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悪魔たちの正義  作者: 嘉月青史
2nd 咎背負い、罪誅す死神
31/99

第14話

14、


「場所は町から東の山中にある洞窟です。かつて住居として利用されていた、いわゆる〝洞窟遺跡〟を、そのまま拠点に構えているようです」

 寝室に設置された三台のノートパソコン――同色同型だが、ひとつひとつが違う機能に特化したそれのキーを叩きながら、セルナは画面の映像を切り替える。

 映し出された映像は、木々の生い茂る山中にひっそりと存在する洞窟の入り口、ライトか照明で照らしながら撮影された洞窟内部のものと思われる複数の写真だ。三つの画面に映し出されたそれらを順々に眺め、敬一は顎に指を這わせた。

 場所はセルナとアリソンが宿泊しているホテルである。敬一がセルナから連絡を受けた場所から徒歩で十分ほどの場所、町のほぼ中央に位置していた。

 彼らのホテルが近くにあることを知った敬一は、セルナに話の仔細を聞くついで、応急処置で済ませていたサムや幸のきちんとした治療も兼ねてここにやってきていた。今二人は、別室にてアリソンの助けを得ながら治療を受けているはずだ。

 この部屋にいるのは、敬一とセルナ、そしてスーのみである。前の二人はともかく、何故スーまでここにいるのは、話の内容が多分に神威との関係があるためだ。

 余談であるが、初めこのホテルに着いた際、寝室がセルナとアリソンで別々、広々としたリビングも用意されているという豪華さに、敬一たちはやや呆気にとられた。敬一たちが宿泊したところとは比べようもなく、また街中でも五本の指に入る高級ホテルである。こんな場所に、敬一と同年代以下の少年少女が二人で泊まること自体が異常であった。

 その設備同様、部屋の内装も小奇麗に整えていられており、初め敬一はその高級感にしかめっ面であったが、今はもう慣れてきた、あるいはそんな余裕がなくなったのか、セルナが表示したパソコンの画像を食い入るように見つめていた。

「僕が事前に用意しておいた8パターンの情報網のうち、7つにその情報が引っ掛かりました。洞窟への行き方に規模、洞窟の内部構造まで、種類は掛かった場所ごと、それぞれですがネ」

 セルナがそう言ってキーを叩くと、またも画像は切り替わる。

 先は写真映像であったが、今度のは数式交じりの文字の羅列だ。

 専門の知識が必要なその記号の意味を、セルナは簡潔に分かりやすく敬一に説明する。

 それによると、《八面の天秤》のアジトに関する情報は、電話やネット回線内に消去しきれず放置されたデータ残骸から、情報屋同士のライフライン内、果ては警察のデータバンクなどにも散らばっていた。その中でセルナが気になることとしては、それら各情報が、一つとして同一のものはない、けれど場所だけは正確に示しているということらしい。

 情報に一通り目を通し、敬一は険しい顔を作る。

 彼は一度画面から目を外し、先ほどから手持無沙汰に横で佇んでいるスーへと視線を向ける。

「スー。神威はどうやって、こういった情報を集めていた?」

「……使い魔を使って自分の手で調べたり、セルナさんのような情報屋の方から聞くなどして、だったと思います」

 敬一の問いに答えながら、スーは苦い表情を浮かべていた。

 おそらく彼女は、これら所々の情報が全体としてどんなことが導き出せるか、察しているのだろう。

 情報戦にも慣れている敬一やセルナはともかく、もしたったこれだけの手がかりからその『答え』を導いたとすれば、スーは想像以上に聡明で頭が切れることになる。

 心の裡で敬一は密かに感心しつつ、視線をセルナとパソコン画面へと戻す。

「――セルナ。お前は、これをどう見る?」

「そうですネ。普通なら《八面の天秤》とやらが、神威さんをおびき寄せる罠として用意したと考えるのが一番妥当なんですが――」

「魔術の集団が、ここまで異なった複数の情報網に、各情報をばら撒いたとは考えにくいな」

 自分たちの情報をわざと相手が用いそうな情報筋へ流し、ブラフに用いて相手をおびき寄せたりするのは、現代ではどんな戦場でも用いられる戦法だ。

 だが、電話やネットの回線内にまで、わざわざ消去しきれなかったデータを残すという周到さは、現代の科学文明を忌避し、自分たちの持つ技術を誇示しがちな魔術師たちの手法とは考えにくい。また、それだけ高度な技術を持つ人間もそこまで多くはないはずだ。

