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悪魔たちの正義  作者: 嘉月青史
1st はじまりの三人
11/99

第10話

10、


 街から外れた山の奥深くに、その古びた工場は建っている。

 もっとも、その本来の使命はすでに放棄されている。

 かつては山にて発掘された鉱石を加工することを目的に稼働していたその工場は、数年前に廃業になり、もはや機能していない。当然、止まった工場で働いている作業員などいるはずもない。

 だが、そんな工場の内外では、現在複数の人影を目にすることが出来た。

 時刻は深更――しかも、浮かびあがったシルエットは、アサルト・ライフルを手にし、装甲服を身に纏っている。堅気の人間ではないのは、一目瞭然だ。

 彼らはテロ組織【ベレシス】の戦闘部隊、《プロフィンドゥ―ム》の隊員たちである。

 その数は視覚で確認できるだけで、五十を下らないだろう。一箇所に固まることなく散開し、また各々が一定の位置に留まることなく、周囲に異常がないか、あるいは近づく部外者がいないかを見回ため、辺りに目を馳せながら移動している。

 その様は、非常に合理的で緻密、彼らがいかに訓練された戦闘集団であるかは、その巡回の様子を見ても容易に覗える。

 工場の外は、《プロフィンドゥーム》の包囲網に敷かれている状態であった。それは、工場内を監視すると共に、その周囲からの侵入も困難にさせる――そんな攻守一体の配置である。

 そんな彼らの中央、廃工場の入り口には、スカーフェイスの男が立っていた。

 ここに集っている《プロフィンドゥーム》の隊長、フォレス・ベルフォードである。

 彼は、周囲を散策する隊員たちに何となしに目を配らせながら、通信器を耳に当てていた。その通信器は外見的に奇妙なもので、携帯電話や無線機とは異なる、妙に滑らかな円形の物体であった。ヘッドフォンの耳あて部分を切り取ったかのような形体である。

 そんな【ベレシス】独特の通信器を耳に当てつつ、フォレスはとある人物と連絡を取っていた。

 その最中、彼の顔が不快げに歪む。

 フォレスの口から、不満げに憤然とした声が発せられたのは、その直後だ。

「――来れなくなっただぁ?」

『えぇ。ちょっとしたアクシデントがありましてね』

 通信器から響いてきたのは、フォレスとは対照的な、親しみを感じさせる朗らかな声である。柔らかい丁寧口調は、よほどの人格者、あるいはそれを自然と装った悪党を想像させた。

 苛立たしげなフォレスに対し、通信相手の男は、詩でも歌うような調子で語る。

『昔別れた愛しい女性が、わざわざ私を尋ねに来まして。もっとも、今会うのは都合が悪いのですが、彼女はなかなか未練がましい人でしてね……。ともかく、そちらへ向かうわけにはいかなくなりました』

「じゃあ、あの餓鬼はどうすればいいんだ? こっちはアンタの指示通り、あの馬鹿をまだ生かしてるってのによぉ」

 話の内容の割には楽しげな電話相手に、フォレスは憤懣と言葉を返す。

 そもそも、このような山奥の廃工場までやってきたのは、今話している男の指示によるものだ。捕まえた少女とともに、わざわざ部下の全員をここへ終結させるのに骨を折ったというのに、それを指示した人物が私事で来れなくなったといわれれば、腹立たしさを覚えて当然だろう。

 相手が相手ならば、フォレスが罵倒するのは当然で、更に侮蔑の言葉も吐いていたに違いない。

 だが、相手が相手なだけに、フォレスは苛立たしさを腹の内に収めるしかなかった。今会話している男は、すべての部下に畏怖を覚えさせ、またSS級の傭兵の敬一でさえ退けるほどのフォレスでさえも、言葉を選ばなければならない相手なのだから。

