第9話
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「――いきなりなんだ。ついに実力行使か?」
広間のソファに深々と腰掛けながら、メディアは失笑交じりに呟いた。
ダンテとの交渉が一時中断した後、メディアは広間に残って紅茶を味わっていた。
左手にティーカップを摘まみ、ソファに背を埋もれさせたまま、彼女は中に入った紅い液体を口内へと流し込む。芳醇な香りと味わいが口内で広がるのを楽しみつつ、双眸を細めて右手へと目を向けた。
右手で握られた黒染めの長剣は、刃の表面を粘り気のある血液を滴らせていた。メディアから見て、その剣の挟んだ向こう側には、頭部を真っ二つにかち割られたメイド衣装の死骸が二つほど出来あがっていた。
「こいつら、正気じゃなかったみたいさね」
メディアの対面のソファに座っていたエキドナが、苦い顔で答えた。彼女はその手に何の得物も持っていないが、左の頬に大量の返り血を浴びている。今しがた、目の前の死体が体内から噴き出したもので、その感触を不快に思ったのか、エキドナは嫌そうな顔をしながら袖で拭う。
しかも、その死体を生み出して返り血を浴びせたのはエキドナ本人でなく、目の前にいるもう一人の魔女の手腕だ。
エキドナは彼女をギロリと睨み、しかし抗議の声は漏らさずに視線を下げる。
「自分の意思でというより、何者かに割り込まれて意識を乗っ取られた人間の動きだったわねぇ。完全に、本人の自我は一分も残さずって感じだ」
転がっている死体は、つい先ほどまでメディアやエキドナに対し紅茶の配膳などを行なっていた人間である。それが唐突に、何の前触れもなく、その手に得物を召還させると襲いかかってきたのだ。
もっとも、彼女らの雰囲気の変化で強襲に感づいた二人は、逆に彼女たちを瞬殺していた。やったのはメディアだったが、もし彼女が手を下さなければ、一歩遅れてエキドナが同じことをしていただろう。
「ふむ……。どうやら、ロキの奴が新たな手を打ってきたようだな」
「……だろうね。いちいち癇に障る野郎さね」
同じ見解を出すと、メディアは辟易とエキドナは苛々と、それぞれ溜息をこぼす。
いくらベアトリーチェを屋敷から退去させようとしているとはいえ、ダンテがメディアたちの殺害を企むとは思えない。となれば、この襲撃の主犯は別の誰かということであり――自然『魔女狩り』を行なう【ベレシス】によるものだと結論づけることができる。
どうにも平穏は、一日半しか続かなかったようだ。
二人は互いにソファから立ち上がりつつ、メディアがふとエキドナに尋ねる。
「ところで、こやつらを殺してしまってよかったと思うか? 正当防衛だが、あとでダンテに怒られると思うか?」
「……そういうことは先に考えなよ」
ただでさえ機嫌の悪い形相に更苛立たしげな顔を浮かべて、エキドナはメディアを見据えた。彼女からすれば、ダンテとの事前交渉の失策を何度も責めて来た癖に、自分のことはあっけらかんとしている彼女の態度がやや頭に来る。
と、憤りの兆候を見せたエキドナは視線を下げ、ある事に気がついた。
「まぁ……殺そうが殺すまいが、あんまり変わらないみたいだったけどねぇ。死骸を見な」
エキドナの言葉に従い、メディアが死体を見下ろす。
すると、真っ二つになり、血液に混じって脳の破片や脳漿を曝け出している断面から、小さく跳ねあがる物の姿があった。
血に塗れて真っ赤に濡れたその姿は、芋虫に似ている。ただ、普通の芋虫とは違い、口元に離れた位置からでも視認できる二本の牙のようなものが生えており、あまり害を感じさせないその造形を些か凶悪なものへと変貌させていた。
その姿に、メディアの唇が歪む。
「〝手繰り蟲〟……か」