 ――と、いろいろやりとりはしたものの。

 正直なところ、敬一もセルナも、「じゃあ誰の手によるものか?」という疑問には、すでに大方の見当はついている。これまでの会話はいわゆる確認作業であり、相手も自分と同じ考えかどうかを知るためのものだ。

 結果、二人の考えはどうやら同じのようだった。

「そうなると……〝アイツら〟だろうな」

 敬一が言うと、セルナも頷く。

「えぇ。これはおそらく、《星の騎士団》による仕業でしょうネ」

 セルナが口にした彼らの名に、敬一は納得と苦渋を綯い交ぜにした、険しい顔を浮かべる。

 昨晩のジェームズとの会話で、すでに《星の騎士団》がこの町に来た狙いが、自分ではなく神威にあることの予測はついていた。あるいは、フレスハプスによる町の襲撃の件もあり、《八面の天秤》の方かとも思いはしたが、敬一が接触してより危険度の高いのは、一魔術組織よりも【悪魔の子】の異名を持つ一魔術師だろう。それに、こんな情報を出す余裕があるならば、すでに彼らの方から、《八面の天秤》へ隠密に襲撃を図るはずだ。

 そしてこの情報の意図的な流出の意味も、そこまで分かれば自ずと見えてくる。

「神威を、《八面の天秤》の奴らを利用することで亡き者にする、あるいは共倒れになる状況作りだし、漁夫の利で両者を殲滅させるのが狙いだろうな」

 そう敬一が口にすると、セルナも同意見なのか静かに頷いた。

 どうして《星の騎士団》が神威の命を狙うのか――これは、それほど難しい問題ではない。

 結論から言ってしまえば、神威の存在を危険であると、世界連合が判断したのだろう。

 神威真之介は、たった一人で多くの魔術組織を潰し歩いてきた経歴から分かるように、彼個人のみで驚異的な戦闘能力、そして一度動けば「魔術の世界」に大きな影響を与え続けてきた人間だ。しかも魔術世界の共通認識、一般社会に伝わる風評もあって、彼の行動目的はいまいちはっきりと伝わっておらず、魔道の探究が結果として魔術組織の破壊に向かってしまうという真実が、「理由不明の魔術組織潰し」と捉えられている。

 それが、今はまだ魔術世界という比較的裏側の世界だからいい。

 だが、もしその行動が表の――一般の世界にも及ぶ時が来たら?

 理由・原因不明の彼の行動に、そのような危惧が抱かれたところで不思議はない。

 ゆえに世界連合は、それが現実のものになる前に彼の抹殺を決定したのだろう。《星の騎士団》がこの町に来たのはそのためだと仮定すれば、全て辻褄が合う。

《星の騎士団》は世界連合直轄の、主に大罪人や社会の危険分子に対する精鋭部隊だ。神威ほどの実力者でも、十二分に渡り合えるだけの人材を有していて当然だ。それが、リーサやジェームズだろう。

「リーサ相手なら大丈夫だろうが……。ジェームズ相手だと、かなり厳しいな」

「強いんですか、その人? 十代半ばで《星の騎士団》にスカウトされて入隊したのは分かってますが――」

「かつて元SS級の傭兵で、テロ事件を起こした女を、一体一の勝負で斃している」

 敬一が何気なく答えたその言葉に、セルナは目を瞬かせる。SS級といえば、世界でも数えられるほどしかいない屈強な傭兵のはずだ。〝元〟というのに引っ掛かりを覚えるが、その戦闘力は敬一と同クラスかそれ以上、それを倒したということは、つまり彼もそのレベルの域の実力者ということだろう。

