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悪魔たちの正義  作者: 嘉月青史
2nd 咎背負い、罪誅す死神
26/99

第9話

9、


   *


 急がなければならない――焦りが胸を募らせる中、少女は懸命に走っていた。

 まだ十代半ば、しかしすでに何十回という命のやりとりを経験してきた彼女は、今日もその肢体を敵の血で濡らし、薄らと浮かぶ汗から洩れる蒸気に、死の気配を纏わりつけていた。

 幾何と重ねた戦場での任務――だが、彼女は初めから殺し合いに特化した人間であったわけではない。

 赤子も初めは善にも悪にも染まっていない無垢な存在であるように、彼女も最初から戦いに身を投じるに適合した人格だったわけではなかった。

 ただ彼女には、それ以外生きていく選択が用意されていなかったのだ。

 肉親を失い、身の拠り所もなく、その異能から世界連合という組織に引き取られた幼い少女は、非情にも彼らから、「戦う使命」を押し付けられた。それは、本人の意思とはかかわりのないところで、まさに押し付けられたとしか表しがたい。それに抗うことができるほど、少女はまだ意思も肉体も強くなかったし、またそれを押し付けた人間の群れのチカラも強大だった。

 戦うことを義務付けられた少女は、たった一人であった。

 そんな彼女に、救いの手を差し伸べたのが、後に彼女が恩師と慕う人物だった。

 その人物は、孤独であった彼女に、まるで親子や肉親のように優しく、何より温かく接してくれた。疑ってかかれば、同じ組織の人間として、ひょっとしたら飴と鞭――少女を懐柔する意図があったのかもしれない。

 しかし、たとえそうであったとしても、少女にはそれが大きな救いになった。

 血を分けた家族を失い、同時に強大な組織から「使命」の烙印をされた中で、唯一その人物が、彼女の心から信頼できる味方であったのだから。

 生きていく術も、戦う術も、そして彼女が抱いている強い信念も、すべてその人から教わった。

 彼女にとってはその人物こそが、慕うべき師であり、また共に戦場をかける戦友であり、そして何よりも守りたい大切な存在であった。

 その人が今、危機に瀕している――そのことを知った少女は、応援のために必死になって駆けていた。肩が大きく揺れ、胸や脇腹が激しい運動によって痛みを訴えてくるのも構わず、一刻も早くあの人の元へと、走り続ける。

 周囲は木々が鬱蒼と生い茂った林の中、微かな人の気配や血と硝煙の匂いを頼りに、足場の悪い山中を走る、走る、走る。

 長い木々の群れを抜け、ようやく彼女は、目指していたその人物の元へ辿りついた。

 救うべき恩師の許へ躍り出た彼女は、師を助けるべき気合を入れる。

 だが、待っていた現実は、非情だった。

『………………』

 咄嗟に声は出なかった。口が、小刻みに震えた。

 やっとたどり着いたその先で、あの人は、地面に倒れて伏していた。

『………………あ』

 血だまりに沈んだその人は、すでに瞳から輝きを失い、口の端から血の糸を引いていた。

 全身は、何か鋭いもので何度も何度も引き裂かれたかのように傷まみれであった。

『……ああっ』

 その人は、胸部をとある人間によって貫かれていた。

 肩で息をし、自身も血まみれになったその少年。

 恩師と同じ黒髪黒瞳のその人物は、光を失った冷たい眼で、手にしていた刀をゆっくりと引き抜こうとしていた。

 口元を真一文字に引き結び、表情を凍らせた彼は、少女の存在に気が付かないのか柄をゆっくりと引き寄せる。

 途端、彼女の視界が赤く染まった。

 その赤い絵の具は、彼女が何を賭しても守りたかった大切な人の――


『……あ……。うあああああああああああああああああああああああ!!!』


   *


 潮のごとく噴き上がる赤一面の映像が、白い天井へと切り替わっていた。

 その状況にリーサは一瞬混乱したが、やがて今自分が見ていたものが何であったことを悟ると、強張っていた全身から力を抜く。

「夢? ……いや、違う」

 全身が冷や汗で服を濡らしているのに気がつきながら、リーサはぼそりと呟いた。

 今見ていた光景は、決して夢幻などではない。

 あれは一年ほど前、彼女が実際に目にした光景である。親愛し、そして尊敬していた恩師が、あの忌まわしき【死神】によって殺された――まさにその瞬間の光景だった。

 自分を絶望の窮地から引き上げ、そして生きていく術を教えてくれた優しく温かい恩師は、皮肉にも自分の眼前で死の淵へと叩き落とされたのだ。

 なお、今の悪夢には実際には続きがある。

 恩師を殺されたリーサは、直後錯乱して敬一へ挑んだ。だが、結果は惨敗。その後気がついた時には、彼女は近くに病院のベッドで目を覚まし、あげく【死神】はすでに遠く国外まで逃亡した後であった。