 フォレスに指示を仰がれ、通信機からは思案の声が漏れる。

『そうですねぇ……。ちなみに、今彼女はどうしているのですか?』

「アンタの指示通りのことをしてるよ」

 男の質問にフォレスが答えた瞬間、工場内からひどく大きな音が鳴り響いた。

 人の、声だ。

 断末魔の叫びというべき甲高い男の絶叫が、工場内から反響してくる。

 またそれとは別に、微かな壊裂音が耳朶に忍び入ってきた。ある意味絶叫よりも耳障りなその音は、一般の人間の感受性であれば、嫌悪感や悪寒を覚えそうな音だった。

 それに続く、悲鳴。

 少女が放ったと思われるその声に、フォレスは何故か愉しげに口の端を吊り上げる。工場外に控え、周囲を警戒している《プロフィンドゥーム》の隊員の一人が、フォレスの顔を横目にし、すぐさま視線を逸らす。口元を引き結び青ざめたその顔をみれば、フォレスの顔がどのようなものに見えたかは明白だ。

「殺さない程度に、しかし抵抗する意思を折る――そのためにアンタが指示したように、とりあえずあの餓鬼のトラウマを抉っているところだ」

『おやおや。流石ですね』

 通信相手は、笑い混じりの声をあげた。

 楽しげで邪気を感じられないその声からは、無意識に背筋を粟立たせるような無気味さも感じさせる。

 もっとも、頭がイカレていることを自他共に認めているフォレスには、なんの恐怖も感じさせなかったが。

 通信相手は、フォレスが促していないにも関わらず、指示を出した意図について話し始めた。

『町村幸の異能は、今はまだそうでもありませんが、磨けば非常に厄介なものになる類のもの――下手に甚振って彼女を追いつめれば、万が一異能が〝暴発〟した場合、手に負えなくなります。ですから、肉体的にではなく、過去のトラウマを再現させることで精神的に追い詰めていった方が、有効なわけです』

「……そのトラウマについてだが」

 ふと、フォレスが何か気になることを思い出したかのように口を開いた。

「アンタ、一体あの餓鬼に何をしたんだ?」

『それは事務的な確認ですか? それとも、貴方個人の興味ですか?』

 通信相手の問いに、フォレスの顔が不快げに歪める。

 揶揄の調子で尋ねられために、思わず本心が顔に浮かびあがっていた。

 まぁ、実際に顔を合わせて会話しているわけではないので、声や言葉でなく顔にそれを出す分は全く問題ないのだが。

「個人的なものだ」

『ほう。君のような人間が他人の過去に興味を示されるとは……なかなか面白いお話ですねぇ』

 くすくすと、忍び笑いのようなものを洩らしながら、通信相手はひどく苛立たしげなフォレスに気づかぬまま、質問に答える。

『別に大したことではないですよ。貴方たちが今やっているようなことを、彼女に見せてあげたのです』

「……へぇ」

 明らかにされた事実に、しかしフォレスはなんの感慨もこもっていない声で相槌を打った。

 そして、何となしに工場内を覗き見る。

 先ほどの断末魔と幸の悲鳴から静寂を保っていた工場内から、また新たな喧騒が生まれ始めている。

 見れば、また新たな被害者が、生み出されるところであった。

 抵抗しているのは、二十代ぐらいの女だ。幸が初め着ていた時と同じ、薄緑の病服を身に纏っている。彼女も幸と同じ人体実験の被験者――というわけではない。《プロフィンドゥーム》所属の隊員と幸を除き、その女性やすでに周囲に散乱している人々は、【ベレシス】とは無関係な人間たちであった。彼らは、幸への対処のために、《プロフィンドゥーム》が適当に攫ってきた一般人である。

 その女は、《プロフィンドゥ―ム》の隊員によって、とある機械へと取り付けられていくところだった。狂ったように嗚咽交じりの悲鳴を上げながら抵抗するが、それはまったく功をなすことなく、彼女もそれ(・・)に取り付けられる。

それ(・・)は、複数あった。

 小型クレーン車に似た外装をしたその機械は、先端部分が手錠のような丸型の鉄製の腕輪になっている。もっとも、手足をはめた時の間隙はまったくなく、警察のソレより、特撮ものでよく目に留まる拘束用のソレに形は近い。

