プロローグ
これは、後に世界を揺るがす事となる『集団』の、はじまりの物語――
【悪魔たちの正義】1st
「はじまりの三人」
プロローグ
近くの街から十キロ以上離れた山間部に、古びた工場が建っていた。
建設から数十年は時を重ねただろう外壁部が、所々赤錆に浸食されている。
かつては山で採れた鉱石を加工・削岩するための場所であったそうだが、元来採れていた資源が底をついたため、その影響によって数年前から活動を停止していた。
廃業となった工場の周りには、深い森が広がっている。
時刻は、多くの生物が眠りにつく深夜である。
自然辺り一帯は辺りに静まり返り、森はひんやりとした静寂に包まれている――はずであった。
工場の中から、鈍い音が響いてくる。
すでに本来の機能を停止している工場内は無人のはずだ。街から遠く離れたこのような辺鄙な場所に、わざわざ用もなくやって来る者などもいるはずがない。
しかし工場の中には、十数人にもおよぶ人間の姿があった。
その見た目からして、一般人ではない事は明らかである。
彼らは頭をガスマスクのようなヘルメットで覆い、全身に黒い装甲服を身に着込んでいる。あたかも重犯罪者の捕縛やテロリストを制圧するための特殊部隊、あるいはテロリストそのもののであった。
その中に一人でだけ、恰好は周りと同じであるものの、一人だけ顔を露出させている男がいた。
筋骨隆々とした巨躯に、スカーフェイス――顔全体に傷が走る、凶悪な容貌をしている。顔つきからは凶暴さと残忍さが際立たっており、気の弱い者では、目を合わせただけで畏縮してしまいかねないほどのプレッシャーを漂わせている。
装甲服のほぼ中心に立つ彼こそ、この集団のリーダーであることは間違いない。男は凶悪な光を宿した眼球を、ギロリと無気味に動かした。
彼の視線の先――装甲服たちの中心で、彼らとはまったく違う恰好の者が、一人だけいた。
少女である。
薄い茶色の混ざった黒髪に黒瞳、透き通るように白い肌の整った顔立ちは、同世代の人間とは比べものにならないほど、美しい。目元涼しく鼻筋が通った容貌は、『美少女』と呼ぶにふさわしく、あと数年も齢を重ねれば、男女問わずに人々を魅了するような美女になるだろうと、確信めいた邪推さえ連想させるほどの美しい少女であった。
だが、少女のその美しさは現在、無残に引き裂かれていた。
着ていた黒基調の服装はズタズタに引き裂かれ、彼女は現在床で横向けに倒れ込んでいる。全身には無数の傷と痣が見え、今にも息絶えてしまいそうなほど呼吸は浅い。床一面に、彼女が吐き出した、あるいは流したと思われる血がじわりと滲んでおり、鉄の匂いが辺りを充満させていた。
なお、床に倒れ込んでいるのは彼女だけではない。
彼女の視線のちょうど先には、何人、何十人もの死体が見えていた。そのどれもが、身体を引き裂かれたような状態で、上半身と下半身が、腹か胸のあたりで引き裂かれている。当然、その裂け目からは臓物が零れおちており、ピンク色のそれからは、薄らと気色悪い死臭さえ漂っていた。
それらが、はたして誰の手によるものかは、想像に難くない。
口から血の糸を垂らし、生気を失くしたように朧気な瞳からうっすらと滴をこぼしながら、少女は息も絶え絶えに肩を揺らす。
その口内に、異物が突き刺さった。
黒い鉄の塊が当然少女の口の中に突きつけられ、その激痛から少女は目を瞑る。激痛の正体は、スカーフェイスの男が手にしていた、アサルトライフルの先端だ。
