Kapitel.5
「田柄・・・・・・」
僕は涙をそっと拭って呟いた。「全部計算通りだったのかよ・・・・・・。僕に声をかけたのも、あの親切も。全て作り物だったのか」
「そうよ」
幽霊はさらりと言った。何事もないかように。
「全部計算通り。今まで思うままに進んできたのに。またこの女?なんであんたまで幽霊になってんのよ。あんたはいつも私の邪魔ばかりするよね。本当に消えてほしいんだけど」
見えないんだから消えてるようなもんか、と幽霊は鼻で笑った。幽霊の口調が一変している。
由佳は黙っていた。
「でも敢太さん?私のこと、好きになってくれたでしょう?こんな女なんて忘れて、少しでも私を好きになったよね?」
幽霊は誘うように僕に言う。僕は罪悪感でいっぱいになった。
そうだ。こんな奴に。僕は好いてしまった。由佳のことよりも、こんな奴のことを想ってしまった。全て奴の仕組んだレールの上をただ流されるままに進み、挙げ句の果てになにも知らずに奴を想うようになって・・・・・・。
「違う、そうじゃない・・・・・・」
そうじゃない。そんなの認めたくない。
「この女がいけないのよ。この女さえいなかったらこんなことになはらなかったんだから。私頑張ったわ。一年間。敢太さんに好きになってもらうように」幽霊は溜息を吐きながら言う。「どうして私が自殺したかわかる?」
鈴木が僕を見る。僕は素直に言った。
「知るわけないだろう」
「私と敢太が付き合い始めたからよ」
由佳が冷たく言い放った。
「・・・・・・え?」
「この子が自殺したのは三年前でしょ。私たちが付き合い始めたのも三年前じゃない」
そうだっけ。
「自分に振り向いてくれないと知ったこの子は、絶望した・・・・・・」
「よく覚えてるな・・・・・・」
僕が言うと、由佳は苦笑した。
「そりゃあ、忘れるわけないわ。だって、私この子から嫌がらせ受けてたんだもの」
・・・・・・は?嫌がらせ?受けてたって?由佳が?
「敢太と付き合うなんて許さないって。家に押し掛けられたり、脅迫みたいなこともさせられたわ。それでも私と敢太は別れなかった。だから自殺したんだよ」
初耳だった。そんなことを・・・・・・?
「マジかよ・・・・・・。おい田柄、その話本当なのかよっ」
僕は怒鳴った。
幽霊に騙されていたこと。幽霊の思い通りに自分が動いていたこと。いろんなことが僕を苛立たせていた。
由佳に嫌がらせをしていたというのを許せるはずがない。けれど、それに気がつけなかった自分にも腹が立った。
「本当よ?だって、ムカついたんだもの。敢太さんと合うのは私。私以外の女なんて認めないわ」
幽霊はさらりと言った。
「ムカついた?それは僕の台詞だよ。僕は今、お前にすっごいムカついてる」
僕は一生懸命に気持ちを落ち着かせて言った。
相手の見えない状況で自棄になるのは危ない。多分、僕は幽霊に勝てないのだから。
「・・・・・・どうして?私の何がいけないの?私はただ敢太さんと一緒にいたかっただけなのに」幽霊の声が途端に小さくなる。「敢太さんに認めてほしかった。それだけなのに。どうして私じゃ駄目なの?」
僕は怒りが静まっていくのを感じた。幽霊の言葉は震えていた。
「それは・・・・・・」
「性格」
僕が答えに戸惑っていると、由佳がきっぱりと言った。
「その性格を直さない限り無理よ。よくもまぁ、そんな演技ができること。姿が見えないからって調子に乗ってるんじゃない?」
「ち、違う。本心よ」
「どうだか。そうやってまた敢太を騙そうっていうんでしょ」
「・・・・・・あなただって調子に乗ってるんじゃないの。敢太さんに気に入られてるからって」
「田柄」
僕は幽霊を遮った。幽霊が肩を震わせたように思えた。
「悪いけど僕は由佳以外に考えられない。もうやめよう。こんなの、終わりにしよう」
僕は静かに言った。幽霊は何か言いたげに口を開いたが、何も言わなかった。
なにもかも終わらせたい。中途半端でも良い。もうどうでも良いから、早くこの関係を断ち切りたかった。
「・・・・・・絶対に、ですか?少しでも私を、」
「絶対にだ」
僕は強い口調で遮る。幽霊はショックを受けたようだった。
「・・・・・・そう。じゃあ仕方ないね・・・・・・」
鈴木が小さく溜息を吐いた。安心したのかもしれない。
もう終わりだ。なにがなんでもこの幽霊とは別れるんだ。人間と幽霊でも、由佳とは心が繋がっている。大丈夫だ。これからもやっていける。
「・・・・・・この手は使いたくなかったのだけど」
幽霊が小さく呟いた。
聞き返すよりも早く、僕は何者かに首を絞められていた。
「ぐあぁ・・・・・・っ」
「敢太っ!」
「岩淵!?」
僕は幽霊に首を絞められていた。それも、中途半端な力で。
どうしてだ。幽霊は実物に触れられないんじゃないのか。
僕は首のあたりの空を掴む。本来そこにあるはずの手はなかった。
「こんなことしたくなかったのよ。でも、敢太さんが悪いんだもん。私のことを見てくれないから。だったら、最後に私の手で殺してやる」
幽霊の低く鋭い声が頭の中で響く。
殺されるのか?このまま、僕は。
「どう・・・・・・して。触れ、る・・・・・・」
僕は必死で言葉を発する。すると、幽霊はくすくすと笑った。
「触る、っていう表現は間違ってますよ。実際、私触ってるわけじゃないもの」
私にもよくわからないんだけど、と幽霊は肩を竦めるように言う。
僕の首を絞める力が少し弱まった。とはいえ振りほどけるものでもないし、苦しいのには変わりない。
「確かに私の意志で物に触れることはできるんだけど、私に触れているっていう感覚はないんですよ」
楽しそうに幽霊は笑った。
幽霊の言うことが理解できない。理屈じゃなくただ単純に、幽霊の言葉の意味が頭の中で変換されない。
「やめて・・・・・・やめて!」
由佳の悲鳴が耳に届いた。
「これで敢太さんは幸せになれないでしょう。ねぇ敢太さん、悔しいでしょう。愛する人と一緒にいられなくて。私は絶対に嫌よ。敢太さんが私以外の人と幸せになるなんて絶対に許さないから」
僕の首を絞める力が、再び強くなった。しかも、先程より強くなっている。
僕に限界がきたようだった。視界が白く染まっていく。声が聞こえるけれど、もう誰の声なのかもわからない。誰かの声が、頭の中で反響している。
耳に残っているのは幽霊のあの狂った笑い声。
嫌だ、嫌だ。どうして僕が田柄に殺されなくてはいけないんだ。ふざけるな。
僕は必死で抵抗するが、所詮水の泡。
「ああああああああっ!」
目の前が真っ白になり、僕の中から力が抜けていく。最後に耳に残ったのは、誰のものかもわからない悲鳴だった。