 それによって両手両足、計四体の機械それぞれのアームで拘束され、女性の小柄な身体は床を離れ宙に結いつけられる。

 それを無感情な瞳でフォレスが眺めていると、まるでその光景を一緒にみているかのように、通信器から声が発せられた。


『彼女の前で、ざっと二百人ほど、殺してあげたんですよ。彼女の家族、友人、恩師、知り合い、その他彼女に近しい者を』


 怯える女、宙に浮かぶ身体、両手両足を拘束し、手と足それぞれで対極の位置にある四体の小型クレーン車――何が起こるかは、明白だった。

 直後、予想通りの光景が広がる。

 起動音とともにクレーン車が突如として動き出す。

 そして、女の両腕と両足を、正反対の方向から引っ張り上げていた。

 その事実を視認できた、次の瞬間――


『君が今見ている様に、両手両足を両方向から引っ張り、肉体を切り裂いてね♪』

 

 迸る断末魔を背景音に、鼻歌でも歌うような調子で通信相手が言った。

 頭上に掲げられた腕、その反対側にある伸び切った脚を同時に引っ張られ、女の肉体は真っ二つに引き裂かれる。

 密閉されたビニール袋を引き裂くように、人間の肉体がいともたやすく二つに割かれる。筋繊維は耳障りな音で引き裂かれ、骨が軋みへし折れて木の枝を折った時のような音を鳴らし、臓物がそれらの隙間から落ちて、床を跳ね上がる。直前まで平常に活動を続けていたそれは、陸に挙げられた魚のように小刻みに震えていた。

 常人なら間違いなく吐瀉するだろうその光景に、フォレスが顔を歪めた。

 彼に僅かに残った良心が、この残虐すぎる光景に嫌悪や恐怖を覚えたわけではない。

 原因は、彼の耳元に聞こえている、通信相手の朗らかな笑い声だ。

 間違いなく、先ほどの女性の悲鳴、そしてクレーンの作動音は彼にも聞こえているはずだ。もしかすれば、人体が開裂する微かな音さえも拾っていたかもしれない。

 だが、それにも構わずに、男は通話器の向こうで、無邪気に笑っていた。

 そこに悪意や残虐な性分が含まれていたら別にフォレスも気にしなかっただろう。しかし、男から聞こえてくるのは、まるで子供のような、険も含みもない、純真な笑い声であった。

 これには、流石のフォレスでも辟易と頬を歪める。

「……俺も人の事はいえないが、あんた、外道の権化だな」

『おやや。褒めないでくださいよ』

 なんとか皮肉をついたフォレスに、通信相手は依然無邪気な笑い声を返す。

 平穏なその声には、しかし調子以上の無気味さが宿っていた。

 フォレスが思わず押し黙ると、それに気がついたのだろうか、通信相手は何故か取り繕うように捲し立てる。

『しかし、あのような手法を取ったのにも、もちろん理由があるんですよ? 後天性の異能を目覚めさせようとした場合、その発現のほとんどが異能持ちの精神的外傷とともによって引き起こされるという【ベレシス】の研究結果を見れば、このような手法を取るのはもっとも合理的なのです。現に彼女は、幻覚系の異能に目覚めた。いわば僕は、彼女の異能を発現させるため、わざわざこのような回りくどい事をしてあげたんですよ?』

「ただ単純に、そいつらを惨死させたかっただけじゃねぇのか?」

『まぁ、確かにそちらの方が趣旨としては強かったですけどね』

 再びあがる、無邪気な笑い声。

 だが、今回のは明らかな悪意が潜んでいたおかげで、先ほど以上にフォレスを閉口させることはなかった。

「――で、話を戻すが、あの餓鬼はどうすればいい?」

『あぁ、殺してくれて結構です』

 あまりにあっさりと言われ、フォレスは眉根を寄せる。

「おいおい。出撃前にアンタ、あの餓鬼は特別だから殺さないでおくようにって俺にくどいぐらい言ってたじゃねぇか」

『いえ……。少し、事情が変わりましてねぇ』

 先ほどまでとは打って変わって、妙に渋い相手の声に、フォレスは眉を顰める。通信相手の男――彼が何かを言い渋るというのは珍しい。おそらく、何か大きな問題が発生したのだと、その様子だけで十分察知することができた。