「加えて、《八面の天秤》側には【幽鬼】がいる。アイツもSS級、しかも魔術師を殺すのに特化した傭兵だ。いくら神威とはいえ、厳しいだろうな」

 神威が危機に直面するのはもはや確定的なのを口にしたその時、敬一の服の裾に下方へ引っ張る力が加わった。

 誰によるものか、考えるまでもない。

 敬一が目を落とすと、スーは唇をぎゅっと引き結び彼を見上げていた。茫洋とした、見えていないはずの瞳だが、そこには強い決意が浮かんでいる……気がした。

「……天野敬一さん。私が、今から何を言おうとしているか分かりますよね?」

「あぁ……」

 敬一はスーの問いに頷き、しかし同時に苦い顔になる。

 神威が、当初敬一が思っていたより危機的な状況にあるのは、彼も分かっている。もし相手が魔術組織だけなら、たとえ危機に陥ったとしても、神威ならば逃げることができる。これは、以前彼と戦った際に把握済みだ。

 だが、もし前面を《八面の天秤》という集団、背面を《星の騎士団》という精鋭に挟まれ、挟撃されたならば――話が変わってくる。その状況を分かっていれば話は別だろうが、神威は今の段階では、《星の騎士団》が自分を狙っていることを知るまい。もし不利になった中、彼らによる攻撃に晒されれば、いくら彼でも命の保証はなかった。

 それを、スーが理解しているかどうかは不明だ。

 だが、敬一とセルナの話を聞く中で、そのことを悟ったのだろう。

 彼女は、一度は諦め、退けていた頼みを、もう一度敬一口にする。

「改めて、お願いします。神威さんを、助けてください」

「……さっきも言ったが、駄目だ」

 苦い声で、敬一はそう絞り出した。

 その声を聞いて、スーが瞳に涙を浮かべて敬一を見上げるが、当人は表情を消したままそれを見返す。

 素直に言えば、敬一の心中も穏やかではない。

 神威に《星の騎士団》の存在を伝えなかったのは彼のミスであるし、誰かが死地に赴いている中で自分は安全地帯で待っているというのも、本意ではない。

 それが依頼だからと考えることで私意を抑えているものの、相手が実力に保証のある神威でなければ、敬一はスーの頼みをすぐに引き受けていただろう。

 だが、そんな心情を、敬一は素直には語ろうとはしなかった。

 傭兵として、敬一は私情を心の裡で噛み殺す。

「俺は、神威からお前を危険から守るように言われてる。奴を助けようと動くのは、どんな方法を取るにしてもお前を危険に曝すことになる」

 今敬一が考えている最大の危惧は、それだ。

 もし神威を助けるということで敬一が動くにしても、問題は、ではスーの身はどうするかということになる。

 仮にここに残して出て行くにしても、魔術師たち本来の狙いがスーである以上、敬一が離れた隙に襲撃を受けて連れ去られる可能性もある。並みの魔術師たちならサムや幸を置くことで対応できるだろうが、もし敵が【幽鬼】をここに差し向けた場合、万事休すだ。

 ならば一緒に連れていくという手もあるが、こちらの方が明らかに危険だ。何せ神威でさえ危機に陥るような状況の中を、スーを守りながら進まねばならなくなるのだ。もし神威なしで【幽鬼】そして《星の騎士団》二名と対峙してしまったら、一巻の終わりである。