 どうしてあの男か、師を殺害したのかわからない。

 ただ彼が死を殺したという事実だけははっきりとしており、以来リーサは、彼に対する復讐心を強く刻んでいた。

 その証拠なのか、彼女は数日に一回ほどは、今のような夢を見る。

 もっとも、これほど鮮明にこの悪夢を見たのは久々であった。

 おそらく、昨晩の彼との邂逅が、彼女の魂の根底にあった思いを強く想起させたのだろう。

「……まだよ」

 無意識のうちに、彼女は言う。

「まだ……お前はこの町にいる。次こそは……」

 夢での光景を、憎悪によって忘我へ押しやるために口にすると、彼女は歯を軋ませた。



 喧しい電話の呼び鈴の音に、意識を切っていた敬一は重い瞼を持ち上げた。

 未だベッドの上で身を横にしていた彼は、掛けていたシーツをどかすと、枕元に設置してあったホテルの電話へと手を伸ばす。受話器を取るついで軽く身を起こし、受話器を耳元に引き寄せた。

『あ……どうも、敬一さん。こんにちは』

「……なんだ。セルナか」

 受話器越しに聞こえてきた声に、敬一は気が抜けたように欠伸をつく。その際、頭に巻いてあった包帯がずり落ち、敬一は片目の視界が覆われた。鬱陶しげにそれを払いのけた敬一は、それから自分の側頭部――昨晩の戦いで負傷した部分に手を当てる。感触は普段通り、すでに傷跡もほとんどなくなっていた。

 自身が備える自己治癒力の速さにしばしげんなりとした後、それから敬一は、ある重要なことに気が付く。

「ちょっと待て、セルナ」

『何です?』

「この電話、ホテルスタッフとの内線専用のはずだが……」

 相手が目の前にいないためか、敬一の顔には不審の色が隠すことなく露わになる。

 するとセルナは、

『あぁ。ちょっと電話線弄ったんです』

 と、とてもあっさり調子でそれに答える。

 その浮世離れした発言と態度に、敬一はしばし無表情で硬直した後、小さく嘆息の息を漏らした。

 確かにセルナであれば、電話線かあるいは通信システムを弄って、本来通じない電話を通じるようにさせるぐらい簡単だろう。情報屋では、そのような通信器を利用した盗聴は基礎的なスキルであり、まして国家機密の情報さえあっさりと手に入れるようなセルナにとっては、むしろ出来て当たり前の芸当なのだろう。

 ただ、こうも何事もないかのように言われると、流石に毒気が抜かれる。

 突っ込む気力も湧かなかったのか、敬一は話を先に進めた。

「……で、朝っぱらから何の用だ?」

『朝? もう今は正午過ぎですヨ?』

「なに?」

 指摘されたから、敬一はようやく気が付いた。

 室内に設置されている時計は、すでに十二時過ぎを刻んでいる。また窓の外も、昨晩の雨が嘘のように晴れ渡っており、初夏の陽光が部屋の中へと差し込んでいた。

 どうやら敬一は、昨晩の戦闘の疲れもあって、普段より長く睡眠をとっていたらしい。

 自嘲気味な苦笑を自然とこぼしつつ、やや気後れした心地で受話器に意識を戻した。

「どうやら、少しばかり寝過ごしたみたいだ」

『少しってレベルじゃない気がしますが……まぁ、話を先に進めますネ』

 敬一の惚けた言葉にセルナは反応しかけるが、それが取るに足らぬ些事と判断したか、すぐに本題へと移る。

『頼まれていた神威真之介についての情報、大方集めることが出来ましたヨ』

「……聞かせろ」

 頭を軽く振り、ベッド横に置いてあるソファに寝間着用に来ていたシャツを放り投げながら、敬一は催促する。

 つい先ほどまで眠り眼であったはずが、今の一瞬でいつも通りの鋭い表情に切り替わっていた。

『はい。ですがその前に、敬一さん。神威真之介がどのような経歴である人間か覚えてますか?』

「ん? それは昨日もお前と話しただろ」

【悪魔の子】の異名を取るに至ったその苛烈な戦いぶり、そして自分と同類である魔術師や魔術組織を単独で、時に数百人も敵に回しながらもことごとく壊滅させたというその来歴は、覚え間違えようのないほどに鮮烈な経歴である。

