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悪魔たちの正義  作者: 嘉月青史
4th 姫と騎士
60/99

第1話

1、


 けたたましい駆動音を立てながら、ヴォラス市市街地の国道を、軍用車両の装輪装甲車が通り過ぎていく。深緑色の三つの車体は、片側二車線の道路を左側に寄り、規制速度ちょうどで走行していった。

 眼前を通り過ぎる軍用車の列を、天野敬一は反対側の歩道で眺める。

 西洋では珍しい黒髪黒瞳の東洋人の容貌は、左腰には刀を一振り差していることもあって否応にも周囲の目を引いていた。季節が初冬、しかもこのスカイナビア王国は寒冷な気候帯に属するということで、普段より厚めのロングコートと革製の黒いグローブをはめている。

「国際派遣医師団診療所」と看板が立てかけられた背後の建物に背中をもたれかけながら、敬一は天を仰いで息をついた。

 吐息が白い蒸気する中、すぐ右側にあった建物の扉が開く音に気がつき、振り返る。

 中から出て来たのは、灰色の髪に赤い瞳を持つ男性だ。白衣を羽織っていること、また出てきた建物の前にある看板が、彼がどのような職種の人間かを明確に示している。

 表情に微かに疲労の影を落とした彼は、まず右手側に視線を向け、次に左手側に振り向いて敬一と視線を合わせた。

「急患の手術、終わったか?」

 敬一が訊ねると、相手は顎を引いた。

「あぁ。絶対安静だが、今のところ命に別条はない」

 後ろ手で扉を閉めながら、医者の男性は答える。

 ちょうどその時、先ほどとは別の軍用車の群れが向かいの車道を通り過ぎて行った。たまたまそれが視界に入ると、男は渋い顔になる。

「……多いな。近々また両国がぶつかるという噂は本当かもしれん」

「おや。アッシュは戦争が起きると思う派か?」

 苦渋を含めた男の声に、敬一はからかうような声で訊ねる。その声調にアッシュ・ギルバードは不快げな眼光を返す。

 が、すぐに普段の表情に戻すと、小さく溜息をついた。

「さぁな。ただ、こうやって軍の動きが活発だとそういう推測が出ても不思議ではないだろう」

 アッシュの言葉に、「それもそうだな」と敬一も同意した。

 ここヴォラス市は、スカイナビア王国内で十四番目の人口を持つ街だ。国内南西部、その中央に位置しており、国の中心部から北や東の地方と、南西部の湾岸方面の各都市とを結ぶ交通の要衝である。

 同時に、ここ数年スカイナビア王国が海を隔てて西から南に隣接しているデーン王国と戦争状態である情勢があり、スカイナビア南西の湾岸沿いに設置されている軍の要塞やその周囲に点在する軍事基地へ物資を運び込む拠点地ともなっていた。先ほど道路を通って行った軍用車も、方角的にそれら軍事施設へ物資を運ぶために出て行った車両だろう。

 前線の軍事拠点への兵站の役割を担っている街ということで、ここで軍の動きが活発になるということは、近々敵国との戦闘が起きるために準備をしているという見方も出来るというわけだ。

 もっとも、スカイナビア政府からそのような公表が正式にあったわけでもなく、国内外の情報媒体がもたらしている情報も発信源が曖昧ゆえに信憑性には欠けていた。

 また別の情報には、スカイナビアとデーンとは別の第三国がここに来て両者の仲介に動きだしたという話もあり、近々の両国の交戦はあくまで風説の域を出ない。

 とはいえ、スカイナビア・デーン両国が戦闘を行なうことはありえないという確証もなかった。

 結局のところ、今後どうなるかに確信を抱けているのは、スカイナビア国内の上層部だけだろう。それ以外の人間は、周囲の風聞や情報から考察と邪推を重ねるしかない。

「前の両国の交戦から二カ月――周期的に、そろそろデーン側が侵攻を企てて来ても不思議はない。前回の交戦での被害は決して少なくないが、同時に壊滅的でもない上、あの強硬な国は無茶な作戦を平気で実行して来るからな」