銃口が口内を抉る激痛に踠く少女。彼女は自分の口内に入っている銃の身に目を向けると、びくりと怯えるように肩を震わせる。それを見てスカーフェイスは愉しげに嗤った。
「さて――殺すかァ。この餓鬼にもう用なんてないしなァ」
口角を吊り上げ、男は銃を横に振り払う。
銃を咥えさせられていた少女は、血の混じった唾液をこぼしながら側頭部から床に強く叩きつけられる。身体を丸めて咳きこみながら、彼女は赤い唾液塊を絶えず吐き出す。
ひゅーひゅーと、儚い息とともに、少女の目が虚ろになる。
そんな彼女に、スカーフェイスが銃口を少女の頬にねじこむと、少女の顔は再び苦痛に歪む。
スカーフェイスが言った。
「せいぜい、自分が生まれてきたことを恨みながら死ぬんだな。あ~ばよ」
「………………ッ!!」
虚ろになった少女の目から、再び、涙が零れおちる。
その反応に対しスカーフェイスは満足げに微笑み、そして指をかけていた引き金に力を――
工場正面の入口が、大音量とともに爆発した。
工場の扉は一応閉められていたのだが、突如起こった爆発によって一瞬で粉砕する。それと同時に炎が暴れ狂うように広がり、工場の入り口であった部分は、炎の壁によって遮られる。
「アァ? なんだ?」
スカーフェイスをはじめ、工場内にいた装甲服たちの視線が、爆風と熱波が巻き起こった一角に注がれる。
あたかも爆薬を放りこまれたかのような大炎上に、彼らは訝しむか、あるいは茫然とするように立ちつくす。
そんな中、炎の中に薄らと、シルエットが浮かび上がった。
炎の赤に映し出される黒の影は、上着のポケットに手を入れるような態勢でこちらを向き――
「アハーハッハッハ!!」
哄笑が響き渡り、燃え上がる炎が内部から飛び散った。
炎の中から飛び出したのは、黒髪黒瞳の少年。
白のシャツに青のジーンズ、上着に黒のロングコートを羽織った、まだ十五にも満たないだろう少年だった。
だが、疾風の如く炎の中より躍り出た少年を装甲服たちのほとんどが目に入れた時、すでに彼はすでに間合いへと踏み込んでいた。
少年は、左腰に下げていた刀を、駆け抜けざまに解き放つ。背後の炎によって微かに照らし出された白刃が、黒き疾風とともに翻った。
蛇行する閃光――
舞いあがる血煙――
瞬時に、三人が沈んだ。
プロテクター付きの装備を刹那で叩き斬り、疾風は風向きを右へと変える。瞬く間に仲間が斬られたことに驚愕する装甲服たちは、慌てて各々の銃口を少年に向ける。この辺りの反応のよさは、流石に訓練されている。
だが遅い。
少年は狙いを定めていた者たちの懐へ、コンマ十分の一秒の距離で肉迫していた。その凄まじい速さに、装甲服たちはヘルメットの下で目を剥きつつも引き金に指をかける――ことは出来なかった。
放たれた斬撃は弓のような軌道を描き、雷撃のような激しさで装甲服二人を巻き込む。その稲妻を受けた者は胴体を文字通り両断され、桁外れの勢いによって身体の上半分をだるま落としの木の輪のように横に吹き飛ばされる。上半身は臓物を撒き散らしながら錐揉み宙を飛び、下半身は火山の噴火のように血潮を上げた。
凄絶な光景を背にし、少年は更に地を蹴る。
血の海を生みだして斃れていく者たちの向こうにいる一人が、少年へ銃口を向けていた。すでに銃を構えていたそいつは、血潮で視界が不明瞭になっている少年に弾丸を叩き込もうとする。
装甲服が銃口を向けているのを視界の隅で捉え、少年は右脚に取りつけられているホルスターへと手を伸ばす。少年がその中に納まっている銃のグリップを掴んだ時、すでに敵の銃口は少年に照準が定まり、しかも引き金に指がかかっていた。少年の動きは、明らかに手遅れなものだった。