 では、どうすればいいかと考えれば、ここを動かずに待つという手立てしか、良策は残っていない。敬一たちにできる最良の選択は、神威を信じてここを待つことなのだ。

「悪いが、こうなった中では無暗に動く方が危険だ。だから今は――」

「一生のお願いです!」

 スーの声が、彼女を宥めようとした敬一の声を遮った。

 彼女は敬一の腕を両手で掴むと、非力な力で、しかし敬一の腕を引っ張りながら必死に訴えかける。

 敬一が彼女の動きで体勢をよろめかすはずはなかったが、しかし敬一は彼女のその必死さに、気まずそうに口を噤んだ。

 黙りこむ敬一を見て、スーは更に声を荒げて、頼みこむ。

「この願いを聞いてくれるのなら、私はどんな対価だって支払います。それこそ、これからの一生を、貴方たちに捧げたっていい!」

「馬鹿なことを――」

 言うな、と言おうとする敬一だったが、その言葉を口にするよりも早く、スーが取った行動に瞠目する。

 敬一の腕を引っ張って頼みこんでいたスーが、ふと敬一の腕から手を話すと、そのまま床に座り込む。

 そしてあろうことか、敬一に向けて土下座してきたのだ。

 この反応は流石に予想できなかったのか、敬一とセルナは揃ってぎょっと身を竦ませる。

「お願い、します――ッ」

「……おい、やめろ」

「お願いします。あの人を……助けて……。そのためなら、私は――」

 敬一が思わず止めたことでスーは顔を上げたが、しかし涙をこぼしながら、彼女はそのまま敬一の腕にもたれかかって懇願を口にした。

 そのあまりに必死な言動に、敬一は最初の驚愕から徐々に立ち直りだすと、次第にその目に疑念を浮かべ始めていた。

「……何か、どうしてもアイツを助けたいわけでもあるのか?」

 助けてほしい、と彼女が願い、それを敬一に頼んでくるのは分かる。

 だが、先ほどから見せる懇願の仕方は、あまりにも必死だ。そこからは、彼女の口にした言葉通り、例えどんなことをしてでもという並みならぬ意志が存在している。

 一体、何故そこまで必死になるのか。

 その理由に、敬一は微かながら心当たりがあった。

「神威は俺にお前の過去を話すとき、何故か所々、細かい内容をごまかしてたな。ひょっとしてそこに、お前があいつに入れ込んでいる何か大きな理由でもあるのか?」

 喫茶店で神威と話した際に、彼は敬一にスーの過去を語った。

 だがその内容は、一部明確に語られず、曖昧に濁されていた。話の大筋に問題はなかったものの、話の枝葉の部分のほとんどの説明が意図的に省かれたことは、よく思えば不審であった。

 敬一の指摘に、スーは涙を噴かぬまま、光なくとも潤んだ瞳を彼へ向ける。

そこには、何か強い覚悟と決意が浮かんだ――そんな気がした。

 スーは、きゅっと唇を引き結んだあと、こぼれる涙の流れを止めて口を開く。

「すべてを……お話しします」


   *


 スーが魔術の世界とは何の関係もない普通の少女であったこと。

 また生まれつき目が見えない代わりに、あらゆるものの本質を見抜いてしまう『異常直感』を持っていたこと。

 その力に魅かれた魔術組織によって攫われ、以後いくつも魔術組織を転々、最終的に神威により助けられて現在にいたること。

 そこまでは、神威も話した通りである。

 彼女が歩んできた人生を、大雑把だが正確に陳述したものだ。

 だが、人も社会も、その過程・歴史においては、大筋を述べるのと仔細を述べるのとではおおよそ受ける印象、そして当人たちが味わった実の心情は大きく異なる。

 それは、スーにおいても同じこと――彼女の半生、その過程は実に悲惨なものだった。


 彼女は、両親を殺された。

 スーの『異常直感』、その能力に対し魅力を覚えて手元に置きたいと思った魔術師たちは、彼女を密かに連れ去ろうとした。家の近くにて、彼女はたまたま一人になった頃合いを見計らい、魔術師の一人が彼女に忍び寄ってきたという。

 ただ、タイミングが悪かったらしい。

 それに気が付いた彼女の両親は、慌てて娘を守ろうとした。

 結果、殺された。彼女の前で。

 目が見えなかったのが、ここでは唯一の救いだった。当時まだ五歳だった少女には、愛しい両親が目の前で、風の刃で粉々に斬り飛ばされる光景は、きっと耐えられなかったはずだ。