 特に敬一は、彼と一度殺し合いを繰り広げたということもあって、彼がその来歴に裏付けされた猛者であることは重々承知していた。

 が、セルナが急にそのような話を振ってきたことに、敬一は不審げに眉根を寄せる。元来セルナという少年は、他人に情報を教える時は無用な混乱を与えないようにと、無駄な口は控える性分だ。逆に言えば、こういう話を振ってきたということで、それについての何か新しい事実があるということだろう。

『実はですネ、その神威真之介のこれまでの戦歴には、いくつかの〝裏〟があることが判明したんですヨ』

「へぇ、どんな?」

 その口ぶりに興味を魅かれたのか、敬一が詳細を尋ねると、セルナは説明を始めた。



 話は、彼の出自から遡る。

 そもそも彼は、生まれからして独特だった。

 彼の両親は、古今東西のありとあらゆる魔術の研究を生業とした魔術師であった。

 魔術の研究を行う魔術師――魔道の探求を主な目的とする彼らからすれば特に珍しいことではないように思えるかもしれないが、大抵の魔術師は個々に特定の系統の魔術を極めるのが通例だ。それに対して神威の親は、父も母も特定の系統の魔術にしぼることなく、古今から現代、西洋から東洋まで、幅広い魔術系統を研究する変わり者であったらしい。

 そんな親の間で生まれたためか、神威は生まれた時から魔術世界の空気に慣れ親しんでいた。物心がついた時にはすでに、魔術の研究にも携わっていたという。

 基本魔術師の子弟は、子供がある程度の年齢になり、また自分を律する程度の忍耐力と意識を持って、初めて魔術を教えられるのが通例である。魔術というのがそもそも人間の常識や科学技術を持っても説明できない超現象であり、その超常現象を使役するには、それを悪用しないような人格を持つのが非常に大きな意味を持つからだ。そのため、幼少からその力を悪用する癖を持たないように、魔術師が初めて魔術を習うのは、往来にして七、八歳頃からであった。

 だが、神威は違った。生後からあるいは母の胎内に命を宿した時から魔術の空気を感じ取っていた彼にとっては、魔術の探究という知的好奇心によるはずの行動が、同年代が遊具で遊ぶのと同義、あるいは食事を摂ることや呼吸をするようなこととなっていた。それゆえ、彼は幼少期から両親より魔術を自主的に学んでいた。

 物心がつくか否かで魔術を習い始めた彼は、幼くして魔術師として桁外れの能力を持つに至ったそうだ。しかも彼は、その力を子供独特の駄々や我儘で使うことも一切なかったという。幼くして大成の兆しを見せ、しかも魔術師としての人格も備えていた神威を見て、彼の両親は素直に喜んだ。また神威本人も、親の期待に応えようと更に腕を磨こうと修練に励んだ。

 魔術師として、理想的な家族であったといえる。

 だが、そんな幸せな家庭は、やがて崩壊した。

 ある時、彼の父が魔術儀式の研究ため、それに必要となる触媒を回収したところ、同じくその触媒を探していた他の魔術師と遭遇したらしい。触媒はとても貴重なものであったらしく、それを先に見つけられた魔術師は、神威の父親に理不尽な怒りを覚えたのだろう。彼は突如、無防備であった神威の父親を襲撃し、彼を殺してその触媒を強奪しようとした。その際、同じ場所に神威本人と神威の母親もおり、目撃者として母も殺害され、残った神威を手に掛けられそうになった。

 一流の魔術師夫婦を殺したその人物に、普通なら子供である神威は殺されていただろう。

 ただ、彼は〝普通〟ではなかった。

 彼は襲って来た魔術師を逆に討ち、両親の仇打ちを果たしたのだという。

 この時、彼はまだ十歳。

 相手が両親を殺す際に体力と魔力を共に消耗していたのもあっただろうが、神威はすでにその時点で、自分の四倍近く生きた両親を凌駕する実力を持っていた。


『ここらへんのデタラメさは、敬一さんそっくりですネ』

 話を切ってセルナが揶揄するが、敬一は鼻を鳴らしただけで続きを促す。

 それに従い、セルナは説明を続ける。

 