「あぁ。こやつに寄生され、心臓を食い破られた時点で手遅れだ」
苦々しくエキドナは断言すると、血溜まりの中で跳ねているウジ虫のようなそれを一体踏みつぶす。
手繰り蟲とは、虫を使った呪術である蠱毒の一種で、他者を洗脳するので重宝される蟲である。
その術の内容はひどく陰惨で、体内に侵入したその虫が被術者の心臓を食い破ることで命を奪い、生命が絶たれたことで支配者がなくなった肉体を、蠱毒の使用者である術者が操るというものとされる。あまりに極悪な術ゆえに、近年では使用する物が稀な邪術でもあり、よほど邪法を崇拝するものしか使わおうとしないほど、魔術に染まった魔術師でさえ使うのを忌避するほどの術であった。
この外道な魔術を使ってきた者について、メディアもエキドナも、若干ながら心当たりがあった。
両者は同じ人物に思い至ったらしく、それぞれ嫌悪から目を細める。
「これは……。まさかアイツが?」
「……さぁ。奴の仕業かもしれんし、その部下の仕業かもしれん」
覗うように視線を寄こしたエキドナに、メディアは肩を竦めながら視線を巡らせる。
同時に、ガラスの破砕音が広間に響き渡った。
飛び散ったガラス破片が足元に転がるのを尻目に、二人は壊されたガラス戸の向こう側へと目を向ける。
そちらには、黒い稲妻を背景に、新手の家政婦たちが手にそれぞれの得物を携えて構えていた。屋敷外から大量のメイド服女性が襲撃してくる異様な光景に、しかしメディアたちは尻込みることなく視線を交わす。
「ところで、他の奴らは大丈夫かね?」
エキドナが訊ねると、メディアは確信に満ちた微笑を返した。
「あやつらは、そう簡単にくたばるタマじゃありはせんよ」
廊下より現れた家政婦たちは、合わせて五名。彼女らの手には、種類こそ違うが皆刀剣を収めており、真っ赤に茫洋とした瞳で敬一に目を向けている。
「正気じゃない、か」
鯉口を切って刀を抜くと、右下方へそれを振り降ろして敬一はぼやいた。
先ほど、ベアトリーチェを抱えて逃亡したヒュドラの事があり、一瞬家政婦全員がグルだったという最悪の想像がよぎった。だが、生気のない瞳とややおぼつかない足取りを見ると、敬一は彼女らが傀儡となっていることを目敏く見抜いていた。
今ひとつだけ気になるのは、彼女たちの操られている状態が後から正気に戻せるものか、それとも最早手遅れであるかである。どちらであるか次第で、敬一の彼女たちに対する攻撃手段や威力が大きく変わる。
単純に選択を分ければ、倒すのか、それとも殺すのか、だ。
その判断を敬一がつけるより早く、家政婦たちは一斉に動いた。
扇状に広がるように部屋へと踏み込んでくる彼女たちに、敬一は憂鬱そうに息をついた後、右へ踏み込んだ。家政婦集団の左端の一人、ブロードソードを手にした女性へと肉迫した敬一は、反射的に剣を振り上げた彼女へ不敵な微笑を浮かべ、刀を跳ね上げる。両者の得物は、先に出した女の刃と後に出した敬一の〝峰〟が衝突、直後、刀の峰が西洋の鈍い刃を打ち砕き、その衝撃で家政婦がバンザイするように体勢を崩した。その瞬間、刀を振り上げながら左方向に背中から旋回をしていた敬一は、右の靴底を女の腹へ叩きこむ。旋風のように鋭い身体捌きから繰り出された蹴りは、彼女の鳩尾を的確に捉えて華奢なその身体を背中から部屋の壁に叩きつけた。
蹴りあげた右足を床に下ろし、今度はそちらを軸足にして、敬一は正面へ踏み出す。
隊列の左から二番目の家政婦は、敬一に大した炎のように波打った刀身の剣、フランベルジュを突き出してくる。波打つ刃は傷口から裂傷広げやすく、また打ち合う部分によってはたとえ相手が受けとめても負傷させることが出来る、優れた殺傷力も有した武器だ。敬一が前を踏み出した瞬間、彼の顔面めがけて、その美しくも凶悪な威力を有する刃が差し迫った。