 両親を殺され、魔術組織に連れ去られた彼女は、そこで泣き喚き、そして暴れたらしい。それは無理もないはず、幼くまた盲目な子供が、見も知らぬ場所に連れ出され閉じ込められることは、とても精神的に耐えられるものではない。

 その様子が不快だったのか、泣き叫ぶ彼女を魔術師たちは力づくで黙らせようとしたらしい。魔術で口を閉じさせたり暗示をかけておけばいいものを、彼らは殴る蹴るといった、魔術師らしからぬ暴行に及んだ。しかしその結果、彼女はその痛みから更に声を張り上げた。

 その反応に業を煮やした魔術師は、ついに彼女へ拷問をおこなった。

 それがどのようなものだったかは、流石にスーも語れず、そして敬一も喋るのを止めさせた。

 だが、その時の傷は未だに彼女の腹にも残るほど深く、結果彼女から抵抗の意思というのを奪っていたという。


 それから数ヶ月後、スーはようやく解放された。

 ある日の夜中、彼女を閉じ込めていた魔術組織は襲撃を受けて一晩で壊滅、これを知ったスーは、長かった地獄のような日々の終わりに、助かったという久しぶりの希望を抱いた。

 だが、それは決して終わりではなかった。

 むしろ、ここからが本当の地獄の日々の始まりだった。

 彼女を助けた――もとい、彼女を閉じ込めた魔術組織を壊滅させたのは別の魔術組織だった。

 狙いは……スーだった。

 彼らも先の魔術師たち同様にスーを監禁し、そして自分たちの手駒にしようとしたらしい。一度は助かったと思った彼女は、その絶望感からそれまで以上に泣き叫んだ。気が狂わんばかりの恐怖に震える彼女を、その魔術師たちも暴行、あるいは拷問という手で応じたという。

 以後、そんな生活が数年に渡り続いていく。

 魔術組織を転々と、盲目な少女は監禁を繰り返された。

 その過程において、彼女は一度として「人」として扱われなかった。魔術師たちにとって、彼女は都合のいい能力を持つ「道具」だ。それを得られ、うまく使うことが出来るのならば、それ以上の価値はないと判断されたらしい。

 彼女の半生は、ほぼそのような悪夢の連鎖だ。

 暗示をかけ、彼女を操り人形のようにした魔術組織もいたが、そこがまだマシな方だ。

 最初の二つの組織のように、暗示や口封じなどの魔術的措置を行わずに暴力をふるった魔術組織も少なくなかった。

 拷問をかけられた数は何度あったか。

 凌辱・強姦されたことも一度二度ではない。

 催眠によって自分の力の秘密を知ることができないかとされたこともあった。

 危うく、見えない目をえぐり取られそうになったことさえある。

 そんな数年の生活の繰り返しに、彼女の心は徐々に死んでいった。

 幼少期の子供が異常なまでの加虐を受ければ、辿る道はほぼ二つ。気が触れて精神を歪ませるか、あるいは心を殺すないし心を分断させることで耐性をつけるか、そのどちらかだ。

 彼女は、後者であったらしい。

 幼い少女が、数年にも及ぶそのような地獄に抗うこと、耐えきることが出来る見込みもなく、また不屈の意志も持っているはずもない。

 心を凍え、閉ざし、人間性を殺すしか、彼女には虐待と恥辱を乗り越える手段はなかった。


 身体をガクガクと大きく振るわせ、また目からは絶え間なく涙をこぼしながら、スーは十分近くの時間をかけ、ようやくそこまで語ることが出来た。

 何度もその途中で呼吸を乱し、その度に敬一がもうやめるようにと説得したが、しかし彼女は決して話をやめなかった。

 相当のトラウマが未だに、ただ口に出すだけで身体に影響が出るほどにあるにもかかわらず、彼女がそれを話したのは、ひとえにこの告白を通じて神威を救ってほしい、その一念に尽きるのだろう。