 両親を失った神威はその後どうしたのか。

 彼はその後、親の遺志を継ぐことを選択したという。親がわずかに残した財産で生活し、一方で世界各地を渡りながら魔術の研究をおこなったそうだ。素直には信じがたい話ではあるが、彼はまだ十歳のうちから、彼はたった一人で生きていたのである。

 だが、魔術師というのは往来、何らかの組織に属して生きていくのが一般的である。逆説的に言えば、そうしなければ現代の魔術師は生きていけないのだ。

 それは神威も同様で、幼くして魔術の研究だけで生きていけるほど現実は甘くなかった。

 そこで彼は、生きていく手段として傭兵になる道を選んだ。魔術師が傭兵として力を揮う人間はあまり多くなかったが、組織に属さない一匹狼的な魔術師などが傭兵になることは間々ある。彼は十六歳の時、B級の傭兵として登録され、以後傭兵業で資金を稼ぎながら魔術の研究を行っていた。

 なおこの頃から、あるいはその以前から、彼の容姿はまったく変わっていない。


『一人で生きていくには、充分な準備が整ったのがこの時期ですネ。順調にいけば、このままこの人は順風満帆な人生を遅れていけたかもしれません』

「……つまり、そうはいかなかった、ということか」

 敬一の言葉に、受話器越しにセルナが頷いた。


 生きていく上での環境を整え、傭兵業と魔術師としての活動を両立させた神威の生活は、数年の間は順調だった。

 だが魔術の研究に関する活動で、次第に魔術組織との軋轢を増やしていった。神威は魔術組織が秘蹟として隠し持っている魔術の技術や儀式の開示を研究のために求め、それを魔術組織が拒んだことで争論を何度も起こしたのだという。

 秘密主義を主とする魔術世界からすれば、同じ組織の人間以外に魔術の秘奥を教えるなどありないことであり、一方魔術の研究をおこなっていた神威の側からすれば、何故本来多くの人に教えるべく生み出された奇蹟を、勿体ぶって隠そうとするのかが疑問であった。知を求める者を拒む――神威の感性では、それが理解できなかったのである。

 そんな両者の対立は徐々に深まり、そして遂に大きな事件に発展した。

 先に仕掛けたのは、当時西洋最大の魔術集団といわれた《明星の担い手》であった。

 当時、神威は《明星の担い手》にも魔術秘蹟の開示を求めていたが、最初それを渋っていた《明星の担い手》が遂に折れるような形で、「特例」として秘奥を断片的に伝えることを認めたのだ。神威側は全面開示を求めていたが、しかしこちらも妥協する形でそれを了承した。

 だが、秘蹟の教授の場へと出向いた神威を待っていたのは、《明星の担い手》が用意した腕折りの魔術師たちによる襲撃だった。神威を今後も障害となるだろう存在とみなした《明星の担い手》は、彼の求める条件を呑むふりをして彼を亡き者にしようと企んだのだ。

 だが――


『結果は、ご存じの通りですネ』


 神威は《明星の担い手》が用意した刺客を返り討ちにしてその場を脱出。さらにそこから謀略や奇襲などを駆使して反撃を行い、結果『明星の担い手』を事実上の壊滅にまで追い込んだのである。

 たった一人の魔術師が、西洋最大といわれた魔術集団を斃したこの事件は世界中を震撼させ、神威が【悪魔の子】の異名で知られる原点ともなった。

 

 そんな事実をセルナが説明し終わると、それを静聴していた敬一は、不審気な表情を浮かべた。

「……俺が以前聞いた話と違うな。それだと確か、神威の方が先に《明星の担い手》へ攻撃を仕掛けた、とのことだったが」

『えぇ。世間一般ではそう言われていますネ』

 敬一が口にした疑念に肯きつつ、しかし、とセルナは言う。

『それがいわゆる〝裏〟なんです。世間一般で言われている神威真之介の悪行は、調べた限りそのほとんどが、彼から起こしたものというより彼が巻き込まれたという形の事件ばかりでした』