その刃が、金切り音と共に、半ば吹き飛んだ。
駆け抜けざまに振り上げられた敬一の刃は、その形状ゆえに他の物より微かに脆いフランベルジュを薪のように切り裂いていた。彼女の剣は先端が天井に突き刺さり、へし折られた手元部分は敬一の側頭部で空を切る。敬一はその側面を駆け抜けると、柄の部分を女の後頭部に叩きつけ、彼女が顔から床に叩きつけられるのを見届けることなく前進する。
最初敬一を包囲しようと動いていた家政婦たちだったが、あっという間にその陣形は崩されていた。
本来なら正面から追い込むはずだっただろう一人を次の標的と定めた敬一が迫ると、彼女は決闘用の刺突剣であるレイピアを突き出してくる。刺突に特化した細身の刃は、敬一の心臓めがけて目にも止まらぬ速度で迫る。
回避不可能なタイミングと速度の斬撃に、超人的反応速度と目にも映らぬ斬撃が対応した。
先の一人の後頭部を叩いたために大きくそれていた右腕と刀を引き寄せつつ、左足を背後へと鋭く引くことで身を旋回させると、胸に突き刺さりかけたレイピアの切っ先を紙一重で回避、同時に振り下ろされた刃がレイピアの刀身を木の枝のごとく叩き斬った。
そのままとどめ――と刃を跳ね上げかけた敬一は前方に残る内、右側の家政婦の動きに気が付いて上体を逸らす。直後、彼の眼前を投擲された刃が通過した。家政婦の一人が、両刃の短剣・ダガーを敬一に対して矢のように射出したのである。
背後の壁にそれが突き刺さる音を聞くや、上体を反っていた敬一はすぐさま身を捩って体勢を整える。直後、得物を失い、あるいは破壊された二人が敬一に体当たりを仕掛けるように肉迫した。武器を失って手ぶらになった彼女たちは、敬一を取り押さえることで仲間を援護し、窮地を逆に好機へ変えようとしたのである。
そのような手に、安易にかかる敬一ではない。
彼は彼女たちを引きつけてから、彼女たちの合間を低い体勢で掻い潜ると、唯一得物を手にしている最後の一人の間合いへと踏みこむ。撫で斬りや斬りおろしに特化した剣、シャムシールを手にした女に迫った敬一は、彼女は咄嗟に刀を薙ぐよりも速く峰で彼女の首筋を殴打する。刃を光と化すほどの剣速から繰り出された峰打ちの衝撃に、彼女は得物を手放しながら横転、そのまま部屋に入る際にくぐった扉から外へとフェードアウトした。
それを見送ると、敬一は振り返る。
五対一の不利を瞬く間に打破した彼の視界に、意識を失った、あるいは武器を失った家政婦たちが映りこんだ。並みの相手なら、これで終わりである。
しかし、武器を失った家政婦は、未だ敬一に対して敵意を滲ませながら、彼に向かって突進して来た。また、本来なら意識を失っている家政婦も、何事もなかったように立ち上がり、半損した得物を手に敬一へと向き直っている。
それを見て、敬一は口の端を歪めた。
「そうか……残念だ」
同時に、敬一の刃が閃光となって前の空間を鋭く切り裂く。
銀色の軌跡は敬一の間合いへと迫っていた家政婦たちを通過すると、一足遅れて赤い煙と重い衝撃を床に叩きつけた。顔を半ばに斬り裂かれたメイド姿の女性たちは、それぞれが敬一の左右を通過して床に倒れ伏す。敷いてあった紅の絨毯を更に赤く染めつつ、彼女たちはがくがくと全身を痙攣させていた。
生み出された二つの屍に、敬一はやや口惜しそうに双眸を細める。
当初、もしかしたら操られている彼女たちが正気を取り戻す可能性もあると考えた敬一は、致命傷となりうる攻撃を出さずに家政婦たちを撃退していた。だが、本来なら気絶するはずの攻撃を喰らわせた最初の二人が、何事もなかったように平然と立ち上がったのを見て、洗脳を受けた彼女たちが、すでに命を奪われた状態であることを確信したのである。