「確かに、その線だと交戦は充分にありえそうだな。しかし、二カ月か。もうそんなに経つのか」

 アッシュの推測に耳を傾けつつ、敬一は時の経過の早さに驚く。

 敬一がこの地にやって来たのは、今から二カ月半程前に、目の前で話しているアッシュから依頼を引き受けたためであった。

 医業に携わっているアッシュは、医者は医者でも渡り医者という、病院などの常設の医療施設には属さず、世界各国を渡り歩きながら各地で患者の治療や手術を行なう人間だ。そんな彼から、現在戦争状態にあるスカイナビア王国で、戦いの巻き添えになって被害に遭う民間人の治療を行なうために護衛を頼みたいと持ちかけられたのである。

 アッシュにいろいろと恩義がある敬一は、それより少し前に知り合いの武器機工士が彼に着いて口添えしてきたこともあって、彼の依頼を二つ返事で引き受け、二人の仲間と共にこのスカイナビアにやって来ていた。

 それから今に至るまで、彼との護衛契約は続いている。

 二カ月前、実際に戦地へ赴いて逃げ遅れた民間人や偶然会った兵士の治療をするアッシュの姿を思い出し、敬一は訊ねる。

「もしも戦いが起こったら、またお前はそこに向かうのか?」

「あぁ、勿論だ」

 敬一の問いに、アッシュは即答する。

 何故か、という理由を訊くようなことを敬一はしない。彼がわざわざ言うことも敬一が訊ねる必要もないほどに、アッシュの行動の理由は明確だ。

 自分の身の危険など省みず、助けられる命を見たら救うのがこの医者である。

 それを誰かが「愚か」と断じたとしても、アッシュが自分の信条を曲げることはありえない。

「――とはいえ、あくまで戦いが起こった場合の話だが。起こらないにこしたことはない」

「それもそうだな」

 アッシュの言に同意しつつ、敬一は脳裏にある人物を思い浮かべる。

「しかしそうなると、サムは残念がりそうだな。暴れたいとか殺し足りないとか」

 敬一が自らの相棒の青年を揶揄すると、アッシュも同じ光景を想像したのか、平坦で乾ききった微笑を洩らす。

「ずっと疑問に思っているんだが、ここ最近、アイツの戦闘狂度が加速していないか。そろそろオーバーヒートを起こして、脱線の大惨事を引き起こしかねない勢いに見えるが」

 毒気のある言いように、敬一は否定できないのか、苦い笑みを浮かべながら即座に視線を背けた。その問いには思い当たる節がありすぎて、とても目を合わせて会話できる状況ではない。

 目を逸らしたまま振り返らない敬一に、アッシュはやや冷ややかな目になった。そこには、ある種の理解と呆れが混在している。

「まったく。年齢は二つほどアイツが上だが、アイツの保護者はお前だ。奴が起こした面倒事の責任はきちんと取れよ」

「……例え年下だったとしても、あんな破天荒な奴の保護者になんてなりたくねぇよ」

 アッシュの叱責に、敬一は即座に反抗の言葉を洩らした。

 言いながら嫌そうに顔をしかめる彼に、しかしアッシュは淡々と続ける。

「投げるな。そもそも、奴を野に放ったのは貴様だろ。だから人助けにも責任を持てと言っているんだ」

「野に放つって……」

 まるで獣のように喩えられる相棒に、敬一は表情を硬くした。

 一度戦いが始まれば普段のおとなしげな態度とは打って変わっての戦闘狂っぷりを発揮するサムだが、別に本能しかない肉食獣のような低知能の生命体ではないし、好戦的ではあっても一定の思慮分別ぐらいつけて行動できる人間だ……たぶん。