電光石火――少年はホルスターから銃を引き抜くと、相手がトリガーを引くよりも早く撃ち抜く。
正確無比――少年の放った弾丸は、目にもとまらぬ早撃ちであったのにもかかわらず、相手のライフルの銃口を撃ち抜く。
驚天動地――少年の早撃ちによるものとは思わず、自分が銃を撃とうとしたところで突然銃が暴発と勘違いしたそいつは、銃の破裂の衝撃で身体を傾ける。
疾風迅雷――銃の爆発によって万歳する形となった装甲服の懐に、すでに少年は飛び込んでいた。
紫電一閃――少年は左手に握った刀を斜めに斬り払い、右肩から左脇腹まで振り抜かれる。
快刀乱麻――刃は装甲服の骨もろともに肉を食い破り、血潮と共にそいつの身体をぱっくりとかち割る。
血流漂杵――傷口から血と臓物を垂れ流しながら斃れるそいつを尻目に、少年は他の装甲服たちへと振り向いた。
ほぼ一瞬の出来事であった。
瞬く間に五人の敵を葬った少年は、およそ十数メートルの距離を置いて残りの装甲服たちと対峙する。
少年は、彼らを見て、嗤う。
「グッドイブニング――クズども」
右手には普通のものより一回り大きな銃を、左手には血糊をべっとりと貼り付けた刀をそれぞれ手にしながら、少年は十数人もの武装した男たちとただ一人で相対する。その顔には不敵さこそあれ、気負いや恐れは微塵も存在しない。
まだ十代も半ば程度だろう少年が浮かべる表情にしてはあまりに異質、そのことが戦闘訓練を受け、実際に何度も殺し合いも経験したことがある装甲服たちに恐怖を植え付ける。
そんな中で、装甲服たちの中心――スカーフェイスの男のみが、少年を見るとにやりと笑みを浮かべる。それは先ほど少女に向けていたものよりも、遥かに凶悪で猛り狂うような笑みだ。獲物を見つけた、肉食獣の笑みに似ている。
スカーフェイスは、足下で倒れている少女の美しい髪の毛を掴み上げて頭を持ち上げると、彼女の顔を少年の方へと向けた。
「おい……よかったなぁ。お前と一緒に死んでくれる優しい馬鹿が来てくれたぞ?」
「――ッ?!」
少女は、少年の姿を視認した瞬間目を見開いて絶句した。
一体何をしに来た――少女の表情が、二人の関係を知らない人間でも彼女がそう言いたいのだろうと分かってしまうほどに、大きく引き歪む。
少女が動揺を露わにする一方で、少年は少女を見てバツが悪そうな表情を浮かべる。しかし一方で、その目には、揺るぎない決意を表す鋭い光も浮かんでいる。
スカーフェイスは、少女の髪から手を離すと、高らかに笑い声を上げた。
「ヒャハハハハハハ!! カッコいい登場しやがるじゃねぇか、ヒーローさんよぉ!!」
スカーフェイスの凶笑に、少年は肩を竦ませる。
刹那の間に六人もの人間を斬り倒したにもかかわらず、彼についた返り血は、頬にわずかにあるだけだ。その血の跡が、歪む。
「残念だが、俺はヒーローじゃない。ただの……人殺しだ」
不敵な笑みとともに揶揄するように言い放つと、少年はホルスターに銃を仕舞い込む。
直後、両陣営が示し合うことなく同時に動いた。
少年の横に陣取っていた装甲服の一帯が銃の素早く引き金を引いた。同一方向から三つの軸の弾幕が、大音声とともに少年の影を一瞬で食い破る。
しかし、そこに手応えはない。ハチの巣になったのは残像だ。
少年は、敵の放った銃弾の雨をかいくぐって懐へ飛び込むと、横殴りに刀を叩きつける。左手から右手に持ち変えながら、刃は銀の閃光を放った。鞭のように身体をしならせながら、少年の刀は、一振りで三人の人間を引き裂いた。半円を描く恐るべき剣速の斬撃が、装甲服の胸や腹がかち割って血飛沫が舞わす。