そうなれば、彼女たちを止める方法は一つ――身体の機能が停止するような、致命的な一撃を与えるしか道はない。
今の二人についで、更に二人、そして扉の向こう側へ吹き飛んだ一人が迫って来るのを見て、敬一は微かに顔を歪めてから表情を消す。
直後敬一の腕は翻り、三条の光が室内を駆け抜けた。
室内の敵を片づけた敬一は、割れた窓枠を飛び越え、外へと躍り出る。
出た先は敬一たちが初めここに来た時にも見た、屋敷の正面にあたる、芝生を生やした広々とした敷地の中であった。
地上七、八メートルからのダイブの中、敬一は恐れも焦りもせず、体勢を整え、空気抵抗を巧みに操ると、落下の速度を軽減させながら芝生の上へと落下した。
「――やぁ。遅かったね、敬一」
着地の直後、横から聞こえてきた声に敬一は目を向ける。
向くとそちらには、数メートル間を置いて、彼の相棒であるサムがニヤリと笑みを浮かべていた。
敬一は笑みを返し、それから視線を彼の足元へと注ぐ。頬に若干血が付着していたので予想はしていたが、サムの足元には数体の死体が、彼によって討たれた者たちが転がっていた。敬一の時とは違い、家政婦のほかにダンテとは別の執事のような人物も混じっている。
なお、死体はいずれも、敬一のような剣技あるいは銃撃による攻撃ではなく、力の限り打ち据えたとしか思えないような歪な痕を残していた。敬一がサムの手を見ると、手の甲には血まみれの肉片のようなものがこびりついており、どうやらその拳を持って彼らを絶命させたらしい。
その事実を悟り、敬一は一瞬頬を引き攣らせる。
普通人間の殴打で、肉が砕け張りつく程のダメージを相手に与えることは不可能だ。ただサムのような肉体を改造された元人体兵器は、人間が常時セーブしている潜在的な身体能力、さらにそこに強化された膂力が加わることで、常人の三倍から五倍の筋力を発揮できる。その上サムの場合、彼は特に別格であり、通常の人体兵器の性能を上回るフィジカルを持っている。
そんな彼からすれば、人間の肉体など演舞用の薄板のように脆いものであった。
敬一が視線を上げると、それを確認したサムはにっこりと、それはもう無邪気で楽しそうな笑みを浮かべる。
「あ、こっちはすでに楽しんでるよ?」
「……ホント、お前は戦いになると輝くよな」
呆れた、あるいは諦めたように敬一は失笑する。
普段こそ穏和で気さくであるものの、一度荒事になれば、相変わらず敬一よりも残酷かつ凄惨な戦いっぷりを発揮する男である。自他共に認める戦闘狂である彼は、或いは普段はおとなしくしていることで鬱憤を溜め、いざ戦いになるとそれを晴らすように爆発させるタイプなのかもしれない。
そう考えると、一昨日の件について何か対策を考えようと思っていた敬一であるが、もう何をやっても手遅れな気さえ感じていた。
乾いた笑みで彼を見ていた敬一だったが、背後で小さく足音が鳴ったのに気がつき振り返る。
そちらには、サムとは違って戦いへの高揚は見せず、しかし全身に赤を浴びた少女の姿があった。
「……なんでこの人たち、私たちを襲ってくるの?」
いつも通りの淡々とした無表情の中に疑念の眼光を湛え、幸は周囲に視線を這わせる。
彼女の周囲には、サムよりも多い死体の山が築かれていた。おそらくサムより先に、彼女が周囲の家人たちと戦闘状態に突入したということだろう。彼女の得物である刀からは血が絶えず滴り落ち、全身が返り血に染まった姿は痛々しく残酷であるが、一方で衣服の一部が身体にべったりと張りつき身体のラインを強調させているのが煽情的である。
敬一はそんな彼女の様相に一瞬眉を曇らせたが、何事もないように装って口を開いた。
「敵は外から来たんじゃなくて、元々中に潜んでたってことだ」
「……インサイダー?」
「そういうこと。よく出来ました」