 果たして何があったのか、フォレスは相手からの説明を待つが、次に出て来たのは、拍子抜けするほど、普段通りの男の声だった。

『――ということで、殺っといてください』

「相変わらず、軽すぎるだろ……」

 どうやら、説明するのが面倒くさいらしい。

 詳しい事情を語らない通信相手について釈然としない心持ちになりながら、しかし特に追及することなく、フォレスは通信を切ろうとした。たとえ説明を求めても、男がはぐらかすだろうことは目に見えている。

『おっと! 大事なことを言い忘れるところでした』

「?」

 通信を切ろうとしたその瞬間、急に慌てた様子で、男はフォレスを呼びとめた。

『君、彼女を捜す際に変わった少年と出会いませんでしたか? 大和独特の刀を差した、十五、六歳の少年なんですが……』

「……あぁ、会ったぞ」

 通信相手が尋ねて来た人物について、フォレスは少し考えた後で、把握する。

 町村幸を確保した直後、そのような少年が確かに現れた。

 部下数人を瞬殺した彼とフォレスが激突したのはほんの一瞬、しかも相手の不運をついた形であったが、その時に見た数回のアクションだけで、少年が並みならない実力の持ち主であることは、フォレスも理解していた。

 警官と錐揉みになっている中に手榴弾を投げたあの状況では、生きている可能性は低いだろう。

 だが、何故だかフォレスには彼がまだ生きている気がしてならない。

 論理ではない。長年生死の臨界をまたぐ戦いを繰り広げた者のみが身につけられる、直感だ。

「なかなか出来そうな餓鬼だったが、知り合いか?」

『えぇ。【死神(ジョーカー)】、天野敬一――私にとっては嬉しくも悲しい人間、そして【ベレシス】にとっては今後、最大の天敵となりうる男です』

 男の言葉に、フォレスは珍しく驚きで眉を上げた。

【死神】という異名、そして彼の本名は、フォレスも耳に入れたことがある名である。というより、【ベレシス】内でその名を知らない者は皆無だろう。

 だが、

「アンタがそこまで評価するとはなぁ。確か、あの佳南の事件で生き残り、あまつさえアンタの最高傑作を盗み出した餓鬼だったよな?」

『えぇ。あの地獄の中をよもや逃げ延び、また私が十六年も手塩にかけた怪物を、解放したのも彼――そして今、君たちとも接触を果たしているという……』

 通信相手の声には、どこか苦い響きが宿っていた。

 決して敵意は感じられないが、あまり快い存在とは思っていないことは、その声から明らかであった。

 二人が口にした二つの事件――それによって【ベレシス】が受けた、また今後受けるだろう損害は、計り知れないものとなるだろうからだ。

 そして、また今回のとある人体兵器の件でも、偶然ではあるが、彼は接触してきている。

 通信相手が何を懸念しているか、それを言い当てるのは容易だろう。

『……念のため警戒は怠ることなく。君とはいえ、油断をすれば死神の鎌に、首を刈り取られますよ』

「馬鹿か」

 通信相手が初めて口にした憂慮を、フォレスも初めて真っ向から罵倒する。

 それは、彼自身の矜持から洩れた本音であった。本来通信相手の男には言えないような暴言ではあったが、フォレスはそこに後悔などを持つ筈がなかった。

「あの程度の餓鬼、捻りつぶすのは造作ない。俺を誰だと思っている?」

『……そこまでの自負があるのなら、これ以上はなにも言いませんよ』

 挑むようなフォレスの声に、通信相手の男は苦笑交じりに言った。

 その言葉に、フォレスは鼻を鳴らすと、今度こそ通信を切る。交わすべき連絡は既に終わっている。【死神】、天野敬一の話などほんの蛇足に過ぎない。

 フォレスは、工場外部を見回る部下に一声かけると、自身は工場の中へと戻って行く。工場内に陣取る《プロフィンドゥーム》は十数名で、彼らはフォレスが戻って来るのを見ると、皆背筋を正して出迎える。

 工場の内部では、予想通りの地獄絵図が出来あがっていた。 

 何人、何十もの、人間だった者の残骸が、そこには転がっていた。上半身と下半身を真っ二つに引き千切られ、その間隙からこぼれて出来た血の池の中には、骨や臓物の破片が、浮島のように漂っている。薄らと、死臭をなびかせる惨状に、フォレスは嘲りまじりに鼻を鳴らした。