 ようやく、人生の半分近く体験した苦痛の日々の詳細を語り終えた彼女は、潤んだ瞳に更に感情を乗せて、言う。

「そんな絶望から、私を救い出してくれたのが、神威さんだったんです」

 何回、何十回もの絶望から自分を救い出してくれた人間の名を、そこでようやく彼女は口にした。

「もう心はほとんど壊れて、すでに使い物にならなくなっていただろうその一歩手前で、私の話を知った神威さんは、たった一人で私を助けに来てくれたんです。決して《八面の天秤》は弱小な魔術組織ではありませんでした。けれどあの人は、傷だらけになって、それでも私を暗い地獄の中から、私の手を引いてくれた! 『もう、こんな闇の中に君はいなくていい』って!」

 耐えきれずこぼれる涙が、胸を預けていた敬一の服へと滲む。

 敬一は、何も言わない。

 ただ彼女の告白を、静謐に、また真剣な目で見つめていた。

「あの人は、たまたまと言っていましたが、偶然やついでで命を懸けて誰かを助けるなんて、そんなことできるはずがありません。あの人は、見も知らない私なんかをわざわざ助けに来てくださったんです。傷ついて壊れかけて、穢れて凍えた私を、あの人は何度も辛抱強く、温かく優しい心と言葉で接してくれた。癒してくれた、励ましてくれた! この世界には、まだ私が知らない素晴らしいものが、心を持って生きててよかったと思えるようなものがたくさんあると、そう私に教えてくれた。あの人のおかげで、私は失われた心も希望も、少しずつ取り戻すことが出来たんです!」

 心の声を、饒舌というべき速さで一気に口に出し、彼女は今一度敬一に身をにじらせた。

 敬一の胸にもたれかかるように身を傾けた彼女は、顔を彼の胸に埋めながら、そうやって自分の真剣な想いを、胸の鼓動と秘める強い想いを、必死に、必死に伝えるように、彼へと願いを口にする。

「そんな命の恩人を、人生の恩人が、殺されそうな状況にいるんです! 落ち着いてなんて、いられませんッ」

 嗚咽交じりで少し掠れたそのスーの懇願の言葉に、敬一はついに表情を消した。

 それは意図的なものでなく自然なものだ。

 沈黙を保っていた彼の眼には、いつしか鋭い思慮、同時に決意が浮かんでいる。

 敬一は、一度視線を彼女から横にいるセルナに移した。

 セルナは、スーを何やら神妙な顔つきで見据えていた。普段は柔らかく人の好い顔には、この時だけ深い同情、また不快な感慨のようなものが張り付いていた。

 彼はやがて敬一の視線に気が付いて視線を合わせる。だが、だからといって表情を取り繕うように変えることはしなかった。

 敬一は彼から視線をもう一度スーへ向けると、泣きつく彼女の頭をそっと撫でる。

 ピクリと、俯き加減の彼女の身体が震えた。

「すまなかったな。辛いことを言わせて」

 スーに軽い謝罪の言葉を口にすると、敬一は上着のポケットから、ナプキンを取り出した。先ほどサムたちの治療のためにいろいろ拝借した薬局から、ついでにかっぱらってきた物だ。

 彼は涙で荒れた彼女の顔を優しく拭いてやる。その行動に、スーは戸惑いながらも抵抗することはなかった。

「……どうしても、助けたいのか?」

 もう一度、敬一は尋ねる。

 スーは即座に頷いた。

「俺は、今も反対だ。お前の気持ちはよくわかったが、それを了承することは神威からの依頼を、君を守ってほしいという想いを裏切ることになる。それでも、神威の想いを裏切ってでも、お前は俺に、『助けに行ってくれ』というんだな?」