 少し自分の考えに不安を抱きつつ、それをごまかすように敬一は口を開く。

「戦いになったら、結構頼りになるんだけどな……」

「それに関しては多少同感だ。しかし、護衛のくせに敵軍の兵士二十人の虐殺を優先した前科もあるし、完全に同意することは出来んな」

 冷ややかに返された言葉に、敬一は反論しようもなく口を噤む。

 彼が口にした話は、おそらく二カ月前のことだろう。

 アッシュが戦地に赴いて負傷した兵士や民間人の治療を行い、彼の護衛である敬一が同行したのは先にも触れたが、その活動の最中、敵軍の遊撃による襲撃に巻き込まれたことがあった。

 場所は主戦地であるスカイナビア南西の湾岸からやや離れた街で、デーン軍はスカイナビア軍の背後をつくために、兵站の拠点ともなっていたその街を襲ったようだ。やむなく敬一たちは自衛とアッシュの護衛のためにデーン軍と交戦することになったのだが、その際にサムは、側面から攻撃を仕掛けてこようとした敵の部隊の存在を察知し、アッシュの護衛をそっちのけで一人迎撃、その部隊を壊滅させてしまったのである。

 結果としては好判断であって、普通なら賞賛はされても叱責はされないはずの行動なのだが、今の会話の中では、彼がいかに無茶な戦い方や暴れ方をしているかの証左となってしまっていた。

 その時のことを思い出して苦い顔になる敬一に、アッシュはせせら笑いながら、

「上手く制御できれば心強いのは認める。が、もう少し相棒のお前がしっかり手綱は握って置け」

「あの暴れ馬の制御は疲れるんだよ。もう一匹はとんだじゃじゃ馬だし」

 アッシュの皮肉に敬一がげんなりと答える。

 彼が同行している二人の仲間は、どちらも有事には頼もしい反面、常時における対応が困難極まる。共にいるのが苦痛というわけでは決してないものの、常に疲労感を感じずにはいられない仲間たちだ。

 珍しく身内への愚痴を溢す敬一に、アッシュは突如失笑を洩らす。

 胡乱げな顔で敬一が振り向くと、アッシュは冷めた目を浮かべていた。

「人のことを棚に上げていること悪いが、ちょうどその時、敵が機関銃を連射する中へ正面から飛び込んだ馬鹿もいたな?」

「……そんな奴がいるのか。へぇ~」

 即座に目線を顔ごと逸らしながら、敬一は他人事のように言葉を返した。身に覚えのある話だったが、認めてしまうと状況がより苦しくなるだけなので惚けるしかない。

 幸い、アッシュはここで粘っこく追及してくるような大人げない人間ではなく、一度鼻を鳴らしただけで話を切った。

 代わりに、別の話題を提示してくる。

「ところで、その戦闘馬鹿と幸はどうした? まだ帰って来てないのか?」

 彼の問いに、敬一は「あぁ」と相槌を返す。

 先から話に出ている二人の仲間――サム・ヘルヴェイグと町村幸は、三日ほど前から敬一と別行動を取っていた。

 現在、アッシュの護衛の仕事を引き受けている敬一たちだが、二カ月前の戦場付近での戦い以後、彼の周りで依頼に絡んだ戦闘は一度も行っていない。スカイナビア・デーンの両軍が衝突していないため、アッシュが戦地に赴く必要もなくなっているからだ。

 そこで敬一たちは、アッシュの護衛の必要がない間は、時折スカイナビア国内で懸賞のかかった賞金首の捕縛・討伐などの仕事も行なっていた。アッシュとは依然護衛の仕事の契約は結んでいるため、また両国が戦いを起こして戦場が生まれた場合、そこへ赴く彼を敬一たちは全力で守らなければならない。その際に、長い間実戦を離れていたせいで戦闘感覚を忘れてしまったとなれば洒落にならないので、それを避けるという名目で、一・二週間に数日のペースに二人一組で賞金稼ぎに出掛けることにしているのだ。