顔の横でわざとらしく手を叩くと、答えた幸はむっと頬を膨らます。
珍しい表情の変化に敬一の顔が強張ったが、直後、雷鳴が響いた。
音の出所は、屋敷の玄関と門のちょうど中間だった。
黒い稲妻が迸り、その中央にはモーニングコート衣装の、銀髪の青年の姿があった。
本職は執事である彼は、しかし今この瞬間、鬼神と化しているのが、敬一たちから見ても一目瞭然だった。
状況としては、包囲されているようだ。
敬一がここに来るまでに葬ってきた数、およびここでサムと幸が築いた死体の数と同数以上もの家人たちが、ダンテをぐるりと囲んでいた。
なお、その向こう側、ダンテから見て前方にはベアトリーチェを抱えたヒュドラの姿もある。先ほどまで意識があるようだったベアトリーチェであるが、今は落ちているのかぐったりとした様子で彼女の腕の中に埋もれている。どうやら死んではいないようだが、ヒュドラは手中にある彼女に剣呑な笑みを見せた後、周囲を取り囲まれているダンテへと目を戻した。
彼女の姿を敬一が視認したその瞬間、辺りへ重圧が詰まった雷撃を放っていたダンテは、その手に握った剣――バスタードソードを横に鋭く振り抜く。
「外道が……ッ!!」
彼の喉から響いた低い声に、空気がビリッと震えた。
続いて噴き出す怒りの気配は、まるで物理現象のように芝生を震わし、周囲にまだ焦げずに残っていた家政婦や執事たちの動きを停止させる。すでにその身を傀儡と落とされている筈にもかかわらず、あたかも彼の言葉に肝を冷やしたかのように、彼らはその場に釘つけてられていた。
遠くで彼の姿を視認していた敬一たちさえも、その声から洩れた壮絶なプレッシャーに、一斉に唇を引き締められていた。
「お嬢様の御身を脅かすことさえ死を免れえぬ大罪であるというのに、忠義の臣下の命を奪い、あまつさえその身を弄ぶか、賊がァ!!」
その叫びに、敬一が小さく舌を打った。
今の言葉は、ダンテが操られている使用人たちの状態について確信していることを明確に表している。敬一はすでに、またサムや幸も気がついていたかもしれないが、すでにこの屋敷の家人たちは、一度死んでいる。心臓を食い破られて息絶えた上で、その身体を利用され、本来使えるべき、あるいは守るべき主君や仲間へと牙を向いているのである。
この状況に、ダンテの心の裡が平静でいられるはずが、あるわけがない。
「お怒りのようね、ダンテさん(・・)」
いつもの紳士然とした言動を崩した彼に、傀儡の群れの向こうにいるヒュドラが楽しげに声を上げる。
その呼び掛けに、ダンテはギロリと鋭い視線を返した。その剣幕は大抵の人間を怯ますほどの迫力に満ちたものであったが、ヒュドラは平然と、そして嫣然と嘲笑を返す。
「でも、手繰り蟲による洗脳なんて、少し魔術耐性がある人間なら体内に入る前に反抗できるはずよ。確かに彼の魔術は普通の奴らと比べれば強力だけど、この程度の術に対抗できない人間の方が馬鹿なのよ?」
「ヒュドラ、貴様――ッ!」
同僚を、死者を嘲弄するヒュドラの言葉に怒号を迸らせ、ダンテは猛進を開始する。
待ちかまえていたのは、赤く目を染めた家政婦の集団だ。ダンテの剣幕に一瞬気圧されていた彼女たちだが、彼の前進を見て自らも一斉に殺到する。ダンテが後ろに大きく剣を引いたのと、彼女たちがそれぞれの凶器を各々振り上げたのはほぼ同時であった。
直後、黒い稲妻が、空間を引き裂いた。
ダンテの剣筋に乗った雷撃は、神速と評せられよう速度で宙を引き裂き、迫り来ていた家政婦たちの身体を一撃で吹き飛ばしていた。雷が持つ電流と重力を含んだ圧力に加え、ダンテが振り抜いた剣の切れ味が加わったことで、メイド服たちはズタズタに切り裂かれながら周囲に四散する。肉体はダンテが放った三重の特性の破壊力に形を維持できず、焼き焦げ砕けバラバラに引き裂かれた。