 彼の眼は、やがて周囲に散乱する人間の欠片から、その中央で倒れ込んでいる、一人の少女に向ける。

 幸だ。

 両手を後ろに回された態勢で拘束され、抵抗する気力を失わせるため《プロフィンドゥーム》の隊員たちに殴打されたために、彼女は全身に痣や傷を作っている。浅い呼吸をつきながら身体を震わし、普段は無表情だとフォレスが聞いていた彼女の顔には、恐怖によって青ざめていた。

 それは、【ベレシス】に拘束されたため、ではない。

 尋常ではないその戦慄は、今しがたフォレスが話していた相手の指示で行われた虐殺により生じたものだ。再現された過去の光景(トラウマ)が、果たして彼女の心にどれぐらいのダメージを与えたかは、目に見えるものではないものなので他者には明確に分かるものではない。

 だが、彼女の足下には血混じりの吐瀉物が吐き出されて、また目の下には薄らとだが涙の痕も残っていることから、やはり相当の精神的ダメージを受けたのだろうことは察せられる。

 幸は生気を失くしたような朧気な瞳で、息も絶え絶えに肩を揺らしていた。

 その様子を、フォレスは興味なさそうに見据える。

 そこには嗜虐的な悦びはおろか、組織の反逆者に対する苛立ちすら浮かんでいない。ただただ冷たい、見下すような光が、彼の瞳には湛えられていた。

 そんな彼へと、隊員の一人が駆け寄る。

「隊長。次はどのように?」

「あぁ。今聞いた所だ。殺せ、だとよ」

 どうでもよさそうな口調で言うと、フォレスはその隊員に手を差し出した。すぐにその意味を悟った隊員は、預かっていたフォレスのアサルト・ライフルを彼に手渡す。

 銃の重みに、握る手を軽く開閉させた後、フォレスは幸にギロリと目を向ける。

 思わず振り向かざるを得ないようなその視線に晒されて、しかし幸はそちらを振り向かなかった。

 否。振り向く気力が、既に残っていないのだ。

【ベレシス】の追手に捕まった後にこの工場に連れこまれた当初は、まだフォレスたちの暴行、尋問に耐えるだけの意思を彼女は残していた。

 幸は、手足を折られ、内臓を何度も叩きつけられても、決してそれに屈せず、彼らの尋問に対し、何一つ口を割らなかった。敬一たちの情報は勿論、彼女はその他自分が接触した人物は誰一人として口に出さなかった。また、施設を逃走した際の経路やその方法についても――結局、彼女は自分に拷問して来る【ベレシス】の人間に、すべての情報を黙秘し続けたのだ。

 一応過去に人体兵器としての訓練を受けたることを考慮しても、全身に耐えがたい痛烈な折檻を受けていたにもかかわらず黙り続けたのは、彼女の精神力がその可憐な容姿に似合わずいかに強靭であるかを物語っていた。

 そんな彼女の堅い心を抉ったのは、自分の目の前に引き裂かれる人間の姿であった。

 かつて彼女は、フォレスが話していた男の言う通り、自分に近しい人間を何人も、目の前で惨殺されていた。その時と全く同じ手法で人間を殺されたことで、彼女の精神には凄まじいまでのダメージが与えられたようだ。

 殴る蹴るといった肉体的なものとはまた違う、精神的な拷問――その威力は凄まじく、彼女の表情から、すでに強い意思の光は消失していた。

 倒れ込み、痛みによって微かに身を揺らしている彼女へ、フォレスは冷たい視線を飛ばす。

 彼女の心に植え付けられていたトラウマを刺激したことにより、彼女に抵抗を行う様子はない。

 だが、そんな状態でもあっても、この少女は、フォレスたちにとって気になる情報は一切吐いていなかった。

 親兄弟、友人、知人を目の間で虐殺された幼き日の記憶――自分の精神に植え付けられた古傷を深く抉られたのにもかかわらず、彼女が決して情報は口にしない。

 自分がそれを口にすれば、多くの人間が死ぬことになると分かっていたからだ。

 どんなにも自分の心の傷が無惨に切り刻まれようとも、わずか一日、下手すれば数分しかかかわっていない人間の命を守るため、彼女は頑なに黙り続けていた。反抗の意思がすでに無きに等しいここ今にいたっても、それは、揺るがなかった。