 これはアッシュ本人からも許可は取っており、もし急に危険な事態に陥ったとしても問題がないよう、必ず一人は側についていることにしていた。今回は敬一がその番であり、サムと幸がいないのもそのためだ。

 ちなみに、二人が敬一たちと別れたのは三日前で、昨日の夜には目的の賞金首を見つけたという報告がもたらされていた。時刻が遅かったこともあり、二人は昨晩そのまま出張先に宿泊し、今朝方そちらからこのヴォラス市への帰路についている最中はずだ。

「もう少ししたら来るはずだよ。さっき連絡もあった」

「そうか」

「それからどうでもいいが、幸だけはきちんと名前で呼んでやるんだな」

「一番護衛らしい動きをしているからな。お前や戦闘馬鹿の、駄目男二人と比べて」

「うるせぇ」

 平坦な表情のまま口にされる皮肉に、一度は沈んだ話がまた浮上させられたこともあって、敬一は悪態を返す。

 確かにあの場では、側面の敵を迎撃に出たサムと、敵に正面から突撃して完膚なきまで討ち果たした敬一に対し、唯一幸だけはアッシュの傍らに残って彼の護衛に専念していた。

 普段こそ相変わらずの天然発言や敬一贔屓の行動が多いが、いざ戦いになると動き回る敬一やサムに対し、一番慎重に立ち回れているのは彼女である。戦闘馬鹿二人に比すれば、一番まともだとも言い換えられよう。

 そんな馬鹿の片割れから鋭く睨みつけられるアッシュは、しかし一切歯牙にかける様子もなく、右腕につけた腕時計へと目を向けた。

「十二時、半か。敬一、お前まだ昼飯は摂ってないな?」

「あぁ。一応誰かさんの護衛のために、ここでずっと待機していたからな」

「なるほど。カカシ程度の働きはしたわけか」

 先のお返しとばかりに皮肉を口にした敬一に、アッシュも皮肉でもって応対する。口撃を躱される形となった敬一が頬を歪める中、アッシュは相変わらず平然とした態度のまま顔を上げた。

「アイツらがいつ来るか分からないなら、一緒にどこかへ食べに行くついでにそこで待ち合わせしたらどうだ? 前に何度か行った場所だし、連絡が取れれば奴らも来れるだろう」

「あぁ、それはいいかもな」

 アッシュの提案に、不満顔であった敬一はすぐに表情を変えて同意する。彼らが出た距離や交通の便を考えると、ヴォラスに着くのは早くてもあと三十分、最悪二時間ほど掛かるはずだ。

 ならば、彼らを待つついでに食事を済ませておくというのは良案だろう。この時間なら彼らも道中でどこかによって昼を食べてくるかもしれないし、もし食べずに戻って来たならば、その食事場で一緒に昼食を摂ればいい。

 敬一が賛同すると、アッシュは一度建物の中へ戻った。着替えのためだ。流石に仕事着でもある白衣のまま、飲食店に行くような非常識なことをする男ではない。

 彼が扉を閉め、建物の中に入った後、彼が出てくるのを待つ敬一は再び背中をその建物へと預ける。

 そしてふと、視線をある方向へ向けた。

 彼の視線上では、先ほど軍用車の通った車道を一般の車両が通過していき、更にその向こうの歩道をこの国の人々が往来している。

 敬一は、すぐにそちらから視線を逸らした。

 ほんの一瞬、今目を向けた方角から誰かの視線を感じたのだが、自分が見返した時にはその気配が消失していた。気のせいならいいが、経験上、あの手の気配が見込み違いであったことはない。