「だって……だって……」

 敬一の確認に、スーは喉から涙をすすらせながら、言う。

「自分の一番大切な人が、死にそうなんですよ……。『助けて』としか、言えないじゃないですか――っ!」

「……そうだな」

 涙ながらスーが言ったのを、敬一は柔らかい笑みで受け止め、そっと彼女を抱きしめる。

 優しく、そして自身の体温を伝えるような軽い抱擁にスーは目を点にしたが、その感触を噛みしめる間もなく、敬一は彼女から腕を話すと立ち上がった。

「――セルナ」

 敬一が声をかけると、セルナは小首を傾げる。

「何です?」

「【死神】っていう渾名、やっぱ俺には似合わないよな」

 苦い顔で告げられた言葉に、セルナは意味がよく分からなかったのか、ますます不思議そうな目をした。

「どうしてですか?」

「……だって、さ」

 苦かった顔を苦笑に変え、敬一は自らを嘲けるように口にする。

「だって俺、どうしようもなく甘いからな」



 敬一がドアを開くと、目の前にあるソファにはサムが、少し距離を置いたリビングでは、ガラスの机を挟んで向かい合って座る幸とアリソンの姿があった。

 このホテルに来る前まで酷い有様だったサムと幸だが、今やその原因になった傷とその名残は、身に纏った新品の服によって覆い隠されている。

 二人とも、色彩や細かな装飾こそ違うものの、前と同じような服装だ。この服は、敬一たちがこちらに向かうまでにセルナが急いで近くで調達してきたらしいが、彼の働きっぷりには感嘆の念を抱かずにはいられない。

 今回の件の礼で、いつか上手い物を奢ってやろうと敬一は密かに考えた。

 一方、彼の付き添いであるアリソンはというと、こちらは現在、何やら作業の真っ最中であった。傍らに置いたアタッシュケースから部品を取り出しながら、彼女はガラスのテーブルの上で、解体作業に勤しんでいる。

 解体している物は――弾丸だ。

 鉛のそれの中から火薬を摘出しながら、彼女は本来ソレが注入されている空間に何やら小型のカプセルらしきものを慎重に組み込んでいる。よほど集中しているのか、敬一が部屋に来た事に、彼女だけは気がついていなかった。

「あれ? スーは?」

 敬一が部屋に入って来たのを見て、ソファに腰掛けて飲み物を口にしていたサムが不審の声を上げる。先ほどまで彼と一緒に、セルナの部屋に行ったはずのスーが、今は敬一の横にはいない。