その末路に、幸が息を呑みサムが口笛を鳴らす中で敬一は双眸を細める。
前方の敵を片づけたダンテだが、その側面からは新たに敵が迫っていた。左右両側面からそれぞれ迫る影に、ダンテは右足で地面をタップした後左へと躍り出る。刹那彼の右手には黒雷が暴れ狂い、迫り来た二人の執事と一人の家政婦を焼き払った。同時に左側から迫った家政婦が繰り出したレイピアの刺突を前進の最中に躱すと、ダンテは駆け抜けざま背後へ剣を叩きつけ、確かな手応えと血煙を上げたそいつを前方へ薙ぐ。背後から詰めて来た老執事が繰り出した斧の斬り落としの刃筋はダンテの剣筋により弾かれ、両者が体勢を崩したところでダンテ側が左の人差し指を相手の胸元めがけて突きつける。
直後、その指先から拳ほどの稲妻が弾丸となって老執事の胸板を貫いた。圧力ある雷撃はひとまず相手の胸に風穴を開け、ついで電流を全身へ送り届ける。老人の身体は電流で激しく痙攣した後、衝撃を受けて背中から芝生に落下した。
それを視認してから、遥か遠方にいる敬一がホルスターから銃を引き抜いた。
側面の敵を排除したダンテは、なおも迫る背後からの敵に目を向ける。新たに三名が迫る中で、ダンテは怒りの中に動揺を見せながら振り返った。彼は剣を構え直し、彼らの迎撃のために重心を移す。
だが、ダンテの目前に迫った三名は、突如衝撃を喰らって体勢を崩した。一人が頭を破られ、また全員が身体の一部を砕かれ、血の花を咲かせながら横転する。
その光景に目を見開いたダンテだが、すぐに事態を悟ると、頭部を撃ち抜かれなかった二人に稲妻を走らせる。横に倒れて苦痛に身悶えする彼らにそれを躱す暇はなく、黒雷はその身をあっという間に押し潰した。
その光景に、サムがふとぼやく。
「強いなぁ……。なんか戦える口実とかないかな、敬一?」
「知るか」
普段と比べればやはり高いテンションで訊ねてくるサムに、今しがた援護射撃を敢行したばかりの敬一はうざったそうに切り捨てる。
それと並行して、彼はダンテ周囲の状況を冷静に観察していた。
ダンテの周りにいる敵の数は、今の一連の攻防で半数以下に減少している。加えて、ベアトリーチェを抱えているヒュドラの姿も、依然ダンテの前方、数名の家政婦の肉壁を挟んだ先にある。この距離であれば、ダンテの戦力を考えて奪還は容易に見えた。
だが、敬一はこの光景を見て妙な引っ掛かりを覚えていた。
その正体に彼はすぐ気が付いたが、直後ヒュドラは踵を返し、門の方向へと疾走を開始する。それを見て、ダンテが後を追い始める。
「待てッ!!」
「――待てと言われて、待たないわよ、小僧」
ダンテの怒号にヒュドラはせせら笑い、彼には目もくれずに門へと向かい走り出す。そんな彼女に追いつくべき、ダンテは立ち塞がろうとした傀儡の家人たちを黒い雷撃で一蹴、一挙にヒュドラへと迫ろうとしていた。
それを見て、敬一は舌を打つ。
ダンテは今ヒュドラに追いつき、ベアトリーチェを奪還しようとしている。だが、冷静に考えればこの状況自体が不自然だ。何故なら、ヒュドラがベアトリーチェを攫って窓から逃げ出してから、敬一が屋内で家政婦五名を倒して追いつくまでの時間が――本来ならばヒュドラがとっくにこの屋敷の敷地から逃げきれているだろう余裕は充分にあったためだ。ダンテが背後から迫り来ているという状況では、最短でここを脱出するのは確かに不可能であろうが、しかしそれでも時間がかかりすぎている。何より、先ほどダンテは傀儡と化した家人たちに囲まれており、その状況は、背を向けて走っても攻撃が届いてこないというまたとない好機であったはずだ。
これらが意味する、ヒュドラの行動の意味は一つ、
――罠か?!