 やがて、どこか違う場所に視線を向ける素振りをする敬一の視界の隅に、この場から足早に去っていく影が映った。

 敬一はそれを見逃さず、そして、追いかけることもしなかった。



 アグネフィーの中にある大和大使館の執務室には、市川和将、赤染蛍、土居孝高の三人の姿があった。

 本来であれば駐在大使が勤務すべきその場所を借りて、和将は業務用の黒壇の机を前に座し、その横に蛍が目を閉じたまま静粛な態度で控え、孝高は来賓用のソファに深く腰掛けながら和将や蛍に謎の微笑を送っていた。

 業務用机の上に置いてある電話の呼び鈴が鳴る。

 和将は音を響かせる電話をしばらく見つめ、呼び鈴が四回鳴り終えたところで受話器を取った。

『どうだ。首尾は?』

 通話に出て早々、名乗りも確認もせずに相手は用件に入る。それもそのはず、事前に呼び鈴を鳴らした回数、それに出た時点で互いに相手を把握できるような手筈であった。

 電話の相手は、大和の外務大臣を務めている伊達正輝という男だ。非常に頭が切れ、ここ数年でいくつもの難解な外交処理問題・課題を解決してきた有能な人物である。

 現在の(・・・)自分の上司にあたる彼に、和将も挨拶抜きで報告に入った。

「詳しい報告は、昨晩文書で送った通りです。現時刻まで目立った進展はありません。経過は上々、と言い切るには不確定要素が多くて無理ですが、判明している部分はすべてこちらの思惑通りに進められています。引き続き、スカイナビアは私が、デーンには司馬春馬外務官がそれぞれ交渉を行ないます」

『スカイナビアとの交渉はどれくらい進んでいる?』

 伊達の問いに、和将は横目で蛍を見た。

 いつのまにか右目を開いていた彼女は、その視線に応じて手にしていた資料を一束手渡す。

「スカイナビア国内で工作を行なったデーンの政治犯を条件付きで釈放および引き渡し、それから両国間の貿易に関しては、戦争による疲労が激しいデーン国にやや有利な条件を提示させることの確約を得ました。現段階で交渉中なのは、長年両国で争点になっている国境線や海底資源の取り扱い、それから軍備の縮小の規模ですかね」

『今のところ予定通りか。デーンの方は?』

 和将は再度蛍を見ると、今度は右手の人差し指を立て、くるくると回す。

 すると、蛍は先ほどとは別の資料を一束、和将に差し出した。スカイナビアに関する資料を机に置くと、和将はそちらを受け取って目を馳せる。

「スカイナビアが了承した条件を示しつつ交渉中です。交渉に当たっている司馬には、最低でもスカイナビア同様に軍備の縮小と、スカイナビア活動家の釈放と引き渡しには漕ぎつけるように言っていますが、まずは首脳陣の方針を交戦から講和へと転換させることに第一目標とし、尽力させています」

『侵攻しているのはデーン王国、スカイナビアは自国で防衛に専念している。デーンさえ折れれば、後はどうとでも出来るな』

「はい。元々スカイナビアが我らの目的を読み、振ってきた話です。スカイナビアにこれ以上の交戦の意欲がない以上、デーンが条件を呑めば戦争は終結します」

 伊達外相の意見に和将は同意した。

 スカイナビア王国へ、建国二百五十年の賀使としてやって来た和将だが、それは形式的なもので、真の目的はスカイナビア王国とデーン王国の戦争の仲介であり、両国の戦争の終結であった。

 スカイナビアとデーンの戦争は、五年前のスカイナビア王国先王・アドルフの暗殺を機に、デーン王国がスカイナビア領に侵攻を開始したことが起因として始まったものだ。当時まだ幼少であったクリスティーナ王に戦争指揮能力はなかったため、当初デーン王国がスカイナビア沿岸部を一時的に収奪することに成功したが、王の代わりに指揮をとった宰相のオクセン・アクセルによってそれの地域が奪還されると、以後デーンがスカイナビア領に侵攻し、それをスカイナビアが迎撃するといった戦況が繰り返されている。