そのうちの一人の手から、武器であるアサルトライフルがすり抜ける。宙を縦に回転するそれを少年は左手で掴み取り、即座に敵の一帯へとその銃口を突きつける。
そして、あろうことか左手一本でそれの引き金を引いた。
本来両手で使う、しかも連続して反動が伝わって来るマシンガンを、片手で扱うのは自殺行為に等しい。現に引き金を引いた少年の左手には、断続して凄まじい衝撃が襲いかかる。ほぼ確実に、人間の片腕など破壊してしまうほどの振動だ。
だが、少年はその衝撃に苦痛の色は一切見せず、銃身を横に振り払うような動作で、連射した。
凄絶な反動と振動で左腕が悲鳴を上げる中、それにもかまわず、彼は敵の一帯を撃ち抜く。
思わぬ少年の攻撃に意表を突かれたことで、一気に五人の敵が血の池に沈んだ。
敵の数を一気に減らした少年は、弾倉がつきるやアサルトライフルを投げ捨てる。
彼の目の前に残るは、すでにスカーフェイスの男とその部下三名のみとなっていた。
少年の襲撃開始から、わずか四十秒の早業である。
スカーフェイスの男は、部下の死に胸を痛める様子なくニヤリと愉しげに嗤い、片手を持ち上げる。その合図に、残る三名が動く。彼らは、倒れたままの少女を一斉に取り押さえた。
少年がその動き左の拳を開閉させて感触を確かめながら横目にする一方、スカーフェイスは視界の隅に少女を捉えながら嘲笑をあげる。
「本当によかったなぁ~。これからてめぇは、助けにきてくれた王子様と一緒に死ねるわけだ。ヒャハハハハ!」
その言葉に、少女の顔が歪む。
彼女の美しい顔の中には、動揺と恐怖がありありと浮かんでいる。それはまるで、新たな絶望の光景を予期しているかのような表情だ。
少女の恐怖の面持ちを尻目に、スカーフェイスは少年へと振り返る。
「いいねいいねぇ!! 久しぶりに楽しめそうだぜ!!」
「悪いが俺は、てめぇみたいな変人には興味がない」
凶笑するスカーフェイスを、少年は冷たくあしらう。
その時、少年の背後――彼が侵入した工場の入り口の方角から、連続で爆発が発生する。
スカーフェイスの部下がそちらにぎょっと目を向ける中、少年とスカーフェイスは響く大音量に気を逸らすことなく、対峙する。
工場内に炎の熱波が押し寄せる中で、それにも劣らぬ不可視の火花が両者の間で弾け合う。
少年が、ふと視線をずらした。
彼は、装甲服に取り押さえられている少女と目を合わせる。
「全部聞いたぞ、…」
爆発のせいで、少年の声の一部が掻き消された。
しかし、それにかまわず少年は言う。
「お前が何者で…………、………今、どうして殺さ………………なっているの……。全部、知っ……」
周囲からだと、少年の声は途切れ途切れにしか聞こえない。
だがそれは、少なくとも少女にはきちんと届いているようだった。彼女は少年の言葉に目を見開き、そして動揺に瞳と肩を揺らす。
そんな彼女に、少年は微笑む。
そして、声を張り上げた。
「…!」
少年は彼女の名を呼んだ。そして、不敵に笑い直す。
「〝………〟と、言え」
「――ッ!!!」
爆音が鳴り響く工場の中で、少年の言葉が響き渡る。
その言葉に、少女はびくりと肩を震わした。
工場の中を、そしてその周囲にも火は広がっていく。
徐々に辺りが灼熱地獄と化していく中で、それにも構わずに、少年が言葉を紡いでいく。
ただ、絶望の淵で諦める少女を救う――ただ、それだけのために……