ぶ際に通った場所だ。昨日通った時よりも明瞭な視界と傍らを通り抜けていく通行者に、敬一はなんとなく視線を巡らしていた。
「人通りが多いからって安心するなよ」
ふと、サムが敬一に向け警告を発した。
何に対する安心かは、言うまでもない。
「奴らは、人の目なんて気にしちゃいない。人を殺せと言われれば、たとえ当人が雑踏の中にいても平気で行動に移す。目撃者が出ようが、無駄な犠牲が増えようが、ね」
「そんなことは分かってる」
敬一とサム、二人は並ぶように歩いている。
互いに視線を合わさず、静かに声を交わしているため、よほど注意して二人を見ない限りは、彼らが言葉を交わしているようには見えないだろう。目立ちにくい、しかしそれにしてははっきりとした会話である。
サムが真面目な言葉を発するのとは対照的に、敬一は薄らと苦笑を浮かべた。
「目立ちたがり屋だしなぁ、奴ら。かまってちゃんとも言えるな」
「……その言葉はよく分からないけど、なんか違う気がするよ」
敬一の揶揄に、サムも苦笑する。言葉の通り意味は理解していないようだが、敬一が皮肉と嘲りを口にしたことは分かっているようだ。
そんなサムの様子を、敬一はちらりの覗き見た。
サムはメディアが敬一に言ったとおり、ずっと【ベレシス】の施設の中にいた人間だ。彼は敬一と出会う少し前まで、外界というものをほとんど知らなかった。その弊害で、組織を抜けた今でも、彼の言葉や行動は、時に世間の常識からかけ離れたものになる時もある。彼の言葉からは、やはりまだ世間慣れをしておらず、戸惑う心境が含まれていることを、敬一は敏感に感じ取っていた。
一方で、サムのそんな様子に敬一は幸のことを思い出す。彼女も、サム同様に世間慣れしていない感があった。サムに比べてはだいぶ理解力は柔軟だとは思うが、もしかしたら彼女も、どこかの施設でのみ、そこが世界の全てだと思って暮らしていたのかもしれない。
そんなことに思いを馳せていると、サムが不審げに眉を顰めながら敬一を見てくる。
「どうしたの、敬一?」
サムの呼び掛けに敬一は表情を緩める。敬一の口から続いて出て来た言葉は、今まで思索していたこととはまったく別のものだ。
「サム。【ベレシス】にいた時、メディア・メイガスって魔女の名を聞いたことあるか?」
「メディア・メイガス?」
敬一が口にした者の名に、サムは眉根を寄せる。
腕を抱えながら、しばし記憶を探るように瞳を彷徨わせるサムを、敬一は凝然と見つめていた。
「……いいや。知らないな」
「そうか」
やがてサムが首を振ると、敬一は笑みを消して前へと向き直る。
歩を進めるまま、敬一は、怪訝そうに瞳を向けているサムに対して言う。
「銀髪に碧眼の黒い服を好む女でな。近々お前の前に現れるかもしれんから、気をつけろ」
敬一のその言い方を不審そうに思ったのか、サムは目を細める。瞳の奥には、含みのある敬一の言葉への疑念と混乱が混ざりあいながら浮かんでいた。
「その人が、俺に何か用でも?」
サムが尋ねると、敬一は苦笑とも失笑ともとれる表情で頷く。
「まぁな。流石に、いきなりパーティー(・・・・・)に招くような真似はしないと思うけどな……」
しばしサムは目を瞬かせるが、やがてその意味を理解したのか、にっと笑う。
それは、普段の穏やかな物腰の彼からすると、どこか不自然な表情だった。まるで獲物見つけた獅子のような、勇ましいようにも獰猛にも映える笑みである。
「そいつは、血肉の馳走か?」
「――そういうことだ」
自分の伝えたかった警告を解したことを見て、敬一もサム同様の笑みを浮かべる。それはサムのやや危険なソレより、からかうような色の方が強い。
「分かった、気をつけることにしておく。しかしその人、そんなに強いの?」
「……SS級は硬いな」
少し考えた後で、敬一はそう口にした。
SS級というのは、もちろん傭兵ランクを彼女に宛がった場合での評価である。つまりはメディアのことを、世界でも十本の指に入るぐらいの実力者と明言したようなものだった。
もっとも、彼女がそれに値する戦闘能力を持っているのは事実だ。
敬一の評に、サムは静かに目を細める。それに対応するように口の端が微笑を刻んでいる。好戦的な笑みだ。