 何度かの停戦を交えながら、それでも止むことなく続いたこの戦争は、初めは両国のみの問題だったが、その長期化により少しずつ西洋全体にも影響を出し始めていた。具体的には、両国と隣接する諸国は元より、主戦地であるボール海の両国間の海上では商船の往来が困難になっていることで他国の輸入・輸出にまで支障を来たしていることや、両国の関係悪化を見て、海外企業の支局などが安全面の問題から撤退を余儀なくされ、経済状況が悪化していることなどが挙げられる。

 この悪い状況を打破するには、両国が講和を結ぶしかないのであるが、スカイナビアはともかく、侵攻国のデーン側には自発的な講和の意志はない。ならば他国が仲介に出ればいいのだが、西洋の諸国はこぞって、内政干渉の批難を浴びることを嫌い、また失敗した際に両国から怨みを買うのを懸念して、仲介役になるのを渋っていた。

 そんな西洋事情に割り込んできたのが、西洋から遥か極東に位置する大和だ。

 西洋全体の情勢の悪化は、やがてその地域に国内企業や研究機関の支部を展開している自分たちにも被害が及びかねないという危機意識が大和にはあり、同時に近隣の西洋諸国が仲介を買って出られない状況の中、動けるのは直接には関係を持たない遠方の第三国しかないという判断でしたためであった。善意というより、あくまで政治的思惑の打算に裏打ちされた行動である。

 スカイナビア建国の祝賀を口実に派遣した外交官による交渉は、すでに一カ月半が経過していた。その成果は、和将が述べた通り上々の仕上がりを見せ始めている。

 一連の和将からの報告に、伊達外相はしばし考え込むように黙り込んでから、判断が定まると口を開いた。

『よし……現場の指揮は、引き続き君に一任させる。今後も一週間に一度、あるいは何か大きな問題や進渉が発生した場合のみ連絡を寄越してくれ』

「了解いたしました」

 現状維持の指示に、和将は丁寧に顎を引く。

 まるで電話主が目の前にいるかのような所作は、彼の伊達外相に対する敬服の念を見て取れた。

『ただ、少しだけ気になっていることがある。デーン国の交渉に当たっている人物のことだ』

 電話越しに響いてきた重い声に、和将は目を細める。

『確か、司馬殿の三番目の息子だったか。今回の任務で君が抜擢して同行させ、デーンとの交渉役も任せているらしいな。しかし、まだ若年である彼に、果たして一国の交渉官など務まるのか?』

「あぁ、それに関しては心配無用ですよ」

 軽い笑みも伴わせながら、和将は即断言した。

「名門の出とはいえ、まだ若年の彼に外交処理能力、交渉能力があるのかと心配なのでしょうが、その点彼はそこらの外務官より有能です。彼は、近現代大和の外交交渉史料百六十年分を網羅し、また西洋のここ五十年の交渉資料も公開されているものは全て頭に叩きこんでいます。戦争を推し進めるデーンに、その不利を正論と道理で悟らせ、停戦へと方向転換を促す役には適任です」

『……君がそこまで推すなら、心配は不要か』

 長広舌で展開された和将の証明に、伊達外相は微苦笑を混ぜた納得の声を漏らした。

 和将が彼に畏敬の念を抱いているのと同様に、和将の言葉をすぐに信じるあたり、伊達外相も和将に対して深い信頼を持っていることを窺がえさせる。

『詳細については、昨日送ってきた報告書にもあったが、特に問題はなさそうだな』

「えぇ、今のところは順調です。――少し順調すぎるのが、気がかりですが」

 言いながら、話の後半で和将は双眸を細める。

 外交の処理が自分たちの思惑通りに行く――これは喜ばしいことである反面、本来ならばありえないことでもある。上手くことが進んでいるように思わせて最終的には損害を与えてくるというような謀略があるのでは、という不審さえ抱かずにはいられない。