 そんな幸に、フォレスはいい加減怒りを覚えていた。

 すでに、殺害の許可は出ている。情報を決して吐こうとしない相手に、彼が躊躇う理由などなかった。

 フォレスは、突然幸の口内へとアサルト・ライフルを押し込んだ。

 銃口が口内を抉るあまりの激痛に幸が踠く中、フォレスはその様子を愉快げに笑う。

 幸は自分の口内に入っている銃身に目を向けると、びくりと肩を震わせる。本能で今から殺されることを察したのか、今となって死への恐怖が、その目には浮かびあがっていた。

「さて――殺すかァ。この餓鬼にもう用なんてないしなァ」

 口角を吊り上げ、フォレスは銃を横に振り払う。

 それの動きによって幸は側頭部から床に強く叩きつけられる。身体を丸めて咳きこみながら、彼女の口から唾液混じりの血塊が零れおちる。

 今にも絶えそうな儚い呼吸の彼女へと、フォレスは彼女の頬に銃口をねじこむ。

 幸の顔が再び苦痛に歪み、それを見てフォレスは言った。

「せいぜい、自分が生まれてきたことを恨みながら死ぬんだな。あ~ばよ」

「………………ッ!!」

 虚ろになった幸の目から、再び涙が零れおちた。

 今更ながらに死を恐れ、しかしそこから逃れるための抵抗の力は、すでにない。

 ただ、彼女には無抵抗に殺されるしか、選択肢が残っていなかった。

 その反応に対しフォレスは満足げに嗤う。

 引き金は、あまりにも軽く引かれようとしていた。


 ――そして、その時が来る。


 工場正面の入口が、突如爆発した。


 フォレスが入る際に閉められていた工場の扉が、突然の爆発により粉砕した。同時に炎が熱線を拡散しながら暴れ狂い、熱気が工場内へどっと押し寄せる。

「アァ? なんだ?」

 フォレスをはじめ、工場内の装甲服たちの視線が、そちらへと注がれた。

突然の事態に、彼らは怪訝な様子で立ちつくす。


   *


 床に倒れ伏していた幸は、【ベレシス】の人間に倣うでもなく、無意識の内に爆心地へと視線を向けていた。茫洋とした瞳の輝きは、すでに精神が折れかかっているだけにあり、ほとんど感情を写していない。

 その双眸に、突如として光が戻る。

 浮かびあがった感情は、疑念とそして驚愕――

 その原因は、彼女の視線の先にあった。

 工場の鉄製の扉を爆砕した炎は、人間一人を優に飲み込むほどの大きさまで膨れ上がっている。

 その炎の中に、薄らとシルエットが浮かび上がっていた。

 紅蓮の炎に映し出されるのは黒影。

 ロングコートを羽織っていることを想像させる輪郭が炎になぞられ、シルエットの主は、それのポケットへと肩手を入れていた。

 その姿に、幸は見覚えがあった。

 胸に、ジクリと鈍い痛みが走る。

 同時に鼻から目にかけて奇妙な感触が疼き、幸はその感覚に驚きを覚える。


 ――何故自分は、こんなに心苦しくなっているのだろう?

 ――何故自分は、こんなに泣きそうになっているのだろう?


 そして、


 ――何故自分は、こんなに、嬉しくて嬉しくてたまらないのだろう?


「アハーハッハッハ!!!!」


 幸が戸惑う中で、それを吹き飛ばすような不敵な哄笑が響き渡った。

 工場を吹き飛ばして燃え上がっていた炎が内部から飛び散る。

 そこから飛び出した姿に、幸は胸に湧く感情を耐えきれずに涙をこぼした。

 炎の中から飛び出したのは、黒髪黒瞳の少年。

 

 ――構うなと言ったにもかかわらず、

 ――放っておいてくれと突き放したにもかかわらず、

 ――助けなど必要ないと拒んだにもかかわらず、


 天野敬一は、幸のいる死地へ、飛び込んできたのだった。


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