「そうか……。じゃあ、敬一と比べたら、その人とどっちが強い?」
「俺の方が強いな」
即答であった。考える間はなかった。
それにはサムも流石に鼻白むが、すぐに喉の奥からくぐもった笑い声を漏らす。客観的に自分の実力を誇った敬一の様子がどうやら面白かったようだ。
その反応に敬一が振り向くと、サムは笑いを止め、そして自信ありげに言う。
「なら、俺が負ける道理はないな」
ピクリと、敬一の眉が震えた。
二人の視線が、至近距離でぶつかる。
「……ほう。俺に勝てる気かな、相棒?」
敬一は、ひどく不敵で挑戦的な笑みを浮かべる。
サムの発言はつまり、『メディアが敬一より弱いのであれば、敬一より強い自分が負けないのは当然だ』ということだ。敬一の矜持と闘志を触発するには十分な言葉である。
いつの間にか、敬一とサムは足を止め、互いに真正面から対峙する。二人の距離はわずか一メートル程度――二人にしてみれば、距離は無きに等しい。
そんな二人の周囲では、微かに洩れる彼らの物騒な空気に気がついた通行人たちの注目が集まり始めている。大抵の者は怪訝や不審の目をであるが、勘のいいものはすでにここから離れようと足早に歩き出していた。
サムが、挑発するように口を開いた。
「一度、やってみるかい? そういえば研究所では、結局やらずじまいだったしね」
「そいつは面白そうだな。ま、もっとも――」
サムの提案に、敬一はにっこりと笑う。
だが、そこに含まれる鬼気は凄まじく、辺りの一般人たちなどは、驚きと恐怖で顔を青ざめていた。二人が今にも殺し合いを始めようとしているのをようやく感じ取ったようで、ほとんどの者が無意識につま先を二人とは別の方向に向けていた。
敬一とサムが、互いに隙を窺うように睨みあう。
轟音が響いたのは、その時だ。
それは敬一、サムのどちらからでもなく、厄介事に巻き込まれないようにこの場を遠ざかろうとしていた、通行者の間から響き渡った。
敬一の右手が、霞む。
目にもとまらぬ速さで柄を握り締めた敬一は、態勢を変えぬままに刀を抜刀し、かつそれを右側に振り抜いた。ぞんざいに振り抜かれた銀光は、しかし残像を残した右手よりも素早い速度で空を裂く。
銀の煌めきは、甲高い音響と火花を弾き飛ばす。
敬一は刀を振りあげた態勢のまま静止し、目の前にいるサムに視線を向ける。敬一の斜め下に目を落としたサムの瞳には、先端を失った鉛玉が軽やかな音を転がっていた。なお、先端部分は敬一の剣撃に軌道を変えさせられたため、敬一とサムを超えた反対側の家屋の壁に傷をつけて落下している。
突然の銃撃に、しかし敬一とサムはまったく驚きをみせない。
むしろ、待っていましたといわんばかりに口の端を吊りあげた。
「――ようやく、仕掛けて来たか」
「遅いよなぁ。本当に」
嬉々と言葉を交わす二人の前では、突然の銃声に、一般人がパニックを起こしていた。人通りはさほどないのだが、人々は狂乱して互いを押し退け合い、いち早くこの場を去ろうと駆け出す。その動きは、天敵に襲いかかられて慌てて逃げ出す草食動物の群れに似ていた。
一方、そんな大衆の流れに反し、群衆の中から敬一たちに向けて歩み寄って来る人影があった。逃走をはかる人の波をするすると抜けながら、彼らは敬一たちを囲むように詰め寄って来る。その中には、敬一に銃弾を放ったと思われる、紫煙をたなびかせた銃を携えた者の姿もあった。
明らかに、素人の動きではない。
彼らの恰好はまちまちで、会社勤めのサラリーマンのようなビジネススーツ姿や、休日を使って観光地に出掛けに来たようなラフな恰好の男もいる。ただ、それらは場の風景に溶け込むためのカモフラージュだ。彼らの本分は、その目に宿った鋭い殺意が如実に証明している。
焦ることなく、二人への包囲を完成させようと動く彼らに、敬一は抜き身の刀を振り下ろしながらサムに目配りした。
「ざっと十人、か……。半々だな」
「まだ人が多いけど、ここで暴れていいのか?」
道の先にはまだ逃げまどっている姿や、また、通りに面する建物の内からも、突然の銃声に何事かと顔を出す者の姿が見受けられる。乱戦にでもなれば、流れ弾などが当たりかねない状況だ。