『では、それに関して一つだけ忠告させてくれ』

 和将の懸念を察したのか、伊達外相は先ほどまでとは少し声調を変えて口を開く。

『スカイナビアはともかく、今後、デーン王国の動向には警戒しろ。過敏と揶揄されても構わない。神経を張りつめて、奴らの動きを注視するのだ』

「……それは、何故でしょうか」

『奴らは、おそらく何か隠している』

 伊達外相の言葉に、和将は眉根を寄せた。

「何か、とは?」

『分からん。だが――』

 少し躊躇うように間を置いてから、伊達外相は続ける。

『ここ五年のデーン王国の動きは、一貫性が見られない。辛うじてスカイナビアの領土を奪い取る侵略戦争の性質は見てとれるが、心胆に潜む本当の意図が見えてこない。あるいは、何も考えずに戦争を起こしている様な節もある』

「世界中では完全に侵略戦争扱いですけどね。伊達大臣には、ただの侵略戦争とは思えないと?」

『あぁ。国民の命も懸けた戦争にしては、あまりに非合理な作戦が多い。口には出せんが、妙な憶測ばかりが思い浮かんでくる』

 返ってきたやや不安も混じらせた言葉に、和将は心の底で少なからず驚きを覚えた。

 伊達外相は、外交官らしく慎重かつ神経質な反面、どのような状況にも対応できる明晰な頭脳と胆の太さを備えている人物だ。そんな相手が、口にするのも憚るような憶測で揺らいでいる。本国にいた頃から、和将は彼のそのような態度は見たことがなかった。

 言葉を返さない和将に、伊達外相は気にした様子もなく、話を続ける。

『このような曖昧な言い方では君の不安を煽るだけだがな。しかし、何かあると疑っておけ。事の次第によっては、彼らは君たちにも牙を剥くかもしれん』

「少し大袈裟とも思いますが……御忠告、確かに聞き受けました」

『なりゆきによっては、君の判断で『八咫烏』も動かせ。私が許可する』

 その言葉に、和将は目を瞬かせる。

 先ほどは心の中のみであったが、今回ははっきりと驚愕が表情にも浮かび上がった。

 やや戸惑いつつ、不審も混ぜながら和将は口を開いた。

「えぇっと……伊達大臣。少しばかり警戒が強すぎるようにも思うのですが。あれはあくまで保険であって、そう簡単に運用していいものではありませんよ?」

『勿論、あくまで最終手段だ』

 和将の確認に、伊達外相の苦い声色での返答がくる。

『使わぬに越したことはないし、そうなる可能性も低い。が、君も多少、戦争に自分がまきこまれる可能性を考慮に入れておいてくれ』

「……えっと、それはどういう――」

『――以上だ。すまないが時間だ。これから外国の大使と面会をせねばならんのでな。頼んだぞ』

 質問を重ねようとした和将を拒むように、伊達外相はその言葉を最後に電話を切った。

 ツーツー、と受話器から響いてくる電子音に、和将は頬を歪める。

 明らかに、和将が詰問しようとした彼の考えた可能性とやらを伝えることを嫌い、やむなく所用を口実に逃げ出したような対応だった。

 苦い顔をする和将は、ふと横で心配そうな視線を向けてくる蛍に気づき、彼女を安心させる様に微笑みながら受話器を戻す。

「なんとおっしゃっていましたか、伊達さんは」

 和将が視線を持ち上げると、先ほどまでソファに腰をかけていた孝高がすっと立ち上がり、和将の苦い心中などお構いなしの笑顔で話しかけてきた。もっともこの場合、伊達外相との通話で何か言われただろうことは、孝高も勘付いている筈だ。智者である彼ならば、和将が口にした言葉からそれぐらいは読み取れよう。