「つまり、アイツからみの事件のほとんどで、加害者と被害者が入れ替わる、ということか」

 この場合、一般で伝わるところの加害者は神威なのだが、事件の真相ではそれが逆に彼と争った魔術師側或いは組織側になるということだ。そうなると、神威は実際には被害者の立場になるという。

『神威真之介は、《明星の担い手》を壊滅させた後も、変わらず魔術の探究のための活動に続けています。おそらく彼の中で、非は魔術組織側にあり、自分は騙されたことからむしろ被害者だ――と考えたのかもしれません。ですが、その後も同じような経緯で魔術組織と物理的な衝突を引き起こす結果となっています。これはつまり――』

「他の魔術組織からすれば、神威は求めるもののためなら巨大な組織すら潰す『探究の怪物』――潰される危険があるなら、先に潰してしまおうと考えたわけか」

 セルナの言葉尻を受けてそう口にすると、敬一はげんなりとした様子で息をついた。

 そう考えれば、神威が魔術組織とばかり衝突している経歴にも納得がいく。

 神威からすれば、ただ単純に魔道の探究への純粋な意欲から、各々の魔術組織が持つ秘奥というのを求めてそちらへと出向いていったのであろう。

 生まれ育った環境を再度思い返せば、彼にとって魔術の探究は、生きていく上で切って離すことはできない生理的欲求のようになっていたはずだ。

 しかし、知識の開示を求められる側は、そのようには受け入れられなかった。

《明星の担い手》による陰謀を神威が回避し逆に彼らを壊滅させた後、その際の真実は人々に正しく伝わらず歪んでしまったために、結果多くの魔術組織が彼を怖れることとなり、その恐怖意識が神威に対する攻撃性を生み出したのだ。

 見ようによっては滑稽な、そして笑えない実態だ。

 きっと神威は、自分が純粋な興味を示すたびに、殺意を返されて来たのであろう。そしてそれを返り討ちにすることで、その都度彼の悪名は嫌が負うにも上がっていく。真実は更に大きく歪み、そして彼を追いつめていく。

 皮肉と呼ぶには、それはあまりにも残酷な世界の仕打ちだ。

「セルナ。実は、な」

『?』

 ふと敬一が口を開いたのに、セルナは疑問符を浮かべる気配が伝わって来た。

「俺が一度、神威とやりあった場所がどこだか知っているか?」

『えっと……魔術都市・アルカムの郊外、でしたか?』

 何やら手元に資料があるのか、紙が波立つ音と共にセルナが訊く。

 敬一は頷いた。

「あぁ。で、その際もな、アルカム側がアイツを食い止めようとした理由も同じなんだ」

『それは……どういう?』

「神威真之介は危険だ。魔術の世界の禁忌をあっさりと破る、まさに悪魔のような男だ――てな。だが実際に戦った時もその後も、俺もどこかで引っ掛かってはいたんだ」

 その時の光景を思い出しているのか、敬一は目を閉じる。

 それを受話器越しに、セルナは静かに敬一の言葉に耳を澄ましていた。

「確かに力は並大抵じゃなかったさ。けど、そこまで邪悪視される人間なのか、と。メディアとかアルカム警察は、人は見た目によらない、特に魔術の道に身を置いた法外の人間は、って口を揃えていたけどな。現に最後は、次にこの街に来たら命はないっていうこっちの条件に応じて、素直に退いていったしな」

