正反対の腐れ縁
「だあああああああ!!」
正樹はそこそこに整っているはずの顔を目一杯くずして叫んだ。そして闇雲にスクールバッグを振り回す。裕紀はさっとそれの射程範囲外に身を引き、優雅に眼鏡を押し上げた。
「いや、こればっかりは何もいえないな。非は全て君にあると思うぞ。」
「だあああああってさあ!阿武隈のやろう、絶対俺んこと目の敵にしてるぜっ」
阿武隈とは、裕紀たちが通っている桜丘中学校の生徒指導教諭である。そして、正樹と一番かかわりの多い先生だ。
もちろん、悪い意味で。
裕紀がはあっと心底あきれたように大きくため息をついて、スクールバッグを肩にかけなおす。
「それはなあ。こうも毎回毎回問題起こしてちゃあ、目を付けられないほうがおかしいと思うが。」
校門を通り抜け、もう完全に散りきった桜並木の下を並んで歩く。ずいぶん日が長くなり、もうすぐ六時近くだというのにまだ空は薄明るかった。
正樹はワイシャツを思いっきりズボンからだし、ローファーの踵をふんずけて何ともだらしないが、その隣の裕紀はワイシャツの上に紺色の学校指定ベストを身につけ、もちろん第一ボタンまで留めた上でネクタイをぴしりとしめていた。定期的に磨いているのか、買い換えたわけでもないのにローファーは鈍く輝いている。しかも眼鏡をかけているため、見た目はまるっきりベタな優等生ちゃんだ。
実は正樹のほうが背が高いのだが、正樹は常に猫背ぎみで、裕紀は姿勢がいいため、差は無い様に見える。
そんな色々と対照的な二人は、家が隣同士の、まるで兄弟のように育ってきた幼馴染だ。同じように遊び、同じようなものをたべ、もちろん長い時間をともに過ごしてきた二人の差が、何によって生まれたのかはもう知る由もない。
とにかく、はたから見ればどこかのお坊ちゃまとそこらへんにたまっている不良が一緒に歩いている、というような雰囲気なのである。しかも両方ルックスがかなり良いほうなので・・・。すれ違う人々を必ずといってもいいほど振り返らせた。
しかも不良のほうが・・・いや失礼、猫背気味のほうが、バッグを振り回して騒いでいればなおさらである。
「で、今度は何をやらかして、罰則はなんなんだ?」
「昼休みにーーー、野球しててーーー」
「どこで。」
「職員室前ーーー。」
「・・・うん、とりあえず突っ込まない。で?」
「俺がホームラン打ってーーーー。」
「・・・うん、オチが見えてきたぞ。で?」
「職員室のガラスに当たって、ひびが入っちゃって、反省文二十枚。原稿用紙二十枚だよ?」
裕紀は額を軽く押さえてはあっとため息をついた。
「君、学習て言葉知ってるかい?前もかさでゴルフして窓割って怒られたろう。」
「ちげえもん。花瓶割ったんだもん。」
「なんでもいいわ、そんなもん!」
結局、次の日裕紀は正樹の家にあがりこみ、隣について、反省文の添削に勤めることになった。
「ああ・・・、ちっさいつが抜けてる!小学一年生か、君は!」
「あれ?あ、ホントだあ。ねー、はんせいって、漢字でどうかくんだっけ?」
「・・・」
裕紀は適当にメモ用紙を一枚破りとり、「反省」と大きく書いた。けしゴムのかすだらけの机を軽く掃除し、また赤のボールペンを片手に原稿用紙をにらむ。二、三行読み進めてため息をつき、びっびっとラインを入れて、また読み進める・・・
反省文が完成したのは、五時間後だった。
「ああああああああ、終わったああああああ」
勢いよくベッドにねっころがった正樹は満足そうに笑った。裕紀も多少やつれたように見えるが、軽く笑う。
「裕紀ー」
「なに。」
「命拾いしたわ、ありがとう。」
「命拾いする前に、命を落とさないようにつとめてもらいたいもんだな。」
正樹は軽くいやいやをして、にぱっとまた笑う。
「むりむり。絶対悪さまたするって。」
「・・・なんで。」
「だって、俺は海藤正樹だから。」
「・・・。」
「いたずらしない俺は、俺じゃない。もし三日以上いたずらしなかったら、中身が宇宙人にすりかわってるか、病気になったかだから。どっちにしろ心配して。」
「早く宇宙人とすりかわってくれ。いたずらしなくなるんなら、別に正樹の中身が宇宙人でも僕は一向にかまわないぞ。ノープロブレムだ。」
「いや、アルプロブレムだから!」
「アルプロブレム?!」
そのとき、窓の外から正樹を呼ぶ声がした。正樹が上体をベッドから起こして窓から下を見ると、嬉しそうに手を振る。恐らく正樹と仲のいい田中や池田だろう。放課後は小さい頃からの習慣で毎日のようにお互いの家を行き来している二人だが、学校では全く違うグループにいる。裕紀はどちらかというと大人しい子と行動し、正樹はわいわいと騒ぐことを使命としているようなやつらといつもつるんでいる。そいつらに、これから一緒に遊ばないかと誘われているらしい。
裕紀は持ってきていた辞書やペンをバッグに放り込み、立ち上がった。正樹がそんな裕紀を振り向いて、怪訝そうな顔をする。そしてまた外に向き直り、叫んだ。