憤怒でやや思考を鈍くしているだろうダンテのことを察し、敬一は横に立つ相棒へと目を向けた。
「サム!」
「あぁ、分かった」
敬一の呼び掛けに、サムも感づいていたのか頷くと同時に蜃気楼を伴って姿を消す。
空間転移で長距離を一気に渡った彼は、ダンテの斜め背後に出ると、即座に彼へと肉迫した。
その瞬間、〝ソレ〟に敬一が気づく。
「伏せろ!!」
怒号を聞いたサムはダンテの背中を掴むと、ぎょっと振り向いた彼を、有無を言わさずに押し倒した。
直後、彼らの頭上を突如鎖が疾駆した。
鎖の出所は、不明。何せ何もない空間から、唐突に姿を見せて射出されたのである。
いきなり地面に叩きつけられて抗議の声をあげようとしたダンテも、突如頭上に走った複数の鎖に瞠目した。鎖の先端には鉤爪が括りついており、あれが突き刺されば痛いでは済まず、肉をごっそりと削られる羽目になったであろう。
空を切った鎖は、次の瞬間飛んできた方とは逆側に引き戻り、何もない空間へと引っ込んで消える。
それを見てダンテが息を呑む一方、門近くまで到達していたヒュドラは舌を打っていた。
双方の様子を視認しつつ、敬一は幸と共にダンテの許へと駆け寄っていく。
「意外だな。アンタが見境をなくすなんて」
皮肉というより、純粋にからかうように敬一が言うと、サムと共に身を起こしていたダンテが反射的に口を窄めながら視線を寄こす。だが、直後自分の失態を振り返ったのか、すぐにその顔に自責の念と憤りが露わになった。
そんなダンテに、敬一は微かに苦い表情を浮かべながら言う。
「まぁ、主人を奪われた上に、同僚を殺された上に操られれば、腸が煮え繰り返るのは分かるけどな、落ちつけって」
同情、というより同意の言葉をかけると、ダンテは一瞬瞳を揺らめかせ、ついでそれを伏せながらこらえるように歯を食いしばった。
その間に、敬一は彼の横に並んで門に立つヒュドラへと視線を向ける。
目が合い、嫣然と微笑む彼女に敬一が不敵な微笑を返す中、ダンテは重い口調で言う。
「……すまない、助かった」
「いいや別に――」
「感謝する必要はない」
ダンテの謝辞にサムが答えかけ、それを敬一が妙に苛立った様子で遮った。
その言葉にダンテは当然訝しげに顔を上げるが、他の二人は、何故か敬一同様に目を据えていた。
「今のは、どっちみち当てる気がなかったからな。野郎……わざと外して愉しんでやがる」
「なに?」
思わぬ言葉に、ダンテがますます怪訝な顔をする。
彼はまだ気が付いていなかったが、敬一を含めた三人は、すでにある事に気が付いている。
それは、今しがたのダンテへの攻撃だ。
何もない空間から飛び出した、あのチェーンネイル……三人にはあの得物も、そしてその攻撃方法にも心当たりがあった。
普段はそのような表情を見せない敬一が、憤怒と憎悪を微かに滲ませながら、吐き捨てる。
「おい、出てきやがれ。下衆野郎」
『――はっはっはっは!』
敬一の言葉に、どこからともなく哄笑が響き渡った。
もっとも、声に嘲りはない。敬一の怒りや憎しみを嘲笑うことも愉しむこともなく、そこにはただ、敬一が自分の存在をしたことに対する歓喜と感嘆らしきものが籠もっていた。
譬えるならそれは、無邪気な少年の高笑いだ。
音源が掴めぬ、洞窟の中のように四方から響き渡る笑い声に、四人の顔色は警戒に染まる。
次いで、拍手が響き渡る。一人によるものであるが、これもどこから響いてくるのかは分からない。
依然として、油断なく目を巡らす敬一たち。
「まったく、君はいつもながら素晴らしい」
声は、敬一のすぐ背後に、気配を伴って現れた。