 その時、彼は言っていた。

 僕は、アルカムにある魔導書を見たいんだ、と。

 別に危害を与える気はないし、そちらが変なことをしてこなければ、僕も何も企んだりはしない、とも。

 それを素直に信じるほど敬一も馬鹿ではなかったが、何度思い返しても、その言葉に偽りがあったとも思えない。

 本当に、ただ知りたいだけ――そんな様子だったのだ。

 そんなことを思い出してみると、もしかしたら敬一も、危うく真の意味での加害者になっていたかもしれなかった。

 これらの真実で言うところの、被害者の皮をかぶった加害者に。

 そんな事に想いを馳せている敬一だったが、不意に、その話からあることを思い出す。

 確か昨日のフレスハプスの襲撃事件、あれを起こしたのも、おそらく神威と対立していると思われる魔術組織ではなかったか。

 そのことを、敬一はセルナに尋ねてみる。

 すると、

『いいえ。今回の事件と、今話した神威の過去の経歴は直接的な関係はありません。もっとも、まったくもって無関係、というわけでもないでしょうけど……』

 否定しつつも、しかし完全に関わりがないというわけでもないような、やや曖昧な様子でセルナは答えた。彼がこのように歯切れが悪いのは珍しい。

 だが、どういうことだと詳しく問いただすより早く、敬一は神威の来歴のせいでつい忘れていたとある人物について思い出した。

「そうか。そこでスーが関わってくる、ということか」

 神威が何やら魔術組織と対立している様子はあったが、その魔術組織が真っ先に狙ったのは、確かあの天使のように可憐な盲目の少女、スー・ウォッカであったはずである。

 となれば、神威のそれらの経歴以上に、彼女の存在が何やら大きな要素ファクターとなっているのだろう。

『流石ですネ、敬一さん』

 そこまで悟った敬一に、セルナは感嘆するように口を開く。

『大体、敬一さんも予想なされている通りだと思います。スー・ウォッカは、元はとある魔術組織の中で監禁されていた少女だったそうです』

「……いや、待て。監禁だと?」

 セルナの言葉に、少し敬一は面食らったようで反応が遅れる。

『えぇ、監禁です。よほど重要な存在だったようで、半ば組織が持つ魔術の秘蹟並みに厳重に拘束されていたみたいです。しかしそれが神威にばれたらしく……まぁそこからの細かい話はひとまず置いておきますが、結果として神威がその少女をその組織から奪ったんです』

「ひょっとして、それが《八面の天秤》か?」

 話の先を読んだのか、敬一は昨日セルナへ伝えていた魔術組織の名を口にする。

 すると、電話越しであるが、彼が頷いた気配が伝わって来た。

『えぇ、そうです。彼らもその中の一つですね』

「そうか。ということは、事件の原因はやはり神威からスーを取り戻す――いや、ちょっと待て」

 昨日の事件の真相へと話を進めようとした敬一だったが、そこで、危うく聞き逃しそうになったとある単語に気がつく。

 敬一にしては珍しく、ややぞっとするような表情が浮かび上がっていた。

「セルナ」

『はい』

「〝彼ら〟とは、どういうことだ?」

 最初、敬一はスーを捕らえていたのは、《八面の天秤》という組織かと思っていた。いや、普通はそう考えて当然だろう。

 だが、彼の口から察するに、まるでスーは複数の者たちから監禁されていたようではないか。

 それは、一体どういうことか?

『敬一さんが、思っている通りですよ』

 セルナは淡々と、しかし恐るべき真実を口にしようとする。

 その言葉を待ち構える敬一は、口の端を苦く歪めた。

「ということは、やはり――」

『えぇ。つまりスー・ウォッカは、複数の魔術組織の間を転て――』

 プツン、と。

 受話器からセルナの声が切れたのはその時だった。

 唐突すぎる通信の遮断に、敬一は咄嗟にベッド横の机に置いてあった銃と刀を手で掴む。今まで握っていた電話の受話器からそれへと持ち物を変えると、素早く周囲へと目を回して異常や不審な気配を探る。

 彼の第六感は、背後からの視線に気が付いた。

 敬一が振り向いた先には、ベランダへとつながるガラス戸ある。そしてベランダの手すりの部分には、一羽の小鳥が留まっているだけだ。

 しかし敬一はそこで胸を撫で下ろすようなことはなかった。よく見てみると、その小鳥は動物的なものとは少し違う、何故か人間味のある視線でこちらを見据えていた。

 試しに敬一が室内で横へと大きく移動すると、小鳥の視線もそれに沿うように移動する。その様子を見て、敬一はそれがただの鳥ではないことを確信する。

 敬一がガラス戸に寄り、窓を開けた。

 ベランダに留まっている小鳥と少しの間睨んでから、敬一は口を開く。

「誰だ、貴様は?」

 なんともシュールな光景だったが、敬一の言葉に、小鳥は反応する。

『……僕だよ、【死神】』

 あろうことか、小鳥はまるで人間のように言葉を発した。

 上下する嘴から発せられた声はまぎれもなく人間のもの――そんな恐るべき光景に、しかし敬一はそのことよりも小鳥が発した声に意識を向けていた。

 その声は、聞き覚えのある少年のものだ。

 セルナの声が相手の緊張を解くような親しみのあるものあれば、こちらは相手に警戒を張り巡らかせる、嘲笑うかのような声である。

『そこから先の事情は、僕の方から説明させてもらうよ』

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