「ごめーん、今ちょっと無理だわーーー。また今度なあ。」
わかった、だかなんだか、とりあえず了承する声が聞こえて、正樹はカーテンを閉めた。カーテンは開けていたほうがもちろん風が入ってくるのだが、なにぶん日差しがきつい。
裕紀はさりげなく言うつもりだったが、発した声はとがっていた。
「なんで断るんだよ。別にこの後用事もないだろ。」
正樹がきょとんと首をかしげる。
「だから、遊びに誘われたんだろ?いきゃあいいじゃねえか。」
「う・・・うわあ。ちょっと待てよ。裕紀、いつものキャラとちげえぞ?どっかの不良みたいだぞ?」
「別に俺と遊んでもつまんないだろ。ちっさい頃ならともかく、この頃はお互い違うことしてるばっかだしよ。あっちに入って、ゲーセンいったり、野球とかしたり・・・。そっちの方が楽しいだろうが。」
おののいて部屋の隅まで後退していた正樹がぶっと吹き出す。床に落っこちていたクッションを投げつけてきたので、思いっきり投げ返した。ちなみにこのクッションは小学校の頃家庭科の授業で作ったものだ。不器用で放課後も家庭科室に残らされて半泣きだった正樹をみかねて、結局裕紀が作ってしまったのだ。何度かラリーをしてから、クッションが壁に激突したところで終息する。
それでも正樹の顔は笑ったままだ。そしてさも可笑しそうに言った。
「ゆ、裕紀、そんなどっかのヤキモチ焼いてる女みたいなこというなよ。」
裕紀がむっとしてにらみ返す。
「どういうことだよ。」
「どういうこともなにも。『もう、正樹クンはアタシと遊ぶより池子ちゃんや田中子ちゃんと遊ぶほうが楽しいんでしょ。アタシなんかただ反省文の添削マシーンとしか思ってないんだわ。もうしらない、早くあの子達のところに行けば。ふんっ』みたいな?」
予想以上にかわいらしい女声でセリフを言い終えた正樹は赤くなっている裕紀を見て、満足げに笑った。おもちゃ箱から正樹がゲームのソフトを選び始めると、さっきより随分弱気な声がかかる。
「でも・・・。やっぱ君、僕と遊んでも楽しくないだろ。そもそもこの頃は一緒に遊んでもないし。僕
が勉強か読書をしている隣で、君はそうやってゲームをしたり、プラモデルを作ったりしてるだけで。」
裕紀はベッドにもたれつつ机の上で勉強、その横で正樹はベッドに寝転がってゲーム。これが今の二人の「遊ぶ」ときの基本スタイルになっている。
「んーーー、遊んでばっかでごめんね、嫌味かな?」
「いや・・・。その間何の会話もないしさあ。別に良いと思うんだよ。もう中学生だし、別にお互いの部屋を、こうやってかたきのように行ったりきたりしなくても。」
しばらく正樹は何事か考え込んでいたが、急に立ち上がって、無理やり裕紀を外に連れ出した。
「えっと・・・なにがしたいのかな、君は。」
やってきたのは、小さい頃駆け回った原っぱだ。今は見事な花畑になっている。その中央に座り込み、正樹は花をつみ始めた。黄色いの、シロツメクサ、アカツメクサ、たまにカラスノエンドウ。これを食べてしまって、苦い苦いと大騒ぎしたこともあった。
「ねえ。なにしてるんだ?」
返事はない。裕紀は観念したように隣にすわり、暇つぶしに四葉のクローバーを探し始めた。
しばらくして、うつむき加減だった裕紀の頭の上にふわりと何かが乗った。確認してみると、見事な花輪である。カラスノエンドウまではいっているのが不思議なのだが。怪訝そうな表情でその花輪の製作者を見上げた。
「どうだ。これの作り方、裕紀が昔教えてくれたんだぜ。」
そんなこともあっただろうか。教えたほうはもう作り方を忘れている。
その後、近所のスーパーまで行って、シャボン玉セットを買って、また原っぱまで戻って飛ばした。久しぶりにやってみると案外面白くて、あっというまに相当な量のシャボン液が減った。
紙飛行機を飛ばして、ちょっとかくれんぼまでやって、腕相撲をして・・・思いつくだけ遊んでみた。夕焼けを見上げて、裕紀は思った。
〔小さい頃は、こんなに夕暮れがはやかったんだなあ。〕
一日が終るのがもったいなくて、切ない、そんな独特の感覚。
同じように空を見上げていた正樹が、ふいに裕紀のほうを向いて、にいっと口角を上げる。いたずらっぽい、昔となんら変わらない笑み。
「遊んでて、こんなに楽しいのは、今も昔もおまえだけだぜ。日が暮れんのが、一番早く感じるんだ。」
ああ、裕紀もうなずく。
「この腐れ縁が、どこまで続くかもみものだな。」
いいながら、ずっとだろうな、と確信した。ずっとだ。どっちかが死ぬまでずっと。
「そういえば、数学のプリント、ちゃんとやった?」
「・・・・・・・・・・・・・・。」
「明日提出だけど。」
「・・・・・・・・・・・・・・。」
「全くやってないなんて、言わないよね?」
「裕紀様ーーーーーー!!!」
「もう知るかあ!」
家に向かって走る二人の笑顔を、夕日だけが見つめていた。
終わり
ほかのもぜひよんでくださいね!