本心では暴れ出したくて仕方がなさそうに声を弾ませながら、サムは敬一に確認する。
敬一は、黙って彼の目を覗きこんだ。
サムは敬一に視線を向けておらず、普段は穏和なその相貌には、彼の本性とでもいうべきか、戦闘への高揚感が見て取れた。普段の言動からは想像がつかないが、間違いなく敬一より戦闘への意欲が高い男である。
敬一は包囲を完成させる周囲の男たちを傍目にしながら、
「場所を移そうと走ってみろ。余計に被害が増える」
「……同感」
肩を竦ませながら敬一が漏らした正論に、サムが微苦笑を浮かべ――
直後、敬一の背後にいた彼の姿がブレる。
同時に、銃を持ち上げようとした男の中の一人の横に出現する。まるで空間を跳躍したように現れたサムに、その男は目を剥いた。それにサムはにっこりと微笑み、その首筋に手刀をプレゼントする。剣撃のごとく鋭く振り抜かれたそれは、男の頸骨を一撃で粉砕する。鈍い手応えとともに男の身体は傾き、顔は普通ならばありえない方向に向き直される。だがサムは、一撃で絶命したその男の頭を、手刀を振り抜いた方の腕で鷲掴みにすると、そいつの身体を横手へ投擲した。片手の膂力によるものとは思えない速度で投げ飛ばされたその男は、サムを視認して振り向いていた隣の男と激突した。車ほどの速度を伴った人体の砲弾に、そいつの鼻づらは頭部の奥深くへと陥没し、よろめいた身体は地面から引き剥がされる。血の糸が鼻孔から宙に引かれ、都合人間二人が地面に勢いよく叩きつかれた。
示し合わせたかのように一斉に銃を引き挙げた男たちは、その光景に度肝を抜かれたようで、ぎょっと表情に驚愕を表す。一方、サムは平然と男たちへと振り向き、敬一はクックッと喉からくぐもった嗤い声を漏らした。
そして、敬一も動く。
サムほどではないにしろ、常人の身体能力を凌駕した速度で、敬一は近くの男の懐へと飛び込んだ。一瞬で間合いに踏みこんできた敬一に、男は無意識のうちに銃口を突き付け、素早く引き金を引く。なかなかの反射神経で放たれた弾丸を、しかし敬一は素早く身を捌いて躱す。そいつの右脇へと躍り出た敬一は、銀の煌めきを横に薙ぐ。銃弾さえ撃ち落とす斬撃をこの至近距離で見切れるはずがない。スーツの男は肋骨ごと腹を半ばまで引き裂かれ、臓物の一部も含んだ血飛沫を噴射する。血の混じった苦悶を残し、そいつが前かがみに地面に頽れる。
視界が血に染まる中、敬一は一瞬の停滞もなく男の上を飛び越える。その先に控えていた男は、血煙の向こうから現れた敬一に向けて即座に弾丸を連射する。着地と同時に敬一を襲った螺旋の凶弾は、そのことごとくがなんの手応えもなく空を切る。態勢を低くしてそれらをかいくぐった敬一は、すでに相手との間合いを詰め終わっていた。下方から斜めに刀の切っ先を突き上げ、銃口を再度向けようとする男の喉笛を突き刺した。昆虫標本のように刃は男の首筋を刺し抜き、衝撃で男の足を地面から引き剥がす。敬一が素早く刀を引き剥がすと、男の身体は態勢を崩しながら地面に落下した。
敬一は、更に前で立ちはだかる男へと詰め寄るべく地面を蹴りつける。
だが、急に足を止めてかなり強引な動きで後方へ飛び退いた。直後、その鼻面を掠めるように銃弾が通過する。硝煙の匂いを微かに纏ったそれは、敬一の横にいた男の眉間へと吸い込まれる。肉と骨を突き破る微かに粘っこい音が耳朶を打つ。即死した男は、手にした銃を取りこぼしながら横向きに地面へと倒れ込む。
敬一はそれを一瞥した後、銃弾の飛んできた方向に鋭く目を向ける。
そちらでは、男の一人から奪い取った銃をこちらに向けたサムが、敬一の視線に気がついて目を丸めていた。なお、銃を持った方とは逆の腕は、銃の持ち主の胴体を刺し貫いている。
敬一は、それまで浮かべていた不敵な笑みを仕舞うと、怒気も露わに、
「殺す気かぁッ!!」
「あ……悪い」
敬一の怒号に、サムは怯むことなく微苦笑を浮かべる。危うく相棒を撃ち殺す所だったにもかかわらず、随分と軽い謝罪であった。
「まだ誰かと組んで戦うことには慣れてないんだ。許してくれ」
「……あとで、ブン殴らせてもらう」
あまり罪悪感がこもっていないサムの言葉に、敬一は言葉短く不機嫌に応じた。