 敬一は、サムの問いに苦笑で応える。

「ちょっと疲れたみたいでな。今、セルナのとこで眠らされている」

 先ほどまで泣きながら敬一に神威の救助を頼んでいた彼女は、その際にかなり体力を消耗したらしい。

 今は敬一の勧めによって、一時的に仮眠を取らせている。完全に疲れがとれはしないだろうが、今は少しでも体力を回復してもらわなければならない。

 敬一は、今一度部屋の中を、そこにいる面々の顔を確認した後、やがてすぐ目の前の青年に視線を定める。

「……サム――」

「どうしたんだい、敬一。まるで、今からどこかに出るみたいだね」

 話を切りだそうとした敬一だったが、それより速く、サムがニヤリと微笑を浮かべる。

 勘の鋭い相棒の言葉に、敬一は頼もしそうに微笑み、しかしすぐにそれを掻き消す。その目には、鋭い判断の光が宿る。それは仕事を始めるときの、いつもの目だ。

「動けるか?」

「俺はいつでも。さっきのじゃまだまだ暴れ足りないからね」

 肩をすくめながら、サムは真面目面の敬一をからかうようにニヤリと笑う。その表情は、言葉通り今すぐにでも暴れ出したいという好戦的なものが浮かんでいる。

 その様子に、彼は心配ないと思ったのか、敬一はその視線を今度は幸に向ける。

 敬一と目が合うと、彼女も敬一が要件を告げるより早く、了承するように頷いた。

「私も、いつでも。さっきのお化けみたいなのと戦うのは、きついけど」

「分かった」

 その反応に頷くと、敬一は部屋の中へと進んでいく。

 するとその背後を追うように、廊下の奥から別の気配も部屋へ足を踏み入れた。

「――相変わらず、タフな人たちですネ」

「お。セルナか。この服、どうもありがとう」

「あ~、いえいえ。お気になさらず」

 どうやらこちらの様子を見に来たらしい――セルナとサムが会話を交わしているのを耳にしつつ、敬一は幸の眼前で弾丸の解体作業を行っているアリソンの側へと歩み寄った。

 先ほどまでは無反応だった彼女だが、横まで来られると流石に気配を感じたのか、今は作業の手を一度中断し、顔を上げた。

「よっ、敬一。結局、出る気なのね?」

「まぁな。で、頼んでおいた奴は?」

「ん……まだそれぞれ三発ぐらいしか用意できてないわ」

 敬一が尋ねると、アリソンはガラスの机の上に置かれた銃弾を指差す。

 そこに置かれたのは計六発の銃弾、先ほどまでの作業で、彼女が調合をした特殊なものだ。

 なぜこんなものをアリソンが用意しているかというと、このホテルに到着するなり、敬一が彼女に対して依頼をしたためだ。

 急遽、とある二種類の特殊弾が必要だから調合してくれ、と。

 かなり無茶な注文であり、最初アリソンも断っていたが、敬一が上手く口車に乗せることで、彼女は「ならやってやるわよ!」と、最初の嫌な顔はどこいったといった感じで依頼を快諾してくれた。

 ちなみにその口実というのは、「ボーグルソンの娘は、おっさん曰くその程度のことは鼻歌混じりにやるほどの天才だと聞いたんだがなぁ……がっかりだ」――まぁ、もちろん嘘である。

 出来た弾丸を見た敬一は、それを手に取り確認する。

 一つ一つの出来を確認すると、敬一はそこでニヤリと満足げに微笑んだ。

「これだけあれば十分だ。ありがとな」

「……本当にいいの?」

 まだ必要なら作れるわよ、というアリソンだったが、しかしこれだけでいいと敬一は言う。

 敬一の予想では、これが必要となるのはワンアクションのみ――一回だけしか使えず、そして効力を発揮しないはずだ。

 弾丸を受け取り、代金は後で必ず払うことを約束した後、敬一はふとアリソンに何か思い出したように尋ねる。

「アリソン。そういえばさ――」

「何?」

 もう自分には用はないと思っていたのか、敬一に声をかけられたことにアリソンは顔を上げた。

 背後ではサムがセルナと話しながら飲み物を飲もうとしている中、敬一は尋ねる。

「お前、ダイナマイトとか持ってないか」

 その言葉に、口にコップの中の物を含みかけたサムが思わず噴いた。

 どうやら、飲んでいたものは紅茶だったらしい。

 軽く咳きこむ彼をセルナが慌てて背中をさする中で、二人の視線は、やがてありえない質問を口にした敬一へと向く。

「敬一……流石にそれは……」

「敬一さん。いくらアリソンさんでも、旅行先にそんなものを持ってきては――」

 呆れ、そして若干引くような二人。

 だが、アリソンは、

「ん、あぁ。あるわよ」

「「何故ある!!?」」

 見事な、唱和であった。

 サムとセルナの声が見事に重なる中、訊いたはずの敬一も、一瞬呆然とアリソンに目を向ける。質問をしたものの、本当に持っているとは思っていなかったようだ。

 皆が一様に驚愕する中、しかしその反応にアリソンが逆に不審そうに首を傾げる。

「何故って……もしものために、それぐらい携帯しておくもんでしょ?」

「……尋ねておいて悪いが、それはねぇよ」

 アリソンの惚けた、否、ぶっ飛び過ぎて理屈が不明な言葉に、敬一はぎこちなく笑うしかない。

 そんな反応に、アリソンはひとえに不思議そうに首を傾げる。彼女が顔に浮かべる疑問は、何も彼らの反応だけでない。

「でも、そんなの何に使うのよ?」

 アリソンが尋ねると、敬一は気を取り直すように一息つき、それからニヤリと笑う。

「面倒くさい問題は、全部まとめて吹っ飛ばす。ただそれだけの話さ」

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