 彼に対し、和将も心中はともかく微笑みを返す。

「あぁ。今後も予定通り動くこととデーンの動向を警戒せよとの忠告、それから『八咫烏』の出動の許可も出た」

 言葉に、孝高の笑みが一瞬消えた。

 が、すぐにいつも通りの柔和な笑顔に戻る。

「なるほど。つまり伊達殿は、スカイナビアはともかく、デーン王国が何か仕掛けてくるのではないか、と推測しているわけですね」

「……口には出さなかったがな。何やら、考えたくもない予測が浮かんだらしい。可能性が低いからと、最後まで詳細は教えてくれなかったが」

 察しのいい孝高の反応を見て、和将は笑みを消して苦い表情を作る。初めこそ二人の主として不惑の態度であったが、信における彼らにそのように態度を取り繕うのは不要と判断したためだ。

 素直に心中の苦渋を面にも出すと、孝高へ疑念の視線を投げかける。

「どう見る、孝高」

「そうですね。『八咫烏』の出動許可まで出た以上、可能性はかなり絞られているのですが……」

 顎に指をかけ、孝高は思考の姿勢を取る。

『八咫烏』は、今回の訪問において万が一の際に備えて和将に連れられて来たものだ。いくらかは国内に残されているため万全ではないが、使用すれば強力、あらかたの困難は解決できるだろう切り札でもある。

 やがて思慮を終えた孝高は、和将に対して微苦笑を向けた。孝高にとっては珍しい表情である。

「口に出すのはやめておきます。伊達殿による善意の保険、と思っておきましょう」

「……お前まで言い渋るとなると、不安が増すな」

 伊達外相同様に、その可能性について言及することを避ける相手に、和将は渋い顔になる。

 二人とも、それが杞憂に過ぎる公算が高く、また伝えれば和将が必要以上に慎重になると危惧も踏んだのだろう。ゆえに口にはせず、和将には今まで通りの活動と成果を期待しているのだ。

 そのような意図があろうことは、和将当人も気づいている。

「まぁ和将殿は、今はスカイナビアとの交渉に集中してください。何せ外交交渉はこれが初めて、面には出していませんが、いろいろと戸惑いや不安もおありでしょう?」

「そうだな。分からないことが多くて嫌になってくる」

 愚痴を溢す和将に、孝高は喉を鳴らす。

 戦争国の調停役を任じられた和将だが、実は外交官として活動するのは今回が初めてだ。彼はこれまで、国内の治安維持の勤務が専門であって、外国との交渉にタッチしたことは一度もない。

 普通ならばそんな人間を調停役にするなどあり得ないのだが、和将はまだ若年ながら、その政治処理能力がどの分野においてもずば抜けていた。それは政府首脳部、国の中枢に近づけば近づくほど明確に把握していることで、今回の交渉が祝賀の使節をカモフラージュとするある程度秘密裏に行うべきものである特性上、適任者として彼が抜擢されたのだ。

 とはいえ、当の本人にはやはり初めての職務であるために、感覚が分からず四苦八苦しており、またそれを相手側に悟られない様に細心の注意を払うこと必要もあって、ひどく疲労感を感じさせられるものであった。

「お前の言う通り、しばらくは外交に専念する。伊達さんやお前の危惧とやらは、ひとまず棚上げだ」

「えぇ。それがよろしいかと」

 和将の言葉に同意の笑みを返し、ついで孝高は軽く頭を垂らしつつ口を開く。

「ですがその分、裏では私がいくつか策を講じておくこととします。――あ、『八咫烏』の出動許可が出たということは、今後の策に組み入れてもよいということでしょうか?」

「……それしか手段がない場合はな。代替が効くなら、極力使わない方針で」

「了解いたしました」

「殿――そろそろお時間です」

 二人の会話に、先ほどまでずっと無言だった蛍が割り込んでくる。

 彼女の言葉を聞き、和将は腕時計の時刻を確認した。蛍の言う通り、そろそろ約束の時間だ。

「さて……では行こうか。女王様の元へ」

 やや揶揄も込めて言うと、孝高が小さく笑い声を漏らす。

 こうして和将ら三名は、クリスティーナとの会議のために大使館を後にしたのだった。

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