殺し合いの最中に、そう悠長に会話していられない。
現に、会話していた二人に向け、周囲の男たちは更なる行動を始めていた。その数は、すでに当初の半数を切っている。敬一に二人、サムに三人の男が肉迫する。
その手に握られているのは、銃ではなかった。射殺は無理だと判断したのか、彼らは暗殺者が愛用する薄刃の短剣に得物を変えている。その表面が薄らと液体で濡れており、おそらく毒が塗られているのだろうと推測できた。つまり、掠り傷でも致命傷になりうるということだ。
敬一は、左右から挟み込むように突進して来る男たちを睥睨し、ニヤリと嗤う。先に敬一の間合いに足を踏み入れたのは、右手の男だ。敬一は短剣が突きだされる瞬間に刀を振り上げた。片手で跳ねあがった刃は、しかし男の手首をきれいに捉えて切断する。敬一に到達しかけた切っ先はその手ごと宙へ跳ねあげられ、敬一の身体にはひしゃげた腕の断面がぶつかった。
刃を振り上げた態勢の敬一は、即座にそれを斜めに斬り落とす。すでに左から敬一に短剣を振りかぶり、会心の笑みを浮かべていた男だったが、その動きは敬一にしてみれば緩慢だ。袈裟切りで振り抜かれた閃光は、男の肩口から脇腹を切り裂いた。男の体躯が、まるで紙きれのように切り取られる。切断面からは臓物と血潮が弾け飛び、宙は深紅のグロテスクな華を撒き散らした。
男の状態が地面に落ちる寸前、敬一は身体を旋回させて刀を振り払う。それは、手首を切りは割れて激痛に顔を歪めた男の首へと吸い込まれる。ギロチンのごとき凶刃は、確かな抵抗感とともに男の首を刎ね飛した。頭を失ったそいつは、しばしビクビクと身体を震わした後、敬一に乗りかかるように頽れ、敬一に躱されたことで地面にしたたかに叩きつけられた。
都合二つの屍に挟まれたことで、敬一の足元は血だまりとなり、彼の服にも大量の血飛沫を浴びせる。服から滲んでくるその生ぬるいその感触と、また鼻腔をくすぐる生臭い悪臭に、敬一は眉根を顰めた。
「大したことなかったな、オイ」
刀に付いた血を振り払いながら、敬一はつまらなさそうに吐き捨てる。
周囲に屍となって身をさらしている男たちは、なかなか戦闘能力の高い者たちであった。少なくとも、つい数時間前、敬一に無謀にも挑んできたチンピラなどは元より、街の治安を守る警察、あるいは貴族に買われたボディーガードレベルならば、まず彼らの敵ではないだろう。
しかし、世界屈指の組織である【ベレシス】からの刺客――それがどれほどのものかと期待していた敬一にしてみれば、彼らは希望に応えるだけの力量を持っていなかったようだ。久々に骨のある戦いになるかと愉しみにしていた敬一にとっては拍子抜け、残念な結果である。
周囲に転がった死体を見下ろし、敬一は失意の溜息を洩らしながらサムの方に振り向いた。
そして、頬を引き攣らせる。
サムの周囲も、敬一同様に屍の山が出来あがっていた。
だが、凄惨さでいうならば、彼の方が遥かに上であった。
敬一と違い徒手で敵を葬っていたにもかかわらず、転がっている死体はいずれも原型を留めていない。まるで至近距離から爆撃でも喰らったかのように、手が、足が、頭が、胸が、腹が、粉々に轢き千切れている。普段は決してお目にかかれないだろう、人体の赤白の筋繊維や臓器の断片がそこら中に散乱し、薄らと白い蒸気を纏っていた。
普通の人間ならば吐瀉しかねないほどの絶景に、流石の敬一も口を噤みながら踏み入っていく。
靴裏では、小刻みになった人肉を潰す感触が伝わってくるが、それを気に留めることはなかった。
「……元、人体兵器の面目躍如だな」
どうにかからかうように声をかけることに成功した敬一に、サムは薄らと微笑を浮かべた後で振り向く。
敬一と違い、彼はそれなりに愉しめたのか、その顔には満足するような色が浮かんでいる。その表情に、敬一は笑みをそのままに目を細める。
だが、ふとサムは戦闘によって昂ぶっていた表情から一転、訝しむような目で周囲に目を馳せる。その急な変化には、敬一は眉根を寄せる。
「どうした?」
「敬一。多分だけど……」
サムは、しばらく吟味するように黙り込んでから敬一に言った。
「こいつら、俺たち目当てにここに来たんじゃないと思う」
「……なに?」
意表をつかれたのか、敬一は当惑を露わに眉根を寄せる。
普通に考えれば、今敬一たちを襲い、返り討ちにした男たちは、二人に対する刺客であると思うはずだ。敬一も当然そう考えており、自分たち以外が目的であるという考えは頭に一厘たりとも推察されていなかった。
サムの推測に眉根を寄せる敬一に、サムは言葉を選ぶようにしばしの沈黙を挟んで、敬一にその根拠を述べ始めた。
「俺が以前、【ベレシス】のアジトに幽閉されていたのは知ってるね?」
「一ヵ月前のことか?」
質問に質問を返した敬一に、サムは首肯する。
敬一とサムが初めて出会った時、サムは【ベレシス】の研究施設の中で拘束されていた。その時のことを思い出したのか、敬一の口元は不快感で歪む。サムは『幽閉』と言ったが、実際のそれは、『緊縛』あるいは『圧搾』である。サムのように超人的な肉体を持っていなければ、数時間ももたずに死んでいたのは確実の状況だった。
そんな敬一の回想を気に留めず、サムは言う。
「あそこ閉じ込められる前、俺に対して差し向けられた戦闘員の数は百人を下らなかった。加えてそいつらは、俺を確実に捕縛できるように最新鋭の装備を整えた精鋭たちだったんだ」
さらりとサムが口にした内容に、敬一は思わず微苦笑を浮かべる。
たった一人の人間を捕まえるためだけに百人もの人数を動員し、しかも最新鋭の装備で万全を期すあたり、よほど【ベレシス】はサムの能力を恐れたのだろう。実際に彼にいろいろと手を咥えていただけに、その脅威というものを身を持って知っていたためだ。
――と、そこまで聞いたところで、敬一は、サムが一体何を言いたいかを把握する。
「お前一人を捕縛するために、百名超を動員、ねぇ」
周囲の屍の群れに目を向けながら敬一が呟くと、サムは頷く。
「――で、今俺たちが始末したのはわずか十人程度。しかも、後詰の気配はない。つまり――」
「俺たちを殺すために、こいつらはこの街に来たわけじゃないと?」
言葉尻を敬一が受けて答えると、サムは再度頷いた。
以前サムに対してぶつけた人員が百であることを念頭に置くと、今回襲いかかってきた男たちの人数がその十分の一程度であることは不可解である。もし本気で敬一とサムの命を取りにきたとすれば、前回サムを捕らえた時と同数近い人員を差し向けてくるのが常識である。しかも今回は、サムと同等以上の実力を持つ敬一もいるのだ。二人をまとめて始末する算段なら、百名どころかその倍近い刺客を容易するのが妥当のはずである。
だが、それらの点から男たちの目標が敬一とサムの命ではなかったとすると、一体何が目的なのかは謎である。
「結論を出すのは早計かもしれない。けれど――」
「ちょっと待て」
サムが今回の刺客に対する推測を述べようとしたとことを、敬一が突然遮った。
その唐突さにサムが目を瞬かせて振り向いた先で、敬一が顎に指をかけつつ妙に険しい表情を浮かべていた。
「なぁ、サム。こいつらは【ベレシス】の人間で、誰かを捕らえようと、あるいは殺そうとするのが専門の人間なのは間違いないのか?」
「? あぁ、多分ね。持っている銃や、使用したナイフは、【ベレシス】の暗殺部隊・あるいは捕獲部隊が好んで使っているタイプだからね。襲撃の手法が実にこいつららしいし……」
敬一の質問に戸惑いながらも、サムは肯定した。
つい数か月前まで所属していたために彼らの内情に精通しており、その返答の信憑性も非常に高い。
それを聞いた敬一は、苦虫を噛み殺すような顔をして、
「戻るぞ」
口早にそう告げると、敬一は踵を返す。
騒ぎの終結により、道の隅には徐々に人だかりも出来始めている。時期に警察も駆けつけてくるはずだ。急いでここを去らねば、厄介なことになりかねない。
サムは敬一の言葉に頷きつつ、しかし同時に、険しい表情を浮かべる敬一に怪訝な視線を向ける。
「一体どこへ戻る気だ?」
「……どうしてもっと、早く気がつかなかったんだろうな」
サムの問いと、敬一が思わず漏らした独白が重なった。
二人は互いに目を合わせた後、敬一は、怪訝な表情を浮かべるサムに向かって、
「――アッシュの所にだよ」
憮然と言い放たれたその声には、どこか苛立つような感情も紛れていた。